待機児童問題が社会問題と認識されるようになって久しい。しかし、そうした「保育の量」の議論だけでなく、「保育の質」の面についてもまた同時に考えなくてはならないはずだ。家族のあり方、地域のあり方が変容し、子育ては段々とクローズドなものとなってきている。
そんななか、地域を巻き込んだ「まちぐるみの保育」に挑む保育園がある。それが今回紹介する「まちの保育園」だ。 「まちの保育園」は2011年、東京都練馬区に1園目を開園した。「まちの保育園」が目指しているもの、そして「コミュニティコーディネーター」という「まちぐるみの保育」の鍵となる仕事について、代表の松本理寿輝さんに話をうかがった。
写真:代表の松本理寿輝さん
保育は本来民主的なもの
鈴木:「まちの保育園」について教えてください。
松本:「まちの保育園」は、2011年小竹向原に1園目を開園し、現在この六本木園を加え、2園を構えています。また、今年の10月には吉祥寺にも開園する予定です。
わたしたち「まちの保育園」は、子ども一人ひとりの可能性を引き出すような保育を目指しています。そのために、保護者だけでなく保育士、保育関係者、地域の人など「まちぐるみ」で多様な大人が子どもたちに関わることが重要であると考えています。
昨今、子どもの教育の現場は安全のためにどんどん閉じていく方向にありますが、0歳から6歳は人格形成期と言われており非常に大切な期間です。その間、保育園の園児たちは家庭と保育園の往復の生活になっており、接する大人が限定的になってしまっています。保護者と保育者だけでなく、もっと様々な大人・人格が子どもたちの成長に関わることができる、地域に開かれたコミュニティの中での子育てができないかというところから始めました。
そうした保育の実現のためわたしたちが行っていることが、大きく2つあります。ひとつは「徹底した対話」。そしてふたつめは、保護者や地域の人々など保育園の外側をも含めた「多様な主体を巻き込む」ということです。
写真:まちの保育園の風景
鈴木:「徹底した対話」について、詳しく教えて下さい。
松本:保育ってそもそも民主的なものなんです。「これだ!」という正解はありません。子ども一人ひとりの「らしさ」は、一人の大人の視点からすべて見えるものではありません。ですから、より良い保育にしていくためには、子どもに関わる人々同士の「対話」が必要になってくるわけです。それは保育士同士もそうですし、保育士と保護者との間にも同じことが言えます。
ですから「まちの保育園」では、対話を通した子ども主体の保育を行っています。保育士が子どもと密接に関わっていくなかで、保育士同士の「対話」を通して、子どもたち一人ひとりに沿って主体性を引き出し、自ら考え、選び、生み出していく。そういった保育を実践しています。 また、保護者の方との「対話」としては、わたしたちが持つ保育観・子ども観をしっかりと共有します。机に座ってきっちりとやることも大切ですが、園庭の掃除など共同作業で汗をかくとよりオープンになれるので、そういったアプローチも大切にしています。
鈴木:なるほど。保育士の方々ってお忙しいイメージがあるんですが・・・対話の時間を取るのは大変ではありませんか?
松本:おっしゃるとおりです。この「対話の時間をとる」というのがなかなか難しい。でも、対話が大事であることは誰もが分かっている。じゃあ、日々の業務が忙しい中でどうやってその時間をとるのか、という話になります。
そこで「まちの保育園」では、なるべく行事のための保育を減らしています。行事が増えてしまうとどうしても時間がとられてしまうので、その分の時間を対話の時間に充てています。人的配置にゆとりをもたせる一方で、業務効率もかなり良くしています。そのおかげで対話の時間を十分にとりつつも、極力残業を少なくできていると思います。
「対話」を、文化として「徹底」することが大切なのです。 こうした、保育士同士、また保育士と保護者、子どもに関わるすべての主体が気づいたことを言える文化があって、「対話」を通して質を高めていく。「まちの保育園」では、このことを保育園設立から現在まで一貫して大切にしています。
写真:インタビューに応じる、代表の松本理寿輝さん
「境界を取り払う挑戦」をするコミュニティコーディネーター
鈴木:効率を考えると軽視されてしまいがちな「対話」。それを、よりよい保育のためにあえて徹底するという考えが素敵ですね。もう一つ、「さまざまな主体を巻き込む」ということについてお聞かせください。
松本:徹底的な対話、という部分では主に保育士同士、保育士と保護者との対話についてお話させていただきましたが、子どもたちにとってより良い保育を行うためには、それだけでは十分とは言えません。
わたしたちは、保育園の「外側」にも目を向けています。子どもを中心とし、保育園という「枠」を超えて、その周りにいる保護者・保育士・まちの人々、さらには社会を巻き込んでいく、いわばコミュニティの「年輪」を形成していくようなイメージです。
保育園は、往々にして安全性等の観点からクローズドな環境になりがちです。わたしたちはむしろ、保育園は地域に開かれたものであるべきだと考えています。 そのためには、子どもと大人、そして保育園と地域との間にある「境界」のようなものを取り払わなくてはなりません。われわれ保育園の方からも外に出ていくことが必要になってきます。
そこでわたしたちが行き着いたのが、保育園・地域の両方に精通した、橋渡し的な存在としての「コミュニティコーディネーター」というものです。
社会を巻き込むコミュニティの「年輪」イメージ図
鈴木:コミュニティコーディネーター。保育園でそういった職種の人がいるというのは珍しいのではないでしょうか?
松本:そうですね、かなり特殊だと思います。われわれとしても、理念実現のため必死になって考えた結果として、「コミュニティコーディネーター」というものにやっとたどり着いたという感じです。はじめから想定していたわけではないので、実は「コミュニティコーディネーターにはこういうことをやってほしい」といったはっきりと決まった形はありません。
こちら側としても、果たして「コミュニティコーディネーター」という存在によって何を生み出すことができるのかは分からないので、「年輪」や「境界」のような理念をお伝えした後、「それで、この理念に近づくためにはなにができると思いますか?」というようにスタートから一緒に考えていきます。制約のない自由な環境を楽しめる人には、ぴったりだと思っています。
鈴木:自由である反面、かなり自ら考えることが必要なポジションになるでしょうね。過去にはどんな取り組みがあったのでしょうか?
松本:六本木園のコミュニティコーディネーターは、もともとアートのバイヤーをやっていた方で、なにか地域活動をしていたような方ではありません。ご自身の子育ての経験に引き付けて「どんな子育て環境があればいいだろうか」という視点から考えてくれています。
コミュニティコーディネーターには、基本的にはまず「年輪」の中心に触れてもらいます。そして子どもや保護者との密接な関わりを経て、地域に出ていくことになります。 例えば、六本木園のあるエリアは大使館なども多く、多文化で多様な才能の集まっているエリアです。開園してまだ1年半弱ですが、このような地域で素晴らしい出会いにも恵まれ、子ども・保育士・コミュニティコーディネーターを中心に豊かな取り組みが進みつつあることを、とてもうれしく思っています。
保育園がより地域に開かれたものになり、豊かな子育て環境が作られていく。昔ながらの街のあり方が再生され、地域社会全体で子どもを育てていくような雰囲気がつくられていく。コミュニティコーディネーターが果たすべき役割はそういった部分にあるのでは、と思っています。
学びや気づきをオープンにして保育業界全体の質を高めていく
鈴木:「まちぐるみの保育」という革新的な取り組みに挑戦している「まちの保育園」。将来的なお話をお聞かせください。
松本:「まちの保育園」としての保育の質を高めていくのはもちろんのことですが、そこだけにとどまらず、誰もが真似できるような仕組みを作って様々なところと学びあっていきたいと考えています。
鈴木:それはつまり「まちの保育園」での取り組みを、他の保育園でも真似してもらうということですか?
松本:そうですね。ふつう株式会社などの営利企業であれば、自社の利益を最大化しなければならないのでノウハウをオープンにすることはありませんよね。しかし、保育という領域では、ノウハウを閉じてしまうと業界全体としての利益になりません。
新しい人がどんどん参入してきて、お互いのノウハウをオープンにしていく。その方が、全体として良い方向に向かって行くと思っています。わたしたちだけでノウハウを閉じてしまっていてはいつか限界が来るでしょう。 保育という分野には、競争原理が働きにくい構造があります。子どもが保育園を選ぶわけではなく、親の都合で選択されてしまうこともある。だからこそ「競争」ではなく「共創」でやっていくべきだと考えています。それこそが福祉の本来のあり方です。だから、わたしたちは率先してノウハウをオープンにして全体として質を高めていければ、と思っています。
鈴木:利益や効率よりも理念を大切にする「まちの保育園」ならではの姿勢ですね。最後に、近年待機児童問題など、保育を取り巻く問題がクローズアップされていますが、業界全体としての質の向上のためにはどのようなことが必要になってくるのか教えてください。
松本:まずは、保育にまつわる根本的な問題として「量」だけではなく、前提としての「質」の議論が行われなければなりません。日本はOECD諸国の中でも、保育環境や保育関連にあてられる予算が最低ランク(*1)となっています。OECDがこうしたデータを発表しているということは、0~6歳の生育環境が将来的に社会に与える経済的・社会的インパクトは大きいということを表しているのですが、そもそも今の日本では0~6歳の子どもにどのような教育が適しているのか、そういったことが議論されておらず、市民の目が子どもそのものに向けられていない気がしています。
また、教育環境における一義的な責任がすべて家庭にのしかかっていて、社会的支援が乏しいのも現状です。しかし、「子どもっておもしろい、大事なんだ」と思えなくてはそもそも子どもを欲しいと思うことすらできません。 わたしたちは、自らが実践し、そしてその気づきやノウハウをオープンにしていくことで、こうした議論が社会的に行われていくような流れをこれから作り出していきたい、そう思っています。
鈴木:ありがとうございました。
*1:OECD「図表でみる教育:OECDインディケータ2012」によると、2009年における日本の就学前教育に対する教育支出の対GDP比は0.2%であり、これはデータの存在するOECD加盟国の中で4番目に低い水準となっている。
ナチュラルスマイルジャパン株式会社 代表取締役/松本理寿輝
1980年生。1999年一橋大学商学部商学科入学。ブランドマネジメントを専攻する傍ら、レッジョ・エミリア教育に感銘を受け、幼児教育・保育の実践研究を始める。2003年同学卒業後、博報堂に入社。フィル・カンパニー副社長を経て、かねてから温めていた構想を実現するべく、保育現場での実践活動に参画。2010年4月ナチュラルスマイルジャパンを創業。国内外の幼児教育・保育の実践研究を継続し、2011年4月「まちの保育園 小竹向原」を、2012年12月港区六本木一丁目に「まちの保育園 六本木」を開園。“こどもも地域も生きるコミュニティづくり”を、日本の保育(幼児教育)環境や日常生活の豊かさにつなげて行きたいと願っている。
聞き手/NPO法人ETIC. 事務局長/鈴木敦子
1971年生まれ。ETIC.創業期(学生時代)より参画。早稲田大学第二文学部卒業後、自分で起業→ETIC.事業化により、ETIC.の経営に参画。多くの大学生のインターンシップコーディネート業務、ベンチャー起業、社会起業支援などを通じて、20代の起業家精神の育まれる現場をプロデュース。メッセージ「仕事は面白いと思うことを一生懸命やるべし!」
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