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「思いどおりにいかなくても諦めないで」3度の人生迷子を経て水引アーティストになった女性が伝えたいこと

2023.06.27 

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「自分らしく、やりたい仕事をしたい」

 

キャリアや人生を考える時、こうした言葉を意識することはないでしょうか。しかし、どんなにそう強く思っても、自分ではどうにもできない壁や困難によって立ち止まらざるを得ない状況に置かれた時、やりたいことすら見失いそうになるのかもしれません。

 

例えば環境やライフステージの変化でより悩みを深め、でも誰にも相談できない人もいるようです。

 

水引(みずひき)アーティストの黒川杏奈さんは、これまでを「思い通りにならないことの連続で、目的地までたどり着けない“人生迷子”だった」と振り返ります。今では活躍の場を広げている黒川さんが、どう状況や心の変化と向き合ってきたのか、お話を伺いました。

 

この記事は、古い価値観を手放し、新しいキャリアや生き方を選択することで自分が納得できる人生の物語(ナラティブ)を創っていく、そんな越境的・創造的キャリアづくりを目指すトランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(略称 :  AFT)の連載記事です。

 

黒川さんの選択が、誰かにとって前へ進むきっかけになることを願っています。

 

聞き手 : 小泉愛子・川端元維(「Action for Transition」運営メンバー)

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黒川杏奈/水引アーティスト

“水引の町”長野県飯田市生まれ。親戚の影響で幼少期から日本文化に親しんで育つ。海外赴任前に改めて友人たちと水引に触れたことがきっかけで、欧州、東南アジアなど海外で制作活動を開始。現在は東京を拠点に、「花と水引」、「身につけるアート作品」をテーマにした水引制作やワークショップ等、活動の幅を広げている。

アーティストへの想いにずっと蓋をしてきた

 

――まずは自己紹介をお願いします。

 

1児の母です。今年1月、水引アーティストとして開業届を出しました。まだ歩き始めたばかりのアーティスト1年生です。

最近、ママ友にも「水引アーティストです」と自分を表すようになりました。仕事や趣味の話から、お互い誰かのママだけではなく、その人自身が見えてくるようなコミュニケーションが楽しくて、自分からオープンに話すようにしています。

 

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取材時、ホテル「ブルマン東京田町」にて開催されたアート展示で披露された黒川さんの水引アクセサリー。

桜をイメージした可憐さの中にしっかりとした存在感が印象的

 

――今年は、ホテル「プルマン東京田町」で国際女性デー、桜とコラボしたアート展示と、2回続けて展示会に参加されました。開業届を出されてから早速活躍されていますが、今の状況をご自身でどう思われますか?

 

実は、開業するまでの道のりは回り道だらけで、まったくスムーズではありませんでした。でも、今はすべての経験がここにつながっていたのだなと、腑に落ちている感覚です。以前は、「アーティスト」という生き方への想いを「私なんて無理」とずっと蓋をしたままでした。

 

――アーティストへの想いはいつ頃からあったのですか?

 

「アーティストになりたい」と思い始めたのは大学生の頃だと思います。

子どもの頃から絵を描くのが大好きで、いろんな人に褒めてもらっていました。でも、ほかにもっと上手な人がいるからと美術の道には進まず、一般的な就職活動に合わせて「自分の生き方はどれだろう」と探していました。

 

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ホテル「ブルマン東京田町」で開催されたアート展示での黒川さんの水引アート

 

――会社員時代はいろいろな習い事をされていたそうですね。

 

前職が定時帰社を推奨していたので、興味のある習い事を片っ端からしていました。2年半で、プリザーブドフラワー、ネイルアート、切り絵、韓国語、イタリア語、フランス語……。まわりからは、よく「何を目指しているの?」と聞かれたけれど、あの時は自分でも何をしたいのかわかりませんでした。

 

――習い事では、語学と、アートの感性を磨くようなものが特徴的ですね。

 

アート系では技術を習いたかったんです。自分のイメージを形にするためにはどんな道具を使って、どう工夫しながら作っていくのか。

 

感性の面では、育った環境の影響が大きいかもしれません。親族に着物の着付けの先生、お茶やお花の先生、パッチワークの先生、それに西洋美術が好きな親戚もいて、子どもの頃から身近に文化がありました。美術館にもよく連れて行ってもらっていて、その影響で日本文化も西洋文化もすごく好きでした。その中に水引もありました。

 

――同じように文化が身近にあっても意識しない場合もあると思いますが、黒川さんは興味をもつきっかけは何だったと思いますか?

 

叔母がよく手作りのものをプレゼントしてくれたし、祖母もよく姉とおそろいのカーディガンを手編みで作ってくれました。手作りのぬくもりが好きで、街でも気になるものを見かけると作り方が気になって調べていました。

水引で自己肯定感が上がる経験をした

 

――文化が自分の手元にやってくる体験から興味が広がったのですね。いろいろな文化に触れる中で、水引に魅力をもったきっかけを教えてください。

 

私の出身地は、「水引の街」といわれる長野県飯田市なんです。育ちは東京ですが、飯田の祖父母宅の床の間にはいつも水引が飾られていました。会社員引退後の祖父は、水引で家紋を作っては親戚にプレゼントしたり、お正月や慶事には近所の方が水引で縁起物を作ってくださったりして。水引が当たり前のように身近にありました。

 

水引があるだけでその場が華やかになるのを見ていたり、小学校の自由研究では水引職人のところに行って作り方を教えてもらったりしたことも印象に残っていました。

 

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展示会で飾られた桜の水引のバランスをそっと整える黒川さん

 

実は、昔勤めた職場でパワハラに遭い、適応障害と診断されて休職のちに退職したんです。とても好きな職場だったので、その事実を受け止めるのにすごく時間が掛かりました。休養期間を経て派遣社員として社会復帰したあとも体調が安定せず、心身共に思い通りにならない“人生迷子”の苦しい時期を長く過ごしました。そんな中、アートに触れる時間が私の大きな癒やしでした。

 

その流れで、「せっかくだから自分で作ってみよう」と友人たちと水引細工を作り始めてみたら“ハマって”しまって。1本のこよりから花、鶴、亀、リボン結びなどいろいろなものに変化するのがすごく面白かったんです。転職後、仕事でイタリアに勤務していたときも、出会った人に作った水引を見せるといろんな人が興味をもってくれて、周囲の反応も含めて楽しさを感じていました。

 

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夫の仕事で海外に3年ほど住んでいた時も、水引が現地の人たちとのコミュニケーションのきっかけになってくれました。

 

外国人の方に「こういう日本文化があるんだよ」と紹介すると「作ってほしい」と言ってもらえたり、私が作った水引のアクセサリーを身につけて笑顔になってくれたり。些細なことかもしませんが、喜んでもらえることが嬉しかったです。自分の中で自己肯定感が上がるんです。

 

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――自己肯定感ですか?

 

海外駐在の時は、渡航前に仕事も辞めていたので社会とのつながりも感じられなくて、「私、何をしているんだろう」としばらくふさぎ込んでいました。誰かの役に立ちたい気持ちがあってもどうすればいいかわからない。。2度目の“人生迷子”で自尊心が削がれていく経験をしました。しんどかったですね。

3年の海外駐在を終えて帰国。生き方の違和感と向き合う

 

――水引をきっかけにしんどい状況から抜け出されたのですね。

 

ある時、在住国の先住民の生活支援を行う団体があることを知ったんです。その団体では、先住民の女性たちが手作りした商品を販売して、売り上げを現地に還元する活動をしていました。その中でも、とある先住民の女性作家さんが作ったクレイビーズに強く惹かれて。「これを使って自分にも何かできないかな」と探った時に、思い浮かんだのが水引でした。

 

その後、クレイビーズと水引を組み合わせてアクセサリーを制作し、友人とハンドメイドマーケットなどに出店して販売しました。売り上げは微々たる金額でしたが、経費を差し引いて団体に寄付していました。仲間と一緒に誰かのために取り組めたこと、自分の作品を通して誰かの生活を変えられるかもしれないと思えることが嬉しかったのをよく覚えています。

 

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海外在住時、友人とハンドメイドマーケットなどでアクセサリーなどを販売していた黒川さん(左)

 

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クレイビーズと水引を組み合わせた制作の一部

 

「こういう活動をしています」とまわりの人に言えるようにもなったし、私が作った水引を誰かがSNSで紹介してくれたのをきっかけに、「日本っぽいものを友人にプレゼントしたい」と頼まれて水引を作ることも増えて、話が広がっていきました。

 

――水引から経験の幅が広がることで、自分自身に変化はありましたか?

 

使命感と自己効力感が生まれた気がします。自分が生きている目的意識がはっきりもてて、「次はこうしよう」とどんどん思いつくようになりました。それまでは自分に自信がなかったけれど、「異国の地で頑張ってるじゃん」と自分を褒めることもできて。友人も増えて、水引を中心に良い方向へと物事が進むようになりました。

 

海外駐在は3年で終わって帰国したのですが、最後の1年は初めての妊娠と出産で、つわりの症状が重かったこともあって水引作りも中断しました。長女が生後半年の頃に帰国するとすぐコロナ禍になってしまって。その後は仕事が運よく見つかったので働き始めましたが、育児と仕事と家事で精一杯の毎日になり、水引のことは正直考える余裕がもてませんでした。

 

毎日本当に忙しくて、無理し続けたせいで産後の腰痛が悪化し歩けなくなり、仕事を退職し専業主婦に戻りました。退職した直後はそれでよかったと思ったけれど、少し時間が経つとそんな状態に「おかしいぞ」と思ったんです。「私はこうなるのを望んでいたんだっけ?」と。

 

退職してから3度目の“人生迷子”になっていました。でも、何かをやりたかった。その時、SNSで『TOKYO STARTUP GATEWAY(TSG)』を知って、すごく挑戦したくなって、その時の想いを一気に書いて応募しました。自分の状況を打破する何かを求めていたんだと思います。

 

――どんなアイデアで応募されたのですか?

 

当時は、世界中の伝統工芸で後継者不足が課題になっていることが気になっていました。だから、いろいろな国を旅していた経験を活かして、世界中の伝統工芸の職人さんと若い人たちをつなげ、多様な伝統文化に気軽に触れられる、後継者のマッチングプラットフォームを創りたいと書いて応募しました。

 

でも、後になって、そのアイデアを夢物語で終わらせないためには、まずは私自身が共感を得られる存在になる必要があると思うようになりました。まわりから共感される存在になるためには、自分自身が職人やアーティストの世界に入り込んで学ばなければいけない。そう感じたときに自分の背中を押したのが水引でした。当時、一番身近で自信がもてるものだったんです。

自分の人生に責任を持てるのは自分だけ

 

――開業届を出したのはどんな理由からですか?

 

あとに引けない状況を作りたかったんです。開業届って、手続き自体は紙一枚を税務署に提出すれば完了しますが、自分にとってはそのハードルを越えるまで長い道のりでした。

 

起業に興味はあったけれど、休職や育児などで経歴にブランクのある自分ではなく、若い頃から特別なキャリアのある、かけ離れた特別な人たちの世界の話だと思っていました。

 

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黒川さんの水引アート

 

でも、出版業界でバリバリ働いていた友人が占い師に転身して開業届を出したんです。彼女はこう言っていました。「開業届は誰でも出せる。自分のバックグラウンドとは関係なくできることがいいことだと思った」と。その話を聞いて、私も「やっていいんだ」と考えが変わって、「よしやってみよう!」と開業届を出しました。

 

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国際女性デーの展示での黒川さん。作品とともに

 

――そんなふうに開業届を出してからまだ数か月後ですが、展示が次々に決まるなんてすばらしいですね。

 

子どもは今3歳で、子ども優先でいたい気持ちはありますが、国際女性デーの展示では、納期までに作品作りや準備など大忙しでした。でも、間に合わせるために文字通り必死に頑張りました。夫と、話し合いとトライアンドエラーを重ねて協力体勢を作ったり、ときには義理の母に娘をみてもらったり。ひとりでは到底無理なので、周囲を巻き込んで、時間をかけて環境づくりもしました。無事に展示に参加できたとほっとしていたら、次の展示もお声がけいただき、無事に決まってありがたいです。

 

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黒川さんの水引アート

 

――ご自身の感性と気持ちをしっかりと合わせて前に進んでいるように見えます。

 

そうなんです。20代は、私自身、何がやりたいかわからなったし、自分の意志とは別のところで人生が左右されてきたように思います。あの頃は「なぜ」「どうして」という気持ちが渦巻いて苦しいことも多かったけれど、回り道のおかげで思いがけない経験を積み、自分の芯の部分を見つけられたので、結果としてよかったのだと今では思えるようになりました。

 

どんなに不本意な環境にいても、他人にどう思われたとしても、私の人生に責任をもてるのは自分だけ。自分がその時にやりたいと思ったこと、興味を持ったことがあったらやればいいし、後悔しないことが大事だと思います。

 

私自身、変化する環境の中でも興味があることを見つけて一つずつ試していった結果、30代になってそれまでの伏線がすべて回収されていると実感できています。

感性と選択肢が広がる生き方を娘に見せたい

 

――水引アーティストとしての毎日はいかがですか?

 

バタバタです(笑)。

時間はないし疲れやすくなるし、妊娠前に自信があった記憶力も衰えて愕然としたけれど(笑)、子どもにどんなメッセージを伝えたいかを考えると、自分に自信がもてる今の生き方にたどりつけてよかったと思っています。

 

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黒川さんの水引アート

 

昔、私は苦学生だったので、海外留学は大学を1年休学して働いたお金で行き、アルバイトもたくさんしました。朝から晩まで働いて、留学先でも勉強とアルバイトを両立していました。自分にはロールモデルがいなかったので何を目指して頑張ればいいのかわからず不安で心細かった。でも、がむしゃらにやるしかなかったんです。

 

娘にはロールモデルを見つけてほしいと思っています。なかでも身近な人の背中はすごく印象に残ると思うので、私の生き方を「こういう生き方もあるんだ」ってみてくれるといいですね。

 

また、これまでは「子どもを言い訳にしない」と決めていたけれど、「言い訳にするしかない」と今は思っています(笑)。子どもの急な発熱などで周りの人に相談することも自分を許していこうと。どうあがいても、子どもがいる生活はそれまでの生活とは同じにはならないじゃないですか。有り難く周囲の力をお借りして、私は周囲からかけていただく応援に精一杯応えて子どもと一緒に楽しく暮らしていきたい。

 

――この数年で親としての考え方も大きく変わったんですね。例えば、15年後にどんな自分だとハッピーでいられると思いますか?

 

水引アーティストとして新しいアートをたくさん生み出したいです。

 

水引で桜やひまわりを作って娘に見せると、「わー!」って、まるで『となりのトトロ』でトトロを初めて見たときのメイちゃんのような表情をしてくれるんです。目を輝かせて見てくれるので、彼女の感性や選択肢が広がるものをどんどん創りたいです。

 

そうして将来的には、世界中の伝統文化が気軽に楽しめるプラットフォームを創りたいです。10年後~15年後くらいには世界中を飛び回りながらいろんな人をつないでいきたいですね。

諦め悪く生きればいつかきっと叶う

 

――最後に、黒川さんが経験された望まぬ環境下でやりたいことを見失いそうになっている方へメッセージをお願いします。

 

「大丈夫!どうにかなるから!」と言いたいです。人生で迷子になっても、自分が人生の舵取りをできない期間があったとしても、今何をやりたいのかわからなくても、どこかにくすぶっているものがあるのだったら、諦め悪く生きていればきっと思い描く状態にいつかたどり着きます。

 

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黒川さんの水引アート

 

昔、知人から「夢って叶うまで続けるかどうかなんだよ」と言葉をかけてもらったことがあります。たとえ迷い道になっても、歩みを止める期間があったとしても、それが自分にとっての最短ルートなんだと思えばいいし、何年かかってもいつか叶うから諦めないでほしいです。

 

もし昔の自分に会えたら、こう伝えたいですね。「そのまま進んで大丈夫!」。

 

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越境的・創造的キャリアの挑戦者たちにインタビューした記事はこちら

>>  トランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(AFT)

 

 

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たかなし まき

愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科を卒業後、企業勤務を経て上京。業界紙記者、海外ガイドブック編集、美容誌編集を経てフリーランスへ。子育て、働く女性をテーマに企画・取材・執筆する中、2011年、東日本大震災後に参画した「東京里帰りプロジェクト」広報チームをきっかけにNPO法人ETIC.の仕事に携わるように。現在はDRIVEキャリア事務局、DRIVE編集部を通して、社会をよりよくするために活動する方々をかげながら応援しつつフリーライターとしても活動中。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。

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