福島県浜通り地方。8年前の原発事故は、むしろ「課題先進地」という“フロンティア”を生み出した。そこに新たな人の流れと生業を生み出そうという、官民あげての試みが始まっている。震災直後から現地を引っ張ってきたプレイヤーたちを第一世代とすれば、いま誕生しつつあるのはパイオニア第二世代のコミュニティだ。その現場を取材した。
※本記事は、フロンティア・ベンチャー・コミュニティ(FVC)事業より制作料をいただいて作成しています
福島のフロンティアに集まる、「次」を考える人たち
柔らかい光が差し込む室内で、テーブルを囲んだ数人が熱心に会話していた。
「星や宇宙をテーマにした、心と身体の癒しのリトリートプログラムを提供したい」。杉中慎さんが披露するのは、「星空リトリート」の事業計画。「空を見上げること」で自身がうつ病を乗り越えた経験に基づく。
「地域の宿泊施設やレジャー施設、農産物や工芸品などのウェブ・プロモーションを支援して、観光業を盛り上げたい」。高田江美子さんの事業アイデアは、旅行情報誌業界で培った経験とスキルを生かそうというものだ。
二人のプレゼンに対し、アドバイザーたちからは想定ターゲットや収益モデルについての鋭く、かつ温かい助言が贈られる。となりのテーブルでは、まだそこまで事業計画を具体的に詰め切れていない3人が、同様にアドバイスを受けながら次のアクションプランを書きあげようとしていた。
これだけなら、よくある起業講座の一コマではなかろうか。だが、この日のプログラムには他と違う点がいくつかあった。
まず、開催場所が福島県南相馬市小高(おだか)区という、原発事故の旧避難区域であること。また、参加者が起業を目指す場所も、(原則として)その南相馬市をはじめ旧避難区域を含む12市町村を想定していること。そして、講座をやって終わりではなく、この地でコトを起こすベンチャーたちのコミュニティを物心両面で作りあげようとしていることだ。
▲小高パイオニアビレッジ入口▲
1月27日、完成したばかりの「小高パイオニアビレッジ」で行われたこのイベントは、「フロンティア・ベンチャー・コミュニティ(以下FVC)」という経済産業省の委託事業の一環である(事務局:一般社団法人RCF)。2011年の福島第一原発事故で避難指示を経験した12市町村*を、「課題先進地」というフロンティアに見立てる。そこに魅力を感じるパイオニア(開拓者)たちを外から呼び込み、新たな生業を創出しようというのが、この事業の目指すところだ。
(*田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村)
同じ東日本大震災の被災地でも、原発事故の影響を受けた福島の復旧・復興は、岩手・宮城と比べて2年遅れとも3年遅れとも言われてきた。避難指示がやっと解除されても、長期間人が住まなかった地域の荒廃はそう簡単に巻き戻せるわけがない。まずは元いた住民の帰還・元の生業の再建が最優先課題とされる中、旧避難区域の復興の進捗は「帰還率5%、高齢化率50%」などという無表情な数字のみで語られがちだ。
そんな数字を横目に歯を食いしばって事業再建に汗を流す元住民がいる一方で、そんな地域だからこそ可能性を感じ、外からやってきて起業したり新事業に挑戦したりする人々も少なくない。FVC事業はそうした流れを官民あげてサポートし、強化しようという試みなのだ。
2016年度から始まったこのFVC事業は、首都圏を中心にミートアップ(説明会)を何度も開催し、12市町村の現地視察ツアーを重ねて「パイオニア」の候補者を発掘してきた。これまでのイベント参加者数は延べ300人を超える。杉中さんも高田さんも、そうしたイベントへの参加を経て構想を固め、いよいよ事業計画ブラッシュアップに臨んだのだった。二人とも、すでに南相馬市の「起業型地域おこし協力隊」に応募済みで、審査を待つ状態だという。
南相馬でこの協力隊員の募集・採用・支援を担当しているのが、2018年度に発足した「ネクストコモンズラボ(NCL)南相馬」という組織である。事務局(コーディネーター)3名は着任済みで、初年度は8テーマ10人の協力隊員(=起業家の卵たち。NCLでは「ラボメンバー」と呼ぶ)を募集。杉中さん、高田さんの前に既に4人が決定している。そして、この日のイベントが行われた「小高パイオニアビレッジ」とは、彼らラボメンバーが当面の拠点として使えるワーキングスペースでもある。
▲小高パイオニアビレッジの内部、シアターのような階段状の大きな構造物と、それを見下ろすように取り囲む2階のオフィススペース。この物には「行き止まり」がない。どの空間もゆるくつながっている。▲
基本的に起業とは孤独な取り組みだが、最初からこうして仲間がいること・集まる場所があることは大きなアドバンテージに違いない。もちろん、地域おこし協力隊という制度を利用することで最長3年間、活動支援金が支給される。本格起業・自立までの「助走期間」がとれるのも魅力だろう。
なぜいまここに?惹き寄せられた理由
しかし、である。率直なところ、「星空リトリート」なら南相馬よりもっと適地があるのではないか?ウェブ集客を強化したいと考える観光事業者はもっと都市部に多いのではないか?杉中さん、高田さんが想定する事業エリアは旧避難区域である小高区に限定してはいないものの、南相馬市全体が一定のハンデを負った地域であることは否めない。敢えてここでコトを起こそうとしている二人のプロフィールを、もう少し詳しく紹介しよう。
▲杉中慎さん。1975年生まれ。▲
北海道生まれの杉中さんは、実はもう起業済みだ。小学生の頃から宇宙に興味を持ち、大学卒業後は国立天文台や日本科学未来館に勤務。さらに福島市の施設でプラネタリウム解説員を務めたのち、夢だった「移動式プラネタリウム」の仕事を始めた。2017年には株式会社STARRING PLANETARIUMを設立。すでに立派な代表取締役として、現在は福島市を拠点にプラネタリウム出張サービスのほか、映像制作やデザインなどマルチに活躍している。
そんな杉中さんが、なぜこの場にいるのか?
「南相馬には起業家が集まってきていて面白そうだな、という印象があったんですよ。視察ツアーで小高に来たとき、『いまここに住んでる人は純粋にここが好きな人だけ』と聞いて、小高は尖がっているなと思った。パイオニアビレッジという場所ができるというし、(同じ起業型地域おこし協力隊員から成る)NCLというコミュニティもある。自分のやりたいことだけでなく、仲間と一緒に新しいプロジェクトも生まれそうな環境だから」
そしてもうひとつ、杉中さんの中には大震災をきっかけとした強い思いがある。
「震災の直後、福島市内の民間団体が設置した避難所で受入れボランティアをしていました。そしたら、娘さんを津波に流されたというご夫婦が浜通りから逃げてきて、入口の前でこう言ったんです。『私たち、放射能浴びてしまったかもしれませんが、中の方にご迷惑ではないでしょうか』と。その話をすると今でも涙が出ますが、そのときから自分はこの人たちのためになることをしたいと思ってきた」
ところが、杉中さんはその数か月後、うつ病を発症してしまう。一時はほとんど寝たきり状態だったが、努力の末に5年で病から脱した。リハビリ中に人から言われた「無理にでも上を向いてごらん」の一言がきっかけとなり、杉中さんは、「15人に一人がうつ病を経験すると言われる現代、人々に上を向いてもらうことが自分の使命」と決意。移動式プラネタリウムの夢を実現。起業に至ったのだ。
そして今度は浜通りの人たちのためになることを、という思いが、杉中さんを南相馬に向かわせている。
▲高田江美子さん。1983年生まれ。▲
一方の高田さんは、もともと南相馬市の生まれだ。仙台の大学を出て就職し、2009年から札幌市在住。長年、大手の旅行情報誌で営業に携わり、現在は創業数年のベンチャーであるウェブ・コンサルティング会社に勤める。今回、35歳でUターン起業ということになるが、そこにはやはり故郷への思いがあるのだろうか。
「大震災のとき、もちろん地元への思いは強くなりました。でもその頃ちょうど仕事が軌道に乗り始めたときで、今は戻れないと思ったのです。ただ、35歳になったら区切りをつけようと漠然と考えていて。ずっと広告営業の世界にいて管理職も経験したけれど、これからはもっと違う形で人の役に立つ仕事がしたいと、その歳になった昨夏、知人が興したいまの会社に転職しました。実はそのときからもう、札幌を離れて副業・兼業を始める前提だったんです」
それでも昨夏時点ではまだ、故郷に戻って起業というオプションは全く考えていなかったという。
「戻ったとしても仙台くらいかなあと(笑)。でも何をする?給料のいい会社を探す?でも一生そういう働き方をしたいのか?と自問するうち、やはり何らか自分の生業を持ちたいと思ったのです。それで、とにかくいろんな人に会って話を聞こうと考え、イベントを検索していて発見したのがFVCのミートアップでした。そこで初めて知ったんです。地元の南相馬でこんなに自由にイキイキと、やりたいことを形にして取り組んでいる人たちがいるんだ!ということを」
高田さんはその出会いを「運命だと思った」という。同じ起業するのでも、プレーヤーの多い仙台ではなく故郷を選んだのは、ただ他に「やる人」がいないからではない。「せっかくならもともとの地元民である私がやりたい」。それが高田さんの思いなのだ。
▲杉中さん、高田さん以外の参加者も、現役女子大生、フリーの映像ディレクター、医療IT会社勤務とさまざま。▲
“第一世代”のプレーヤーが全力でインキュベート支援
杉中さんや高田さんらがFVCのイベントで出会った、「南相馬でこんなに自由にイキイキと、やりたいことを形にしている人たち」の一人が、和田智行さんである。
この地域の復興に関わる人で、和田さんの名前を知らない人はいない。これまで小高ワーカーズベース(共同オフィススペース)、おだかのひるごはん(食堂)、東町エンガワ商店(物販)、ハリオランプワークファクトリー(ガラスアクセサリー製作)など、次々と事業を手掛けて成功させ、注目を集めてきた。彼の最新事業のひとつがNCL南相馬の運営受託であり、小高パイオニアビレッジの開設・運営である。
▲NCL南相馬が起業家を募集する8テーマについて語る和田さん▲
和田さんの行動が注目を集めてきた理由のひとつは、まだ小高が避難区域だった2014年から区内でこうした事業を開始したことだろう。当時の和田さんはまだ30代半ば。地元出身という「地の利」はあったにせよ、これだけのハンデを抱えた地域でそんな事業を興して、うまくいくと思った「大人」がどれほどいただろうか。なにしろ、誰も住んでいないところで食堂をやり、若い女性がいないところでアクセサリー工房をやるというのだ。
「若い人が小高に戻ってこない本当の理由は何なのか?僕は公表された住民意向調査の結果を見て、よく言われる原発とか放射能とかいう理由以外に原因があると考えた。若い人にとって魅力的な仕事がないという、昔からの課題のほうがむしろ大きいのではないか。そういう仮説のもと、手に職がつき、時間にしばられず、かつ“おしゃれ”な仕事を、と考えて始めたのがハリオランプワークファクトリーです」
和田さんは1月27日のイベントで、杉中さん、高田さんら5人の参加者を前に説明する。ここで起業を考える人たちにとって、和田さんのようなメンターが惜しげもなく自身の経験を共有し、事業計画の練り上げに手を貸してくれることも大きな魅力のひとつに違いない。
▲小高パイオニアビレッジは、和田さんの経営するハリオランプファクトリーの工房も併設。ものづくりで起業したい人にとっても可能性が広がる。▲
「もう明るい未来しか見えない」
ここでもう一人、この地の魅力に惹き寄せられた女性を紹介しよう。この日のプログラムを企画・進行した、一関宙(いちのせき・はるか)さんだ。NCL南相馬のチーフ・コーディネーターとして、ラボメンバーたちの採用からテイクオフまでを見守り、支える役割を担う。この仕事を始めるにあたって自身も昨年、東京から小高に居を移した。
▲一関宙さん。1976年生まれ。▲
秋田生まれの仙台育ち。大震災当時は仙台市内で保育園を経営していた一関さんは、それまで福島との接点はまったくなかったという。
「震災を機に保育園をたたむことになったのですが、当時はもう自分のことで精いっぱい。震災ボランティアどころではなく、地域の復興のために何もできなかった、という思いがずっと残っていました」
その後、縁あって(現在はFVC事業の事務局も務める)一般社団法人RCFに就職。東北被災地の人材支援に携わることになった。2014年より岩手県釜石市に2年ほど駐在した後、東京本社に転勤。南相馬市での和田さんら現地リーダーの取り組みを東京から支援することになった。
「福島には週4回くらいのペースで通ってました」という一関さんは、実は和田さんとは大学院時代からの友人。のちにNCL南相馬の立ち上げが決まり、事務局を探していた和田さんが一関さんに声をかけたのも、そろそろ東北に戻りたいと感じていた一関さんがそれに応じたのも、ごく自然な流れだったのだろう。
しかし、いくら頻繁とはいえ通うのと実際に住むのは違う。「やっぱりいろいろ不便を感じませんか?」と聞くと、「いいえ、全然」とあっさり。それよりも「ゼロからのまちづくり」という魅力のほうが格段に勝っているようだ。
「ここは住人の皆さんが協力的で、ヨソモノを受け入れてくれる土壌もある。まさに、これからまちを作っていこうという機運を感じられるのが楽しいんです。それに、和田さんたち地元のパイオニア“第一世代”ががんばっているから、それに周りの人が触発されて変化していくし、それを見れば外から来た“第二世代”も安心して追随できますよね。もう明るい未来しか見えません(笑)」
▲この日イベントで参加者へのランチ提供を手伝っていたのは、水谷祐子さん。彼女もつい最近、東京から移住したラボメンバーだ。小高区を中心に移動販売に挑戦するという。▲
スタートはフロンティア中のフロンティアから
実のところ、一度住民がゼロになってしまった旧避難区域は、小高に限らずどこでも「ゼロからのまちづくり」に挑んでいる。官民が共同で進めるFVC事業も、だからこそ12市町村という広域を対象にしているのだ。しかし地域によって事情はさまざまで、必ずしも同じペースで「新たな生業創出」あるいは「移住定住促進」が進んでいるわけではない。民間事業者が主体となって結果を出している小高のような地域は、まだ少数派といえる。
そんな中で和田さんは、「驕っているように聞こえたら本意ではないが」と前置きして、こう語る。
「小高の復興・再生はとても良い形で進んでいるように思います。ここで生み出されるものが他の地域のモデルになればうれしいし、そういうふうに考えるプレーヤーを増やしていきたい」
もちろん、そのプレーヤーたちにとって物理的な拠点となる「小高パイオニアビレッジ」が誕生した意義も大きい。
▲小高の夜はまだ暗い。その中でパイオニアビレッジは行灯のように光っている。建設には自己資金のほかクラウドファンディングで約500万、そして日本財団から6,000万の助成を引き出した。和田さんは、そのための事業計画書づくりに1年半以上かけたという。▲
「くじけそうになったときでも、ここに来ると仲間がいて、なんだかできる気がしてくる――そういう場所にしたいですね。今日のFVCの事業ブラッシュアッププログラムがここで開催されたことも、場づくりという意味でとても良かった。たとえ今日の参加者の起業フィールドが小高でなく、また旧避難区域でもないとしても、コミュニティのネットワークがあれば将来の展開につながりますから」
杉中さん、高田さんはじめ、この日小高パイオニアビレッジに集った参加者全員がひときわ大きく肯きながらメモを取ったのが、「課題先進地での起業」に必要な心得を指南する和田さんレクチャーの次のくだりだ。
「できること(can)、やりたいこと(will)にプラスして、なぜ自分がこれをやる必要があるのか(should)を考えて。その3つの輪が重なるところをしっかり見つけられたら、あとは事業計画書などスラスラ書ける」
▲この日の参加者と事務局の皆さん。▲
年齢も出身地も経歴も違う男女が、それぞれの一歩を踏み出すきっかけを求めて、数ある起業支援プログラムの中から「フロンティア・ベンチャー・コミュニティ」や「ネクストコモンズラボ」の名称を見つけ、旧避難区域に足を運び、「ここで自分がやること」の意義を見出し、仲間を見つけ、次の一歩を踏み出そうとしている。
杉中さん、高田さんらの一年後を取材するのが楽しみだ。
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