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#経営・組織論

「待ったなし」で組織の変化に向き合う時…痛みからの始まり―自主経営で変わるETIC.のマネジメント【1】

2023.06.23 

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2021年5月、28年にわたってNPO法人ETIC.(エティック)の代表を務めていた宮城治男さんの退任に伴い、エティックは自主経営組織の実現に向けて大きく舵をきることになりました。

 

長らくあった組織のヒエラルキーを手放し、エティックのスタッフ一人ひとりがアントプレナーシップを持って自律的に仕事に取り組めるようにと始まった組織変革の旅は、いつからどのようにはじまり、また現在はどんな変化の途中にいるのでしょうか。エティックスタッフにインタビューし、連載記事(不定期)としてお届けしてみることにします。

 

聞き手と書き手は、元エティックスタッフの辰巳真理子です。2021年5月5日に「退任することになりました」というメールを宮城さんから受け取ってから、エティックの変革のプロセスに興味と関心を寄せ続けてきました。

 

その理由は大きく2つあります。1つは私が私として今在ることとエティックの存在は切り離せず、2016年6月にエティックを離れてからも、そのエコシステムに生かされていると感じていること。2つめは、現在関わる組織でもティール組織・自主経営のような状態を志向しつつ、現実的にはうまくいかないもどかしさがあることです。きっと同じような気持ちでいる起業家やマネジメント層のみなさんがいるのではないかという仮説のもと、記事を書くことにしました。

 

もともとマネジメントの立場にあったエティックスタッフからは「自分がやらねばならないと信じていたことを他のスタッフとシェアできたことによって、圧倒的に楽になった。時間が生まれ、ようやく本当にやりたかったことに取り組めるようになった」という言葉が聞かれます。

 

また宮城さんはこの組織変革を「従来のものさしと訣別し、新しい人間観に立った壮大な実験だと思う」と言います。はて、私はその真意を深く理解できているだろうかと案じながら、この記事を通じて読み手のみなさんとエティックの組織変革のプロセスを一緒に見守り、またそれぞれの現場で自主経営組織への挑戦を促すきっかけになるといいなと願っています。

 

tatsumi

辰巳 真理子(学校法人軽井沢風越学園)

1981年兵庫県生まれ。大学時代の2002年、NPO法人ブレーンヒューマニティーにボランティアとして参加。IIHOE主催のマネジメント研修でエティックと出会う。同NPOへの新卒就職を決断、修行のため大学4年時にエティックの実践型インターンシッププログラムに参画したところ、うっかりそのままインターン先の株式会社ガイアックスに就職(2004年4月)。紆余曲折ののち、2009年8月頃からエティックに参画。内閣府地域社会雇用創造事業(2010年4月〜2012年3月)全体事務局、震災復興リーダー支援プロジェクト事務局兼コーディネーター(2011年3月〜2015年6月)などを担当、家族の転勤に伴い退社(正確には業務委託契約終了)。2017年3月から学校法人軽井沢風越学園の設立に参画、広報のほか学校の中で学校っぽくない動きをつくることに励んでいる。

 

まずは、2021年5月に公開された記事「ティールとともに歩んできた組織変革。エティックらしい進化の旅路へ──宮城治男×嘉村賢州」の冒頭をあらためてご紹介します。

 

宮城:エティックのスタッフたちは、時に自分たちの思いは後回しにして、組織やプロジェクトのミッションのために仕事をしてくれます。しかし、このやり方は古くなってきているのではないかと感じ始めていました。

むしろエティックで働いている一人ひとりが自由な生き方を体現し、それが自然に伝播していく──そして多くの人とともにそれを分かち合っていくスタイルの方が、インパクトが大きくなる時代なんじゃないかと。

そういうあり方の進化とか組織の進化を考えた時に、エティックの組織自体が古いなと。要するに、エティックに集っている人たちの価値観の進化に対して、組織のあり方の概念みたいなものがなんか古いままだと。それをもうちょっとアジャストしていかないと、歪(いびつ)な構造になっていくなという気がしました。

実際に、エティックが大事にしている価値観と実際の組織のあり方のギャップの中で痛みを感じる人も出てきました。これはもう待ったなしで組織自体の変化に向き合う時だということを思ったのが、4〜5年ぐらい前でした。

その後、組織変革に取り組みはじめてから1年ほど経過した頃に、「ティール組織」が出版されました。自分がアントレプレナーシップについて伝えたかったことが、社会のパラダイムの進化とともに整理されている気がして、すごく心に刺さりました。ティールの概念を取り入れることは、エティックの組織の進化のてこになるんじゃないかと思いました。

 

賢州 : 宮城さんの中で、「待ったなし」がありありと感じられたエピソードがあったんですか。

 

宮城 : 一つの出来事という感じでもないんです。自分が日々見ている景色の中に、組織のヒエラルキー構造があることが、ヒエラルキーの上にいる人にも下にいる人にも関係性を複雑にしている感じがありました。

例えば、組織のヒエラルキー構造に関係なく、ボランタリーな状況でやれる仕事は、まったく儲からなくてもみんな嬉々として楽しくやっているのに、仕事になった途端にそのヒエラルキーの硬直した構造の中にはまってしまう。「上司が言っていることは勝手だ」「これ誰か他の人がもっと頑張れよ」のように相手を責めてしまったり。

エティックで働いている人たち同士が人間対人間として向き合ったらとても仲良しで楽しくやっているのに、組織の構造の中での関係になると、ギスギスしたり、疑心暗鬼を募らせたり、ストレスを溜め込んだりする場面を見たりもしました。

自分とか手を差し伸べ続けていくことは大事なのですが、この構造の中で一人ひとりを個別にケアし続けることでフォローする限界も感じ、構造自体を進化させないことにはそれが再生産され続けるので、手をつけないとと思いました。どうしてもこの現状を変えたいと。

(【長編版】ティールとともに歩んできた組織変革。ETIC.らしい進化の旅路へ──宮城治男×嘉村賢州 | DRIVE 冒頭部分より抜粋)

 

この記事によると、“「待ったなし」で組織自体の変化に向き合う時”だと宮城さんが思ったのが4〜5年前、つまり2016〜2017年頃の話です。では、いったいどんな道のりで「待ったなし」に至ったのでしょうか。

 

エティックの設立は1993年、NPO法人化は2000年3月のことです。設立当初から2021年5月に至るまで経営を担ってきたディレクターは代表の宮城さん・事務局長の鈴木敦子さん・事業統括の山内幸治さんの3人体制でした(下図参照)。実践型インターンシップを推進するEIP事業、全国各地で実践型インターンシップを拡げる仲間と地域を増やすチャレコミ事業、ソーシャルビジネスの起業支援に取り組むインキュベーション事業と、それらの事業を支える管理部がエティックの組織体制として約10年続きました。

 

法人化から10年が経った2010年4月、内閣府地域社会雇用創造事業「ソーシャルビジネスエコシステム創出プロジェクト」を受託、2ヵ年で120件の創業支援と1500人のインターンシップに日本各地の地域パートナーと連携しながら取り組むこととなります。これまでの取り組みとは桁が異なる目標達成のためには、他団体と協働できる仕組みづくりの他、エティックのスタッフを増やし、上記3つの事業に基づく事業部制とし各々のマネジメントを強化することになりました。

 

また、2011年3月の東日本大震災後に震災復興リーダー支援プロジェクトとして新しいチームがつくられ、徐々に既存の事業部を含めて東北に向けたプログラムに取り組むようになりました。エティック全体として一致団結せざるを得ない局面が続き、ティール組織の示す組織モデルでいう達成型組織(オレンジ)への進化が進んだのです。こうして組織は拡大、事業部制が整い、各事業部にはマネージャーとサブマネージャーが置かれました。2016年春の組織図は次の通りです。

 

表

 

その後2016年から2017年にかけて、エティック全体で取り組まねばならない2010年頃からの動きが落ち着き、組織として少し踊り場にいるような状態にありました。事業部制によって生まれた構造も相まって、ディレクター・マネージャー・サブマネージャー・スタッフそれぞれの階層で「痛み」を感じはじめるようになります。起きていたのは、たとえばこんな状況です。

 

………

・エティックが全体として、どこに向かっているのかわからない。マネージャーやディレクターが目指す方針は何ですか? とスタッフが問う。

・スタッフ間やマネージャーとスタッフの問題について、ディレクターに何とかしてほしいと要望があがる。スタッフには、マネージャーやディレクターの役割への期待があり、それに応えられないと裏切られたと感じてしまう。

・何か問題提起しても、「起業家精神を発揮しようよ」と言われたり「あなたはどう思う?」と問い返されてしまうため、そもそも問題提起することをやめてしまう。

・「どうせエティックは変わらないから」という声を残してエティックに問題意識を感じていたスタッフが離職してしまう。

・アントレプレナーシップを大切にするがゆえに、弱みを出せない、常にポジティブでなければならないという思い込みがあった。(アントレプレナーシップの罠)

………

 

次の表は、2017年10月に全スタッフにとった働き方についてのアンケートです。

(同じアンケートを2016年、2019年にも実施。経年変化については別途紹介するかもしれません)

 

表2

 

「自分なりの方法でスケジュール管理ができている」「スケジュールを30分刻みで立てられる」「職場は困った時にすぐ相談できる雰囲気である」「今の仕事にやりがいを感じている」「休みを十分とれている」などの問いに対し、ディレクターとスタッフの回答に2ポイント以上の差があります。宮城さん・鈴木さん・山内さんのディレクター3名が圧倒的にポジティブ(かつ、のんき)であることは、いくつかの設問の回答が10点満点であることなどからも窺い知れますが、マネージャーとスタッフ、マネージャーとサブマネージャーの階層においても同様の乖離があり、大きな事業を遂行するためにつくってきた組織モデルの限界に苦しさを感じ始めていました。

 

2016年秋には、年に2回実施している全社会議(以下、全体会議)で「ワークライフバランス」をテーマに扱わざるを得ない状況になります。この全社会議をきっかけに始まったのが、宮城さんを中心とした「組織の未来創造委員会(ポジティブ・未来志向型)」と、鈴木さんを中心とした「働き方改革委員会(現実的な問題解決型)」の動きでした。

 

>> 「ティール組織」との出会い。期待と裏切りのループからの脱却にむけてー自主経営で変わるETIC.のマネジメント【2】に続く

>> 特集「一緒につくるETIC.」の記事はこちら

 

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辰巳 真理子

辰巳 真理子

1981年兵庫県生まれ。大学時代の2002年、NPO法人ブレーンヒューマニティーにボランティアとして参加。IIHOE主催のマネジメント研修でエティックと出会う。同NPOへの新卒就職を決断、修行のため大学4年時にエティックの実践型インターンシッププログラムに参画したところ、うっかりそのままインターン先の株式会社ガイアックスに就職(2004年4月)。紆余曲折ののち、2009年8月頃からエティックに参画。内閣府地域社会雇用創造事業(2010年4月〜2012年3月)全体事務局、震災復興リーダー支援プロジェクト事務局兼コーディネーター(2011年3月〜2015年6月)などを担当、家族の転勤に伴い退社(正確には業務委託契約終了)。2017年3月から学校法人軽井沢風越学園の設立に参画、広報のほか学校の中で学校っぽくない動きをつくることに励んでいる。

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