DRIVEインターン大学1・2年生からはじめる本気のインターンシップ

市民社会を実現したい。

低引稔さん

現在の所属:NPOカタリバ 事業企画部部長

インターン先:NPO法人フローレンス

【プロフィール】
2006年3月千葉大学理学部物理学科卒業。2005年12月より学生インターンとしてNPO法人フローレンスに参画。2006年4月NPO法人フローレンス正式入社。病児保育事業部長を経て、2009年12月より経営企画室室長として、おうち保育園事業の立ち上げに従事。後、おうち保育園事業部長。2010年11月より「ミッションが日々現場で実現するオペレーションを設計する【組織の設計者】」として、個人事業主へ。2011年2月より、NPO法人NPOカタリバの業務改善コンサルティングに従事。
何で社会の現状を知らずに自分は大学まで来ちゃったんだろうとすごく思ったんですよ。それで学校教育って何なんだろうと思い始めたんです。
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インターンをする前はどのような大学生活を送られていましたか?

学校の先生になりたいと思って千葉大学で物理を勉強していました。高校時代は物理が得意だったので、よし、理科の先生になろういうことで理学部物理学科に行ったのですが、大学に入学してますます物理の勉強が楽しくなりました。物理って難しそうですが、生活に身近な研究も色々行われていて、実はテレビゲームの「みんなのゴルフ」は、ミサイル弾道のシミュレータが応用されているんですよ。風とか地球の自転の影響を考慮しながら目的地まで飛ばすことをゲームに応用しているわけです。インターンをする前は、もっとこういった物理の面白さを伝えていきたいと思っていました。なので勉強をし続けた学生時代でした。

低引さんが社会問題に関心を持つようになったのは、どのようなきっかけがあったのですか?

大学1年の後期の教育学の授業が大きな転機になりました。その授業の中でインパクトのある話が2つあって1つが、日本の高齢者がどう最期を迎えるかという話でした。日本の高齢者は、オムツをしたまま寝たきりになってしまって、おむつの中でうんちして、そのまま誰にも看取られず、人知れず死んでくとか。認知症で、手足をしばられて、誰にも看取られず亡くなっていくという話をされていたんです。それで、そういう死に方が日本で、たくさん起こっているとすると、僕は自分の両親や、おじいちゃん、おばあちゃんをそういう風に死なせたくないなと思ったんです。何でこういう社会の現状を知らずに自分は大学まで来ちゃったんだろうとすごく思ったんですよ。それで学校教育って何なんだろうと思い始めたんです。

もう1つが、学校というのは、与えられたことを従順にこなす労働者をつくる工場だと1つの考え方として紹介されたんです。それを聞いて、僕は本当にその通りだなと思ったんです。与えられたものをこつこつやって、その中で成績が付けられる。どうも社会は就職した後も、そういう風に動いていくらしいと思って、そんなことのために勉強するのは嫌だなと思ったんですよ。自分で楽しいこと見つけて仕事にしたりとか、誰か身近な人のためにサービスを提供するような働き方はないのかなと思って、教育で何かを伝えることよりも、教育のあとに興味を持つようになっていき始めました。

その後、なんとなくヘルパーの資格を取ったり、本を読んで勉強したりして、社会ってこういうところなんだとわかってくるんですけど、でも先生以外の道ってなんにもわからなくて、何をしたらいいのかも全然わからなかったんです。その後、3年生の春に、友人に紹介されてデイサービスのアルバイトを始めたんです。週1回日曜に毎週行くようになったんですけど、その仕事がすごく面白くて、おばあちゃんって若者と話をするのがとても楽しいみたいで、すごく笑顔でいてくれたりだとか、手を引きながらゆっくり歩いていくとそれだけで楽しそうだったんです。「授業で聞いた本の話とはちょっと違うな。やっぱり現場で見えることって全然違うな」と思ったんです。勉強は好きでしたけど、それよりも現場で人と触れ合う仕事が好きなんだなとわかってきたんです。人と触れ合う仕事、社会問題と言われているような現場をもっと知ってみようと思って、高齢化問題の勉強会とか、子育ての勉強会とかに参加するようになっていったんです。その中で子育ての勉強会に飛び込んで行ってみたら、子どもを持つ母親のみなさんが、「社会保障の予算が子どもに対して全然振り分けられてない。」「国際比較しても全然日本は子育てに関する国の予算が少ない。」「もっとこういうサービスが必要だ。」というようなことを政策提言していたんです。それを見た時に、自分たちの環境を変えるために、専門家でもない普通のお母さんたちが自ら行動を起こそうとしているのを見て、すごいなと思ったんですよ。

一生懸命勉強して、普通のお母さんたちが少子化対策委員みたいな人と組んで、講演会を開催したりするのを見て、「すごいな!」と思ったんです。その勉強会で当時のNPO法人フローレンス(以下フローレンス)の副代表だった岡本さんと出逢って、「僕と同年代の学生にもっと自分が将来どう働くのか、子供ができたらどう両立するのかといった問題を学生時代から考えてほしいと思っているのですが、それってどうやったらみんなに伝わるのでしょうか?」と質問をしたんです。そうしたら岡本さんが「まずは自分で発信していくことだよね。」と答えてくれて、「君みたいな若い人でも、社会問題とか、子育てとかに興味をもってやっている人がフローレンスには沢山いるよ。」と言われて、フローレンスが主催する講演会に参加したのが、フローレンスとの出会いです。それで後日、フローレンス代表の駒崎さんと話をしましょうということになって駒崎さんと出会いました。それが大学4年の9月くらいでした。

そもそも子育ての勉強会に参加した理由は何だったのですか?

介護するのは基本女性じゃないですか。男性で仕事やめて介護するってあまり聞いたことないじゃないですか。女性が仕事やめて介護するとは、よく聞きますよね。デイサービスでアルバイトしていた時に、送迎するんですけど、その時に出てくるのは娘さんとか女性だったんです。介護をするという理由で、自分のやりたい仕事を辞めるというのは、どんな気持ちなんだろうと思ったんです。

自分としては納得できないとか、なぜ女性なんだろうというのがすごく感じていて、調べてみると「子供産まれたら7割が仕事辞める」という現状だったんです。何でこんなに頑張って就活して、これを自分の仕事にしたいですと思っていることを、子供を産むという事で女性だけが諦めなきゃいけないのかとすごく違和感を抱いたんです。それで、もうちょっと勉強してみようと思っていた時にその勉強会に出会いました。

「誰かに任せているだけじゃだめだ。自分たちが社会の構造を変えていくことが必要で、政治家や官僚だけに任せている場合じゃない。」とフローレンスの駒崎代表に言われたんです。
フローレンスでインターンを始めた経緯を教えてください。

駒崎さんと実際に話してみて、すごく衝撃的だったんですよ。僕がその時に駒崎さんに話をしたのが、「僕は社会に対して問題意識を持っていて、もっと若い人が社会問題を知らないといけないし、そういう社会問題を子供たちに伝えていく必要があると感じています。だから今、一番その問題に対してアプローチできるとしたら、公務員や学者になることだと思っています。」と言ったら、「そりゃそうかもしれないけど、誰かに任せているだけじゃだめだ。自分たちが社会の構造を変えていくことが必要で、政治家や官僚だけに任せている場合じゃない。」というようなことを言われたんです。「自分たちが社会問題の解決を仕事として成り立たせて、それで稼げるようになって、どんどん広げていけるような、そういう組織や事業を創ろうと思っている。そういうのを社会起業家と言うんだよ」と言われた時に、もうそれをやるしかないと思ったんですよ。

それで社会起業家という生き方があるということを駒崎さんから教えてもらったので、これを大学院で勉強しようと大学院の院試の勉強を始めました。同時に大学4年の12月からフローレンスでインターンを始めたんです。

インターン期間中はどのようなことを担当していたのですか?

僕がインターンの時に任されていたことは、大きく2つあって、1つはスタッフの募集活動です。当時フローレンスは東京都の江東区・中央区の2区でサービスを展開していたんですけど、主に江東区で募集をしていて、江東区内を自転車で走り回って、公民館、駅などにポスターを貼らせてもらったり、ポスティングしたりしていました。

もう1つは、レスキュー隊員さん(子どもの世話をする方)がフローレンスで働いている理由、想いだったりをインタビューをするという企画があってその2つを主に担当していました。

最初は4月から大学院に進学する予定でフローレンスのインターンが始まったんですけど、現場を知ると勉強している場合じゃないなと思ったんですよ。大学院で一歩離れた安全地帯で、第3者的に眺めている場合ではないと思ったんです。今担当している仕事を成功するまでやり続けないといけないんじゃないかと思ったんです。

眺めている場合じゃないなと思った理由は何だったのですか?

理由としては、3つあると思うのですが、一番の理由は、現場で困っている人をすごく間近で見てしまったというのが大きかったと思います。例えば、シングルマザーの会員さんで、いつ首を切られるかわからないという派遣社員の状況だった方がいたんですけけど、その方がフローレンスのサービスによって正社員になれたという話があったんです。着実に会員さんが自分たちの人生をポジティブに変えていく一歩が踏み出しているなというのが当時は38人の少ない会員でしたけど、見えたんですよ。それを見てしまったというのが強かったと思います。当時フローレンスのサービスを待っている人たちが150人くらいいたんですよね。その人たちにいち早くサービスを届けなきゃみたいな、使命感じゃないですけど、やらなきゃという思いになりましたね。

2つ目は、サービスのモデルは出来上がっていても、実際に持続可能な形にはなっていない。これをきちっと形にするのが、当時のフローレンスにとっても社会にとっても必要だと思ったからです。

3つ目は学生に対して、何のために学んで、何のために働くのかということを、この仕事が上手くいったら伝えられるんじゃないかと思ったんです。フローレンスの働き方というのが僕の伝えたい働き方・学び方なんじゃないかなと思っていたんです。 それで、インターンが始めて2ヶ月後には「フローレンスに就職させて下さい。」と駒崎さんに話をしました。そしたら、入社の条件が出て、「給与は10万。それからちゃんとスタッフ(レスキュー隊)を自分で捕まえて来ること。1人でもいいから自分の考えたアイディアでスタッフの獲得に結びつけること」と言われたんです。当時の僕にはすごくハードルが高かったんですけど、がむしゃらに走り回ってなんとかポスティングとか、あとはチラシとか配ったりして、1名だけですが、スタッフを獲得することができました。

企業に就職して、力を付けてからフローレンスで働くことは考えなかったのですか?

何でしょうね。大企業で働くことに全く魅力を感じなかったんですよ。手触り感じゃないですけど。今すぐできることがあるのに、なんで修行する、力を付けてからなんて周りくどいことが必要なのかと思ったんです。「お金を稼ぐ能力がないのに何でわざわざそんなところに飛び込むのか?」と言われることがあったんですけど、そんなこと言っている間に、僕が粗くてもいいから何かアクションして、一人でも二人でも手助けができるんだったらその方がいいと思ったんです。もし本当に社会人経験を持っている僕が10年後、100人に対してアプローチできたとしても、僕は今すぐ一握りの人だとしてもアプローチすることが重要だと思ったんです。

給与が10万円ということに気にならなかったのですか?

気になんなかったっていうか、申し訳ないっていうくらいでしたね。10万ももらっていいのかと思いましたよ。フローレンスの財務状況がどうだったのかは知っていたわけじゃないですけど、少なくとも10万円を固定で払うのは大変だということは、分かっていました。なので、申し訳ない気持ちでずっといました。

だからソーシャルビジネスとして事業を成立させるために僕が収支予測を考えて、バランスを保つことをやっていました。

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フローレンスでの在籍は4年半だったみたいですが、どういったステップを歩まれたのでしょうか?

入社した当時、フルタイムで働くスタッフは、駒崎さんと、僕と同じようにインターンから新卒で就職した女性、そして社会人6年目の男性の4人でした。入社当時の2006年の4月からレスキューチームマネージャー、2008年10月から病児保育事業部の事業部長、2009年12月から経営企画室室長、2010年4月から、おうち保育園事業部長という役割で仕事をしていました。おうち保育園を2010年の10月まで担当し、退職しました。

新卒で入社したレスキューチームマネージャー時代の話を聞きたいのですが、どういったことを実際に担当されたのですか?

僕がそこでやっていたのは、最初は保育スタッフとのコミュニケーション、レスキュー隊の募集活動です。レスキュー隊員さんの採用面接を新卒1ヶ月目の僕が1人でやっていました。それからレスキュー隊員の研修も担当しました。研修は、僕自身が教えるというよりは、他のスタッフがレクチャーするのを事務的な部分で支える形で書類つくったり、出席とったり、アンケート収集したりというのが主でした。そのうち、請求業務を担当するようになりました。フローレンスは請求業務をセールスフォースというITシステムを使ってやっていたんですけど、いろんな人が使うので、データがめちゃくちゃだったんですね。だから正しく請求できないとか、請求漏れがあったり、問題が発生していたので、請求業務を整理するというプロジェクトを僕と駒崎さんとでやっていました。そんな感じで僕は、どちらかというとバックオフィス側で、数字的・事務的な役割にどんどん入っていきました。

その後の病児保育部長としては、どのようなことをされたのでしょうか?

メインとしては利用者さんの数を増やしていくというのが命題で、それに合わせてスタッフも募集していかなければならなく、そのバランスを取るという事がすごく重要でした。

フローレンスの事業モデルは、保育スタッフさんがいないと利用者さんを増やせないモデルなんですね。保育スタッフが受けられる件数よりも、利用者が増えちゃうと、100%対応できなくなっちゃうじゃないですか。それは利用者さんに迷惑が掛かるので問題なんです。一方で、利用者さんが少ないのに、保育スタッフさんが多くなっちゃうと、固定費が上がって収益がなくなっちゃうんですよ。ですからものすごく上手くバランスをとらなくちゃいけなくて、そこの成功方程式をつくるのが僕の使命でした。38人だったモデルが、当時400人くらいまで利用者数が増えていたので、そこの業務オペレーションを組み替えることをやっていきました。

利用者を増やすということは、増やすのは簡単ですけど運営していくのは大変ですよね。

そうです。そっちの方が悩みだったといっても良いかもしれません。地域のおばちゃんが預かるというモデルで、最初は保育スタッフの家で子どもを預かるという風にしていたんですけど、家を解放することは、相当負担が大きかったみたいで、なかなかそういうことを承諾してくれる人がいなかったんですよね。それだったら熱を出した子どもがいるご家庭に保育スタッフが行って、保育するという方法の方が良いということになって、ちょっとずつ保育スタッフも増えていきました。それと保育園で働いていた若い保育士さんたちが、病児保育が重要だと思って、病児保育を仕事としてやっていきたいとフローレンスに保育スタッフとして来てくれていたのですが、当時の仕組みでは、保育スタッフの収入が安定していなかったんですよ。当時は、子どもを預かった時のみ給料を支払うというものだったので、保育が沢山あるときはいいんですけど、月に4回くらいしか保育がない時なんかは、毎日予定を空けてくれているのに、4回しか出勤がない。それでは仕事にならないんですよね。若い保育士さんがこれで収入を立てているのに、生活できる働き方じゃなかったんです。保育があった時だけお金を支払うという仕組みでは生活は難しいので、保育がないときは、例えば事務所に来てもらって、事務の仕事をしてもらって安定的にお給料を払えるようにしていったんです。その仕組みを導入してからは、安定した収入を得て保育士さんが保育できるようになったんですよ。しかもフローレンスに保育士さんが来ている間はいつでも安定した保育を提供できるようになってくわけですよ。なのでそういう人たちを採用していってどんどん利用会員を受けられる件数が増えていきました。

そうすると今度は財務的な問題が出てくるわけですよね?

そうです。なのでスタッフの採用を増やすと利用者さんがそのペースで入ってこなくて、給料の支払いの方が多くなり、財務バランスが崩れるんです。だから僕がやっていたのはそこの部分の調整というか、保育が何件発生すると、何人の利用者に対して何件のお預かりができて、どれだけ費用が発生するということを予測してバランスを保つことをやっていました。僕たちと同じことやっている団体が他にはないので、どこにもその予測の指標となるデータがないんですよね。自分たちでこうじゃないか、ああじゃないかといいながら、予測していました。

サービスを拡大していく上で苦労、壁などはなかったのですか?

ありますよ。良い例がクレームだと思うんでけど、一番苦しかったクレームというのは、喘息のお子さんの対応でしたね。僕たちは安全ということを一番大切にお子さんを預かっているんです。なので、当時喘息のお子さんを預かるのは自分たちの能力では無理だと判断していたんです。でも、喘息の症状があったお子さんでも症状は十人十色なんですよ。ある時喘息でも今はもう治っているというお子さんって結構多いんですよ。僕たちは、喘息の可能性があったら入会お断りということにしていたんですけど、そうするとたくさんのクレームを頂きました。

「もう治っているので普通ですよ。」「普通に風邪ひいて、薬飲んで、落ち着いた子なのに、なんで自分たちこそ困るのに、なぜ預かってくれないの?」といったクレームがあって入会担当をしていたスタッフと、「どうしたらいいんだろうね。」という話をずっとしていました。苦しかったんですけど、これはもう基準を作るしかないということで、お医者さんが参考にするぜんそくのガイドラインがあって、その中で4ステップあるうちの前の2ステップだったらフローレンスでも十分預かれられるという話になったんです。それは軽症なお子さんなわけですよね。フローレンス入会前にお医者さんに基準をクリアーしているお墨付きをもらった上でなら預かれるという基準が作れたんですよ。最初のクレームからその基準ができるまで、1年半くらいかかったんですけど、それは病児保育事業ならではの壁だったと思います。

その後、経営企画室長になられてからは、どのようなことをされるのですか?

その前にですね、僕の中でいうと、3年目なんで、2009年の1月に会議があって大体その時に500人くらい会員さんがいたんですけど、その時に僕が最初フローレンスでやとうとしていた、「ビジネスモデルを確立する」ことと、「スタッフが安定した収入で働けるようになる」ことは僕の見方では、大体達成しつつあったんです。

最初はがむしゃらにやる人間がいないと出来なかったところが、ある程度仕組みで回るようになっていて、僕が朝から晩まで働かなくても、大体回るような仕組みになりつつあるなと感じていたんです。ここで働いてみたいと思えるような土壌になってきたんですよ。そうなってくると第2新卒みたいな人たちが入ってくるようになったんです。ビジネスセクターにいて、想いを持っている人がここで働いてみたいというような土壌になってきたんですよ。そうなって来た時に、「こういうことやりたかったんだよな」と思ったんです。逆に、「自分でやろうとしてきたことが、なんかやれてきちゃったんだよな」と思っちゃたんですよ。でももっとサービスは広げていく必要があるし、ミッションはまだまだ達成されていないし、やらなきゃいけないという思いでいて、更なる事業の飛躍のためにがんばらなきゃという時に体調崩しちゃったんですよね。2009年の夏の出来事なんですけど。

そこで1ヶ月くらい休ませてもらって、「自分はどういうことがやりたいんだろうな」と思った時に、病児保育は基盤となってきたなと思ったんです。でも、何かもう1歩フローレンスとしてやるべきことないのかなと思った時に、ちょうど代表が新規事業として「おうち保育園」、つまり待機児童の問題を解決するためのミニ保育園をやっていこうと話があったんです。それで僕はその事業を一緒に立ち上げさせてもらえることになったんです。それで経営企画室が出来るんです。経営企画というのは、新規事業の開発を担当するポジションで、その時期からはおうち保育園の立ち上げのための準備、市場調査とか、ビジネスモデルをどうしていくかとか、政策提言をする場合、どういう道筋でやっていくかなどを駒崎代表と話をさせてもらっていました。そして2010年4月から、おうち保育園事業部長になったのですが、その時はまさに新規事業が立ち上がって、新たなサービスの現場が動き始めたというタイミングでした。

おうち保育園の仕事に関してもう少し詳しく教えてください。

マンションの中で保育園をやるので、物件を探し回ったり、ご近所に迷惑にならないようにあいさつ回りをしたり、家賃と広さの関係を考えたり、保育スタッフの募集や利用者さんにどういう文面で募集のアナウンスするのかを考えたり、専門家や保育スタッフの話を聞きながら、一緒に保育のコンテンツを考えることなどをやっていました。「おうち保育園」のサービス自体が世の中にない全く新しい事業でしたので、全てが手さぐりでした。

「おうち保育園」の立ち上げの際には、どのような苦労があったのですか?

おうち保育園の仕組み自体が世の中にはまだないものだったので、どんな位置付けの保育室なのかなどを、どうやって利用者さんに説明しようかとかいろいろ議論しました。それで2010年の4月1日から保育スタートすることになっていたんですが、3月25日まで実は場所が決まっていなかったんです。3月の頭に保育をする部屋を決めていたんですけど、上の階に住んでいるカップルさんが僕らの入居を反対したんです。「なんでそんなことをやるんだ。うるさいじゃないか。迷惑だ。」と。それで結局そこに入れなくなっちゃって。それが分かったのは3月頭くらいだったんです。スタッフも採用していましたし、利用者も募集始めるという時期で、「どうすんだ?」ということになり、結局3月25日に集会所を借りて4月1日からサービスをスタートすることとなりました。その後5月からは部屋も決まり、サービスが提供出来たんですけどね。

僕は、政治や地域づくりに自分たちが参加できるような仕掛けを考えていきたいと思っているんです。
おうち保育園事業部長になられて退職するまでの経緯を教えてください。

おうち保育園のサービスを実際にやってみて、本当におうち保育園は重要だなと思いました。要するに、行政というのは基本的に箱型行政というか、民間保育園は、土地を持っていて、しかも社会福祉法人じゃないと保育園は設立できないんです。すごく参入障壁が高い上に都心だと一定の大きさの土地を持つことは難しいじゃないですか。既に存在している「保育ママ」という制度では、自宅を開放して、自分の努力だけでお子さんを預からなきゃいけない。それは長続きしないと思うんです。そんな中で、施設と自宅の中間的な「マンション」を借りて保育ママさんが預かるというのが本当に重要な施策だと思っています。このサービスが江東区だけじゃなくて、他の自治体とも話が始まっていったんですけど、色んな行政と話をするうちに行政は新しいことに取り組むシステム、土壌がないんだと感じました。結局そういう土壌がなくて、もっと民間に任せようと言うのが、民主党政権が掲げた「新しい公共」のコンセプトなんですけど、僕はその考えはすごく重要だと思っているんです。というのは、行政サービスをNPOとか、民間に任せていく動きはすごく大事だと思ってはいるんですけど、僕は行政が今の保守的な状態になっているのは、市民一人一人がそういう風にさせていると思ったんです。自分たちが税金を納めているのに、税金がどう使われているのか関心がない。税金を納めていて、保育サービスを受ける権利があるのに関わらず、その権利を行使出来ない人がたくさんいる。権利を行使できていないのは、僕たちが選挙の時にちゃんと投票していないからだと思ったんです。この人に投票したら、どんなことがこの地域で起こるのか、意識して投票を僕自身もそれまではしていなかったんです。そういう自分がすごく恥ずかしくなってきたというか、その行動が今の行政を生み出しているんだなと思って、駒崎代表は事業をやりながら、政策的にその実現に向けたアプローチをしていく、だけど僕は、政治や地域づくりに自分たちが参加できるような仕掛けを、事業家としての立場ではなくやっていく必要があるとすごく思ったんですよね。それでそのことを勉強するために海外に行きたいと思ったんです。特に北欧の議会に関心があるんです。北欧の議会はテレビで見ただけですけど、IT会社の人も、学校の先生も、主婦の人もなんかざっくばらんに集まって、市の事を話している。市民たちが、どういう風に予算を使うべきか、ということを話している。「私は子育てで大変だけど、今の地域の問題としては、高齢者の方に予算配分をするべきだよね。」という話がされていると聞いた時に、何で日本は今そうなっていないんだろうと思ったんですね。もっとそういう所を知って、色んな事例に触れてみたいと思ったんですね。今、27歳ですけど、僕は語学ができず、海外で全然勉強したことないので、5年後に海外に勉強行くことは今より難しくなるなと思ったんです。結婚して、家庭を持つということを考えた時に30歳までにやらなきゃまずいと思ったんです。それでフローレンスを退職することを決意してしまったんですよね。チャレンジし続けようということだけは決めて。今後は、自分たちのコミュニテイ(自治体)を創っていくということが必要になると思っているので、そのモデルを北欧で学んで来たいと思っています。

目の前の1人の人に対していま出来ることをやる。その1歩を踏み出すことの方が、僕は本質的に重要だと思っているんです。
学生の間で、社会起業とかソーシャルベンチャーが注目を集めていますが、それに対してどのように思われていますか?

NPOに参加したり、社会起業家として社会問題を解決していくことも大切なんですが、まずは自分たちがすぐに出来ることがあるじゃないかと思うんです。例えば、自分の身近な周りの人に対して、何かしてあげたりとか。それはビジネスモデルを組まなきゃいけないとか、ビジネススキルを身に付けなきゃできないとか、そういうことじゃないと思うんですよね。ビジネススキルは何かしたいと思いついて、やろうと一歩踏み出したら、後から付いてくるものだと思っています。最初にも話しましたけど、まずは自ら何かをやることが大事だと思っています。5年後に100のインパクトを生み出すためにこういうスキルをまず身に付けますという考えもいいかもしれないけど、そうじゃなくて今できる1人の人に対してでもいいからすぐ出来ることをやる。その1歩を踏み出すことの方が僕は本質的に重要だと思っているんです。社会を変えていくということはそういうことなんじゃないかなと思っているんです。目の前のことをやり続けていくうちに勝手にスキルも身に付いていくと思います。僕なんて理系が好きな物理オタクな学生だったんですから。今ある程度プロジェクトを回せるようになりましたけど、最初からスキルがあって出来たからやったわけじゃなくて、やり続けていたら勝手にできるようになったので、そういうふうなアプローチで社会を良くしていこうよと思いますね。

社会起業家とかソーシャルベンチャーの元でインターンをしたいという学生にメッセージをお願いします。

フローレンスのモデルは「社会事業」のモデルとして素晴らしいと思っているんですよ。子育てと仕事の両立が当たり前になる社会をつくるために、今こういう社会課題がある、それを地域の人たちを巻き込んでビジネスモデル的にも成り立つようにサービスを提供します、というのはモデルとして優れているし、ストーリーとして美しいのですが、実際は、「泥臭さ」が現場にはあるわけですよ。僕は給与の支払い業務も担当していたので口座の残額を見るじゃないですか、「3ヶ月後、大丈夫かな。」と思いながらも給料払ったりしていたんですよ。昔は労務規約がまだ整っていなくてスタッフの人のモチベーションを下げてしまうとか、「こんな状況で働けない。」と言われてしまったりとか、そういうこともあったんです。フローレンスのインターン生によく言っていたのは、「社会事業」として優れているという部分だけを見て来てもダメだと言っているんです。そうじゃないものがその100倍1000倍あるから、そこをきちんと理解してインターンに来てほしいという話はしています。

それとインターン生によく言っていることがあって「君たちの成長のために勉強させてあげているんじゃない。」と言っています。「1つ1つのタスク・事業によって僕たちは社会を変えようとしている。そのパートナーとして選んで期待しているから仕事を任せている。自分が出来ないから、ここまでしかやらないとか。自分が成長するように仕事を振ってもらえてないとか言っている場合じゃない。一緒に課題を解決しようというパートナーとしてみているんだよ。」といつも言っています

低引さんが感じているETIC.のインターンシッププログラムの魅力を率直に教えてください。

ETIC.さんはインターン生の成長と受入企業の事業の発展を心底応援していますし、一緒にインターンの仕組みを創っていこうという姿勢がすごくあるじゃないですか。それはとても心強いです。はっきり言って多くの中間支援組織がNPOに対して「何かやってやる。」みたいな、「自分達の知っていることを教えてあげるよ。」という感じなんですけど、僕たちが欲しい支援というのはそんなものではないんですよ。「一緒に考えて、悩んで、行動してくれる。」そこの部分を一緒にやってくださるというのはETIC.さんじゃないとないことだなと僕は思っていますし、だからこそ、ETIC.さんのインターンシッププログラムを通して多くの学生が飛躍的な成長をしていくのだと思います。

(2011年1月取材)

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