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銀行員→ソーシャルセクターで活躍するフリーランス→経営者に。大西純さんに聞く、50代からのキャリア

2022.03.29 

50代のキャリアについて、最近では早期退職や起業といったセカンドキャリアを意識した人が増えるなど、大きなターニングポイントとして注目を集めています。

 

「NPOやNGOなどソーシャルセクターで仕事をする50代は、これからのキャリアをどう考えているのだろう」

 

この疑問が、取材を始める一つのきっかけになりました。著者自身が2021年に50代を迎えたことも大きく、ソーシャルセクターでの仕事にやりがいを感じているなか、50代の方がそれまでどんなキャリアを積み、今後をどう思い描いているかを知りたくて、お話をうかがうことになりました。

 

今回、取材したのは、「一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会」で監事を務める大西 純さんです。今大切にしていることもお話いただいたこの記事が、各世代の方のこれからのキャリアデザインの参考になれば幸いです。

東日本大震災後のプロボノ活動で初めてNPOを知った

 

大西 純さんは、「エンドオブライフ・ケア協会」の監事をはじめ、計5つの団体で監事やSTO(Social Technology Officer)、アドバイザーといった役割を担い、活躍しています。

 

大西さま_経歴アップデート

大西さんのビジネスでの役割(左)とソーシャルセクターでの役割(右)。大西さん提供の資料より

 

大西さんがソーシャルセクターと関わるようになったきっかけは、2011年の東日本大震災後、仕事のつながりで参加していた一般社団法人PMI日本支部での集まりでした。

 

「PMIは、プロジェクトマネジメントを担っている人や経営者など、PMP® (プロジェクトマネジメント・プロフェッショナル)の資格取得者たちが研鑽しあうネットワークです。震災後、東北が復旧から復興へと動き始めていた2011年5月頃に、『私たちにも何かできないか』という声が挙がり、模索を始めたんです」

 

1990年代の初頭、大学を卒業して銀行に入行した大西さん。「会社として勢いがあった」その当時、支店での外国為替業務担当から本部のIT部門へと移り、海外拠点の拡大に合わせてITシステム導入の企画やプロジェクトマネジメントを任されるなど、金融業界でのIT事業推進をリードする経験を積んでいきました。

 

震災が起きたのは、大西さんが入行して20年目くらいのときでした。

 

「PMIのメンバーと東北の復興のために何ができるかを話し合っていた場で、プロボノという言葉が出て、僕自身は初めて聞いたその言葉に興味を持ち、ネットで検索しました」

 

プロボノとは、各分野の専門家が知識やスキルを社会貢献の事業などに無償で提供すること。大西さんが検索をしたときに見つけたのが、プロボノ事業を推進している「認定NPO法人サービスグラント」でした。

 

「代表理事の嵯峨生馬さんの著書『プロボノ―新しい社会貢献 新しい働き方』を読んで『おもしろそう』だと思いました。渋谷のオフィスに行って話を聞き、プロボノワーカーに登録したのは2011年の秋頃です」

 

登録後、大西さんは、すぐに翌年の春頃までの半年ほど、アカウントディレクターとして活動。プロジェクトの枠組みづくりから納品まで、団体やチームが目指す成果が生み出せるようコーディネートする役割でNPOに伴走しました。

 

「障がいのある方が直面する問題の解決を通して、すべての人々が 当たり前に暮らせる社会の実現に取り組む『認定NPO法人ぱれっと』をサポートしたのですが、そのときに初めてNPOという法人格を認識したし、NPOの方と話をしました。半年の間に目に見える成果が表れるわけではないのですが、自分が関わることで、団体に新しい価値を提供できると手ごたえを感じました」

 

大西さんは、「サービスグラント」を通して「ぱれっと」の組織づくりをサポートした後も、「プロボネット(プロボノ・コンサルティング・ネットワーク)」、「ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京(SVP東京)」、「一般社団法人 コード・フォー・ジャパン」と、中間支援団体を通して、支援団体の組織基盤づくり、法人化、事業の立ち上げなどプロボノでのサポートを続けました。

 

大西さま_プロボノ経歴アップデート

大西さんのプロボノとしての経歴。大西さん提供の資料より

 

会社員、フリーランス、経営者。多様な人とのチームワークに魅力を感じた

 

「ぱれっと」でプロボノを始めた大西さんですが、なぜその後もソーシャルセクターと関わり続けたのか、理由をこう語ります。

 

「プロボノの仕事では、ひとりではなく、チームを組んで役割分担していました。集まってくる人たちは、会社員もいればフリーランス、経営者もいて、多職種で年齢やバックグラウンドも多様でした。

 

いろいろな人とフラットな関係でチームを組んで仕事をすることは、自分が所属していた会社ではなかなか経験できないことでした。普段接する機会がない人たちと同じゴールを目指して仕事をすることが、自分にとって価値があると感じていたし、おもしろかったんです。学べることも多くて、気づいたらプロボノを10年ほど続けていました」

 

SVP東京には、2013年にパートナーとして参画し、7年ほど投資・協働先の組織基盤の強化や事業立ち上げのマーケティング推進、SVP東京自体の運営などに携わりました。そのとき、新規事業づくりに携わっていた「認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」が「コード・フォー・ジャパン」のプロジェクトに応募したのをきっかけに「コード・フォー・ジャパン」の案件説明会に参加。「これまでの経験を活かしてもらえませんか?」と声をかけられて、2020年秋から「コード・フォー・ジャパン」にプロボノとして参画。NPOでのテクノロジー活用を進めるNPTechの運営メンバーとして複数の団体の新規サービス開発や組織基盤づくりに伴走しています。現在、火曜と日曜の夜をメインに活動をしているそうです。

 

「『コード・フォー・ジャパン』を通してサポートした『自立生活サポート・センターもやい』では、J.P.モルガンから支援を受けて、2021年5月、NPO法人ETIC.(エティック)とテクノロジーを活用した生活困窮の課題解決のサービス『支援検索ナビ』や『生活保護申請書作成システム「パス(PASS)」』などをリリースしました。『自立生活サポート・センターもやい』とは、プロジェクト期間が終了した後もSTO(Social Technology Officer)として契約をしていて、サービス利用の分析やよりよい活用の拡大に向けた機能アップやディスカッションなどを続けています」

退職後は、家庭での時間をより大切に

 

大西さんが銀行を退職したのは2020年9月。ちょうど「自立生活サポートセンター・もやい」との開発に取り組むときでした。

 

退職後は、コンサルタントとして契約企業の案件を担いながら、「エンドオブライフ・ケア協会」の監事や「自立生活サポートセンター・もやい」のSTOなど5つの団体に関わってきました。「自立生活サポートセンター・もやい」以外は、すべて無償で仕事をしているそうです。

 

「退職した理由は複合的なんです。銀行と兼務のフィナンシャル・グループ(持株会社)では、IT戦略の企画・推進部署で情報システムの全体像をデザインして全社視点で最適化を図るエンタープライズアーキテクチャ(EA)のチームリーダーを当時していたのですが、役職定年が近い52歳だったんですね。

 

当時、銀行では9割くらいの人がグループ関連会社や取引先企業で働き続けることを選択していたと思います。ただ、僕はセカンドキャリアを銀行のつながりだけのなかで働くよりも新たな文脈のなかで働きたいと思っていました。プロボノを通して外の世界を知ったことで、転職や留学、また大学院などで新しい学びを重ねることを当たり前とする人がいて、いろいろな働き方があることにも魅力を感じていました。

 

その頃、義母が入院を伴う大病を患っていて、妻がサポートに時間を費やすなか、家庭での時間を増やしたかったことも大きいです。ちょうど読んでいたダニエル・ピンク氏の著書『フリーエージェント社会の到来―組織に雇われない新しい働き方』がおもしろかったのですが、プロジェクトベースで仕事をする働き方もあるのかなと思ったことが今のワークスタイルにつながっています。退職後は半年間仕事をしないと決めて、料理や洗濯などにあてる時間を増やしていました」

 

収入を得るための仕事にかける時間も銀行員時代より意図的に減らしたそうです。会社員だったときは、コロナ前は午前8時頃に出社して夜まで就業するのが習慣になっていました。現在は、稼働時間ベースではその50%くらいのボリュームでコンサルタントの仕事をし、ソーシャルセクターの仕事や家庭の時間、自分の時間とバランスを取っています。プロジェクトによっては週のうち1日は完全フリーにしたり、毎日の勤務時間を短くしたりなどメリハリをもたせています。

 

「これからはできるだけ家庭の仕事に時間をかけたいと思っているんです。朝洗濯して、昼ご飯を作って、夕ご飯の買い物に行ってときどきは作る、という家事を妻と分担しています。

また、退職後は、コロナ禍も影響しているのかもしれませんが、1日1万歩、歩くようにしています。1日2回ほどに分けて歩いているのですが、時間に追われているとそんなことできないですよね。今は意識的に『無』にする時間を取るようにしています」

自分や家族に近いテーマだからこそ、稼ぐことは意識していない

 

「エンドオブライフ・ケア協会」との仕事は、2018年から2年間、「SVP東京」でプロボノとして『折れない心を育てる いのちの授業』のプログラムづくりに関わったことが始まりでした。

 

「『いのちの授業』では、解決が困難な苦しむへの向き合い方について学校や地域で伝えられる人をどうすれば増やせるか、コンテンツ作りや講師認定の仕組みなどを一緒につくりました。

 

大西さま集合写真

中段左が大西さん。周年イベント後にエンドオブライフ・ケア協会・SVP東京のメンバーらと

 

また当時、『エンドオブライフ・ケア協会』では、組織の基盤づくり、健全に運営を行う上で必要な体制を含めガバナンスの枠組みを決めるといったことでも相談に乗っていました。その後、理事や監事を置く理事会設置型の組織にすることになって、声をかけてもらったことで監事になりました。この1月には非営利組織評価センターによるグッドガバナンス認証も取得できました」

 

「エンドオブライフ・ケア協会」は、死と向き合うホスピスの現場で培われた「ホスピスマインド」をもとに、限りある時間でも自分らしい毎日を送り、幸せな最期を迎えることができる社会を目指して、2015年に設立された団体です。

 

学校、子育て、介護、仕事、人間関係、あらゆる場面での、答えのない心の問題への向き合い方を、専門家に限らず誰もが実践できるように、研修や学校・地域への出前授業を認定講師が実施(最年少14歳)。大人も子どもも学び合う仕組みをつくっています。2000年、発起人の一人であるホスピス医の小澤竹俊さんがホスピスで経験した学びをもとに、子どもたちに向けた出前授業を始め、2019年、大西さんたちとともに『折れない心を育てる いのちの授業』を事業化しました。

 

「妹が40歳に癌で早世したことで僕自身が生と死を意識するようになったこともあり、『エンドオブライフ・ケア協会』が取り組む事業が世の中にもっと広まるといいなと思っていました。結局、自分自身や家族につながりがあるテーマのほうが、一緒に頑張りたいという気持ちが大きくなるのではないでしょうか。だから、お金を稼ぎたいとも思わないんです」

 

家庭と仕事、ソーシャル。役割のバランスを変えながら続けたい

 

今後のキャリアについては、「そんなにガツガツ稼ぐために無理して働く必要はないかなと思っています」と大西さんは話します。

 

「歳を取るごとにそういう思いが強くなりますね。家庭と仕事、ソーシャルでの役割を、バランスを変えながら生きていければいいなと」

 

働き始めた20代の頃は、50代の自分がまったくイメージできなかったという大西さん。終身雇用がまだ崩れていなかった1990年代は、「会社を自分から辞めなければまだここにいるのかな」という感覚だったのが、10年、20年と経つ度に、自分の5年後、10年後を想像することが多くなったといいます。

 

「多分、今は53歳くらいだから(笑)、5年後くらいはまだ働いているかなと思うくらいでしょうか。この先5年働いたら、またその5年後も働いているかなと。いわゆる稼ぐための働き方はもうこの先もずっとボリュームが減っていくと思っています。

 

もともとIT部門での経験が長かったことでテクノロジーを活用した社会の変化に関心があります。世の中的にこれからはもっとDX(*)が浸透して、ソーシャルセクターでもその動きが活発化していくと思うんです。ソーシャルセクターに関わる企業や行政との連携も増えていくでしょう。僕も、テクノロジーを使った新しい価値の提供をサポートし続けられたらと思っています」

 

DX(*):デジタルトランスフォーメーション。デジタル技術の進歩により、人々の生活があらゆる面でより良く変化していくこと。

大西さまオンライン写真

左上が大西さん。ファンドレイジング・日本2022のセッションでコード・フォー・ジャパン、日本NPOセンターのメンバーと

 

著者は、実は、「80歳まで取材して書く仕事をしたい」と思ってきました。歳を重ねるたびに5年後、10年後がみえにくくなっている自分を励ます意味でもそう思うところがあります。

 

「僕は、80歳まで働くぞとは考えていないんですよ、正直。ただ、両親は80歳を超えていますが、父親なんかは地元で環境保全とかいろいろ動いていますね。ほぼボランティアですけれど。この前もオンラインミーティングのやり方を教えてくれというので、教えました。親を見ていると、『なるほど80歳になってもこういうふうに人は動けるのか』とは思うのですが、基礎疾患がある父親は母親から、『(コロナ禍で)危なっかしいからおとなしくしてなさい』と言われているみたいですね(笑)」

 

***

 

<取材を終えて>

当初イメージしたのは、人生100年時代に向けて、ソーシャルセクターで仕事をする50代の方たちが「もっと新しい挑戦をしたい」と意欲的なお話を伺うことでした。

 

実際、大西さんから聞いたのは、家庭での時間を大切にしながらソーシャルでの仕事を無理なく続けたいという肩に力の入っていないお話でした。

 

また、1つの企業だけの枠にとらわれない多様な価値観の方たちとの仕事に「おもしろい」と手ごたえを感じていることは、これから先、仕事をするうえで大きなポイントになるかもしれないとも思いました。

 

著者は、とても温かく大切なことに気づかせてくれる方たちと仕事できることが大きなやりがいを感じる一つの理由になっています。先はみえにくいけれど、「おもしろい」と感じることを大切に、ソーシャルでの仕事を少しでも長く続けられたらうれしいです。

 


 

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株式会社エンブレックス代表取締役/大西 純

大学卒業後の1991年、三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。主にIT事業推進部門で企画・プロジェクトマネジメントなどの実績を積む。東日本大震災をきっかけに、2011年秋頃からプロボノとしての活動をスタート。10団体以上の組織基盤づくり、事業立ち上げなどに関わる。2020年に銀行を退職後は、フリーランスのコンサルタントとして活動しながら、ソーシャルセクターでのサポートを継続。現在、一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会 監事、NPO法人Hope Tree 監事、NPO法人World Theater Project 監事、NPO法人自立生活サポート・センターもやい STO、FIT Charty Run チャリティチームアドバイザーを務める。2022年3月に株式会社エンブレックスを設立。共著に『フィンテックエンジニア養成読本』(2019/技術評論社)がある。

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この記事を書いたユーザー
たかなし まき

たかなし まき

1971年愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科卒業後、地元の企業に就職。その後上京し、業界新聞社、編集プロダクション、美容出版社を経てフリーランスへ。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。

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