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得意持ち込み型移住でナリワイをつくる。若手移住者が集う、人口1,500人の徳島県で一番小さな町

2017.04.17 

若手移住者が集う、徳島県上勝町。誰しも一度は耳にしたことがある「阿波踊り」が有名な徳島駅から、車で約1時間の場所にその小さな町はあります。もしかしたら、お年寄りが手慣れたようすでデバイスを操作する「葉っぱビジネス」の生まれた場所として、ご存知の方もいるかもしれません。

海や川に囲まれた徳島駅周辺とはうって変わり、山深い“中山間地域”と呼ばれる上勝町。人口は約1,500人ほどで、誰もが顔見知り。親子ほど年の離れた関係でも、町民同士は全員あだ名で呼び合うのだとか(なんと、町長でさえ!)。

このような地域全体が一つの大家族のような小さな町に、なぜ若手移住者が集いはじめているのでしょうか?

町に足を運び、若手移住者の方々にお話をうかがうことで見えてきた上勝町の魅力の秘密をお伝えします。

上勝1

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日本の辺境。けれど、世界では最先端

実は上勝町には、他の日本の地域とは違う、世界的には最前線のとある暮らしがあります。それは、「ゼロ・ウェイスト」というあり方です。

 

オーストラリア、ニュージーランドなど世界中で広まるこの運動は、いわゆる「ごみゼロ」といった生活する中で生まれたごみを焼却や埋め立てといった方法で処理しようという類のものではなく、そもそも「ごみを出さない」暮らしを作っていくものです。

 

町でのごみの分別は、資源化できる物は素材ごとに分けられ、13品目45種類もの数で分別がなされています。不要になったけれどまだまだ使えるものは、町のリユースショップ「くるくるショップ」に持ち込まれ、きれいに磨かれて次の持ち主の手に渡っていきます。こちらでは、月平均830kgものリユースを生んでいるのだとか。また、不要になった布や綿などは、町のおばあちゃんたち、作家さんが昔ながらの知恵を生かしてリメイク。こちらも、「くるくる工房」と呼ばれる町の販売所で売られています。

くるくる工房の店内

くるくる工房の店内

バックや帽子にリメイク

バックや帽子にリメイク

そんな「ゼロ・ウェイスト」を町で推進する「NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー」という団体の事務局長を務めるのは、20代の東輝実さん。

 

町で生まれ育ち、関西の大学に進学したのちUターンしました。「上勝町を五感で感じる」をコンセプトに、夫婦でCafe polestar も営んでいます。

 

東さんがこの町を愛する気持ちの源泉には、どのようなストーリーが眠っているのでしょうか?

「世界に誇れる町」という実感が、人口減の危機に瀕した町を残したいと動く原動力に

「NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー」事務局長・東輝実さん。くるくる工房内にて、名物の鯉のぼりのリメイク作品を羽織って。

「NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー」事務局長・東輝実さん。くるくる工房内にて、名物の鯉のぼりのリメイク作品を羽織って。

「こんなに細かなごみの分別も、今では町民にとっては日常で、何も考えずにただ当たり前として受け入れられています。それは素晴らしいことですが、この文化を守り続けるためには、“なんとなくの当たり前”から町民自らが主体となってこれからのゼロ・ウェイストを考えていく必要があると考えていて」

 

「ゼロ・ウェイスト」と町の未来についてそう語る東さんのお母さまは、実は上勝町の町役場でこの運動を育て上げたうちの1人でもあります。

 

2003年の日本で、上勝町による「ゼロ・ウェイスト」宣言は、国内初のことでした。それまでの町の焼却場(“大きな一つの穴”に全てを放り込んでいたそうです)の使用停止に直面し、新たな暮らしのあり方を作り直さなければいけない状況に追い込まれたとき、未来の町の子どもたちのためにと願いを込めて選択したのがこの「ゼロ・ウェイスト」というあり方でした。

 

大人たちが危機に直面した町を未来に残そうと、真剣に動き出した姿を間近で見て育った東さん。環境問題への意識は自然と育っていきましたが、中学3年生のときのある体験が、東さんにこの町を残していく力となる決意を固めさせます。

 

「とあるテレビ局の企画で、アジア6か国のメンバーで環境問題についてディスカッションをする番組に出演させていただいたことがあるんです。当時は英語もほとんどしゃべれず、他のメンバーとのコミュニケーションも上手にできず……。

そんな状態で上勝町のプレゼンテーションに挑んだのですが、上勝町の取り組みを紹介したら、皆が心からこの活動に価値を感じたと表現してくれて。町に絶対に視察に行きたいという熱意ある声ももらって、これは本当に町の力だなと、心から自分の町を誇らしく感じたんです。上勝町の皆で育ててきた『ゼロ・ウェイスト』という文化の価値を、身をもって感じた経験でした」

 

その後、上勝町に戻るつもりで環境問題を学ぶために大学進学した東さん。

 

上勝に帰郷するにあたって新しい挑戦をすべく、仲間と共に「上勝町で2週間楽しく過ごすには?」というコンセプトのもと、上勝町での暮らしを豊かにするサービスの提供、上勝町と世界の繋ぎ役を担う合同会社RDND(アール・デ・ナイデ)を設立しました。

大学卒業後、Uターン。上勝町と世界を繋ぐカフェを夫婦で経営

2012年の団体設立からCafe polestarを営んできた東さん。お店のコンセプトである「五感」が刺激されるようなその空間は、深い緑に囲まれて自然光がたっぷりと入る、自然と呼吸が深くなるような場所でした。

ポールスター1

ポールスター2

「NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー」事務局長・東輝実さん

老若男女が集い、町民同士の会話が生まれる場所に育ってきたCafe polestar。東さんはこの場所を大切に感じつつも、オープンから数年間での町の変化の速さに危機感を募らせていったそうです。

 

「小さなころから親しんできた風景が、どんどん変わっていくんです。バス停が雑草に埋もれ、お店が閉まり、人も減っていく。その中で、自ら選んだあり方でしたが、カフェの一経営者という町にとって“点”の存在であるだけで、果たして上勝町を守れるのか? と自問するようになりました」

 

その後、前事務局長の退任のタイミングで、「NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー」の事務局長に就任することを東さんは決心されたそうです。

いわゆるフツーのサラリーマンはいない? 個性あふれる“セミプロ”の町

上勝町で育ち町を深く愛する若者がいる一方で、上勝町には他所からの移住者や祖父母が上勝町出身の孫ターン者も増え続けています。果たしてこの土地が人を惹きつける理由は、「ゼロ・ウェイスト」だけなのでしょうか?

 

孫ターンとして上勝町に移住し、「葉っぱビジネス」を仕掛ける株式会社いろどりで働く谷健太さんは、こんなことを教えてくれました。

くるくる工房にて。谷さんと東さんで移住対談をしていただきました

くるくる工房にて。谷さんと東さんで移住対談をしていただきました

「人が人を引っ張っているような気がします。上勝町には個性的でユニークな町民たちばかり。隠し芸・一芸を持っていたりと、いわゆるフツーのサラリーマンタイプはいないんですね。

 

“セミプロの町”みたいなもので、それぞれが得意なことをして生きているから、何かをしたいときにシーンごとにすぐその人の顔が浮かんでくるんです。美味しいディナーを食べたいならあの人、このことを知りたいならあの人というように。 そもそも町民数が少なかったので、自分たちでやっていこうという姿勢があるのだと思います。皆が主体者の町と言えるかもしれません」

 

そんな個性あふれる町民たちに惹かれて、移住を決めた方も多いのだそう。

 

TV番組の取材にきたカメラマンの方が、気づけばその日の晩の居酒屋で移住を決めていたという珍事件もあったそうです(現在は上勝町で「株式会社上勝開拓団」という会社を立ち上げ、映像、イベントの企画制作、バーテンダー、畑などをされているそう)。

 

また、「NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー」理事長の坂野晶さんは、それまでフィリピンで働いていたこともある国際的なキャリアをお持ちの方だそうですが、縁もゆかりもなかった上勝町へ移住を決めています。その決め手こそ、「上勝町に一緒に仕事をしたい人がいたから」。

 

谷さんは続けて、このように語ります。

 

「僕自身も、東さんの夫の卓也さんがいなかったら移住してこなかったと思います。卓也さんは、東さんがいなければ移住してこなかったでしょうし。そうやって、人が人を磁石のように引っ張っていく土地なのかもしれません」

対談1

誰のために何のために働いているのか実感できる場所で、ナリワイに挑戦する

そうして上勝町へ移住した方の中には、自分の得意を生かしたスモールビジネスを始める人も多いのだそう。それはいったい、どうしてなのでしょうか?

 

「ここだったら自分も何かできるかもと、思える町なんだと思います。何かをやろうとしたときに、『やってみやってみ』と言ってくれる町民がいて、一緒にやってくれる人がいる。そうして誰かが一歩踏み込んで、それを見た他の誰かも踏み込んで、チャレンジがチャレンジを生んでいって。

そうやって、『挑戦して大丈夫じゃないか』という良い意味での“勘違い”が重なって、気がついたら本当に形になっていたということがたくさん起こっているのが、今の上勝町です。僕らとしては、今だとまだ“勘違い”レベルの上勝町での挑戦への信頼を、これから“確信”に変えていきたい。上勝町を若手移住者のスモールビジネスの挑戦の舞台に育てていきたいんです。

ただ前提として、営利だけを目的としたビジネスは上勝町では浮くかもしれません。『挑戦の応援』の裏を返せば、すごく人となりを見る町なんです。『この人を助けてあげたい』が町民の原動力なので」

谷さん2

谷さんご自身も、徳島県の大手銀行員という“いわゆる”安定していると言われるキャリアを手放しての移住でした。その経歴から、よくなぜ移住したのか問われることが多いそうです。けれど、谷さんにとっては自分の能力を「お金を稼ぐため」ではなく、「誰かや何かの役に立つため」に生かすことが大切でした。

 

そんな働き方をすること、自分が力を発揮したことで喜ぶ「誰か」の顔が見える土地で生きること……。それが、谷さんにとって町自体が大家族のような上勝町に移住することにした決め手だったそうです。

オススメは、本気の「得意持ち込み型移住」

「正直、スローライフのスの字もないですね(笑)。都会では仕事とライフが分かれますが、上勝町では働くことと暮らしが一緒で、とにかく忙しい。人もいないから分業ではないので、仕事ではここまで自分がやるのかと正直驚いたりもします」

 

移住の実感をそう語る谷さん。確かに、この町では本気の移住者が求められているようです。

 

町で地元野菜をふんだんに使ったイタリアンレストラン「ペルトナーレ」を営む表原 平さんも、そんな本気若手移住者のお一人。

 

奥田政行シェフが営む、山形県庄内地方の食材をふんだんに使った有名イタリアン「アルケッチャーノ」に入社し、東京スカイツリー店の立ち上げに携わった後、アルケッチャーノプロデュースの淡路島野島スコーラで2年間従事、上勝町で独立されました。

山の中腹にある古民家が、ペルトナーレ

山の中腹にある古民家が、ペルトナーレ

正面

 「僕は町づくりの一環でレストランを開いているわけではないんです。料理で本気の勝負をしたくて、この町で開業しました。だからこそ、町にはもっとレストランができて切磋琢磨し合えればればいいと思っているし、移住者には、ヤケドしそうなくらい熱い人に来てもらいたい(笑)。

小さな町なので、自分にしかつくれない仕事をつくれる人がいいのだろうと思います。得意なものを持って、移住してきて欲しいですね。逆に言えば、それがないとこの人口が限られた土地では難しいかもしれません」

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新鮮な上勝町の野菜と、季節のベリーに生ハムのサラダ! 本当にきれいで、美味しかったです

新鮮な上勝町の野菜と、季節のベリーに生ハムのサラダ! 本当にきれいで、美味しかったです

>>ペルトナーレでは現在、サービス担当スタッフやアシスタントシェフを募集しています。詳しくはこちらから。

全員がときどきリーダーの町、上勝町

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「ゼロ・ウェイスト」に、「葉っぱビジネス」に、「町民みなセミプロ」に、「ナリワイが生まれる場所」。これらのキーワードから見えてくる上勝町とは、「全員がときどきリーダーの町」なのではないでしょうか。

 

東さん、谷さんも、「上勝町は絶対的なリーダーがいない町だ」と語ります。逆に、この町をまとめようとするならばリーダーを立てないことが大事だとも。年の離れた町民同士でも、移住者であってもあだ名で呼び合い、それぞれが町でリーダーの瞬間がある。そんな上勝町で、得意を生かしてみたい若者たち、ぜひ実際に上勝町へ足を運んでみてください。

上勝町を好きな人、上勝町と出会える場所を残していくこと

お二人

最後に、「NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー」事務局長の東さんの町への思いをご紹介します。

 

「上勝町って何なのだろうと、ずっと考えていたんです。例えば豊かな自然や優しい人たちは、どこの土地にでもあるものかもしれません。では、上勝という名前の実態がなくなると、上勝はなくなるのでしょうか? 上勝町をどうしても残したい自分にとって、葛藤が続きました。

でもある日、雑誌を読んでいて「モーツァルトの通ったカフェ」という特集と出会ったんです。そこでは、モーツァルトはもう死んでいるのに、彼が通ったカフェでモーツァルトと出会う人々の姿が語られていました。上勝町も、カフェで上勝のものを食べたり、上勝の人と出会えたりすることで、人々はずっと上勝町と出会えるようになるのかもしれない。それが、上勝を残していくということなのかもしれない、と。

それまで、自治体としてどうしても残すんだと意固地になっていた自分がいました。でもこの気づきで、ふっとその固さが消えていって。これから私は、上勝のことを好きな人をつくっていきます。上勝と出会える場所も。そうすることが、上勝町を残していくことなのだと思うようになりました」

 

この記事を書いたユーザー
桐田理恵

桐田理恵

1986年生まれ、茨城県育ち。医学書専門出版社にて企画・編集職の経験を経てから、2015年よりDRIVE編集部の担当としてNPO法人ETIC.に参画。2017年からはフリーランスのライターとして活動している。

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