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東京で育った杉本諒介さんが、八ヶ岳に移住した理由 ―いま、地方で働く意味を考えるvol.2

2015.05.15 

移住をするのには、それぞれ理由がある。土地、仕事、仲間、出会いなど、人によって理由は変わる。だが、どの場合でも移住を考えるきっかけはあるはずだ。 杉本諒介さんが長野県茅野市に移住してきたのは、2015年の4月。東京で育ち、大学卒業後に都内で就職したが、地域に関わる仕事がしたい一心で移住を決意した。

現在は、長野県上田市にある地域おこし系ベンチャー企業に勤めながら、自らWebメディア『地域に会いにいこう』『地域に会いにいくツアー』を企画運営して地域活性化の活動をしている。将来的には、地域活性事業での起業を目指してもいるそうだ。

今回は、地元である東京から離れる決意をした杉本さんを動かした理由とは何か?、移住に至るまでの経緯、今後の展望をお聞きした。 杉本諒介さん

この仕事に20代を捧げるよりも、他にできることがあるのではないか?

杉本さんの地元は東京だ。都内の高校を卒業して、大学の農学部で環境科学を勉強した。幼いころに祖父母の家がある高知県で農業の手伝いをしていた経験から、自然が豊かな田舎には良い思い出がたくさんある。農作業の思い出と田舎の風景が、大学進学の際に進路を決める後押しとなった。

 

卒業後は都内の一般企業に就職。営業職に配属され、やりがいもあり、安定性のある仕事だった。それでも、何かひっかかるものがあった。いかに仕事をとってくるか、10年後の地位を目指して奮闘しているかのような空気を感じた。 今の仕事も嫌いではない、だが自分が思うように仕事が出来るようになるにはあと10年はかかる――

 

「この仕事に20代を捧げるよりも、他にできることがあるのではないか?」そう考えた杉本さんは、大学時代から関心を持っていた「地域に関わる仕事」へと想いを強めていった。

 

地域や環境を意識するきっかけとなったのは、在学中に短期留学したフィリピンでの出来事だった。汚水やゴミが堆積する場所の近くで生活しなければいけない過酷な環境を目の当たりにしたときに、個々の技術からよりも、地域社会などの全体的な仕組み作りによって問題を解決するべきだと考えるようになる。

東京は地元、だからこそ特別な感情はない

「地元でもある東京はどんな存在か」と質問すると、「友だちと遊ぶ場所で、あまり地元に愛着はない」との返答が返ってきた。続けて「買い物しやすい、飲み屋が多い、商店街が充実している」とのこと。実利的な話はあれど、東京という場所に固執している様子はまったく見られなかった。

 

東京が地元といっても、何回か都内を転居しているのも大きいそうだ。地域に愛情と愛着を感じている杉本さんの活動ぶりからは少し意外な答えでもあったが、筆者自身を振り返ってみても、地元に思い出こそあるものの、場所に対しての思い入れはない。杉本さんにとっての東京は当たり前の場所であり、それゆえに特別な感情がないのも当然なのかもしれない。 東京での杉本さん

きっかけは「人」。長野県原村・富山県南砺市(旧 利賀村)へ通った大学時代

大学時代から、現在住んでいる茅野市の隣にある長野県原村に定期的に訪れていた。高校の同級生が主催するツアーに参加していたのだ。友人である彼女は、東京の大学に在学中から同地に移住を決めており、移住先でのコミュニティー作りや、東京から同年代の仲間を連れていくことで自分が移住した後も長野に遊びに来てもらう「きっかけ」作りをしていた。

 

月に一度のペースでツアーを企画して、多いときには20人以上も参加する日もあった。杉本さんはそのツアーの常連で、彼女が移住した1年ほど前からツアーの企画運営を引き継いでいる。 ツアー写真   もう一つのきっかけは、富山県南砺市(旧 利賀村)の祭りに参加したことだ。過疎化が進む利賀村では、地元の祭りを運営するために大学生や有志を集めていた。先輩が参加していたことをきっかけに、杉本さんも参加することに。約600名が集まり村の祭りを運営する姿に地域の可能性を感じるとともに、「人が集まれば、何とかなる」と確信するようになる。

 

過疎地域でも、人がいれば祭りも継続できるし、その他の地域の問題も解決できるかもしれない。その思いが、杉本さんを地域活性の仕事に導いていく。 祭の様子

人が集まれば、何とかなる

一方で、地方に移住すると、やはり東京の存在の大きさに圧倒されるときがある。たとえば、仕事の多さだ。地方では人口が少ない分、仕事の種類や方法が限られてくる。特に小売業など顧客数が多いほど成り立つ業態は、人口減少が進んでいる地方では成り立ちにくくなっている。今後、人口が減れば、さらに厳しい状況になるだろう。

 

だが、この状況をピンチだと思うかチャンスだと思うかは人それぞれである。杉本さんのように地域に魅力を感じて、何とかしたいと思う人にとっては、またとない機会になる。

 

「人が集まれば、何とかなる」が杉本さんのモットーでもある。自分が経験したように地域にたくさんの若者が集まれば、伝統的な祭りも維持できるかもしれない。地域の厳しい現状を体感して、解決する場に立ち会った杉本さんだからこそ、地域活性事業の必要性を強く感じ、使命感とも言える意志が芽生えたのだろう。この動きが大きな流れになれば、各地域ごとに特色のある豊かな文化が育まれるはずだ。 地域での体験の様子

「人」が「人」をつなげる

「今後、東京に戻る可能性は?」と尋ねると「ほぼないと思います」と気持ちいいくらいスッキリとした答えが返ってきた。そこに迷いはなかった。 東京が「絶対的」な存在ではないことは、多くの人がわかってきている。「絶対的」とは、東京にいればすべてが手に入るような状況だ。

 

インターネットが発達したいま、ほとんどの物や情報が場所を選ばずに手に入る。これからは、さらに場所の持つ意味は薄れ、このような変化のスピートも速くなっていくだろう。 だが、インターネットが発達しても、移住などの人生の大切な選択を決めるのは、インターネットで流れてくる情報ではなさそうだ。情報は知識にこそなるが、決断を迫るほどの力はもたない。なぜなら、情報だけでは決断するだけの根拠にはならないからだ。どれだけリアルな記事を読んでも、今ここにいる自分との関係性は築けない。

 

だから、デジタル時代と逆行するようなカタチで、実際の人とのつながりが移住を後押しし、地域の課題を解決する。 今回、話を聞かせてもらった杉本さんのように「人とのつながり」を経緯として移住をする人は多いのではないかと予想する。知り合いが移住している、移住経験者とのネットワークがある、または仕事があることも人とのつながりと言えよう。どんなに通信技術が発展しても「人」が「人」を惹きつけるのに変わりはなさそうだ。  

「いま、地方で働く意味を考える」シリーズ

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この記事を書いたユーザー
町田 裕樹

町田 裕樹

1981年生まれ、農家/ライター。無農薬で花・野菜苗を育てる農家(ataraxia)を営みながら、フリーライターとして活動中。農業系WEBマガジン「つちとて」運営。

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