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戦略的にまちを「撹拌」し、新しい価値を生む。釜石の復興に取り組んだ石井重成さんの考える、次世代型まちづくり

2021.05.10 

本記事は、東北リーダー社会ネットワーク調査の一環で行なったインタビューシリーズです。

 

震災後の釜石の地方創生の戦略立案、官民連携を統括するオープンシティ推進室室長の石井重成さんにお話を伺いました。

 

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石井重成(いしい・かずのり)/青森大学准教授(前・釜石市オープンシティ推進室 室長)

2012年より釜石市役所へ任期付職員として参画。地方創生の戦略立案や官民パートナシップを統括。半官半民の地域コーディネーター釜援隊の創設、グローバル金融機関と連携した高校生キャリア教育、広域連携による移住・創業支援、ローカルSDGs等、人口減少時代の持続可能なまちづくりを推進。内閣官房シェアリングエコノミー伝道師、総務省地域情報化アドバイザー、青森大学客員准教授、一般社団法人地域・人材共創機構代表理事。

2009年 大学卒業後、経営コンサルティング会社に就職

2012年 岩手県釜石市に任期付職員として働き始める

2016年 釜石市総務企画部オープンシティ推進室 室長に着任

2021年 市オープンシティ推進室室長の任期を満了し、青森大学准教授に着任

地域住民との対話で見つけた「地域の余白」

 

――釜石に関わることになったきっかけはなんですか?

 

大学卒業後、経営コンサルティング会社に就職しました。転機となったのは震災後に参加した宮城県気仙沼市でのイベントです。そこで被災地の景色や、復興に向けて活動する人々の様子を肌で感じたことがきっかけで東北に関わることを決めました。コンサルタントとして様々な課題解決に携わってきましたが、「今はここ(被災地)に一番課題がある」と感じたのです。

 

会社に退職の意思を伝えた後、東北と関わり方を模索する中でお会いした、一般社団法人RCF代表理事の藤沢烈さんに釜石市を紹介してもらいました。2012年11月から市の任期付職員として参画し、様々な事業の立ち上げを行ってきました。2016年から釜石市オープンシティ推進室室長として、地方創生戦略の責任者を務めています。

 

――着任されて、まずどんなことに取り組みましたか?

 

2012年頃の釜石市役所はまだまだ混乱期が続いていました。まずはどのような課題があるのか知るために、地域のみなさんに「何に困っていますか?」ととにかく聞き回りました。

 

その頃はまだ多くの方が仮設住宅に暮らしていて、個々人の住居の問題さえ目処が立っていない時期です。しかしそんな過酷な状況下でも、これから釜石の未来を見据えた行動をしたい、と話す方々がたくさんいたのです。もともと人口が減少していた地域に津波が直面したにも関わらず、「震災を機に多くの人が釜石を支援しているのだから、自分たちも頑張ろう」という前向きな姿勢を持つ地域のみなさんに、僕自身が励まされました。

 

地域のみなさんとの対話を経て、どんな課題に着目しましたか?

 

たくさんの方々とお話させていただいて、地域には余白や隙間がたくさんあることが分かりました。やりたいことはあっても、ひとつの団体だけでは資金集めが難しかったり、助成金を申請するのも人や時間の問題で叶わなかったり、関連する取り組みなのにうまく団体同士が連携できていなかったり、多くの余白がありました。

 

そのような状況から、地域課題を解決したり、アイデアの実現を加速させるには、コーディネート人材を増やすことが必要だと考えました。これまでの僕の取り組みで一貫しているのは、地域の余白で価値を生むコーディネート人材を増やすという点にあります。そのために取り組んだことの一つが「釜援隊」の立ち上げです。

課題解決を加速する「地域コーディネーター」

 

――「釜援隊」は、“半官半民”の地域コーディネーター機関としてまちづくりの調整を担う組織ですね。

 

釜援隊には、住民と行政、地域の中と外、理想と現実といった様々な“狭間”で活動を展開する地域コーディネーターが所属しています。元々は、2012年からRCFの復興支援チームが行なっていた地域コミュニティ支援活動を面的に広げられないか、という構想から始まっています。コーディネーターは住民・行政・企業・NPOなど多様なセクターから課題やニーズを聞き出し、まちづくりに関わる人や組織をつなぎ、官民一体の復興まちづくりを推進する役割を担います。

 

所属するコーディネーターは全員個人事業主です。総務省の復興支援員制度を使って事業化したり、釜石市の民間団体をふるさと納税の使途に指定できる制度を活用するなど、コーディネーターの活動の自由度を担保するとともに、ちゃんと彼らが食べていくための挑戦・試行を受容する環境をつくることも重要でした。

 

――地域の課題解決を加速させる担い手としてのコーディネーターの存在を後押しする取り組みですね。「釜援隊」の制度設計にあたって大切にしたことはありますか?

 

2004年の中越地震発生後、市民・行政の協働を通したまちづくりを推進した稲垣文彦さんが僕の心の師なのですが、彼から大きく二つのことを学びました。

 

一つは、人口減少時代における復興の捉え方です。阪神・淡路大震災の時は、「復旧」と「復興」はほとんど同じ意味として捉えられていました。それが中越地震の頃から、ただ「戻す」だけでは中長期的な地域活性には結びつかないことが分かってきました。つまり、「人口が何人戻ったか」という数値だけではなく、震災を機に自分たちのまちづくりの哲学を持つこと、その地域ならではの新たなコミュニティをつくりだすことが本当の復興につながっていくということです。

 

二つ目は、コミュニティを撹拌(かくはん)していく考え方です。異質なものが触媒として地域に入り、支援者、コーディネーター、まちづくりに関わる団体、地元の事業者、住民、みんなで双方向のコミュニケーションを持つことで、地域に混沌が生まれます。混沌から新しい価値は生まれるのです。ただ、地域や組織は時間の経過とともに何もしなければ硬直化してしまいます。戦略的に混沌をつくりだし、情報、お金、人の流れを生み出していく視点が必要です。この二つの視点が、釜援隊の制度設計や釜石市の地方創生戦略に活かされています。

 

――石井さんがコーディネーターに求める心構えとはどんなことでしょうか?

 

コーディネーターに必要なことは、はざまで価値を生むことだと考えています。目の前の現実をどう解釈し、どう課題を余白に転換し、どんな機会を呼び込むか。あらゆる事象を所与の前提とせず、変数として見透かしながら、全人的な立ち振る舞いによって共感の輪を広げていく。自分なりに現実を解釈する力と実際に物事を動かす力、両方が必要ですし、ある種、コーディネーターは職業であり、生き様なのです。

釜石の中と外をつなぎ、地域を撹拌する

 

――2015年から続いている行政・民間団体・地域住民が連携して開催している「釜石◯◯会議」も、様々なはざまや課題を見つけるために重要な場だったのではないでしょうか。

 

釜石○○会議は、2014年に開催された、地域内外のプレイヤーが釜石の未来について語り合う「釜石百人会議」が前身となって始まりました。何かやりたいことのある「アジェンダオーナー」が主役で、事務局から特にテーマは設けません。参加者はそのアイデアをどのように実現できるか一緒に考え、「アジェンダオーナー」を応援します。参加者同士が仲良くなったり、時にアイデアを実現する仲間になることもあります。

 

これまで「まちづくり」の会合に参加してきた層だけでなく、所属も年齢も性別も関係なく、多様な人がゆるやかにまちづくりに参加するきっかけをつくりたかったのです。開催場所をショッピングセンターのオープンスペースなど参加しやすい場所にしてハードルを下げ、小中学生から高齢者のみなさんまで幅広く参加していただきました。実際にそこから生まれたアクションも多くあります。

 

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釜石○○会議の様子

 

――この8年間での地域の変化をどのように感じていますか?

 

当たり前ですが、これだけの甚大被害を受けた地域が復興するには長い時間がかかります。現場に向き合い続けていると、どうしても疲れてしまう局面もあります。「どうして頑張るんだっけ?」と立ち止まり、物理的に休憩が必要な場合もあります。きっとそういうことは多くのキーパーソンのみなさんに起こっていると思いますが、でも最終的な意味付けは決して他者ができるものではないんですよね。自分自身でしっかり納得しなければ、その人の真のリーダーシップを発揮することはやっぱり難しい。

 

僕ができることは、常に自分を「境界線」に位置付け、コミュニティを撹拌することです。境界線にいるからこそ釜石に持ち込めた資源があります。オープンシティ推進室という「出島」から、地域を相対的に捉えてきたからこそ紡ぐことのできた物語もあるでしょうし、境界線という意識を強く持っていたからこそ、都市部の企業・人材の言語と、釜石の地元の言語をかき混ぜることができました。

 

これまで15本以上の企業とのパートナーシップ事業を立ち上げたり、移住促進・関係人口のプログラム開発を通じて、様々なプロフェッショナルを80名以上釜石に招いてきました。新たな価値観やネットワークを有する多様なプレイヤーとの交流を通じて、釜石でリーダーシップを発揮する方々の背中を少しでも後押しすることができれば嬉しいです。

次世代型まちづくりのモデルとしての「釜石」へ

 

――これからの釜石の課題はどのようなことだと考えますか?

 

本質的な課題はシビックプライドだと思います。つまり、いかに地域に対する肯定感や誇り、ロイヤリティを醸成し、釜石に暮らす・関わる人に多様なまちづくりへの参画機会を提供していくかということです。「自分の家族や友人などの大事な人を地域に呼びたいと思うか?」という市民意識をオープンシティ戦略のメジャーKPIに設定していて、これは、人口減少時代のまちづくりや地方創生における本質的な問いです。

 

いろいろな形でまちに関わるきっかけづくりの一環として立ち上げたのが、高校生向けキャリア構築支援事業の「Kamaishiコンパス」です。地域内外の多様な生き方をする大人との出会いの場をつくり、いろいろな価値観や経験を直接学ぶプログラムです。高校生が地域と関わるためのボランティアコーディネートなども行なっています。

 

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「Kamaishiコンパス」の様子

 

――地域の余白に着目し、多数の事業を立ち上げてきたこの8年間の成果について、石井さんご自身はどう振り返りますか?

 

一番の成果は、バランスボールに乗って市役所で仕事をしてる人がいても驚かなくなったことが象徴的に挙げられるのではないでしょうか(笑)。2012年に初めて釜石市役所に着任した頃、僕はよくカタカナを使う人として「アジェンダくん」と呼ばれていた時期もありますが、オープンシティ推進室がいい意味での“変態”を地域に呼び込み続けた結果、異質なものを受け入れる土壌が耕され、「こういうやり方もあるのか」「こういう人もいるのか」という多様性を受容する意識が少しずつ浸透していったように思います。これまでのやり方に捉われず、新しい出会いをきっかけに「まずは試してみる」ことが釜石の地方創生事業では当たり前になったようにも感じますし。

 

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釜石○○会議の様子

 

――これからの10年に向けて、どんなことにチャレンジしていきたいですか?

 

僕は2021年3月で釜石市役所での任期を終えます。釜石では本当にたくさんのことを経験させていただきました。お世話になった皆さんには心から感謝をしています。これからもチーム釜石の一員として、様々な形で関わっていきたいと思います。この4月からは拠点を青森市に移し、大学の教員として、実践で得た学びを形式知に落とし込んでいきたいと考えています。釜石で起きたことはなんだったのか。人々のリーダーシップによって何を起こせて、何を起こせなかったのか。次にまた大きな震災が起きた時に、それはどのように活かせるのか。震災復興や人口減少時代のまちづくりへ挑戦する現場の皆さんに、本当に役に立つようなレファレンスをつくり、地域社会の未来ある発展に貢献していきたいと思います。

 

※本記事の掲載情報は、取材を行った2021年3月現在のものです。

 


 

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【イベント情報】6/25(金)、入山章栄さん(早稲田大学)、菅野拓さん(大阪市立大学)、高橋大就さん(一般社団法人東の食の会)によるオンラインセミナー『イノベーションと社会ネットワークとの関係を考える ~「東北リーダー社会ネットワーク調査」分析結果から~』を行います。参加は無料です。ぜひご参加ください。

 

※東北リーダー社会ネットワーク調査は、みちのく復興事業パートナーズ (事務局NPO法人ETIC.)が、2020年6月から2021年1月、岩手県釜石市・宮城県気仙沼市・同石巻市・福島県南相馬市小高区の4地域で実施した、「地域ごとの人のつながり」を定量的に可視化する社会ネットワーク調査です。

調査の詳細はこちらをご覧ください。

 

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