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「志はソーシャル、仕組はビジネス」で、地元・福島に誇りをもつ高校生を育む。あすびと福島・椎根里奈さん〜311をつながる日に(5)

2021.07.20 

東日本大震災から10年を迎える2021年。

 

新型コロナウィルス感染症の影響もあり、未来の不確実性が議論される今だからこそ、東北のこの10年の歩みは、「未来のつくり方」の学び多き知見になるのではないでしょうか。「311をつながる日にする会」によるインタビューシリーズ(全6回)、第5回は、椎根里奈さんです。半谷栄寿さんがつくった「福島復興ソーラー・アグリ体験交流の会」の立ち上げ期から「あすびと福島」を支え続け、生まれ故郷福島の次世代育成に尽力してきました。

 

椎根さん2

一般社団法人あすびと福島 椎根里奈(しいね・りな)さん

福島県南相馬市に本拠を置き、福島の次世代育成に取り組んでいる。高校生の志に伴走し、2015年から発行を続ける食材付き情報誌『高校生が伝える ふくしま食べる通信』の事務局長。

http://asubito.or.jp/

福島を捨ててしまったという負い目を持って、代表と二人三脚で立ち上げた事業

 

――最初に伺いたいのですが、「あすびと福島」とはどのように出会ったのでしょうか?

 

椎根:私は、福島県郡山市出身で、大学から東京に上京し、新卒で不動産会社に勤務していました。その頃、後に「あすびと福島」の代表となる半谷(はんがい)と出会います。彼は東京電力の新規事業開発部門の責任者で、私が勤務していた不動産会社と東京電力の出資でつくった会社に私が転籍しました。3.11のときは産休中でしたが、その年末に東京電力が資本から抜ける際にかつての功労者が集まる会があって、そこで久しぶりに半谷に再会しました。

 

半谷が地元の南相馬で「あすびと福島」を一人で起こそうとしているのを聞いて、「ぜひ手伝わせてください。福島の役に立ちたいので」と自分のできる範囲で手伝うことにしました。2012年3月までの育休期間のプロボノということで合流したのですが、これは生半可な気持ちでやってはいけない事業だと感じたので、復職せずにそのまま4月に半谷と二人で社団法人をスタートしました。

 

――復職せずに新しいフィールドに飛び込まれたということですが、一番心を強く動かされたことは何でしたか。

 

椎根:子どもを産んで親になったのがすごく大きいですね。震災のひと月前、里帰り出産をしたのですが、同年代の子どもを持つ兄一家もいる郡山の実家で過ごす中、福島第一原発で水素爆発が起きました。東京の夫が心配していたので、自分だけ乳飲み子を連れて東京に帰ったのです。福島を捨ててしまったというのがずっと負い目で、この子たちが差別されることは絶対にあってはならないとずっと思いながら、東京で何の不自由もなく電気を使って暮らしていることに葛藤を感じていました。福島の人間としてとても後ろめたい気持ちでいっぱいで。

 

また、東京で不動産の仕事をするのは私じゃなくても、代わりはいくらでもいるだろう。でも福島で半谷とこの事業をやれるのは私しかいない、と直感で思ったのです。とても面倒な人だと聞いていた半谷とゼロから事業をやっていくのは大変だという覚悟はありましたが、それを乗り越える福島への想いというのは、確実に自分の中にありました。最終的に、替えのきかない仕事をやった方がいいだろう、ということで決めました。

 

――「あすびと福島」はこれまでどんな活動をされてきたのでしょうか。

 

椎根:「あすびと福島」という名前は、「明日の福島を担う人を育てる」という想いを込めています。「あすびと福島」として次世代育成を志した2012年4月から1年間掛けて、子どもの体験学習の場としてソーラー・アグリパークをつくったのですね。太陽光発電と動く植物工場で再生エネルギーの仕事体験をしながら、子どもたちの考える力を伸ばしていこう、ということでハードを建設しました。実際に小中学生に体験学習を提供していったのですが、このままこれをやり続けても、長期での福島の復興を担う人材育成ができるのかという疑問が生まれました。

 

また、人材育成事業や寄付だけに頼らない、自走できる収益の仕組みをつくることを検討する中で、高校生や大学生に対する次世代育成の仕組みとして「あすびと塾」という社会起業塾と、収益の軸をつくる企業向け研修事業を始めました。両輪で回しているうちに様々な企業・個人の方と多様な関係性、連携が生まれました。9年やってきて、福島の人材を育成するというぶれない目的の実現に確実に手応えを感じています。それを福島の外の人が見てくれて「ヒントをもらっている」と言ってくれて、「福島から学ぶべきことがある」、「福島の人は何か違うよね、すごいよね」とみなさんに感じてもらえる循環ができていると思っています。先の見えない混沌とした今の時代に、必然性を感じて福島に足を運んでくださる動きがこの2、3年で加速しているという印象を持っています。

 

――WEBサイトに掲げられている「志はソーシャル、仕組はビジネス」はどんな考え方なのでしょうか。お聞かせください。

 

椎根:「自分起点で考えて最終的に社会をよくする」。これは「あすびと福島」の理念でもあり、半谷の生き方そのものなのですが、必ずしもその活動に紐づけた経済基盤を構築する必要はない、という考え方です。学校の授業、週末のドローン体験も含めて、福島の子どもたち向けの人材育成はすべて無料で運営しています。ではその経済基盤をどうするかということでいうと、企業からしっかり対価をフィーとしていただく研修を軸にすることができています。

「あすびと塾」から生まれた『高校生が伝える ふくしま食べる通信』

 

食べる通信1

 

――高校生と取り組んでいる『高校生が伝える ふくしま食べる通信』について教えていただけますか。

 

椎根:2014年に始めた高校生向けの「あすびと塾」では、県内のいろいろな地域の高校生を月1回集めて、考えている課題や世の中に対してモヤモヤしている思いを言語化して、解決策がありそうなものを一つ形にしてみよう、ということをやっていました。

 

その中で、当時高校2年生だった女の子が風評被害について「自分の大好きな福島が誤解されているのが悔しい。何かしたい!」と心を痛めていました。とても強い想いを感じたので、私たちが伴走する形で、アンテナショップを出す、高校生が選んだものを宅配する等いろいろな方法を模索していきました。そのときちょうど食べ物と情報誌をセットで購読者に届けるサービスである『東北食べる通信』が創刊1周年に行った読者の会に、その子を連れて話を聞きに行きました。参加者にヒアリングする中で「今は福島のものは買わない」という厳しい意見もあったものの、福島でもこの食べ物付き情報誌というやり方をやってみようということになりました。

 

世の中的に福島の安全性が定かではなかった中、高校生にSNSで中傷が集まることは絶対に避けなければいけないということだけは、当初みんなで決めたことでした。なので、福島のものが絶対に食べたくないという人にはアプローチせずに、態度を決めかねている大半の人に対して、生産者さんのいろいろな生き様や想いを高校生の言葉に乗せてしっかりと伝えることで、福島の安全性をご自分で判断してもらおうと。そういう方を味方に付けて、少しずつ風評をなくしていけばいいじゃないかと、そんなことで始まりました。

 

椎根さん3

 

――当時を振り返ると今と比べてどうですか。

 

椎根:高校生達にはかなり変化がありました。『ふくしま食べる通信』は学年でいうと8学年続いているので、震災当時小学校1年生だった子もいるのですね。そうするとあまり状況が呑み込めていないまま高校生になっている子もいるので逆にバイアスが掛かっていなくて、農家さんの仕事に対してピュアな想いを持って、自分たちの目線で今のリアルな福島の農業を伝えたい、という気分に変わってきています。より「脱復興」というか、福島の風評を背負うのではなく、いい感じで力が抜けてきたというのを感じています。

「福島のことをもっと知りたい」と入部する高校生が増えてきた

 

――椎根さんご自身は、この10年をどんな風に感じていますか。

 

椎根:誰かが評価したり可視化したりできるものではないというのが私の復興に対する思いで、一人ひとりが何か踏み出す力を持つ、意思を持って実行する力を持つ、というのが復興だと思うのです。特に福島の沿岸部で、避難して誰も戻って来ないマイナスの状態から、何か小さくとも爪痕を残すような動きをされてきた方がいらっしゃって、その方の踏み出す力強さを見るに付け、外から復興だと語るのはおこがましいとさえ思いますね。だから私自身が次のステージに移らなければと思えたのも、何か踏み出そうともがきながらもやってきた方々の生き様と出会ったおかげです。そういう意思を持って実行できる人が一人でも増えることが、当初から「あすびと福島」が目指していた「明日の福島をつくる」ことだと思うのです。

 

食べる通信2

 

――5年、10年後、『ふくしま食べる通信』をどうしていきたいと思っていらっしゃいますか。

 

椎根:今までは復興支援という観点で福島の高校生、生産者さんとお付き合いしてくださった読者も随分と多いように感じています。10年という節目を迎えて『食べる通信』の意義という原点に立ち返ると、生産現場を知ってもらうというような、消費者の方が普段問題意識さえ持たないことを、高校生がしっかりキャッチして形にしていくことがより大切になります。コロナ禍で、みんなで集まって現地ツアーをすることは難しいのですが、逆にオンラインの力を使って、読者、生産者、高校生がもっと対話をする時間を設けることを考えています。高校生にとっても成長できる場になりますし、福島に住んでいない読者の方にも福島のすごさを感じてご自身のヒントにしていただく、お互いに相乗効果が生まれるような場づくりの舞台が『ふくしま食べる通信』であったらよいなと思っています。

 

私たちが「あすびと塾」をやり始めたときには、高校生起業家みたいな〝スーパー高校生〟が生まれるのではないか、という期待があったのも確かでした。でも彼らと一緒に汗をかいて動いていくと、そういうことではないと感じたのです。1年生で入部した高校生が3年生の春に引退するときに、確実に感性が豊かになっている、福島のことが好きになっている。一人ひとりが自信に満ちてくる姿を傍で見届けていると、私たちの『ふくしま食べる通信』は高校生という若い世代を育てる手段として最高の場だったと思えてきます。最近「福島のことをもっと知りたい」と入部を希望する子も増えていて、自分の意思で福島を好きになりたいと思い、自分の地元を誇らしく思っている子が増えてくるというのはとても嬉しいです。

 

――ありがとうございました。

 

聞き手:高島太士

一般社団法人NEW HERO代表

ソーシャルアクティビスト/ディレクター/ドキュメンタリスト

 

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「311をつながる日にする会」は、東日本大震災から3年となる2014年秋、「震災をきっかけに、世界を巻き込みながら日本中に広がったできごとや知ったことを、すべての人に関係があることとして、ポジティブな形でずっと残していこう」というNPO法人ETIC.宮城治男代表理事の呼び掛けをきっかけに発足しました。(https://www.tsunagaru-311.jp)企業人を中心に有志が集って活動しています。

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