DRIVEインターン大学1・2年生からはじめる本気のインターンシップ

九州・食品卸売の3代目として家業の変革を担う。

赤瀬弘憲さん

現在の所属:株式会社十勝庵

インターン先:三和システム株式会社

【プロフィール】
大学3年次に東京ベンチャー留学(http://www.project-index.jp/tvr/)を通じて、ETIC.と出会う。それがきっかけとなり、東京にて半年間インターンを経験。事業、商売の原理原則を学ぶ。その後実家のおはぎ屋に参加し、食品の総合卸売事業を中心とした新規事業を展開。近年では鹿児島県の幻の米と言われる伊佐米というお米を初めて県外流通する企業として伊佐市と協力して事業展開。また、九州の食を通じて新しい価値を届けるためECサイト「月天」(http://www.getten.jp)を立ち上げる。
インターンを始めてすぐに「ウチ何やってる会社か知ってる?」と聞かれて、ゴルフのシステム会社・・・と答えたら、「そう、そしてうちにはエンジニアがいる、ある程度のものつくれるから。じゃ早速やろうか!」と。本当にむちゃだと思いました。
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大学ではどのような学生生活を送っていて、なぜインターンシップをしようと思ったのですか?

親には本当に申し訳ない大学生活を送っていました。大学に行っても、友達が持ってきている漫画を読みながら講義を受けたり、代返してもらったり。授業をサボって友達とドライブに行ったり、バイトしたりしていました。大学1年生はそのように過ごしていたので、1年間で取得できる単位が50単位あるとすれば、前期後期合わせて12単位くらいしか取れませんでした。私の家系は商売人の家系で、祖父もそのまた祖父も商売人だったのですが、私の両親も会社を経営していて、子供の頃から一生懸命仕事をしている姿見ていたので、このままでは先祖に申し訳ない、何かしなくては!と思ったのが2年生の時でした。父親が社長で、母が経理をしていたので、相談したところ、「数字に強くなっておいた方が良い」とアドバイスをもらい、ファイナンシャルプランナーの資格を目指すことになりました。

しかし、結局のところ、ファイナンシャルプランナーは成績が悪すぎて合格できず、講師の先生と話をしていたら、ETIC.主催の東京ベンチャー留学という、2泊3日で東京の経営者の話を聞きに行くという企画に、その先生も引率者として参加していたらしく、「もの凄かった。学生たちが3日間で目がギラギラして変わったよ。」と話していて。私の生い立ちや家のことを話したら、行ってみたら?と勧められ、この状態を変えなきゃいけないっていう思いがあったのと、東京に行ったことなかったので、参加を決意しました。参加してみての最初の印象は、他の地方から参加していた学生に圧倒されました。本当に変な人たちばっかりで(笑)。心から言葉を発している学生を目の前に、俺ってニセモノだ、と意気消沈しました。東京ベンチャー留学では3日間で3~4人の経営者の話を聞いて回って、聞いた話にはどれもすごく感動するのですが、そのあとの懇親会では経営者に話しかけられない、ニセモノの僕が話しかけてバッサリ切られたら怖い、そんな風に感じてしまい、なかなか積極的になれませんでした。その後、インターンをすることになる三和システムさんに出会ったのは2日目でした。代表の西野さんの話は、当時の私には正直なところすごく難しくて。学生のうちは礼儀正しく、でも生意気であれ、みたいな。今となってはすごく分かるのですが。そういう話の連続でした。当時、三和システムさんは、ETIC.が紹介できるインターンの中で一番厳しいから、それだけは自信持って言えるからと言われたことがきっかけで、当時のひどい堕落ぐあいを叩き直すには、地べた這いずり回ってでも何かをやらせてもらえるような環境が合っているのではないかと思って、三和システムさんでインターンをすることに決めました。

ご実家は、どのような事業を営まれているのですか?

実家は食品業です。元々祖父が米屋を営んでいて、その米屋の後を息子二人が継いだ(兄が米屋を継ぎ、私の父にあたる弟が一緒にやっていた)のですが、その途中で出会いがあり、おはぎ屋を米屋の中でおはぎ部門としてやることになりました。父はおはぎ部門の責任者としてやっていたのですが、そこから独立しておはぎ屋だけでやっていくことを決断しました。「十勝庵」という名前は、十勝小豆の「十勝」からきています。すると、近くのスーパーからおはぎを卸してほしいと依頼があり、食品卸を始めたという経緯がありました。さらに、おはぎだけで取引するのもあれだから、大福は?こんな煎餅持ってきたら?と、他にないものを集めて、いろんなところに展開していきました。それが卸業の始まりです。そのようなことの延長線上で、来年で20年目なのですが、おはぎはもちろん継続しつつ、食品総合卸問屋みたいなことをやっています。規模は社員が全部で15名くらいです。

選考の面接が、最初の試練だったと伺いました。何があったのでしょうか?

年末に参加した東京ベンチャー留学以降、東京に出てきては、何度か会社に遊びに行っていたのですが、3月末に、社宅とか諸々準備してあげるから、東京に出てきてウチでインターンしない?とお誘いを頂いて。これは何かの縁だと思い、「お願いします!」と即答したところ、ETIC.のコーディネーター佐々木さん・三和システムの西野代表と池田さんと私で面接がありました。私としては、採用してくださることが殆ど決まっていて、形式だけの面接だろうという思いで行ったのですが、そこを鋭く見抜かれて。 「なんかダメそうな気がしてきたなぁ、まあとりあえずいつから始めるの?」と尋ねられた時に、大学や当時やっていたアルバイトのことなどが浮かび、15日後の4月15日までに準備整えて戻ってきますと話したら、 「俺らがやっていることは遊び事じゃなくて、ビジネスっていう名前のついた、命がけのことなんだよ。自分の人生が180度変わるかもしれないチャンスが目の前にあるのに、ぬるい考えで物事の優先順位が分からないのなら無理だな。出て行け」 って言われて。面接だけのために東京に来ていたのに、と思いながらも、言葉が出ないまま突っ立っていたら、代表が早く出て行けよって言うので、「分かりました」と一度出ました。でも、ここで大博打を打たないと私の人生変わらないと思い、その場で、当時の大学のゼミの先生と親に相談しました。「突然だけど、明日から東京に行くので、よろしく頼む」みたいな(笑)。意外にも母は、なるほど、良い会社だねと言ってくれました。すぐオフィスに戻って、「赤瀬です!先ほどはすみませんでした!今、この5分間で色々考えまして、是非明日から、ここで働かせて下さい!」って言ったら、代表が爆笑して。「それだよ、それ!やるじゃん!」みたいな感じでした。

インターン先はどのような会社で、赤瀬さんはそこでどのような仕事をされていたのですか?

三和システムはゴルフ場の予約システムなどを販売している会社で、当時、業界のシェアNo.1でした。エンジニアをたくさん抱えていて、ウェブシステムの受注も行っていました。当時、インターン生はこれをやる、という仕事内容が全く決まっていなくて。入ってすぐに「ウチ何やってる会社か知ってる?」と聞かれて、「ゴ、ゴルフのシステム会社・・」と答えたら、「そう、そしてエンジニアがいるから、ある程度のシステムはつくれるから。じゃあ、始めよう!」と。「ちょっと待ってください!システム売るってどういうことですか?ものがあるのですか?」そんなレベルなので、「何を売ってもいいから、とりあえずものを売って売上を立ててこい、システムが売れないのなら、布団でも売ってこい」というやりとりで。「布団なんてどこにあるんですか?」みたいな、むちゃな話で(笑)。もちろん冗談なのですが。いや、本気だったのか??

他のインターン生を見ていたら、「三和システムですが、こうこうこういうシステムつくっています。いかがでしょうか?」と電話でテレアポをとっているのを見たので、「僕もあんな感じでやります」と話しました。最初に思いついたのが、会社もしくは人のホームページを作ることだったので、飲食店のホームページをつくりませんか?という営業をしようと思いました。初めにかけたのがオフィスの隣にあるそば屋さんでした。そしたら「今仕事中で忙しいんだよ!」とめちゃくちゃ怒られて。それを見ていた社員の方が、効率悪すぎるよ、テレアポリストを作った方が良いよ、とアドバイスをくれて、なるほどと思い、400件くらいのリストを作って片っ端から掛けたのですが、1件もアポイントとれず、2日間で使い切りました。上司には400件もかけてゼロとか前代未聞。史上最低のインターン生だと言われて、心折れそうになったのですが、めげず今度は、「いや、電話では僕の良さが全く分かってもらえないんですよ。会えば、話聞いてくれるはずです。明日から飛び込み営業やります!」って言いました。「IT会社の飛び込み営業とか聞いたことないよ」と言われながらも、名刺を持って、ピンポンって鳴らしてみると、話は聞いてもらえるようになりました。資料ください、と一歩進んだことを喜んでいたら、3~4社回った時に、すごく専門的な質問をされました。「この言語でこういうこともできる?」と。「えっ?言語?」のような状態の私を見て、「何も分かってないのに来てるんじゃないよ!」とすごく怒られましたね。

その経験から、営業電話をするにしても何にしても、相手のためにならないと意味がないことを痛感しました。と同時に、お客さんから聞かれることって、いつも似たようなことだと気付きました。 それからは、エンジニアの人にこういうこと聞かれたんですけど、とこまめに聞いて、それに対する答えを教えてもらっていました。相手にへえ〜っと言わせたい一心で、システムについて猛勉強しました。毎日テレアポ活動をしているうちに、アポもとれるようになってきて、22〜23時くらいまでテレアポリストを作り、買い溜めたシステム関連の本を読みあさり、3~4時に寝て、朝6時には起きるという生活でした。途中からは行き帰りの時間がもったいないと思って、寝袋を買い、オフィスで寝泊まりをしていました。

「自分はものすごく頑張ったけど、褒め言葉1つかけてくれない、散々な会社だった。そう言えば、周りは、よく頑張ったなって言ってくれるよ。ただ、お前は分かっているんじゃないか?逃げたことを。そういうことがあるたびに逃げてきた自分を変えたくて、ここに来たんじゃないのかよ?」その場で泣き崩れて、涙が止まらなくなりました。
2ヶ月目にして、インターンを辞めそうになったそうですが、その背景にはどのような苦労があったのでしょうか?

始めて間もないころに「そういえばお前、目標立ててなかったよな、とりあえず何か立てたら?」と言われて。2ヶ月目の最後の日までに、100万円売り上げます!と言うと、間髪入れずに「よし、じゃあ達成できなかったらどうする?」と聞かれました。今考えると、ものすごく浅はかだったのですが、「達成できなかったらやめます。」と言いました。対価として差し出せるものが、そのようなものしか思い浮かばなくて。「そうなの、じゃあ頑張って。」と言われました。そのような目標のもと、4月が終わり、5月中旬に。。アポイントは取れるけど売上が全然立たない、という状況が続いて。

そしてその頃からこう思うようになりました。自分としては寝ずに勉強して、過去最高に頑張っているのに、結果が出ないのはそういうものなのかな、これだけやったのだから、ここで辞めても、たぶんどこの会社でもすごい新入社員になれるだろうと。これだけ頑張っているのだから、他に行ってもやれるよな、目標が達成できなくても、2ヶ月やったことは自分の中に残るし、、達成できなかったら辞めると言ったその「辞める」が、良い逃げ道に見えてきました。とは言え、達成したいという思いもまだあったので、どうすれば売上げを立てられるか考えた結果、ゴルフ場にパソコンの導入もやっていたので、2ヶ月目最後の日(5月31日)に、実家にパソコンを売りました。小さいおはぎ屋で使うはずもない機能も色々盛り込んで、30万くらいで売りました。そして最終日、売上は?と聞かれた時、パソコン1台30万ですと答えたところから、5月31日の長い夜が始まりました(笑)。 想像を絶する、詰められ方で。 三和「この数ヶ月何してたの?」 赤瀬「こういうことやっていました。」 三和「じゃあもっとこれできなかったのか?」 赤瀬「できたはずです。。。」 三和「じゃあなんでやらなかったんだ?」と。 心が完全に折れた僕には前向きに答えようのない質疑応答が続き、「すみませんでした、色々やりましたけど、無理でした、お世話になりました」と言いました。「達成できなければ辞めると言ったのは僕ですから、辞めます。」と話したら、「分かった、分かった、じゃあ辞めろ、帰れ、帰れ!」と言われて。

逃げようとしていた自分を、思いとどまらせたのは、何だったのですか?

帰れ!と言われたのが、夜11時ぐらいだったので、この人たちがオフィスから出ていけば、デスクから荷物をもってすぐにも帰ろうと、おなじフロアのトイレに物音を立てずこもって待っていました。ちらちらとオフィスを除くのですが、1〜2時間経ってもまだ帰らないので、これは明日の朝までコースだな。と思っていたら、オフィスのドアがいきなり開いて、「おい赤瀬、そこにいるだろ!出てこい!!!!」って声がして。「何でわかったのだろう?」と不思議に思いながら、出て行くと、幹部の方の前に座らせられて、こう言われました。

「お前が今考えていることを当ててやろうか。地元に帰ったら、いくらでも俺らのことを悪くいえる。自分はものすごく頑張っただけど、認めてくれなかった。どれだけ努力しても、褒めの言葉1つかけてくれなかった。あそこは散々な会社だったと。そう言えば、周りは、そうかそうか、よく頑張ったねって言ってくれるよ。親もそうだろ、周りもそうだろ、友達も先輩もそうだろ。ただお前自身は分かっているんじゃないか?逃げたことが。お前、そういうことあるたびに逃げてきた自分を変えたくて、ここに来たんじゃないのかよ。」

その場で泣き崩れて、涙が止まらなくなりました。「お前そういう自分を変えたくてここに来たのじゃねぇのかよ。俺は1回足りともそういうお前を見放したことはないし、俺らは全力でぶつかってるんだよ。」それまで、ここまで厳しいことを言う人も、こういう環境を用意してくれた人も、僕の周りにはいなかったかなと気付きました。この人たちの言う通り、実家に帰れば言い訳ができることは分かっていて、こういうことをやっているから、自分は変われないのだということに気づけました。「一回逃げると逃げ癖がつく。逃げたことを正当化して、仕方がなかったという経験を一度覚えてしまうと、癖になるぞ!」とその場で言ってもらって。「それで、どうするんだ?」と問われた時、「やります!」と答えました。 するとすぐに「じゃあお前、目標は?」と返ってきて、「また目標来た!」と思ったのですが、とっさに出たのが「100万円も達成できなかった僕が言うのもなんですが、売上げ1000万円達成するまで帰りません!」でした。この経験を通じて上司から『退路を断つ』とはこういうことだと、教えてもらった気がします。そして、すごく不思議なことに、初の契約が取れたのが、その次の日でした。しかも飛び込み営業で初めて怒られたお客さんでした。2万円のバナー作成の仕事だったのですが、電話で「システムではないけど、赤瀬君、この仕事ってできるの?」と連絡があり、「出来ます!」と話したら、じゃあすぐに発注したいから発注書送るよ、契約書結ぶよと言われて。金額は2万円でしたが、逃げる・逃げないでこうも変わるだと、大変ドラマチックに感じた瞬間でした。

2度目の「1000万円」という売上げ目標は、達成したのですか?

達成しました。6ヶ月目の最終月に、1500万円ほど達成しました。テレアポで獲得した案件でした。その案件が1000万円以上のものだったので、9月ギリギリまでは、これがなかったら、もう本当に帰れないなって思っていました。なので会社の皆さんが何人も提案書の見直し等で協力してもらったり、総力で取った案件ですね。凄く思い出深いです。インターン最後の日、新橋のあるジンギスカン屋さんで、振り返りながら、辞めようと思った5月31日の時の話とか、スタートの時の話をしながら、すごく美味しいお酒を飲ませてもらって、最後に帰り際にオフィスに寄って、代表が一言「いや、いい夏だったなあ」って言ってくれて。涙が止まらなくなりました。インターン中、お褒めの言葉をかけてもらえなかった事もあり、「良く頑張ったな、いい夏だったな、また遊びにこいよ!」と言ってもらって、感無量でした。

5月31日をきっかけに、赤瀬さんの何が変わったのですか?

本当に1000万円売り上げないと帰ることができない状況だったので、僕がきっかけをつくって、直属の上司である池田さんを引きずり出せば、クロージングができると考え、池田さんに引っ付いていました。池田さんは、夜遅くまで時間を共有してくれて、夜中2〜3時でも電話を掛けて来い、納得いかないこととか、これはどうなの?と思うことがあれば遠慮するな。「ここまできたらお前のインターン中は俺が全て面倒みるから死ぬ気でやれ。」そんなことを言われて、燃えないわけがないじゃないですか。この人のために、この会社のために、もう自分のことなんか全く考えないようになっていました。そして、そこで言われたことが「売り上げが上がらなかった時のお前は、自分のためにやっていたんだよ。売り上げが欲しいがために、売るってことを間違っていた・勘違いしていた。物を売るってことは、相手のためにすることだから、とにかく相手のことを思って、相手のためになることをやれ。今までのお前は for meだった。買って下さい、買ってください、と。そうではなくて、for youだ。相手のために、相手のために。とにかくその考えに変えろ。」で、商売人である父親や母親に、幼いころに言われていたことを、いざ自分がやる番になって、忘れていたなということに気づきました。

最初のきっかけは、たった1本の電話であったりします。誰でもできることからの積み重ねでしかありません。とりあえずやってみるということと、何でもできる方向に物事を考えるという癖が、インターンで身に付きました。
新卒で実家の会社に入社されますが、どのような就職活動をされたのですか?

インターンを終えて、福岡に戻った時期が、3年生の後期でした。周りには就職活動を早めにやりたいという、意識の高い学生が集まっていたのですが、名刺交換の正しいやり方とか、御社弊社とか言って、生意気ですが、何を今頃やっているの?そんなこともわからないのって?感じで見ていました。そして自分が就職活動をしたらどうなるのだろう?という気持ちから、腕試しをしたくなり、地元の商社2社と、IT会社を1社、3社だけ受けてみたのですが、見事3社とも内定をもらって。IT会社には、君が責任者やっていいから、営業部門をたちあげてくれって言われたりしていました。それが4年の前期、4月ごろでした。ちょうどその頃、三和システムの師匠と交わした約束で、「お前は色々経験をしたけど、まだまだ視野が狭い。海外に一人旅に行ってこい。」と言われていたことがあり、「インドですか?オーストラリアですか?」と言ったら、「他の学生も言っているような所に行くんじゃねぇ、南米だ、南米行け。」って言われて。ある日突然、師匠から電話があり、「そういえば、ブラジル行くって言っていたの、どうなったの?」と。行かないのなら縁切るからって言われ、「来月行きます!」と即答したら、「じゃあ報告を楽しみにしているね」と。ブラジルに行かざるを得なくなりました(笑)。その時期には、内定をもらった会社から、この式に来てくださいとか、メールが来ていたのですが、いや、ブラジル行くしなあ、と思って。結果、内定ゼロの状態で4年の前期をスタートすることになってしまいました。

ブラジルから戻った時には、周りは就職活動を終えているやつか、やっていなかったやつか、どちらかだったので、学校に通いつつ、バイトを3個ぐらい掛け持ちしていたのですが、バイト先でも、社員としてやってくれって言ってもらったこともあり、新しく店舗出すからそこの責任者としてやってくれとか、狭い範囲にはなりますけど、就職活動しなくても、仕事はあるなと感じていて。このままどこかの飲食店系列の会社に就職して、事業立ち上げ責任者になろうかなと思っていたぐらいでした。ちょうどその時、私の親父から、突然呼ばれて、会社に来いと、初めて言われました。「お前は継ぐ気があるのか?」とその時初めて聞かれて、「ゆくゆくはね」と答えたら、「ゆくゆくじゃなくて、卒業後すぐうちに入るか、入らないか、どっちか。」だと。当時実家の会社は大きな転換期で、うちに力を貸してほしい的なニュアンスのことを言われて。その時は、もう悩まなかったですね。わかった、力になれるなら、と。その時私を一番欲してくれていたのは実家の会社だったという、そこに応えたいなと思いました。社長になりたいからとかあったわけじゃなくて、その時自分が欲されていて、なんか助けたいっていうことでしょうね。

働き始めの数年間の間に、印象に残っているエピソードはありますか?

今年は入社して4年目になりますが、私が入った頃は、営業が3人いて、彼らからすれば、社長の息子が入ってきて、どう扱っていいかわからないが、なぜかその息子は自信満々で「早く仕事させてくださいよ!」と言っている。三和システムで、何も無い所から始まった営業を経験していたので、自分で主導権を握って仕事をしたい、仕事を創りたい、自分の仕事を早く持ちたいという思いがあったので、一週間ぐらいたった時に、営業を全員集めて、「あなたたちの中で手が回っていない営業先を全部私に任してくれ」と言ったりしていました。笑。私が社会人になって1年目の夏、食べるラー油がものすごくブームになっていました。食品業をやっているので、取引先から「最近流行のラー油ないの?」という問い合わせがあって。ラー油は取り扱っていなかったのですが、三和システムの営業で、「これ、ないの?」と言われて、どうにかしてそれに応える、という経験をしたので、「何か良いの探してきます!」と答えました。色々吟味してゆき、福岡の小さい油屋さんが作るラー油にたどり着きました。一生懸命モノ作りをしている会社でした。そこで、最初に「無いの?」と声をかけてくれたお店にそのラー油をすぐ見せに行きました。大好評で、「これ、めちゃくちゃ売れるんじゃない?」と言われ、凄く嬉しかったですね!

勢いそのままに次は当時まだ取引の無かった有名な全国チェーンのお店に持って行きました。そこの店長も凄く気に入り、「これは旨い!いつ入れられるのだ!?」と言うのですぐに工場に電話をしました。買ってくれる所があるから、いつ入れられる?と。具体的に、いつまでに入れられるのか教えてくれという話になり、取引を開始しようということになりました。ここへは完全に飛び込み営業でした。スーパーには、3日後に納品してほしいと言われて、工場には1週間程必要だから無理だと言われたのですが、いや、是非やりましょう!と。そうして作ってもらった商品を、普段なら宅急便で送るのですが、それだと余計に1日掛かってしまうので、私が手持ちで納品しました。片手30kgぐらいの瓶の詰まった段ボールを必死で運びましたね。うかつにも素手で持って行ったので、手が血だらけになりながら(笑)ちょうどそこに本部のバイヤーさんがいらっしゃって、「どうしたどうしたその手は(笑)ちなみに、このラー油、数は用意出来るの?」と。「出来るなら1万本用意して欲しい。」と言われた時はビックリしましたね。

工場に「1万本用意できますか?」と話したら、案の定「それは無理だよ!」という反応だったのですが、これまた「無理ではなくてやりましょう!方法を考えましょう!」と。それまで九州でしか流通をしていなかったのですが、一気に全国に広がって。その工場には関東からも視察が来るようになりました。さらに、イトーヨーカドーからも電話があり、某売り場を見たのですが、あのラー油売って欲しい、と。今度は月間4万本の依頼でした。当時の生産体制では2万本が上限だったので、合計で6万本になります。工場の社長さんがもう無理って言いかけていたのですが、これも「やりましょう!」と。本当に私は運がいいなと思うのですが、最初のきっかけは、たった1本の電話であったりします。電話をかけるだけであれば、誰でもできることですので、誰でもできることからの積み重ねでしかありません。私が圧倒的な、ものすごい営業スキルをもっているわけでもないので、「とりあえずやってみる」ということと、「できる方向に物事を考える」という癖が三和システムのインターンで身に付いていたことが大きかったのではないかと思います。

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ECサイト「月天」(http://www.getten.jp)を立ち上げる経緯を教えてください。

小さいけれど確かな腕を持つ食品メーカーは九州にはまだ沢山あります。一度食べると「美味しい!」「プレゼントに贈りたい!」などと高評価を頂く商品も沢山あります。ただ、パッケージが良くなかったり、プロモーションが出来ていない事が多い。そんな商品の力を僕たちが100%、120%引き出し、お客さんに直接買ってもらえる場があれば、そういった隠れた逸品を世の中にだす事が出来る。ならばそういう場を作ろう!と立ち上げたのが「月天(げってん)」というECサービスです。私が三和システムに居た時に、一緒にフットサルなどやらせて頂いた有名なウェブ制作会社の社長さんが、「赤瀬がやるんならぜひうちとやりましょう。」と言って下さって実現することができました。

株式会社十勝庵、そして赤瀬さんの今後のビジョンを聞かせてください。

まずは年商を10億円にしたいというような、数値的な目標や、従業員や取引先が継続して繁栄してゆける手伝いをしたいというビジョンもあります。月天の細かい数字の目標も掲げています。が、正直な所先の事は良く分からないです。目の前のことを全力でやっていたらいつのまにかここに辿り着いたという感じがしています。昔から長期的な目標に向かって頑張る!というタイプではないので、「夢は?」と聞かれてもあまり答えられなかった人間です。その瞬間、瞬間で、相手にとって一番良いことは?と考えながらやり続けていたら時代が自然と進む道を用意してくれるのではないかと思います。もう一度同じ人生を歩めと言われても無理でしょう。(笑)

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最後に、ご自身の経験を踏まえて、これからインターンを考えている学生に、メッセージをお願いします。

実は今、このようにインタビューを受けていて、私自身が一番ビックリしています。東京ベンチャー留学の時、凄い同世代に圧倒されショボンと参加していた私が、今このような場で、お話をさせてもらうことなど、想像もしていませんでした。でも、そういったことが、起きるし、起こせる。これはすごいことだと思っていて。吹けば倒れるような、ひょろひょろの学生であった私が、本当に歯をくいしばってやったことで、こうやって話を聞いてもらえる存在になっている。「赤瀬くんの話を聞かせてくれ」と言ってもらえる場にいることに、大変感謝しています。でも、このようなチャンス、誰にでもあると思うんです。私にとっては、その1つの、ものすごく良いチャンスに巡り合えるきっかけがETIC.でした。普通に生活していたら、三和システムさんとかと繋いでくれるところはなかったでしょうし。 私はパチンコしないのですが、パチンコに例えれば、何回かやっているうちの1球が大当たりなわけじゃないですか。ETIC.を通じて出来るインターンのすごさは、確変状態のスタートを切れるというか、常に大当たりの状態で飛び込んでいける、そういった大当たりのインターン受け入れ先と多く繋がっている。ということじゃ無いですかね。それは他にはない状態かと思います。

(2013年6月取材)

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