能力が無いから助けを求めるのではなく、助けを求めることがひとつの能力である。
そのことを文字通り身を持って示し、うつ病患者のためのWebサービスであるU2plusを立ち上げたのが、東藤泰宏さん。 自身がうつ病でありながら、まわりに”助け”を求めながら作り上げたU2plus。起業家として、自らと世界を”助け”るサービスを創ってきた東藤さんに、”助ける/られる”をテーマにお話を伺いました。
“助け”を求める発想がなかったブラック企業時代
―東藤さんのこれまでの歩みを、「どうやって援助や支援を得てきたのか」というテーマで伺っていきたいと思います。U2plusを立ち上げていくときに、どんな助けがそこにはあったのか。また今、取り組まれているCAMPFIREでのクラウドファンディングのお仕事も、”助け”の組織化という点でよく似ています。東藤さんのヘルプヒストリーを伺いたいと思います。
うつ病になるきっかけですが、ブラック企業で働いていたときは”助け”というものが無かったですね。求めるべきだったんですけど、その発想がそもそもなくて。とにかく自分が全精力を傾けることが一番大事で、周りの力とか支援のことは考えていませんでした。友人とか、家族とか、会社以外の人間とのネットワークも途切れていました。
―それは、忙しくて会社の外と回路が切れていたということですか?
そうですね。回路が切れているという発想すらなかったし、チャネルももちろん無くなっていた。援助希求能力というんですけど、援助を求める必要があるときこそ、援助を求める発想にならないという、一番ありがちなパターンだったのかなと思います。ほぼワーカホリック状態だったので、判断能力が落ちていた。働く時間が一定の時間以上になると、仕事のこと以外考えられない状態になって、オルタナティブな手段を見つけられなくなっちゃうらしいんですよ。
自分の人生を一回諦めたら、社会を信頼してみるしかなかった
―そこで一回落ち込んで、何かが切り替わった?
そうですね。唯一あった会社との回路も切れて、まったくのゼロになった。会社とのチャネルが切れたということは社会とのチャネルも切れて、友人関係も全部切れてしまった。うつになると余計バランスが取れなくなっちゃいますから。
―退職して、ゼロになってもう何もないとなったときに、崖っぷちの状態で、もうやるしかない、と。劇的な転換だと思うんですけど、その時の心の中というのはどういう状態なんでしょうか? どうしてそれが可能だったのかなと。
やっぱり自分の人生を一回諦めたからですかね。諦めた後、これからする自分の試みが、実験として社会に何か事例を残すことになればいいのかなと思ったんです。うまくいかなかったら、次の患者か、あるいは医者が、それを学習して違う試みをしてくれればいいと。
―残せればいいかなという発想は、社会への信頼というか、バトンを渡すみたい感覚があるわけですか?
そうですね。社会を信頼してみるしかなかった。社会を信頼するにも勇気がいるとは思うんですけど。
―そうするしかなかったから、社会を信頼してみたと。相手は具体的な誰か、人ではなかったんですよね。
はい。起業のときは”助け”を求めるというよりはリソースを求めるという感じでしたね。自分が危機的状況で、”助け”の求め方もわからず、誰に何をして欲しいかもわからないという時が、たぶん援助希求が一番必要な状態なんですけど、起業のときはそういうわけではなかったですね。
リソースレスはリソースフル!
僕の好きな言葉で「リソースレスはリソースフル」というのがあって。リソースがない状態は、ゼロベースで考えられる。今ある持ち手の中から打ち手を考えるのではなく、完全にゼロからあるべき姿を描けるからこそ、リソースを獲得していけるんじゃないかということです。
僕はリソースがある状態になったことがないから、これは希望がもてるなと思ったんですね。だから起業に取り組んでいる時は、徐々にリソースフルになっていく過程みたいなイメージだった気がします。
―最初に助けを求めたのは?
臨床心理士の先生ですね。認知行動療法(*)をやりたかったので、どうしても専門家が必要だなと思って。臨床心理士でブログやサイトを公開している人を探して営業リストを作り、毎日メールしました。唯一返ってきたのが、今の先生。やり取りをして、アイデアを交換しているうちに信頼してもらって、「一回会ってみましょうか」となって、そのうちに定期的にディスカッションするようになった。
形がまとまってきたら、その人が違う臨床心理士の方を仲間に引き入れてくれたりして、広がっていった。その方の勤務先の精神科医の教授の協力を仰いだり…最初に広がっていったのは、そこです。
―そのときの感覚としては、ご自身としては患者という立場で取り組んでいるんでしょうか?
患者です。今でも何かメディアに出るときは、うつ当事者の代表みたいな感じで表現されます。けれども、「自分はあくまで患者の中の一例ですよ」、という立場は崩さないように気をつけていますね。
会社をつくってからは起業家的な立場だと思うんですけど、ビジネスコンテストに出る前は、一患者でしかなかった。患者がこういう活動していいのかどうかということもわからない。そういう感覚でしたね。
大きく網を張って、広く助けを求める
―臨床心理士の方たちに広がっていったと。その次はどういう人にヘルプしてもらったんでしょうか?
次の勤務先の人たちです。ブラック企業を辞めた後、非正規雇用でITの大手企業に勤めていました。傷病手当金が切れたので働かざるを得なくて、何とか働いていたんですけど、そこでとにかく「うつ病で起業します」ということを社内のみんなに言っていました。
そうしているうちに会社の中のある人から、社内チャットで「ビジネスプランコンテストっていうのがありますよ」とURLが送られてきて、そのうちの1つに応募することになり、優勝したんです。 それまでは、起業とかスタートアップのことは、ほんとに何も知りませんでした。アクセラレーターとかVCとか、ビジネスプランコンテストとか、なにも知らなかった。大きなきっかけになりましたね。
起業のためにチームをつくる
―起業する、というマインドはこの頃には既にあった?
ありましたね。ビジコンに応募するとなってからは、プランはどうしよう、事業計画はどうしよう、人が足りないから探さなくては、とか。ビジコンに応募するとき、チームじゃなくちゃいけなかったので、仲間がどうしても必要で。
―そこからチームを集めたと。
高校の飲み会があって、そこで初めて大々的に自分はうつ病だというカミングアウトをして、「うつ経験ある人、手を挙げて」と言ったら、意外と何人も上がりました。それがきっかけで、身の回りにあふれた社会課題だということがわかって、それが起業のモチベーションの一つとなりましたね。
うつの人は、社会の中で自分だけと思いがちだと思うんですけど、そんなことはない。そういえば、学校にあんまり来なかったあの子もそうかなとか。今、現役でうつだよという友達もいて。そこで出会った人に、「ビジネスコンテストに出るので、もう締め切り近いから職務経歴書を送ってくれないか」と言って、仲間になってもらった。最初はそんな軽い感じでしたが、彼女とは面接や最終審査、起業も一緒にしました。
―プログラマーも探したんですよね。それは、インターネットで?
仲間集めのために、ブログやツイッターをやっていました。うつ回復プログラムがビジネスコンテストで最優秀賞をとった、というニュースに反応したプログラマーがいたので、連絡を取ってお会いしました。直接は手伝えないけど拡散はしてあげるよと、募集をかけてくれました。
―その人が助けてくれたんですね。あとは、デザイナーの方も?
デザイナーは、イベントをしたときに参加してくれて、「手伝いますよ、何かできることはありますか」と言ってくれました。
―それで仲間はそろった。
そうです。その後も共同代表との出会いがあったり、仲間は増え続けましたが。インターネット上で自分の名前を出して、「うつ病の当事者です、仲間募集」というのは、友達にカミングアウトするのとはレベル感が違っていました。実名でうつ病ですと言う方が、より覚悟が要りましたね。
実名で公開してネットに載ったら、もし起業をやめて就職しようと思っても、検索したらすぐ「こいつはうつ病だ」ってばれるわけです。親戚もどう思うか分からない。いろんなリスクがあったんですけど、今回の人生は諦めようと思って。
―何かを捨てたんですね。
諦念ですね。あきらめすぎて前向きになったというか。
―そのとき、何歳ですか?
27ですね。
仲間を求めるときのコツ
―仲間を求めるということは、起業するときに多くの人が持つ課題ですよね。1人ではなかなかできないし、お金出してくれる人もいる、相談に乗ってくれる人もいる。東藤さんの場合、助けてくれたり援助してくれる、いっしょに取り組んでくれる仲間探しのコツというと、何でしょうか?
義憤の共有をしているところですね。こんなにもいいって言われているソリューションがあるのに、なんで広く提供してないんだろうとか。うつ病に対して、怠けていたらなるのではなく、頑張ったらなる病気である。それってどういうことなんだ、とか。
―義憤の共有というのは、フェアじゃないことへの怒り、といったことでしょうかね。いいソリューションというのは、認知行動療法のことですね。
はい。うつに対する認知行動療法がメディアでも取り上げられてきた時期だったので、知られてはいたけれども殆どの人が使えていなかった。本も出ていましたが、内容が細かすぎてうつ病の人はこれ読めないだろうと。そういったことに対しても義憤がありましたね。当事者のことをわからないで作っているなあって。
そういった義憤を共有しているというのが、仲間になる時に大きかった。僕に対しての共感とか、ビジネス的な成功ではないところで共感してくれた仲間ができるので。ぜんぜんリーダーシップとかじゃない(笑)。
―いわゆるグイグイひっぱるリーダーシップではないですね。
ゴールは、サービスがなくなること
―u2plusのサービスがスタートしてからは、ユーザーさんがサービスを使ってくれること自体が、”助け”になっていたりするわけでしょうか?
コミュニケーション設計をいろいろ工夫してサイトを構築したのですが、思った以上にポジティブなコミュニティタイムラインになっていて、うつ特有の暗さみたいなのがなくて、すごくいい。他のSNSよりハッピーじゃないかと思います。ユーザーさんからのアクションに助けられましたね。
―やっていて、うれしかったことはどんなことですか?
ユーザさんの活動や投稿は、見ているだけで嬉しいですね。うつ病で、小さいことを日々頑張っていた人が、すこし乗り越えてバイトができるようになって、とうとう働き始めたとか。あとは、当事者が社会にアクションを起こすということ自体がうれしいみたいな声をもらったりするのも、ありがたかったです。
当事者かつスタートアップ志向
より大きく考えると、病気に対してのサービスなので、社会的に行きわたった後で、病気が減って利用者が少なくなっていき、最後はサービス自体がなくなるのがゴールだと思っていました。
―たしかに長期的には、このサービスがなくなることがゴールですよね。全ての課題解決のビジネスは、課題が解決されたときに無くなる。どんなふうに先を見ていましたか?
海外展開がしたかったですね。海外でも認知行動療法のサービスはあるんですけれど、コミュニティやSNSを取り入れたものはまだリリースされていない。企業の人はあまりやらないんでしょうね。当事者かつスタートアップ志向というのが、よかったのかなあと思っています。
―スタートアップの意識というのはどういうもの?
「タイピングしている間は死なないからタイプし続けろ」とか(笑)、「1人になってもやり続けるんだ」とか、その頃読んでいたポール・グレアム(*)のエッセイを読んでいるとそんな気分になってましたね(笑)。楽しいし、ワクワクする。スタートアップのおもしろさや楽しさがありますね。
―ポール・グレアムのテキストはたしかに、世の中をうまくハックするみたいな、何かちょっとかっこよさがあって元気が出ますよね。
やっぱりハックの意識はあるんですよね。一般常識とは違うところでクールにやっていこうよ、と思っちゃうじゃないですか。けもの道を教えてくれるというか(笑)。舗装された道はもう歩けないなと思うので、僕にはしっくりくるなと思って。
*ポール・グレアム:米国のLispプログラマーでエッセイスト。代表的な著作は『ANSI Common Lisp』、『ハッカーと画家』。
クラウドファンディングに社会的インパクト志向を
―昨年、「U2plus」を株式会社リタリコに事業を売却されていますが、そのときはどんな判断だったんですか?
僕の体調が悪化しすぎて、歩けなくなっちゃって。ずっとしゃべれず、しんどくて、そろそろ限界かなと思いました。入院して、回復して、判断力が戻った段階で、次の資金調達に行くか、イグジット(売却)するかだったのですが、イグジットすることにしました。
―迷いましたか?
そんなに迷っていないですね。サービスとしてやり切った感はないんですけど、一患者として社会へのカウンターとして始めたところがあるので、まあ死の寸前までいって、全精力は尽くしたなと思いました。
―そして今に至ると。クラウドファンディングのCAMPFIREにジョインされた。
はい。今は、マイノリティーのことを考えたり、クラウドファンディングに社会的インパクト志向を取り入れられないか考えたりとかしています。今までクラウドファンディングのプラットフォームは、プロジェクトオーナーと支援者しか見ていなかったんですが、お金を集めて、はい、おめでとう! で終わりじゃないな、と思っていろいろ準備しているところです。
―クラウドファンディングと社会的インパクト志向。面白いテーマですね。たしかにクラウドファンディングも、不特定多数の人たちからの”助け”を集めるプラットフォームという意味では、一貫した東藤さんの流れを感じます。そのお話は第二回で是非!
株式会社litalico U2plus編集長/CAMPFIRE GoodMorning担当/東藤泰宏
1981年生まれ。IT業界で働くうち、過労のためうつ病に。2011年にスカイライト社主催の「起業チャレンジ2011」で最優秀賞を獲得、その賞金300万円でU2plusを起業し、LITALICOへ事業譲渡。現在はCAMPFIREでソーシャルグッド特化型クラウドファンディング「GoodMorning」を立ち上げている。
聞き手/淵上周平
DRIVEメディア編集長。
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