ローカル起業家が地方での起業に至るまでの経緯やその始め方に着目し、紐解いていく「ローカルキャリアの始め方」。第3回となる今回は、熱海でまちづくりに取り組む市来広一郎さん(特定非営利活動法人atamista代表理事、株式会社machimori代表取締役)にスポットを当てたいと思います。
団体旅行の定番として賑わっていたかつての熱海ですが、バブル崩壊後は旅行スタイルの変化等もあり、1990年代には衰退の一途をたどりました。そんな熱海ですが、近年若い世代の移住も活発になり、少しずつ街にも変化が生まれています。その仕掛人の1人が、今回ご紹介する市来さんです。
市来さんは2007年に勤めていた大手の外資系IT企業を退職し、熱海へUターン。当初は別の仕事をしながらまちづくりに関わっていました。都市でのプライベートセクターへの就労(D)からキャリアをスタートして、地方に拠点を移し(C1)、次第にまちづくりの活動に関わりながら(B1)、NPO法人や株式会社を設立して体制を整え(A)、ローカル起業家としての実績を積んできたというケースです。
そんな市来さんが、熱海の多彩な魅力を体験できるイベント「熱海温泉玉手箱(オンたま)」の実施や、空き家を改装したカフェやゲストハウスのオープン、創業支援プログラムの運営等に取り組み、次第に体制や事業内容を固めていくまでのストーリーに迫ります。
満員電車ってなんなんだろう―バックパッカー経験から感じた疑問
熱海に目が向いたのは、実は大学時代にはまったバックパック旅行がきっかけの1つ。ヨーロッパを旅して日本に帰って来たとき、ふと「満員電車ってなんなんだろう」という思いが頭をかすめます。ヨーロッパで感じた生活のゆとりが東京にはない。同時期に実家の保養所が閉鎖となったこともあり、ストレスも多い都市とさびれていく地方、それぞれが抱える問題になんとなく関心をもつようになりました。
また、外から熱海を見る中で街の見方も変わってきたといいます。
「まず大学で東京に出たときに、単純に『みんな熱海のこと知ってるんだ』っていう印象を受けたんですよ。そうか、そんな有名な街だったのか、みたいな。熱海出身だと言うと、みんな何かしら反応してくれるのがうれしくて、自分のよりどころみたいな感覚はありましたね」
更にバックパック旅行で世界の様々な地域を見る中で、熱海のポテンシャルにも気付きます。入社前の3ヶ月は、タイから陸路でインド・トルコ・東ヨーロッパ等19ヶ国を巡った市来さん。中でも「アドリア海の真珠」と称されるクロアチアのドブロブニクには、熱海の景色が重なりました。
「ここって実は熱海とあんまり変わらないんじゃないか?熱海だって海も温泉もある。全然いけるじゃん!これだけの資源があって、これだけの立地でなんで衰退してるんだ?」
そんな思いも、市来さんを熱海に向かわせた1つでした。
そしてバックパッカーとして途上国の暮らしを見てきた経験からは、楽観的なマインドも育まれます。
「1年やって先がなんにも見えなかったら、やめて東京に戻ればいい。失敗しても、またチャレンジすればいい。大学だって出てるんだし、日本の中でそこまで底辺になることはないだろう」
そんな風に思えたことが、人生のターニングポイントとなる決断につながりました。
原点にあったのは、父のスピーチとどん底の熱海の景色
市来さんの実家は、祖父母の代から熱海で保養所の管理人をしていましたが、市来さんが20歳のときに閉鎖となってしまいます。熱海を離れざるを得なくなった一家のために、地域の人が開催してくれた送別会でのお父さんのスピーチが忘れられないそうです。
市来さんのお父さんは、営業マンとしてもっと会社でやっていきたいという思いもあったものの、市来さんの母方の祖父母の定年を機に不本意ながらも保養所の管理を引き継ぎました。起業の失敗もあり、いずれは東京での再起を期して一旦は熱海に……という考えだったようですが、熱海に来て2年程で待望の長男が誕生します。それが市来さんでした。
「長年子どもに恵まれなかったので、僕が生まれたときに、自分の人生じゃなくて子どものために生きようって思ったらしいんです。だからこの熱海にい続けようと。ここに来なかったら自分は生まれなかったかもしれないんだなっていうのもあって、より熱海という場に対しての意識や愛着が強まったし、ちょうど熱海を離れるタイミングでこの話を聞いたのは、僕にとっては結構大きなことでした」
しかしその後も衰退は止まらず、旅館もホテルも次々と潰れ、更地になっていきました。就職直後の2003年に見た、真っ暗な熱海の景色は市来さんにとって強烈な原風景となっています。
「隣で友人がぼそっとつぶやいた、『熱海って廃墟だね』っていう言葉が未だに耳に残ってますね。『誰がこんな風にしたんだ』みたいな憤りの感覚が生まれたのはそのときが初めてかもしれない」
その後はリゾートマンションがどんどん建ち始めます。両親が横浜に移ってからも、ちょくちょく熱海には帰っていた市来さん。海外で街歩きの楽しさを知ったこともあり、旅する感覚で出会った、東京とは違う雰囲気の路地や喫茶店が好きでした。
「でもこのままだと、自分がいいと思っていた熱海は消えて、東京と変わらない風景になっていく。それがどうしても許せなかった。経済的に再生したいという思いはあるんだろうけど、『この街の雰囲気や文化を残したいって考えてる人間は他にいない、今じゃないとダメだ』と思ったんです。まあ、実際はいたんでしょうけどね(笑)」
会社勤めをしながら、週末の熱海通い
入社から3年半。コンサルタントという仕事のおもしろさがわかるようになってきた一方、自分の仕事で社会がよくなっているという実感はもてずにいました。そんな頃参加したのが、一新塾という社会変革を志す人材が集まる塾です。そこで熱海のまちづくりをテーマにプロジェクトを立ち上げ、2006年の5月頃から毎週末熱海に通い始めました。次第に熱海のことを考えすぎて仕事が手につかなくなり、週末だけでは埒が明かないと、その年の12月には会社を辞める意思を固めていました。
「親も上司も友達も、最初は止めるんです。まだ早い、会社でやってくこともできるだろうと。でも5分後には『いやでも、お前ずっと言ってたしな……まあいいんじゃない?』ってなる。高校生のときも毎日のように『熱海をなんとかしたい』って言ってたらしいので」
収入の見通しがあるわけではなかったのでそれなりに悩んだものの、背中を押したのは今の奥さんの言葉でした。
「『ウジウジ悩んでんじゃないわよ!帰りたきゃ帰りゃいいじゃん』って(笑)。当時は28歳で結婚もまだだったし、このタイミングを逃すと帰る機会がないかもなと思って」
とUターンを決意したのでした。
最初の3年間はバイトで食いつなぐ
当初は起業以外の選択肢も模索していました。ですが熱海でまちづくりに取り組むNPO等を探すも、スタッフの募集は見当たりません。とは言え観光協会もしっくりこない……「やっぱり自分でやるしかないんだろうな」ということで起業に至るわけですが、熱海に戻ってからの3年間は塾講師等のアルバイトで食いつないでいたそうです。
塾講師を選んだのは、ズバリ割がよかったから。週に10数時間程度夜だけ働き、それ以外は自分がやりたいことに時間を注ぐことができます。途中からはまちづくり関係の仕事をもらうようにもなり、バイトの時間はだんだん減らしていきました。当初は稼ぐ仕事とやりたいことを分け、徐々にやりたいことで稼げるようにシフトしていったのです。
Uターン直後は、塾講師をしながら「あたみナビ」というWEBサイトの取材を1年程行っていました。
「地元出身とは言え、街のことを全然知らなかったんですよね。だからこそ知りたいって思ったし、おもしろい人がいるんじゃないかと思った」
当時は熱海に関する情報と言えば決まりきった観光の情報しか見当たらず、もっと暮らしや農業も含めた多様な熱海を発信していきたいという思いもありました。この「あたみナビ」の取材を通して出会ったのが、地元の小学生に農業体験をさせるといった活動をしていた山本進さんです。この出会いが、次のステップにつながります。
「チーム里庭」の立ち上げ、そして「熱海温泉玉手箱(オンたま)」へ
市来さんは「あたみナビ」と同時並行でまちづくりに関する研究会にも関わっていましたが、Uターン後わずか1ヶ月で空中分解。これからの方向性に悩んでいたところで思い出したのが山本さんの存在でした。
「実は南熱海の方には畑もあるんです。外から来た人達は「いいですね!」という反応なのに、地元の人は「えっ何がいいの?あんな田舎で」という感覚。そこに大きなギャップがあることに気付いたんです。『地元の人が気づかないところを求めてる人達もいるんじゃないの?』ということで、山本さんに相談したことがきっかけで立ち上がったのが、『チーム里庭』です」
「チーム里庭」では、様々な農業体験のイベントを実施しました。参加者は別荘の所有者や移住者が中心で、体験自体の満足度は非常に高かったものの、彼らと話してみると驚くほど熱海のことを知りませんでした。この人達に向けて、東京とは違う熱海ならではのものやサービスを提供していくことが、熱海を変えていくことにつながる。里庭での活動を通じて、次第に顧客像が見えてきました。
そこで市来さんが次に仕掛けたのが「熱海温泉玉手箱(オンたま)」です。「オンたま」とは、地域資源を活かした小規模の体験交流型イベントを短期間で集中的に開催する、大分県別府温泉発祥の「オンパク(湯温泉泊覧会)」の手法を活用したイベントです。元々、一新塾での最終プレゼンで発表した内容がオンパクと近いものでした。当時の審査員に「きみ温泉地の再生しようとしてんのに別府のオンパクも知らないの?」と言われ、すぐ別府に飛びオンパクを体験してみたそうです。
「最初は、何十もの体験ツアーの企画と運営なんてできるのかな?実際にやろうと思うと手が出せないなって感じでした。でも『里庭』で農業体験のイベントを何回かやったときに『あ、これだ』って思ったんですよね。やってるじゃんって」
折しも市長や観光協会長が変わり、新たな観光戦略が練られる中で、市や観光協会でもオンパクを熱海でという動きが出てきていました。しかしそこは手探り状態。オンパクについて十分に理解している人材は多くありませんでした。
そこで市来さんは関係者向けにオンパクの勉強会を開催します。半ば一方的にメールを送り付けたような形でしたが、予想以上の反響がありました。「里庭」をサポートしてくれていた行政マンが観光戦略室長に就いたこともあり、市や観光協会と協働で「オンたま」を進めることができたといいます。
「オンたま」の開催を通じて、何も起こりそうにない町が、何かが起こりそうな町に変わっていきました。地元の人も含めた参加者が熱海の強烈なファンになっていっただけではなく、地域内の新しいプレイヤーの発掘にもつながったのです。熱海の街が変わり始めました。
「稼げる」モデルづくりを目指して
とは言え、「里庭」や「オンたま」の企画運営は収益を生み出す事業にはなりませんでした。
「最初はビジネスというか、お金のことをあまり考えていなかったところがありますね。お金よりも人を巻き込みたいっていうのがまずあった。特に、熱海で事業を起こして新しいサービスや商品を生み出したり、社会課題の解決みたいなことを事業化したり、そういう人達を生み出していきたいっていう意識がずっとあったんです。
そういう意味だと、『オンたま』でそれは実現できなかった。体験のコンテンツを作って提供するだけではそこまでいかない。もっと違うことをやらなきゃとは思うけど、資本を集めて投資回収して……というのもよくわからない。どんな事業がいいのか思い浮かばず、やることを模索していました」
まちづくりや観光は、最終的に民間に利益が出るもの。だからこそ、どうにかして稼ぐということを考えていかなければならない。そんな中で出会ったのがリノベーションという分野でした。
きっかけは、中心市街地活性化について考える熱海市の会議に参加したこと。オンたまに取り組んでいた市来さんにも声がかかったのです。その会議に専門家として参加していた都市再生プロデューサー・清水義次さんが紹介してくれたのが、不動産を活用したリノベーションまちづくりの手法でした。
「『これだ!』って思ったんですよね。直観的に。ずっと悩み続けてきたモヤモヤが、霧が晴れたような感じで。
僕が以前やってた仕事は、企業の業務や組織風土の改革でした。いきなり意識を変えようと思ってもできないので、まずはワークスタイルやハード面を変えることで人の行動を変える、それによって意識を変えるっていう順番で考えてたんですよね。今僕らがやってるリノベーションまちづくりも、まさにそれなんです」
不動産は未知の分野でしたが、「エリアイノベーターズ養成ブートキャンプ」等に参加して1から勉強し、2011年10月にまちづくり会社・株式会社machimoriを設立しました。machimoriは、遊休不動産を活用してエリア再生を行う家守(やもり)事業等を手掛けています。熱海銀座に面する「CAFE RoCA(現在「シェア店舗RoCA」)」や「ゲストハウスMARUYA」、「コワーキングスペースnaedoco(ナエドコ)」といった事例も生まれました。
「machimoriを設立したのは、NPOだけでは稼げる感じがしなかったから。自分達が稼げてなくて何もできてなかったら、人の支援もできないなと思って。まずは自分たちがモデルになることを目指してやっています」
2016年からは、熱海で起業・創業したい人のための4ヵ月間の創業支援プログラム「99℃〜Startup Program for ATAMI 2030〜」など、当初からやりたかった創業支援にも取り組めるようになってきました。行政からの委託事業という形でこれ自体が稼げる事業になっているわけではありませんが、まだまだ課題の山積した熱海でプレイヤーを増やすことに着実に貢献しています。
100年後も豊かな暮らしをつくる
まずは目の前のことに取り組むことが、意図せずして次のステップを切り拓くきっかけとなってきた市来さんのローカルキャリア。今後の数年間は、中心市街地の20~30代の人口を1割程度(約300人)増やしていくことや、住環境の改善を目指しているそうです。それと同時に、machimoriのようなまちづくり会社や地域の課題解決を担うような事業者を100社増やすという、野心的な目標も掲げています。
「自分で商売をやることも大事ですが、起業家1人1人と向き合って支援をすることも大事だなと思っています。NPOとmachimoriの売上が合わせて1億くらいなので、そのくらいの規模の会社がたくさんできてほしい。まずは僕らが熱海で稼ぐモデルになって、いずれは全体で100億くらいの産業を熱海に生み出せたら、なんてことを考えてます」
熱海に昭和のまま時を止めたような魅力的な街並みが残っているのは、個人事業主が多い街だということの表れでもあります。だからこそ、街の人達の地域に対する意識も高いのです。そんな街だからこそ、次の世代の新たな起業家達が根付く土壌もあるのかもしれません。地域に根差した人や事業を育て、100年後も豊かな暮らしができるまちをつくるために、市来さんの挑戦は続きます。
この特集の他の記事はこちら
>> ローカルキャリアの始め方。地域で起業した経緯と始め方をクローズアップ!
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