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成り行きで開業したマクロビカフェが、地域に開かれた場へ。移住26年の変遷をたどる──ライステラスカフェオーナー 中島デコさん

2025.08.06 

地方では、ひとつのお店の存在が地域に大きな影響をもたらします。物が売買されるだけでなく、人々の暮らしに新たなつながりや、ポジティブな変化が生み出されています。

 

今回は、東京から千葉県いすみ市に移住し、自分たちで育てた無農薬の玄米や野菜を使うマクロビオティック料理を提供する「ライステラスカフェ」のオーナーで、料理家の中島デコさんにお話を伺いました。食や農を通じて循環する暮らしを実践し、地域に開かれた場をつくる中島さんの営みには、“豊かな人生”へのヒントが詰まっています。

 

この記事は、特集「移住して始める、地域にひらかれたお店」の連載として、移住後に地域に根ざした活動を行い、まちに新しいつながりやポジティブな変化をもたらしているお店を紹介しています。

 

中島 デコ(なかじま でこ)さん

ライステラスカフェ オーナー、料理家

※プロフィール詳細は記事最下部に記載

 

「成り行き」で始まった無農薬の自家製玄米をつかったマクロビオティックカフェ

無農薬自家製玄米を使用したプレート。玄米菜食のおいしさを気軽に多くの人に知ってもらいたいという

 

千葉県いすみ市は九十九里浜の南端に位置し、2017年から学校給食が市内産有機米100%になるなど、自然と共生する里づくりに取り組んでいることが近年注目されています。

 

中島さんが26年前、この地に根をおろすことを決めたのは「種を蒔く暮らしがしたい」と思っていたとき、たまたま訪れたのがきっかけだそう。最初は誰も知り合いがいなかったけれど、農業、5人の子どもの育児、仕事で大忙し。寂しいと思う余裕は全くなかったそうです。

 

最寄のJR外房線 長者町駅から徒歩50分の「ライステラスカフェ」はバリ島の棚田が好きなことから名付けた

 

1999年に家族でいすみ市へ移住したあと、昔ながらの知恵をヒントに豊かな食や心地良い暮らしを提案する、田畑つき古民家スペース「ブラウンズフィールド」をひらき、世界各国から集まる若者たちとともに、持続可能な自給的生活を始めました。しかし、お店の開業は成り行きで今の形になっていったと話します。

 

「最初から“ここでカフェを開いて成功させよう”という明確な計画はありませんでした。むしろ最初はここでカフェをやって流行るはずはない、私にお店経営なんて無理と思っていました。

 

でも当時、私の書くエッセイやメディアをみて見学に来る人が結構いて、彼らに対応していると私の作業が進まなくなってしまう。そこで、お客さん対応をする日(週末)と作業日(平日)を分けたいと思い“お茶1杯いくら、おむすび1個いくら”とか書いておけば少しは収入になるかな? と思ったのがきっかけです。

 

応援してくれる人たちを巻き込み、農機具小屋を小ぎれいにして、成り行きで勢いから始めて、2006年にライステラスカフェをスタート。気づけば20年近くが経過しましたね」

 

カフェのごはんは、薪を使い大きな羽釜で炊いている

 

あるものを活かす。地域の人とつくる開かれた場「もったいないカフェ」

最初はカフェの運営だけでしたが、その後クラウドファンディングで集めた資金をもとに、築260年の古民家を改修してイベント施設「サグラダコミンカ」の運営を開始したり、宿「慈慈の邸(じじのいえ)」を開業したりするなど、地域でさまざまな事業を展開し、暮らしの実践を続けています。

 

さらに「廃棄物をゼロにしたい」という思いで、カフェでは「もったいないカフェ」というイベントを年2回、継続してきました。

 

「もったいない」という言葉には、ものを無駄にしないという意味だけでなく資源、環境などに目を向けて「あるものを活かす」という中島さんの暮らしへの姿勢が込められています。

 

もらった素材を加工した料理。参加者はビュッフェ形式でマイ食器・マイ箸を持参し好きなだけ食べられる

 

「日本では、食べられるのに廃棄される食材が1年間で約500万トンもあるといわれています。ライステラスカフェは飲食業界では珍しい廃棄物ゼロが自慢なのですが、7年前に娘が企画したこのイベント“もったいないカフェ”も、廃棄をなくしたいという思いで続けてきました。

 

まず公募で使いきれない食材や、賞味期限が近いものなど、ご家庭や地元のお店・農家さんから預かります。基準は“私たちが安心して食べられるもの”。動物性・化学調味料や白砂糖などは避けますが、伝統的な乾物や野菜、豆、海藻、使いかけのものは歓迎し、持ち寄ってもらったものを店で料理しています」

 

母屋で一緒に調理する中島さん(左)と発案者の長女・子嶺麻(しねま)さん

 

参加費はドネーション制(寄付制)で、タッパー詰め放題で持ち帰ってOK。自分の食べた分、楽しんだ分だけ、お客さんが自由にお金を寄付するシステムで運営しています。

 

「運営スタッフも、普段働いているスタッフだけではなく、家族や地元の有志、興味を持った人が手伝ってくれます。

 

近隣住民から、都心からの来訪者まで、多くの人が参加してくれて、蓋をあけたら普段の営業日の売上よりも多くの寄付が集まることもあります(笑)」

 

持ち寄ってもらったゴミになるはずだった食材たち

 

また、オーガニック野菜を育てる地元農家さんが、作りすぎて余った野菜や、大きさがそろわなくて販売できず廃棄になりそうな野菜などを寄付してくれることもあり、持ち寄ってくれたオーガニック野菜は店で料理してピクルスや惣菜作りを行っているそうです。

 

そして、映画会や講演会、マーケットやカフェがいろいろと開催されているいすみ市。

 

「ここは地域の仲間がそれぞれ自律的に、さまざまなイベントやプロジェクトを行い、まるで発酵しているかのように盛り上がってきています。私自身は今後も“もったいないカフェ”を継続していきたいです」と楽しそうに語ってくれました。

 

地元と新しい人がつながり、住み心地の良いまちをつくっていきたい

移住して26年、地域の仲間たちと開かれた場づくりを行う中島さんですが、開業当初は役場職員の人に存在を怪しまれることもあったのだとか。

 

やがて役場が自然と共生する里づくりを進めるなかで「有機稲作へのチャレンジ」に取り組む市の太田市長が見学に来るようになったりと、少しづつ関係性ができるようになったと感じているようです。今に至るまでには、つないでくれる方の存在が大きかったと言います。

 

スタッフと米の稲刈りをする中島さん(中央)。寄付制の田植えイベントには全国から参加者が集う

 

「都心から戻ってきたUターンの方で、外の世界も知り地元からも信頼ある人が“地元と新しい人”をつなぐ存在になっています。その方とお醤油や米づくり、子育ても一緒にやってきたり、頼りっぱなしだけど、いろいろ助け合って生活しています」

 

中島さんはこの地にしっかりと根付き活動されているように見えますが、「実は今でも、昔からこの土地に住み続けている人たちと深く交流できているわけではない」とも話してくれました。

 

「本当は近所のおじいちゃんやおばあちゃんが日常的にお茶しに来てくれるような場所になったらいいなと思いますが…。保育園から一緒の親戚同然の地元の人たちからしたら、越してきて26年なんてまだまだ“よそもの”。

 

でも、昔から住んでいる方も高齢化し、子や孫が離れてしまった今はまちも人口減少しています。お祭りが立ち行かない、草刈りもできない、これからどうするのか、本当に課題がたくさん。

 

そんななかで移住者同士が助け合ったり、一部の地元の方と少しずつつながり合い、住み心地の良いまちにしていこうという動きもあります。学校給食の有機化もその後押しのひとつでしたね」

 

毎月、季節作業や農作業を体験できる企画を開催。地域の豊かな暮らしを多くの人に知ってほしいと語る

 

移住者と地域をむすぶ、中島さんの存在感

今では、中島さんの存在が安心感のある移住につながるという移住者もいるなど、食や農に関わりたいという似た価値観の方を、自然といすみ市に引き寄せている中島さん。

 

「少しずつ地域が育ってきている」そんな実感を持っているそうです。

 

中島さんのもとには、住み込みで働き食や農を学ぶスタッフが約10人。中には実習で教授と滞在する学生もいる。中島さんは左から2番目

 

長年この土地に住んでいる人と交流するうえで工夫していることをお聞きすると、次のように話してくれました。

 

「私たち移住者にできることは、どんなときもしっかりと挨拶し続けること。外から来た人は警戒されやすいですし、最初はバリアを感じることもあります。昔から住んでいる人には“不安”もあるんだと思うんですよ。代々農家を続けている人は移住者のように簡単にいなくなることはできない。彼らの気持ちも想像できます。

 

だから、たまに地元のおばあちゃんが私たちのイベントに来てくれると、本当に100倍うれしいですよ」

 

毎年全国から人が集まる夏祭りを開催。地元のおじいちゃんやおばあちゃんにも気軽に参加してほしいと語る。中島さんは前列右から3番目

 

「生まれる」から「暮らす」「生む」「老いる」まで。地域で多世代で支え合う

小さなカフェから始まった営みは、やがて人のつながりや地域を耕していき、中島さんの歩みは、ただの「移住」や「お店づくり」に留まらず、ブラウンズフィールドを通して暮らしの循環を取り戻していく実践そのものです。

 

そんな中島さんが今、地域で思い描いている理想の未来は、より人生の幅広いステージに寄り添う環境づくりだと言います。

 

「いつかは地域で助産院や老人ホーム、保育園のような場をつくるのが夢ですね。きっかけは、4番目の娘が助産師になり家族といすみ市に戻ってきたこと。妊婦が自然豊かな穏やかな場所で、家族で大きな古民家に滞在し癒やされ、質素で身体にやさしいご飯を食べて、畳の上で自然なお産ができる助産院を作るのが夢のひとつです」

 

カフェの隣にある母屋の前でスタッフと交流する中島さん(左)。自然と共生するコミュニティが形成されている

 

「畑仕事や発酵食品の加工なども一緒に取り組み、元気な赤ちゃんが生まれるための体づくりをして、産後も家族でゆっくり暮らし、安心して過ごせる場所にしたい。

 

老人ホームも“自分が入りたいと思う場所”を自分でつくりたいという思いです。空き家の活用や、仲間たちと共同生活をしながら、お金を出し合って看護師やスタッフを雇ったり、近くに保育園のような場所をつくり、おじいちゃん・おばあちゃんと子どもたちが自然に関わり合う場ができたら理想です。

 

そしていつまでもやりがいや役割を持ち続けられる地域社会をつくっていきたいですね」

 

世代を超えて支え合いながら、すべての人が安心して生きていける場所を、自らの手で少しずつ育てていく。中島さんの穏やかな雰囲気とは裏腹な、人を引き寄せ巻き込む力に、たくさんの人がポジティブな影響を受け、いすみ市で新しい一歩を踏み出しているのだろうと感じました。

 

今、あなたが思い描く理想の暮らしも、こんなふうに、成り行きから始まるのかもしれません。

 

あなたなら、どこの地域で、どんな未来を描きますか?

 

<プロフィール詳細>

中島 デコ(なかじま でこ)さん

ライステラスカフェ オーナー、料理家

16歳でマクロビオティックに出会い、25歳から本格的に学び始める。1999年、千葉県いすみ市に田畑つき古民家スペース「ブラウンズフィールド」を開き、 世界各国から集まる若者たちとともに、持続可能な自給的生活を目指す。

ブラウンズフィールド内に、田園を望む「ライステラスカフェ」、イベントスペース「サグラダコミンカ」、ナチュラルオーベルジュ「慈慈の邸」を次々とオープンする。

現在、10人前後のスタッフと共同生活し、子どもや孫たちに囲まれ、 サスティナブルスクールや各種イベント、ワークショップの企画運営をしつつ、国内外で、講演会やマクロビオティック料理講師として活躍中。

『中島デコのマクロビオティック パンとおやつ』『中島デコのマクロビオティック ライステラスカフェ』『中島デコのマクロビオティック 玄米・根菜・豆料理』(すべてパルコ出版)『中島デコのサステナブルライフ』ほか、料理本やエッセイ等、著書多数。

 

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芳賀千尋

1984年東京生まれ。日本大学芸術学部卒。 20代は地元と銭湯好きがこうじ商店街での銭湯ライブを開催。 1000人以上の老若男女に日常空間で非日常を満喫してもらう身もこころもぽかぽか企画を継続開催。2018年からETIC.に参画。

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