DRIVEインターン大学1・2年生からはじめる本気のインターンシップ

人や場のギフト・可能性が最大限輝き、イキイキ化学反応を起こす社会をつくる。

三田愛さん

現在の所属:株式会社リクルート

インターン先:バーチャル・ブレイン株式会社

【プロフィール】
慶応義塾大学卒。米国CTI認定プロフェッショナル・コーチ(CPCC)。株式会社リクルート入社後、人材総合サービス部にて入社1年目で営業成績トップ、2度のMVP受賞。人事部、海外提携・事業開発プロジェクトリーダーを経て、現在じゃらんリサーチセンター研究員。 地域の人たちが社会課題を自分ゴト・みんなゴトと捉え、コークリエーション(共創造)し、自らの力で価値創造し続けるための地域イノベーション研究や、 地域創発のファシリテーターをつとめる。
コピー取りや新聞記事の切り抜きなど、雑用が多かったのですが、毎回100言われたら130返す、期待以上のことを返すことを心がけていました。

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大学ではどのような学生生活を送っていて、なぜインターンシップをしようと思ったのですか?

中学・高校が国際色豊かな学校だったのですが、私自身留学経験がなかったので、大学に入ったら絶対に国際学生団体に入ろうと決めていました。慶應義塾大学に推薦入試で合格したので、入学前に資料を取り寄せて、国際学生団体を調べ、4つほどあった中から、AIESECを選びました。AIESECは世界で一番大きい学生団体だったので、様々な人たちに会えるだろうと考えたのが理由でした。もともと好奇心も強かったので、海外で生まれ育った学生はどのような価値観を持っているのだろう?という素朴な興味もありました。そして4月に入学したら、AIESECの先輩にいきなり「香港にいってきて!」と言われて。夏休みに世界中の学生を集めて開催するイベントのプロモーションのために宣伝をしてきて、という話だったのですが、その先輩から「電話しておいたから」とだけ聞いて、泊まる場所も決めずに安いチケットを買って行きました。そしたら空港で香港の学生が迎えに来てくれていて、泊まる場所も探してくれ、香港の2大学、数十人の学生と有意義な1週間を過ごせ、行けば何とかなる、という原体験ができました。そこで味をしめて、その後1年生の間に4回、毎回一か月近く海外に行っています。

インターンシップをしようと思ったきっかけですが、AIESECは海外インターンをコーディネートしている団体なので、仲介をやっていると自分も海外インターンを経験してみたくなり、企業の視点から海外を見るのも面白いだろうと思って2年生の夏休みに香港で1カ月ほどインターンシップを経験しました。ビジネスコーディネーション部という部署に配属されて支店の業務効率の改善を考えていたのですが、数学が好きだったこともあって楽しんで仕事をすることができ、働くって面白いなと、その時思いました。帰国したら「働く」という経験をもっと追究したいと思い、インターンを探すことにしました。様々なインターンを見ましたが、当時は2年生でインターンができるのはETIC.しかありませんでした。

インターン先はどのような会社で、三田さんはそこでどのような仕事をされていたのですか?

最初は3ヶ月間の契約だったのですが、途中で延長して、バーチャル・ブレイン(株)で10ヶ月間インターンを経験しました。バーチャル・ブレインは、従業員4名の小さなコンサルティング会社で、カスタマーサティスファクション(CS)とエンプロイーサティスファクション(ES)を専門としていて。5つほどのプロジェクトの中に入らせてもらいましたが、最初の頃は毎日社長に業務日誌で業務内容と気づきや学びを伝え、返事をいただいていました。コピーをとったり、社長が選んだ新聞記事を切り抜いてスクラップブックをつくったりという、いわゆる雑用が多かったのですが、毎回100言われたら130返す、期待以上のことを返すことを心がけていたので、気に入ってもらえました。私自身は一見雑用でも、全てが新しい知識への扉に見えていて、楽しんでやっていました。新聞スクラップは社長のお眼鏡にかなった記事を読めるので、それまで知らなかった世界も知れますし、コピーを取った資料に対して「これどういう意味ですか?」と質問すると、CSやESの社長レクチャーが始まったりして、いろんな角度から学ばせて頂いていました。

三か月ほど経ったころ、もう少し大きな仕事をさせて欲しいと話したら、ベネッセの子会社から依頼があった大型案件があったので、社員の方と二人体制で担当させてもらいました。具体的には、社内で活躍する人の人材要件をつくるために、10の要件があればそれを4段階にレベル分けしたりしていたのですが、私が案を作って社長が直すというプロセスを何度も繰り返していました。社員の方は30代半ばの男性の方だったのですが、社長曰く、その人よりも私の方が優秀だと。確かにお金を貰わずに働いていたし、成果が出るまでやりきりたいという思いが強く、インターンも延長していたので、社員の方よりも私の方が意識高く仕事をしていたのかもしれません。

新卒で(株)リクルートに入社されますが、どのような就職活動をされたのですか?

元々、なぜ?なぜ?と考えることが好きで、インターンで経験したコンサルタントの仕事が楽しかったので、就職活動では外資のコンサルティング会社ばかり受けていました。6社に内定をもらって、戦略コンサルティングの会社にいくはずだったのですが、たまたまリクルートの説明会に誘われて行ってみたら、人事の方がとても素敵な方で、こんな人が働いている会社はどのようなところなのだろう?と興味を持ちました。その方に紹介されて会った別の社員の方も素敵で、色々な方に会わせてもらううちに、この会社は素敵な人が多いなと感じるようになりました。しばらくの間、頭ではコンサル、心で惹かれるのはリクルート、という状態が続き、分析をして比較表を作ったりしましたが、決められず、周りからはコンサルがいいよと言われて悩みました。

今振り返ると、リクルートに決めた理由は3つあります。1つ目は、リクルートの人は頭と心のバランスがいいなと思って。コンサルタントのような論理的思考力だけでなく、志を持って人を巻き込む力や、カタチにする力等、頭と心のバランスがいいなと思いました。2つ目は、教育者である母の影響ですが、小学生の頃からの揺るぎない考えとして、人はそれぞれに与えられた可能性というかギフトみたいなものを持っていて、それが最大限花開く社会を作っていくことが、本人の幸せにとっても、社会にとっても良いことだという想いがあります。「一人一人を主役に」「フォローユアハート」など、リクルートが掲げていた価値観や世界観がが自分のその想いに一致していると感じました。3つ目は、リクルートで働く人の根底に流れるものに強く共感しました。採用中に出会った人の中には、頭脳明晰な方もいれば、豪快な「ザ・リクルート」もいたり、クリエイターもいたり、宇宙人みたいな人までいましたが、どの人も根底に日本を良くしていきたいという青臭さを持っていて。例えれば、外資の方が連れて行ってくれるフレンチよりもコンビニ弁当でいいからNPOの人たちと未来を語り合う方が好き、というような感覚を持っていたので、リクルートの人のモチベーションの源泉に共感する自分を見つけました。

圧倒的な当事者意識、ではないかと思います。経験・スキルでは他の人に劣ることが明らかだったので、自分には何ができるだろう?と考えましたが、3年目でも、誰よりも考えることはできると思いました。
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HRの部署に配属されて、1年目にして営業成績1位に輝かれたそうですが、それはどのようにして可能だったのでしょうか?

HR(ヒューマンリソース。企業の採用や組織活性支援の部署)の営業職に配属されました。内定者時代に配属希望を出すのですが、かなり悩んで。今でこそ営業はクリエイティブな仕事であることを理解していますが、学生の当時は、営業は物売りだというイメージが強く、営業は絶対に嫌だな、と。元々戦略コンサルを志向していたので、リクルートに入るなら経営企画かなぁ、とか考えていました。でも、よくよく考えてみると、いきなり私が企画に入っても、何も新しいことを生めないと気付いて。コンサルであれば、目の前に問題を提示されるから、分析をしてソリューションを導き出せば良いわけですが、リクルートのような事業会社だと、まずは社会の問題を見つけなければいけない。それが今の私にはできないと思った時に、おそらく、今ある商品で目の前のお客さまの解決をしようとして、できないと感じた時に始めて、新しい商品を思いつくのだろうと思いました。そして自分から営業職希望を出しました。私は納得しないと動かないタイプなので、そのように思えてようやく駒が合った感覚で、そこからはすごくエンジンがかかりました。

それでも、最初から順調だったわけではなく、1年目の秋に成績がトップになるのですが、最初は新人なので、新規営業開拓の電話掛けから始まって、電話しても電話してもガチャ切りされることが多くて、自分は何をしているのだろう?と落ち込んでは一人でトイレで泣いていたことも多々ありました。それが4ヶ月目に入って少しずつアポが取れるようになり、また既存のお客様も引き継がせていただき、お客様との商談の機会が増え、重要な方とのアポイントは上司に同行してもらっていました。そんなある日、「あの会社の部長は三田の話を聞いてくれそうだから、1人で行って来い」と言われて。それまではリクルートの営業=採用のプロとして見られているだろうに、何の経験もない新人が何を話せば良いのだろうと焦りを感じることが多かったのですが、実際にその会社に行って話すと、私の話を聞いてくださっているのが自分でも分かり、例えキャリアが浅くても自分の頭で考え、自分の言葉で話すことの大切さを感じました。徐々に、自分の言葉で、御社にはこのような良いところがあるから、もっとこのように伝えれば絶対よい学生が集まりますよ、などと熱っぽく話せるようになってきて、それを続けていたら、昨年の3〜4倍の受注をしてくださるお客さまがどんどん出て来ました。

働き始めの数年間の間に、印象に残っているエピソードはありますか?

3年目の仕事が、私の仕事の原体験となっています。ある企業のプロジェクトを、10歳以上上のマネージャーから引き継いだのですが、過去5年ほど1500~1700万円で横ばいだった取引が、1年で約10倍の1億7千万円まで拡大し、関わる人も2人から23人に増えました。私が関わるまでは、エントリー機能としてのリクナビぐらいしか提供していなかったのですが、新卒採用も中途採用も、求める人材像の設計から採用ブランディング、広報、ホームページ作成、インターン企画、説明会企画、面接設計、内定者向けイベント等、ゼロベースでトータルソリューションを提供しました。また、新しい仕掛けをするための予算取りや社長への提案書づくりも行いました。大きい会社だったので、人事の方のパートナーという感じでしたが、社員以上にその会社の採用のことを考え、理解していると自負していました。

その変化の中で、採用に集まる学生が大きく変わりました。まずエントリー数が7千人から約3倍の2万数千人に増えました。私が担当する前までは、その業界志望の人からしか応募がなく、なぜ我が社なの?と尋ねても、本音は業界1位の会社に落ちたからという学生が多かったです。改めて本当に必要な人材はどんな人材か?を議論していくと、その会社は業界4位だけれど成長率は1位でもあり、未来の会社のためにはもっとアグレッシブな人が必要だということが分かりました。さらに、過去5年間社内で活躍している人とそうでない人の定量的な分析も行い、その結果見えてきた人材像に合った人を取るためのプロジェクトも実行した結果、内定者の質も変わりました。大手コンサル、大手投資銀行、大手商社など、アグレッシブなところに内定をもらっている人が増え、何となく来ましたという人が一気に減りました。嬉しいことに、このプロジェクトに関わった人は全員高い評価を受けて、先方の課長さんや部長さんは最高評価をとり昇格されましたし、他部署や外部パートナーの方もMVPを受賞されていました。

その時のチームマネジメントは全て三田さんがされていたのですか?

はい、営業がプロジェクトのマネジメントを担っていたので、私はそのリーダー的な役割で、先方に何をどう提案するか、出てくる企画書がそれでいいか、全て判断していました。最高のチームを作りたいと思い、全ての部署でトップの方に入ってもらったので、必然的にメンバーのほぼ全員が10歳以上上のベテランの方々だったのですが、それまでチームを運営した経験が殆どなかったので、常に悩みながらやっていました。皆、職歴も凄いし、スキルもあるし、知恵もあるから、もしかしたら私は要らないのではないかと悩んだときがあり、当時の部長に相談に行ったのですが、その時言われた言葉が心に残っています。「お客さんに賭けてもらえる関係性になれ」、そして、「賭けてもらえたからには、死んでも結果を出せ」と言われました。賭けてもらうというのは、リクナビが良いから選ぶという訳ではなく、提案内容は良く分からないけど三田に言われたから乗ってみよう、と思ってもらえること。商品の説明をして、商品に納得して買ってもらっているのであれば、結局競合他社と比較されるので、そうではなくて、なんかよく分からないけれど、三田さんの言っていることを信じてやってみようと。この言葉にはすごく納得できて、頑張って実践しようとしていたのですが、プロジェクト終了後、なぜ1億7千万円まで取引を拡大してくれたのか尋ねたところ、「提案は全て新しい内容だったので、細かいことはよく分からなかったけど、これに乗れば何か上手く行きそうな気がした」と話してくださいました。逆にそれは全ての責任が私たちにあるということで、業界初の提案をしており、過去の事例・ノウハウがない中で、最高の結果を出さなければならないと大変なプレッシャーを常に感じていました。夜中3時に目覚めてそういえばあれは誰かやったのだろうか?と思うなど、うなされるほど、常にその会社のことを考えていました。そのおかげで細かいことに気付きましたし、新しいチャレンジをしている、という志と、絶対に最高の成果を出すんだ!というゴールをプロジェクトメンバーで握っていたので、急に指示を出してもみんながすぐに動いてくれて、最後よい結果が出せました。

三田さんの何が違ったから、他の人には出せなかった高い成果を出せたのでしょうか?

圧倒的な当事者意識、ではないかと思います。経験・スキルでは他の人に劣ることが明らかだったので、自分には何ができるだろう?と考えましたが、3年目でも、誰よりも考えることはできるなと思いました。他の誰よりもお客さんのことを考え、お客さんのことを知り、こうありたいという強いビジョンを立てる。それに経験は関係ないなと思って。逆に、課題の本質を深く捉え、こうありたいというビジョンさえ描けば、間はプロが埋めてくれます。あとは、関わる人全てが最高のパフォーマンスを出し続けられるように、それぞれの、やりたいこととミッション(評価されること)を深く聞いていました。全ての人にとって、この仕事をやりたい仕事で、かつ評価される仕事にしたかったからです。それに合わせてプロジェクトの設計をしたり、依頼の仕方を工夫したりしていました。また、このメンバーで仕事ができるのは最後かもしれないし、来年になると状況も変わっているだろうから、常に「今が最後だ」という思いで仕事に取り組んでいました。

HRの後、人事、事業開発と異動されますが、現在所属されているじゃらんリサーチセンターに至るまでの経緯を教えてください。

HRで4年半営業を経験した後、異動で人事に移り、そこに1年半ほどいたのですが、少しずつ、より事業寄りのことがしたいという思いが強くなり、自ら希望を出して人事を出ることにしました。事業目線でできるところはないかと、当時伸びていたじゃらんのトップの方に相談したところ、その方がアライアンスチームを立ち上げるという話しを持ちかけてくださり、そこに配属になりました。トップ直轄の組織で、2人だけの組織だったので、仕事は大変だったのですが、年々大きくなって、後に事業開発グループへと発展しました。当時の私の仕事はプロジェクトリーダーで、海外の企業と提携して新しいサービスを作っていました。海外の人と協力して、システム開発や企画、法務、経理など様々な部署と絡みながら、サービスを作って行くことは面白かったのですが、どこかでこれは私の一生の仕事ではないと感じていて。私にとってもっとやりがいがあるのは、HR領域や人事でやっていたような、人の生き甲斐に関わる仕事なのだと、気付きました。

事業開発グループで3年働いたあと、約2年の育休を取って戻ったのですが、その時には事業開発グループが色々なところに吸収され、解散していました。企画室のどこかに戻ることはできたのですが、現在所属しているじゃらんリサーチセンターのセンター長が欲しいと引っ張ってくれたそうで。結果的にすごく良かったと思っていますが、地域との出会いはそこが初めてで、本当に偶然でした。

地域では様々な社会課題が絡み合っていますが、そういった課題を、国や「誰か」が解決してくれるだろうと考えるのではなく、地域やそこに住む人々が自分ごととして捉え、自ら変えようと行動するような仕組みを創りたいと思っています。

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じゃらんリサーチセンターではどのようなお仕事をされているのですか?

じゃらんリサーチセンターでは、地域や観光業界に対して、地域・観光がより活性化するには何が必要か、調査研究を行い、その成果を冊子やWEBで情報発信しています。4つのグループに分かれていて、私の所属しているリサーチグループの他に、事業創造グループ、地域活性化グループ、エリアプロデュースグループがあります。私自身は、「地域イノベーション研究」と題し、地域が自ら価値創造し続けるにはどうすれば良いのか?を研究しています。高齢化や過疎化を始め、地域では様々な社会課題が絡み合っていますが、そういった課題を、国や「誰か」が解決してくれるだろうと考えるのではなく、そこに住む人々が自分ゴト・みんなゴトとして捉え、様々なしがらみや垣根を取っ払い、繋がり、共に未来を創り、行動する仕組みを創りたいと思っています。そのようなテーマのもとに、年間4〜5本のプロジェクトを走らせています。

プロジェクトには主に3つのフェーズがあるのですが、私が実際に参加した、熊本県黒川温泉の活性化を例に、話をしたいと思います。第1フェーズは、地域の健康診断「地域力診断」で、地域の強み・課題を可視化することで、地域が未来に向かうストーリーをつくるというものです。黒川温泉の場合、1980年代に温泉地をつくった親世代の旅館経営者と、その経験がない青年部世代の、課題に対する認識と理想像のギャップが変革の足かせとなっていました。そこで、「地域全体が持続的に発展していくために」という文脈で地域の課題をとらえ直し、「地域力診断」というフレームワークを用いて、世代間のギャップを浮き彫りにすることから始めました。取り組むべき課題についてのアンケート調査を行ったところ、「黒川温泉観光旅館協同組合」と「黒川温泉青年部」の認識が、将来ビジョンやありたい姿などの項目で、異なっていることが分かりました。こうして「見える化」することで、特に青年部世代の経営者に、現状を変えようという意識が芽生えました。

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次の第2フェーズでは、どうずれば地域が変革組織になれるかという研究をしています。具体的には、「変革リーダー」の育成や、行政を「変革チーム」にするプロジェクト、多様なステークホルダーで未来を創る「地域未来“みんなごと”アクション」プロジェクト等を行っています。黒川温泉のプロジェクトの場合、青年部のメンバー20名と、2012年8月から2013年4月に掛けて計9回、未来の黒川に関するセッションを実施しました。他地域の事例を機械的にあてはめたり、外部のコンサルタントが地域の課題に答えを出したりというアプローチはよく聞きますが、それらは長い目で見れば地域のためにならないと思っています。セッションでは、「未来のステークホルダー」と呼ばれる都市部のゲストも巻き込みながら、青年部の経営者自らがアイデアを深め、「いち黒川」という黒川温泉全体で提供するサービスコンセプトを共有しました。その結果、都市在住者も「第二町民」としてスタッフに参画する「黒川温泉 湯のはた花見会」など、ユニークな取り組みが複数生まれました。最近では、黒川温泉のまちづくりを担うNPO法人を設立する動きも出てきています。

さらに第3フェーズでは、より仕組化、価値の拡大化を目指していて、変革組織となった地域から地域のための事業が生まれるための「事業創出サポート」の研究をしたり、地域変革を志す地域チームが全国から集まって学び合う「ラーニング・コミュニティ・ネットワーク」を創ったりしています。

じゃらんリサーチセンター、そして三田さんの今後のビジョンを聞かせてください。

じゃらんリサーチセンターでは、「変わる地域の力になります」をコンセプトにしていますが、変わりたいと思った地域に当事者意識を持って関わり、変革に向けて一緒に伴走していきたいと思っているので、今後も変わる地域の力になるための調査であり、研究をしながら、地域変革のお手伝いなどをしていきたいと思っています。地域には素晴らしいギフトやポテンシャルがたくさんあるのに、色々なしがらみ等で人や組織が深く繋がっておらず、未来を産み出せる土壌になっていないことが本当にもったいないと思っています。人や地域が本来持つ力を最大限に、生き甲斐を感じ、ワクワク創発しながら、自走する地域が日本中に溢れるために、できうる限りの貢献をしていきたいと思っています。

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以前、コミュニティデザイナーの山崎亮さんが、「日本は人口減少先進国」と話しておられたことが印象に残っています。人口が年々減少していくと考えた時、今、地域が直面している課題は、近い将来、アジアなど海外でも起こります。課題先進国と言われる日本で、三足飛びくらいで作ったソリューションが、海外でもお役に立て、発信できたり輸出できたりするようになればいいなと。そして、これまで都市型といいますか、都市中心で動いてきた社会が、変わるきっかけを作りたい。最近は豊かさの基準が変わってきているなと感じることが多いのですが、私自身、自然とともに、地球とともに生きることって大切だなと思いつつ、人々が求めているものの答えの1つは地域にあると思っています。今のまま都市だけが良くなっていく日本は寂しいですし、本来日本にあるべき、残るべきところまで衰退してきていると感じるので、それらを残し、逆にそこに人が移って行くことがあればいいなと、そう思っています。

インターンシップの経験は、今の三田さんの働き方や志、今後のキャリアビジョンにどのような影響を与えていますか?

自分で考え、「期待以上を返す」ことを意識できるようになったこと、そして、自分の考えはちっぽけなのだと知っていることかと思います。どれほど優秀な学生であっても、社会に出れば知らないことはたくさんあります。お金をもらっていない分、インターン中はどんどん聞いてどんどん吸収してやろうと思っていましたし、分からないことは分かりませんと正直に聞くのがよしとか、そのような基本的なことが身に付いた気がします。

三田さんから見て、ETIC.はどのようなコミュニティですか?

ETIC.とは、べったり関わっていた時もありつつ、出たり入ったりしながら、15年ほどの長いお付き合いになります。私自身、社会をもっと良くしていきたいという想いは、自分をつくる柱の一つで、一生大切にしていきたいと思っています。ETIC.は、その想いで共感する組織であり、コミュニティなのだと思います。

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