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好きなことで起業した「結果」が町の未来を切り拓く 〜震災から1年、北海道厚真町ローカルベンチャースクールのいま

2019.10.01 

「震災直後に外部の人を受け入れていいものかと、ローカルベンチャースクールの募集の中止を一度は決めたんです。けれど、ローカルベンチャースクールを通してこれまで移住してくれた人たちは変わらず厚真町で真剣に取り組みを進めてくれていて、震災後に町を出て行く人は1人もいませんでした。そして何よりも、彼らが幸せそうに暮らしているという実感がありました」

 

そう語るのは、厚真町役場産業経済課の宮 久史さん。厚真町で2016年から始められた移住起業支援「ローカルベンチャースクール(以下、LVS)」の役場担当者です。

2020年へ向け、4年目を迎えるLVSの募集を今年も開始しています。2018年厚真町を襲った北海道胆振(いぶり)東部地震を経てもなお、一層力強く歩みを進める厚真町LVSの今をお届けします。

地域の社会課題解決なくして、真の復興はない

地方における、基本的かつ共通の課題「雇用の減少・過疎化」。いかに町の機能を維持するのか、産業の後継者不足をどうするのかという課題に対し、「ローカルべンチャー育成」という取り組みを通して自分と地域の可能性を信じる人と共に前に進んでいこうと生み出されたのがLVSです。

 

1 起業を目指す人(地域おこし協力隊等)

2 新規就農を目指す人(地域おこし協力隊等)

3 企業に所属したまま厚真町で活躍を目指す人(地域おこし企業人)

 

これらいずれかの目的でマッチングする応募者を集め、2泊3日の選考合宿、約1か月のブラッシュアップ期間、1泊2日の最終選考を経て厚真町での挑戦をスタートしてもらいます。

 

そんなLVSが始動して3年目の秋、月末の締め切りを目前にした2018年9月6日に、北海道胆振東部地震が厚真町を襲いました。町では震度7を記録、約3200haもの山林土砂災害が発生し、3,798棟(うち全壊908、大規模半壊231、半壊767、一部損壊1,892)もの家屋が損壊、4,600人の町で37人の町民が亡くなりました(2019年8月現在)。

取材は震災から1年を目前にした9月1日のこと。住宅のないエリアではまだ生々しい爪痕が残っていました

取材は震災から1年を目前にした9月1日のこと。住宅のないエリアではまだ生々しい爪痕が残っていました

震災後、厚真町には町が参画するローカルベンチャー協議会メンバー有志が応援のために集い、2日間にわたり復興のための勉強会・個別相談会が行われました。その日を振り返って宮さんは、「LVS継続の大事なきっかけをいただいた」と語ります。

中央が厚真町役場産業経済課の宮 久史さん。厚真町の現在の様子を案内してくださいました

中央が厚真町役場産業経済課の宮 久史さん。厚真町の現在の様子を案内してくださいました

「応援に来てくれたメンバーの1人である宮城県気仙沼市 震災復興・企画部 部長の小野寺憲一さんからは、『地域の社会課題解決なくして、真の復興はない』と言われました。岩手県釜石市オープンシティ推進室 室長の石井重成さんからも、続けて『復興には旗印が必要』という言葉をもらい、今まで以上に地域課題に真剣に取り組んでいくそのことが復興になるのだと、復旧と今後の厚真町を考えることは同時に進めてよいのだと思えるようになったんです」

 

それから町は、HPではすでに中止を告知していたLVSの募集を再開。被災した今だからこそ、真面目に隠さずに町の現状を伝えたうえで門戸は閉ざさず、それでも来たいと言ってくれる人たちと一緒にこれからの厚真町をつくっていきたいと考えるようになったといいます。

「どうせなら自分の好きなこと、やりたいことで起業しに来ませんか?」

厚真町LVSでは、2017年度には3人、18年度3人、19年度4人のチャレンジする仲間を町に迎え入れてきました。厚真町でLVSが生まれたそもそものきっかけは、当時役場で林業部門の担当をしていた宮さんが岡山県西粟倉村における林業再興の立役者・牧大介さん(関連記事はこちら)に話を伺いにいったことがきっかけだったといいます。

 

宮さんはそれまで町の資源である林業を持続可能にすることで町の持続可能性を高めようと考えていたそうなのですが、西粟倉村ですでに始まっていたLVSの取り組み、「人」を通して村を元気にしていくという在り方に驚かされ、厚真町でも「人」を起点にした地方創生に取り組みたいと、牧さんと西粟倉村のLVS運営を担うエーゼロ株式会社に相談し、厚真町役場の内部での議論を重ねてLVSの創出を実現させました。

2019年度の厚真町 LVSの皆さん

2019年度の厚真町 LVSの皆さん

現在その企画・運営を担うのは、西粟倉村のエーゼロを親会社として設立されたエーゼロ厚真の花屋雅貴さんです(花屋さんは元ゲームプログラマーで、エコゲームをつくることになった経緯で牧さんと出会ったのだそう!)。花屋さんは、厚真町LVS の特徴についてこう語ります。

エーゼロ厚真の花屋雅貴さん

エーゼロ厚真 取締役の花屋雅貴さん

「厚真町からの起業に関する提案は、どうせならば自分の好きなこと、やりたいことで起業しに来ませんか? ということです。地域おこし協力隊制度で経済的リスクを軽減しながら、稼いだ分も所得にしていける仕組みです。とはいえ、協力隊としてはやりたいことをやれたとして、その後に地域で起業は本当にできるのか、どうやって事業プランを考えればいいだろうか、そんなことを考えると思うのですが、そこもサポートしていくのが厚真町LVSの特徴です」

 

起業というのは、都会か地方かに関わらず考えることは一緒だと語る花屋さん。商品(売り物)は何なのか、いくらで売るのか/いくつ売れるのか、いくらで作れるのか……これらを繰り返せば事業計画はできると語ります。

 

「地域の課題解決は『商品が売れた結果』です。課題解決を理由に多くのお客さんは商品を選びませんが、一方で自分が選んだ商品が課題解決に繋がることには喜びを感じます。事業のことを聞く際には集客→購入→囲い込み→クチコミといった流れで全体像をとらえつつ、シンプルな問いで整理し直して、次の一手を一緒に考えていきます」

 

また、都会での起業と地方地域での起業を比較して、リソースがたくさんあるからこそスピード勝負になるのが都会であり、リソースが少ないからこそ自分で作って勝負をしていくのが地域。より広い範囲で知られる必要があるのが都会で、狭い範囲で知られていれば成り立つのが地域だと語ります。

 

「地域では新しい商売は話題になりやすいですから、その地域の多くの人に知られるチャンスがあります。さらにそれが良いものであればSNSで拡散されて、地域外からも知られる存在となる。地域で勝負を始めても大きく育てることが今の時代ならできることなんです」

 

一方で、移住での起業となると果たして地域のコミュニティに入り込めるのか不安になったり、狭くて濃い地域の人間関係に尻込みしたりしてしまう方も多いのではないでしょうか。

 

そこでエーゼロ厚真では、移住者と地域との橋渡しをしたいと考え、地域外と地域内の両方に軸足を置き、役場と協力しながら移住者と地域を繋ぐ役割を担おうとしています。「最後は自分自身でコミュニティの中に入ってもらうしかないのですが」と花屋さんは加えますが、それでもそうした存在が地域にいることは大きな助けになるはずです。

 

「とはいえ、最終的には成功が保証されているわけでもなく、誰かが代わりにやってくれるものでもない選択肢です。でも、自分でやるしかないからこそ経験になると思います。やってみようかな、自分にも何かできるかなと思われた方には、ぜひエーゼロ厚真に皆さんの挑戦を応援させて欲しいです」

 

これをやってみたいという気持ち、自分の力を信じる気持ち、自分の人生を自分で選ぶ気持ち――それらの気持ちから始まるひとつひとつの挑戦の集合が、町の未来への挑戦だと花屋さんは語ります。

厚真町で夢を見たいという人を責任持って育てていく、全力で応援していく覚悟

厚真町は、2014年から5年間連続で人口の社会増(転入と転出の差によって生じる人口の増加)を記録しています。震災直前の2018年7〜8月には人口が自然増に回復していた時期でもありました。

 

「町民には、チャレンジャーを受け入れて育てていくということが行政の役割だと受け入れられています。それが結果的に連続した社会増に繋がり、子育て環境に憧れて転入されている方々が居心地いい街だと言ってくださることにも繋がっているのだと思います」

 

そう語るのは、宮坂尚市朗町長。そして移住政策の始まりには、町が潰れる直前までに追い込まれてしまった過去があったと町長は続けます。

現在3期目となる、宮坂尚市朗町長

現在3期目となる、宮坂尚市朗町長

「厚真町では、昭和60(1985)年前後から移住者のために土地の分譲を始めています。当時国家プロジェクトとして工業基地の開発が行われていたのですが、それが立ち行かなくなり、工業基地に勤めることになる人たちのために準備していた住宅地を借金返済のために分譲したことが始まりでした。ありがたいことに完売し、やっと借金を全額返済できたときに『これが移住政策か』と自覚したというのが正直なところです」

 

以降も人口は減り続け、2008年に5,000人を切ったところから本格的に町外の人材を確保しないと町を維持できないという流れになったと語る町長。そこから子育て世代に向けての投資がスタート、次いで産業の担い手として若い人材を誘致しようと地域おこし協力隊制度の活用が始まりました。

 

地域おこし協力隊制度を運用し始めた当初は、行政側が任せたい仕事を用意するリクエスト型を採用していた厚真町ですが、現在は起業型に切り替わっています。その背景には、厚真町を含め近隣自治体のすべてがリクエスト型を採用していたのですが、そのうちの大半が結果的に人材と職務内容が合わず下積みを終えたら帰るしかないという終わり方を迎えていたことにあると語ります。

 

「このままでは人生をかけて厚真町にきてもらっている人たちに失礼になる……厚真町で夢を見たいという人を責任持って育てていこう、全力で応援しようと思い直し、自らのやりたいことで挑戦してもらう起業型に2016年から切り替えました」

 

そうして進めた起業型でしたが、公正性を保たねばならない行政としてのサポート体制に限界を感じていたときに出会ったのが、LVSの仕組みだったと言います。専門性を持った地域おこし協力隊の育成の仕組みや伴走者の必要性を痛感していたタイミングで巡り合ったエーゼロと厚真町は、必然性を持って繋がっていきました。

被災した今を町が注目されているチャンスだと捉えて、チャレンジして欲しい

震災を経た現在も、町のチャレンジャーは希望を持ち、町民たちも行政が移住者であるチャレンジャーに自分たちと同等に厚いサポートをすることを理解し受け入れていると町長は語ります。

 

「LVSを通して厚真町に移住してきてくださった方々は、家屋が倒壊してしまった方もいる中で誰一人厚真町を諦めた方がいませんでした。この結果は、厚真町が総がかりで彼らの挑戦をサポートしてきたことを受け止めてくれていたからなのだと感じています。また、まだまだ人数としては少ないですが、商工会の会員になってくださっているチャレンジャーの方もいらっしゃいます。4,600人しかいない厚真町では、5人という数字でも新しい起業家が名を連ねていることはとても心強いことです」

 

被災した今こそ、町が注目されるチャンスと捉えチャレンジャーには大きく飛躍していってもらいたいと続ける町長。行政の本気のサポートとエーゼロ厚真の専門性を持ったサポート、町民の受け入れ態勢のもと、挑戦できる土壌が厚真町には確かに存在します。

*

被災しても前に進んで、前よりも大きく一歩を踏み出す町の人たちがいる厚真町LVSで、共に挑戦していきたいと思った方はぜひこちらのページをご覧ください。たくさんの挑戦者と出会えることを、楽しみにしています!

 

 >>厚真町ローカルベンチャースクールエントリーはこちらから(締切は10月15日です!)。

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厚真町地域おこし協力隊
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桐田理恵

桐田理恵

1986年生まれ、茨城県育ち。医学書専門出版社にて企画・編集職の経験を経てから、2015年よりDRIVE編集部の担当としてNPO法人ETIC.に参画。2017年からはフリーランスのライターとして活動している。

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