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「大切なのは、想定外のなかでも前を向く覚悟」新しい漁業に取り組む三陸とれたて市場のリーダーと右腕に聞く現場の話

2015.02.16 

東日本大震災から、早くも4年が過ぎようとしています。

東北では、社会起業家をはじめとするリーダーたちのもとに、地域を豊かにする魅力的なアイディア、支援・連携の申し出が日々寄せられ、復興へ向けて引き続き多くの課題解決に取り組んでいます。

NPO法人ETIC.では、そんな東北のリーダーたちを支えたいという想いを持った、“右腕(若手経営人材)”志望の若者たちを大募集中。3か月~1年間、東北でプロジェクトの中心として働くことが復興の一助となります。

今回は、実際に派遣された右腕が、現地でどんな日々を過ごし、何を感じながら仕事に取り組んでいるのかをご報告。岩手県大船渡市で新しい漁業の仕組み作りに取り組む「三陸とれたて市場」の代表取締役・八木健一郎(やぎ・けんいちろう)さん、製造部門長の内田充俊(うちだ・みつとし)さん、そして右腕の亘理美幸(わたり・みゆき)さんに話をうかがいました。進行はNPO法人ETIC.の諸希恵です。 左から右腕の亘理美幸さん、代表・八木さん、製造部門長・内田さん

左から右腕の亘理美幸さん、代表・八木健一郎さん、製造部門長・内田充俊さん

八木健一郎さん(三陸とれたて市場/代表取締役) 静岡県出身。インターネットで水産物を販売する「三陸とれたて市場」を立ち上げ、加工・販売までを手掛ける新しい漁業のモデルづくりに取り組む。

内田充俊さん(三陸とれたて市場/製造部門長 兼 漁師のおつまみ研究所・所長) 同じく静岡県出身。八木氏に誘われ、静岡のコミュニティFMから三陸とれたて市場に転職。漁師の優しさや人間性に触れ、船上での動画撮影や販売を手がけることに。

亘理美幸さん(三陸とれたて市場/右腕) 東京の学習塾にて、教室運営・マネジメント・営業などを経験。家族のルーツである東北の震災復興に貢献したいという想いから、現プロジェクトに参画。

三陸の海の幸と漁師料理に魅せられて

諸:あらためて、三陸とれたて市場の事業内容についてお話いただけますか。

 

八木:三陸とれたて市場は、地元の漁師と全国の消費者をつなぐ会社です。震災前からここ三陸でとれる海産物を、色々工夫しながらネット経由で直接販売していました。たとえば、その日の水揚げをその場で販売するタイムセールや、漁船にライブカメラを設置して、漁獲をリアルタイムで見物しながら獲れたものを注文できる仕組みを作ったり。

 

諸:なぜそうした仕組みを作ろうと思ったんですか?

 

八木:僕は静岡出身で、大学進学とともに岩手県にやってきました。そこで三陸の海産物の美味しさに驚いたんです。

静岡も駿河湾の豊かな海産物に恵まれているのですが、寒流と暖流がぶつかり合う潮目で鍛えられた三陸の魚介の味は格別でした。 でも、そんなおいしい海産物の価値が世の中でちゃんと評価されているわけではありません。そもそも、地元の人でさえ気づいていない。

地元の人たちは、遠方から三陸にお客さんがやってくると舟盛りでもてなします。確かに美味しいのですが、お客さんとしては「どこでも同じだな」という印象が残ります。 お客さんに舟盛りを出す一方で、家に帰ると漁師たちは、すごいものを作って食べています。アワビをいくつも入れて煮込んだ出汁たっぷりのカレーとか、イカの内臓や目玉まで使った料理とか、果ては高級なウニを調味料のように使ったりしている。

本当におもしろくて美味しい地元流の食べ方は、表に出てこないんですね。 鮑カレー

漁師が作るカレーは、アワビの出汁がたっぷり(写真中央はまるごとのアワビ)

諸:それはもったいない!

 

八木:ですから生鮮の販売だけでなく、そんな地元の食べ方をヒントにした加工品の製造にも取り組んでいます。さらに流通システムも自前で構築することで、漁師や加工に関わる人たちの収入が安定します。そうなれば新しい雇用も生まれて、若い人たちももっと地元に残るんじゃないかと。

 

諸:そうした活動を進めるなかで、震災が起こったのですね。

 

八木:津波で事務所や設備はすべて流されてしまいました。漁船も5%程度しか残らず、漁業は壊滅的なダメージを受けました。それでも、漁師さんたちと一か月後の4月11日には漁に出ました。そうしたら、それまでにみたことがないくらいの大漁で。陸は滅茶苦茶でしたが、津波で海がかき混ぜられることで、海はものすごく豊かになっていたんです。

そのときはまだ市場も壊れていましたから、一部をインターネットで販売しました。そして大半の魚を避難所に持って行って、皆さんに分けた。そうしたら、すごく喜んでもらえました。地元の人は、普段魚ばかり食べているから「肉が食べたい」とか言うんですけど、いざ食べられなくなると、そのありがたみがすごく分かる。そのとき改めて、自分たちは海と向き合わなければ、と思ったんです。

 

諸:大変な状況だったでしょうから、静岡に帰るという選択肢もあったと思います。それでも、大船渡に残って漁業の復興に取り組むことにしたんですね。そこから4年近く経ったわけですが、今回右腕を導入しようと思った背景は何だったのでしょうか。

 

八木:4年を迎えようという今、生鮮と加工も少しずつ復旧してきました。多くの人たちの支援を受けながら設備も充実してきましたし、新しく設立した「漁師のおつまみ研究所」では、地元のお母さんたちを雇用して商品開発に取り組んでいます。まだまだ課題はありますが、生産と加工の仕組みが整いつつある今、流通の仕組みづくりに取り組むため、右腕を導入することにしました。 三陸とれたて市場でのインタビューのようす

三陸とれたて市場でのインタビューの様子

学習塾の経営職から、右腕として三陸へ

諸:ここから右腕の亘理さんに話をうかがいたいと思います。大船渡に着任してから約3か月になりますが、東北で働こうと思ったきっかけは何だったのでしょう?

 

亘理:私自身は東北出身ではありませんが、家系を辿っていくとルーツが東北なんです。そんなこともあって、震災後ずっと「被災地のために何かできないか」と思っていて。あるとき、偶然インターネットで「東北 仕事」と検索して見つけたのが、「みちのく仕事」*でした。そこで復興に取り組む色んな仕事をみて「私にもできることがある」と気づいたのが、最初のきっかけですね。

*みちのく仕事:NPO法人ETIC.が運営する、右腕派遣先や関わる人々のストーリーを紹介するWEBサイト。

 

諸:なぜ、三陸とれたて市場だったのでしょう?

 

亘理:前々から、地方の産品を取り扱う仕事がしたいと思っていたんです。隠れた美味しいものを掘り起こして商品化することで、生産者の収入は増えるし、消費者も新鮮で美味しいものを味わうことができますし。東北でそれに取り組めるのが、三陸とれたて市場だったということが、ここに来ることになった理由ですね。

 

諸:三陸とれたて市場では、どんな役割を担っているのですか?

 

亘理:八木さんのお話にあったように、メインの役割は、三陸とれたて市場の商品を首都圏に販売する販路開拓の営業です。まず安定した取引先を10件確保することが目標ですね。まだまだ十分できているという感じではありませんが、年末に東京で3店舗ほど営業に回って、2店舗で取引が始まりました。 毛ガニの甲羅焼きを作っているようす

毛ガニの甲羅焼きを作っている様子

できない理由に目を向けず、どうやったらできるかを考える

諸:これまで三か月現地で動いてきて、色々と感じたことがあると思います。亘理さんが、日々の仕事のなかで大切にしていることや、気をつけていることはありますか。

 

亘理:日々仕事をするなかでは、魚が思ったように獲れなかったり、加工が予定通り進まなかったり、とにかく予想もできないような問題がたくさん発生します。私の役割である営業を進めるうえでの「できない理由」が、数限りなく出てくるわけです。そんなとき、できない理由に目を向けずに、「どうやったらできるか」を考える。そういう前向きな姿勢を維持し続けようと思っています。

 

諸:混沌とした現場で、後ろ向きになる理由を探さない、と。

 

亘理:そうですね。大船渡に来る前も来た後も、一切ぶれない想いが私にはあります。それは、営業という立場ではあるけれど、私がここにいるのは、漁師さんや、加工に携わるお母さんたちの収入を上げるため、ということです。そこに立ち返って何ができるかを常に考えるようにしています。 三陸とれたて市場でのインタビューのようす

想定外の状況に直面したとき、前を向き続ける覚悟

諸:これから右腕として現場に入り込む人たちに、メッセージをいただけますか。

 

亘理:日々接する人たちの立場を深く考えることが大切だと思います。被災した人とそうでない人では、置かれている状況が大きく違います。笑顔をたやさずに新しいことに取り組んでいて、とても前向きであるように見える現地の人たちも、本当に大変な体験をしてきています。だから、現地の人たちが時々立ち止まったり、うまくいかないことがあったりしても、そうした背景に想像を巡らせることが必要ですね。

 

諸:被災された方々に寄り添って働く人たちに必要な心構えですね。

 

亘理:一方で、被災された方々への共感を大切にしつつも、右腕である私たちは、「どうやったら状況をプラスにもっていけるのか」を追い求める姿勢が必要だと思います。実際には、現地の人たちに勇気をもらうことのほうが多かったりするのですけど。

 

諸:受入側である八木さん、内田さんからも、これかれ右腕となる方へのメッセージをいただけますか。

 

内田:混沌とした現場に飛び込む覚悟を決めることですね。右腕として飛び込む現場は、企業だけれども、いわゆる普通の企業ではありません。創業したばかりで組織体制もこれからだったり、事業環境が急激に変化したりします。大企業のなかで、ちゃんと与えられた役割があって、それを忠実にこなすという働き方とは、かなり大きなギャップがあります。

 

諸:そういったギャップを乗り越えるために大切なものはなんでしょうか。

 

八木:まだ誰もやったことがない、つまり前人未到のプロセスに参加するわけですから、どれだけ事前に覚悟していても「想定と違った」ということはあるでしょう。そのときに、臨機応変さを忘れず、前を向いていられるかどうか。

 

内田:それに、前もって事業のすべてを語って説明するのは不可能ですから、良くも悪くも想像を超える状況が待ち受けている、ということを前もって認識しておくべきですね。そのうえで、「現場に入って、どういう状況なのか分かった。事前の話と何が違うのかも分かった。じゃあ、どうしようか?」と状況に立ち向かうポジティブさが大切だと思います。

 

諸:現地に入り込んで仕事をする人たちにとって、とても参考になるお話でした。ありがとうございました!

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東日本大震災3.11
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石川 孔明

1983年生まれ、愛知県吉良町(現西尾市)出身。アラスカにて卓球と狩猟に励み、その後、学業の傍ら海苔網や漁網を販売する事業を立ち上げる。その後、テキサスやスペインでの丁稚奉公期間を経て、2010年よりリサーチ担当としてNPO法人ETIC.に参画。企業や社会起業家が取り組む課題の調査やインパクト評価、政策提言支援等に取り組む。2011年、世界経済フォーラムによりグローバル・シェーパーズ・コミュニティに選出。出汁とオリーブ(樹木)とお茶と自然を愛する。