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3.11後に会社を辞め福島にUターン。妊婦と乳幼児の支援に奔走した「右腕」の12年

2023.03.23 

東日本大震災の発生後、大きな被害を受けた東北へ向けて一つの震災支援が行われました。

 

宮城県や福島県、岩手県など各地で復興に向けた事業やプロジェクトを起こし、推進するリーダーのもとに、意欲ある若者たちを「右腕」として派遣する「右腕プログラム」です。2015年7月時点で、119のプロジェクトに214名の「右腕」人材が送り出されました。

 

震災から12年。当時、右腕たちは何を思いながら支援活動に携わったのか、また、その後の人生をどんな思いで歩んでいるのか――。改めて聞くことで、右腕だからこそ見えた景色や震災への想いを探ります。

 

今回、右腕として、2012年1月頃から約1年、福島県相馬市で妊婦と乳幼児の支援に参画した佐藤真平さんにお話を聞きました。

 

プロフィール画像トリミング後

東日本大震災が起きた翌年から約1年、福島の「右腕プログラム」に参画した佐藤真平さん

 

ハード面ではなく、精神面での被災を強く感じた

 

佐藤さんは、右腕プログラムに参画するために会社を辞め、茨城県から福島県へ移住しています。当時の仕事は、オーガニック専門店の店長。福島市出身とはいえ、会社を辞めてまで支援活動を始めたのはなぜだったのでしょうか。

 

「いつかは福島に戻ろうと思っていたところで震災が起きました。震災後の福島は、会社を辞めるくらいのインパクトがあって、じっくりと腰を据えて支援にあたりたいと思ったんです」

 

支援を決めるきっかけとなったのは、福島の知人などから度々耳にした、妊婦に関する「悲しい」情報でした。

 

福島では、地震による原発事故で、高いレベルの放射能が問題視されていました。佐藤さんは、震災以来、妊婦が自分の未来に希望を見出せない話を聞くようになり、心を痛めていたといいます。「ハード面ではなく、精神面での被災を強く感じました」。

 

「福島の人たちの苦しみに当事者に近い立場で寄り添えるのは、地元の人なのではないか」。そう思った佐藤さんは、福島で支援活動をするため、数か月後に退職し、右腕プログラムに参画。福島市で人材育成や中間支援などを行う一般社団法人Bridge for Fukushimaの右腕として現地に入りました。

 

佐藤さんが相馬市で支援活動を始めた2012月1月頃、担当した地区は避難勧告の対象外だったものの、放射線量の高い状態が続いていました。

 

右腕時代③

相馬市で「右腕」として支援活動をしていた佐藤さん(左から4番目)。地元の人たちと

 

「僕が現地に行った頃は、状況がまだ整理できておらず、混とんとしていました。

 

それに、被害を受けた側の人たちの大きな精神的ショックが伝わってくるようでした。『自分たちは被災して汚染されてしまった』『自分たちのことは自分たちでやるから、関わらないでくれ』という無言の絶望感や拒絶感で、近寄れない雰囲気が漂っていました」

行動の変化を起こすことの難しさを痛感

 

佐藤さんが担当した支援活動は、妊婦や乳幼児への水の配布や子どもの遊び場づくりなど、コミュニケーションを取りながら日常を支えることが中心でした。活動を通して関わる人たちの様子から、「半分くらいの人は、繊細に傷ついている印象を持ちました」と、話します。

 

「お母さんが子どもと接する姿からも、大事にしている想いに繊細さを感じました。特に前半の頃は状況の変化が激しく、いつ何が起こるかわからない状況だったのもあって、みなさん、水の配布にとても頻繁に足を運んでいて、安全性の高い水の必要性を感じていました」

 

子どもの遊び場については、震災後、外で遊ぶ時間が制限され、公園への立ち入りが禁止されるなど、子どもが遊びたくても遊べない状況が続いていました。そのなかで、遊び場をつくることで子どもたちがはしゃいでいる様子を見たり、保護者から感謝の言葉をかけられたり、やりがいを感じる場面があったそう。それでも、佐藤さんは当時の自分を思い返して、「仕事ができなくて悔しかった」と正直な気持ちを話します。

 

右腕時代①

屋内などで子どもの遊び場を作り、子どもたちと一緒に遊んだ。佐藤さんは後段の左から4番目

 

「仕事が難しかったんです」

 

妊婦と乳幼児への水の配布は、佐藤さんが活動に携わった約1年の後半になると、“日常化”が感じられるように。支援活動の大きな目的だった、次の段階を見据えながら地域の人たちが前向きな変化を起こせるようなアクションを実現することがなかなかできない。状況を変えられない自分に「力の底」を感じずにはいられなかった――。佐藤さんはそんな思いを抱いていたそうです。

 

「リーダーは大きな使命感を持って様々な支援事業を展開していました。だから、方法はいろいろあったはずなんです。でも実際は、常に新しい情報が飛び交うなかでスピーディに判断しながら、求められる結果を出すことは自分にとって容易ではありませんでした」

自分を追い込むなかで支えられた、「右腕」たちの存在

 

今でも覚えているのが、一人の女性の、少しずつ行動が変わっていく様子を間近に見ていたことでした。「自分はどうすればこの人の役に立てるだろう」。佐藤さんは「次につながるアクション」を探る日々を送っていました。

 

それでも、言葉だけではなく行動で、しかも仕事の域を超えて力になりたいと思う一方で、「実力不足を痛感しました」。どうすれば、自分の町を復興させたいと立ち上がった人のための仕事ができるのか――。考えても、「実行するのは本当に難しかった」。

 

右腕時代②

右腕時代に地元の人たちと交流する佐藤さん(右)

 

震災後、佐藤さんが支援に入った相馬市では、日々新しい活動が始まり、人の出入りも激しかったそう。「いつも新しく町に来た人と話していました」と佐藤さん。「人の動きが早かった」ことが当時の景色として印象に残っているといいます。

 

一方で、こんなふうに自分を追い込むなかで、「よかった」と思えたのは、佐藤さんと同じように、想いをもって東北の支援活動に参画した仲間たちの存在でした。右腕プログラムでは、定期的に右腕たちが集まる合宿を行っていました。

 

「仕事をしていると、発想も気持ちの余裕も詰まってくるんです。どうすればいいかわからなくなったり、うまくいかなくなってきたり。でも、右腕のメンバーたちと会うと、『みんなも自分と同じなんだ』と気づくことができて、気持ちがラクになりました。右腕のみんなとは今でも連絡を取り合っているし、出会えてよかったと思っています」

今の福島には「課題解決に至る満足な仕組みがあるわけではない」

 

右腕プログラムに参画するために会社を辞めた佐藤さんは、プログラム終了後、自分のやりたい方向性の仕事を開拓するためにNPO法人で働いた後、2020年、福島県で販売促進・コンサルティング業を展開する株式会社あきんどに入社。さらに、県内の食品メーカーに所属しながら、個人事業主としてNPO法人の伴走サポートをしています。

 

「右腕プログラムに参画したときは30代でした。まさに当たって砕けた経験になりましたが(笑)、活動終了後は非営利の仕事にすごく興味を持つようになりました。活動した1年の間に、非営利で働く方々とたくさん話をする機会があって、『課題解決のための仕事は自分に合っているかもしれない』と思えたくらい、大きな影響を受けました」

 

震災から12年経った今、思うことを聞くと、こう答えてくれました。

 

「現在、経済産業省の事業として、被災した地域を対象にした『なりわい再建支援事業』に携わっています。仕事を通して普段から支援について考えていますが、福島では特に水産業界が大きな被害を受けていて、逆境の状況が今も続いています。僕には、この課題を解決するための『新たな仕組みを作らなければ』という思いがあります」

 

なりわい再建支援を例に、現在の福島では、「まだ課題解決に至る満足な仕組みがあるわけではないと思う」とも。

 

「経産省の仕事も、2025年に予算がなくなる予定です。それまで時間がない。『このペースのまま進めていいのだろうか』と葛藤があります。福島ではいろいろな事業が立ち上がるものの、成果を出すまでの期限が迫られるなかで、『盤石な仕組みができているのか』と問われると、『そうは思えない』というのが正直な気持ちです」

震災後、苦労を乗り越えてきた事業者たちの環境を整えていきたい

 

福島の課題を、本質的な解決へと導く仕組みづくり。佐藤さんは、右腕プログラムに参画して以降、この問いに取り組むことを仕事としてきました。現在、勤務する株式会社あきんどでは、コーディネーター・営業メンバーとして、事業者の可能性を引き出す仕事を担っています。

 

例えば、原発事故によって起きた水産物の風評被害。なんとか信頼を取り戻そうと、福島では震災から年数をかけて「安心」「安全」をPRする動きが活発でした。それに対し、佐藤さんが着目したのは、スーパーの「陳列棚(たな)」でした。

 

「商品が売れなくなると、食品流通業ではよく『たなを取られた』といいます。つまり、自分たちの“たな”が、他の商品に取られている場合がほとんどなんです。僕は、風評被害を乗り越えるには、この“たな”がカギになるんじゃないかと思っていました」

 

風評被害に不安を抱いて福島の水産物を買わない一部の消費者ではなく、それ以外の人に向けた売り方を考える。とにかく、スーパーの陳列棚に商品を並べることに専念する。佐藤さんは、そう思考を変えて、行動を起こす準備を整えていきました。

 

最初の頃は、自身の考えをなかなか言語化できなかったものの、経験値が上がるにつれて、スーパーの陳列棚を確保するための戦略を成果に結びつけられるようになったそうです。

 

「福島の事業者は、震災以降、風評被害をはじめ未来への障壁を乗り越えようと苦労を重ねています。僕は、そういった事業者さんが仕事をしやすいように、まわりの環境を整えていきたい。これからも知恵を絞っていきたいです」

 

***

 

「右腕プログラム」の関連記事はこちら

>> 「なぜ今、企業がNPOのリーダーシップに注目するのか?」グローバル・ビジネスリーダーとNPOリーダーの対話から

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>> 東北のリーダー・右腕が語る「地域の資源を生かして、新しい商品・サービスを生み出す仕事」(前編)

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この記事を書いたユーザー
たかなし まき

たかなし まき

1971年愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科卒業後、地元の企業に就職。その後上京し、業界新聞社、編集プロダクション、美容出版社を経てフリーランスへ。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。

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