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「ありがとう」からチャレンジが増える循環を。投資家・コンサルタント→実践者へ生き方を変えた杉浦 元さんが成し遂げたいこと

2022.11.16 

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古い価値観から距離を置き、新しいキャリアや生き方を選択することで自分が納得できる人生を創っていく。こちらは、そんな越境的・創造的キャリアづくりを目指すトランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(略称 : AFT)の連載記事です。今回、サポーターとして取り組みを後押ししてくださっている杉浦 元(すぎうら・はじめ)さんのチャレンジをご紹介します。

 

「勇気をもって古い価値観を手放し、新たな価値観を選び取っていける人が世の中に一人でも増えるといいですね。もっと面白い世の中になると思います」(杉浦 元さん)

 

投資家とコンサルタント、それぞれのキャリアを着実に積み重ねてきた杉浦 元さんは今年夏、新たに企業の経営者となり、理想の社会をつくる選択を決めました。日本で初めてのQ&Aサイト「OKWAVE」の運営などで知られる株式会社オウケイウェイヴの代表取締役に就任したのです。

 

創業メンバーの一人でもあった杉浦さんにとっては14年ぶりとなるなつかしい場所での挑戦です。現在は、大きなビジョンをもって経営の現場に身を投じています。

 

「オウケイウェイヴの代表になることはとても難しい決断でした」と話す杉浦さん。でもその一方で、「52歳の今、自分の人生に満足しています」とも語ります。なぜそう思えるのか、杉浦さん自身が新たな挑戦を始めるために何を手放し、どんな未来をつくろうとしているのか。杉浦さんの人生の転換期にフォーカスしながら、キャリアと生き方に迫ります。

 

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杉浦 元さん/株式会社オウケイウェイヴ代表取締役

早稲田大学理工学部化学科卒。大学在学中に起業し、研修事業と携帯電話販売事業を行った後、大和証券グループのVCである日本インベストメント・ファイナンス株式会社(現:大和企業投資株式会社)に入社。ベンチャー企業に対する投資業務を行う。ソラシドエア設立、VCNパートナー、オウケイウェイヴ等ベンチャーの創業や上場、コンコードエグゼクティブグループでの約1000人のキャリアコンサルティングを経て、2016年に設立した株式会社エリオスでは成長企業の組織づくりを展開。2022年8月、株式会社オウケイウェイヴ代表取締役に就任。

「人の役に立つ人生だけでは満足しない」と気づいた

 

「大学に入学した頃は、化学者になりたかったんです」

 

早稲田大学理工学部に通っていた頃を振り返って、杉浦さんはこう話し始めました。

 

「でも、大学生になると、たまたま予備校時代の友人たちと会社を作ることになって、携帯電話の販売や起業家精神を深める研修づくりなどをしていました。

 

そんなことをしていた僕が、卒業後、投資によって起業家を支援するベンチャーキャピタルの世界に飛び込んだのは、『自分で起業するのではなく、誰かの事業を応援したい』という思いが強くなったからです。ここから私の投資家として、また創業コンサルタントとしてのキャリアが始まりました」

 

オウケイウェイヴの創業は1999年。当時、スタートアップ支援の立場から同社の創業に関わっていた杉浦さんは、同社が2006年に上場するのにあわせて、2003年頃からは別のクライアントの仕事をすべて断り、上場の準備に専念したと言います。

 

上場を見届け、2008年にオウケイウェイヴ退職後は、NPOや株式会社を含めたソーシャルベンチャーの成長支援、またキャリアコンサルタントとして約1000人のビジネスリーダーを支えるなど、多くの人のキャリアデザイン、仕事を通じた人生の転換期にも関わってきました。

 

こうしたキャリアを経て、杉浦さん自身が一つの大きな転換期を迎えたのは2016年。株式会社エリオスを設立したときです。

 

「新卒から20年以上、僕はずっと、起業家や経営者の創業支援やサポートが好きだと思っていました。実際、事業に携わっている瞬間は好きなんです。でも、欲が出てしまうんですよね。『自分ならこうするだろう』と。

 

そのうち、『自分は根っからの起業家だった。人の役に立ちたいだけの人生では満足しないんだ。もっとわがままに、自分が創りたい世界を実現したい』と気づいたんです」

あくまでも支援者だった理由

 

杉浦さんが設立したエリオスの事業を通して実現したいと願ったのは、「挑戦」と「共感」があふれる世界でした。挑戦する人や、挑戦者の想いに共感して応援する人を増やしたい。そう思ったのです。

 

「なぜなら、当時、『挑戦』と『共感』が世の中に足りないと課題感をもっていたからです。足りないなら、自分が増やす担い手になりたいと思っていました。

 

いろいろな起業家の創業や経営基盤の強化を支援することで、その世界観を実現しようとしていました。といっても、当時の僕自身はまだ社会をつくる側ではなく、支援する側だったと思います。会社のメンバーや起業家たちに、事業を通して自分の代わりに理想の世界を実現してほしいと思っていたのです」

 

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投資家や支援者の立場から、理想の社会をつくる実践者へ。人生の方向転換をしようとしながらも、杉浦さんの心にブレーキをかけていたのは、挑戦することへの恐れでした。

 

長年、支援する側だった杉浦さんが挑戦者になりたいと考えたとき、真っ先に思い浮かんだのは、「お手並み拝見」とまわりから見られることでした。こうした思い込みから、チャレンジすることに「怖い」という感情を抱いていたそうです。しかし、その後、「まわりの人たちは、自分のことを温かく見守ってくれていることに気づいた」と話します。

 

「エリオスを設立後、アメリカのインディアンが小屋で儀式として行う『スウェットロッジ(治癒と浄化)』のワークショップを受けたのですが、極限の苦しみを味わう中で、母親をはじめいろいろな人の顔が思い浮かんだんです。自分が多くの人から応援されていると感じることができました」

 

そういった気づきを経験していたからこそ、2022年の夏に自らオウケイウェイヴの代表取締役となったときには、以前のような恐れを感じることなく覚悟を決められたそうです。

 

「昔、オウケイウェイヴの創業に携わったとき、創業者の兼元謙任(かねもと・かねとう)さんが思い描いていた『ありがとうがあふれ、助け合いが循環する世界』に共感したことを思い出しました。あのときは、『僕も手伝いたい』と事業や組織の成長のためにひたすら力を注いでいましたね。

 

今回の選択は、自分の人生をかけた大きな挑戦となるため、『オウケイウェイヴは絶対に残さなければならない』と決意しました。頼りがいのある社員や仲間と一緒に事業と組織を前向きに成長させていきたいと思っています」

「苦境のときも、誰か一人は必ず助けてくれる」

 

今回の変化の過程で、杉浦さんは新しい価値観も手にしていました。それまで杉浦さんが実績とともに育ててきた“人からの信頼”に頼ることです。

 

「今回の代表就任で『やっぱりそうだった』と腑に落ちているのが、自分自身が、信頼資本的な財産に支えられていると感じられたことです。例えば、この先、自分が大きな苦境の状況に置かれたとしても、『誰か助けてください』と声を出せば、必ず一人は助けてくれる人がいるはずなんです、間違いなく

 

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杉浦さんは続けます。「オウケイウェイヴの代表として経営基盤の立て直しを図ろうとする中で、実はたくさんの応援をいただいています」と。

 

「多くの人に支えられて生きてきたことを感じずにはいられないのです。見ず知らずの方からも『杉浦さんが立ち上がってくれてうれしい』と、さまざまな支援をいただける機会になっています。

 

お金では変えられない世界があると実感しています。今僕が身をもって体感している『支えられる世界』は、オウケイウェイヴがビジョンに掲げる『ありがとうの物語の可視化』そのものだと思うんです。僕は、この世界を広く実現していきたい」

人柄や生き方がにじみ出る「ありがとう」を可視化する

 

オウケイウェイヴで杉浦さんが事業化を進めたいこと、それは世界中の「ありがとう」を蓄積し可視化することだと杉浦さん話します。

 

「現在、オウケイウェイヴでは、『ありがとう』を増やす取り組みをしています。それは、今の日本や世界では、『ありがとう』が足りないからもっと増やそうという考え方です。『ありがとうポイント』などは、『ありがとう』の数だけポイントが付くのですが、正直、僕自身はその方法にはあまり共感できていません。

 

僕自身は、すでに『ありがとう』は世の中にあふれていて、必要なのは、自分自身や周囲の人たちがその『ありがとう』の存在に気づくことだと思っています」

 

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自分自身がこれまでどんなことをして「ありがとう」と言われたのか、そういった「ありがとう」の蓄積をデータベース化し、持ち歩けるようにすることで、まわりの人たちから人柄や生き方、大切にしていることなどが客観的に見える仕組みを実現したい――。杉浦さんはそう考えているそうです。

 

「一人ひとりがどんな分野に関わりながら、どんな人とのコミュニケーションを育てているのか。例えば会社なら社内の小さなことにも気づいて細やかな心配りができるなど、誠実な生き方が目に見えることで、その人が本来持っている能力や魅力が多角的に伝わる、そんな仕組みをいつか実現したいです。

 

『ありがとう』の背景にある物語のデータベースさえ見れば、就職活動なら、履歴書や職務経歴書がなくても高評価が得られたり、面接がなくても合格できたりできるんです。たとえ何年かかったとしてもそういう世の中にする必要性を感じているし、僕が言い続けることで『ありがとう』があふれる未来へ近づけたいと思っています。

 

そうして、その先では、僕自身が目指してきた『共感』と『挑戦』へとつながる世界をかたちにしたいです」

「自分の選択は間違っていない」と確信できる主体的な決断を

 

今の生き方について、杉浦さんはこう語ります。

 

「52歳の今、とても満足しています。自分の人生を生きているという実感が大きいんです。それはこれまでの自分の生き方が積み重なって今の状況をつくっていると思うので、うまくいっていると思うし、例えば20代~30代の自分にも『このまま進めば大丈夫だよ』と言葉をかけたいですね」

 

人々のキャリアの転換期にも多く関わってきた杉浦さんは、就職や転職を考えている人、人生の選択で悩んでいる人にはこんな言葉を送ってくれました。

 

「特に転職では、年収や条件など論理的に考えることも必要ですが、最後の決断は自分の心で決めてほしいです。内側から湧いてくる思いを信じて。このまま会社に残るか、新しい世界に飛び込むかで迷ったときは、どちらにワクワクを感じるかを大切に選択してください。もし迷いから抜け出せない状態になったら、その選択は一旦やめた方がいい。

 

必ず人生の決断は主体的に行うこと。他責ではなく、自分で責任をもって選択した人生こそが生きがいにつながります」

 

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聞き手 : 小泉愛子(「Action for Transition」運営メンバー、上掲写真右)

 

***

 

越境的・創造的キャリアづくりを目指すトランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(略称 : AFT)では、一人ひとりが自分らしいチャレンジを継続できるようコーチングとコミュニティで応援しています。

 

プロジェクトの関連記事はこちらからご覧ください。

「Action for Transition」立ち上げインタビュー記事はこちら

>> 一人ひとりの「物語(ナラティブ)」はキャリアと人生を豊かにするのだろうか? 越境的・創造的キャリアづくりを支えるAFTの挑戦

 

越境的・創造的キャリアを実践している方のインタビュー記事はこちら

>> 政府系機関→40歳を過ぎて未経験のワイン業界で起業。「自分の選択に後悔はない」と、株式会社テッレ 武尾さんが言い切る訳

>> 目薬ボトルをリサイクルして作ったサングラスで世界の目の健康を守りたい。会社に勤めながら社会起業家になった長岡里奈さん

 

 

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たかなし まき

愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科を卒業後、企業勤務を経て上京。業界紙記者、海外ガイドブック編集、美容誌編集を経てフリーランスへ。子育て、働く女性をテーマに企画・取材・執筆する中、2011年、東日本大震災後に参画した「東京里帰りプロジェクト」広報チームをきっかけにNPO法人ETIC.の仕事に携わるように。現在はDRIVEキャリア事務局、DRIVE編集部を通して、社会をよりよくするために活動する方々をかげながら応援しつつフリーライターとしても活動中。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。

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