リサーチ会社勤務の後、仙台市のNPO支援組織でリーダーの右腕役として1年間、現地の復興に取り組み、現在は地元であるNPO法人藤沢市市民活動推進連絡会のスタッフとして働く宮本裕子さん。宮本さんは、週に4日、団体が指定管理している藤沢市市民活動推進センターで働きながら、残りの時間で企業・NPOのマーケティング・リサーチや、東北に関わる仕事をしています。
今回のインタビューでは、独自のキャリアと働き方をみせる宮本さんに、現在の仕事内容や、今の働き方に至る経緯をうかがいました。
写真:藤沢市・江ノ島でのインタビュー風景
週4日はNPO職員、残りの時間はフリーランスとして働く
石川:大学卒業後に市場調査会社に就職してから、今のユニークな働き方に至った経緯などいろいろ気になるのですが、まずは今どんなお仕事をしているのかお聞きしたいと思います。
宮本:今は、正職員としてNPO法人藤沢市市民活動推進連絡会という公設民営のNPO支援センターを指定管理している団体で、NPOや市民活動を支援しています。そこでは、藤沢市周辺のNPOや市民活動をしている人たちへの相談業務や、セミナー、講座を提供しています。また、情報誌をつくるために、取材をしたり記事を書いたりもしています。昨日も、地元高校のボランティア活動の取材をしていました。センターには週4日勤務していて、基本給は13万5千円です。
石川:それは公表してしまっても大丈夫なんですか?
宮本:これは募集の際にオープンにされているので、大丈夫です。オンラインで公表された際には「この勤務条件では、現役世代が働くのは厳しいよね」とかツイートされていたのを見かけました。
石川:確かにちょっと厳しいですよね。週4勤務ということですが、他にお仕事はされていたりするんですか?
宮本:センターの仕事以外では、企業で働いていた時の経験を活かして、リサーチ関連の仕事をしています。具体的には、企業のマーケティングや調査の分析やレポートの執筆ですね。他にも、神奈川県が実施している、地域のNPOと企業をマッチングさせる事業のお手伝いを少しして、月に一回くらい、ファシリテーション役をやらせていただいたこともありました。
石川:リサーチ会社で培ったスキルと、NPOセクターで働いた経験を、うまく活用されているんですね。とても柔軟な働き方をされているなと感じます。
宮本:今の働き方を可能にしているものとしては、今の職場のボスや同僚が、私の働き方を理解してくれているということがあります。月に一度、連休を設定して東北に行けるようにシフトを設定できるとか。これは私にとって大事なことなので、採用面談の際に「私はこうやって働きたい」と伝えました。
自分が好きでいられるプロダクトやサービスを仕事にしたい
石川:働く人の意志を尊重する組織なんですね。
宮本:働き始める前に事務局長と話した際に、「相手を大切に、やさしくしていると、それは自分に返ってくる」ということを言っていて、そこが、センターのあり方として私が好きなところでもあります。センターの利用者も、他と比べると多いほうなんじゃないかな、と思います。
手前味噌ですが、臨機応変でサービスが良いと思います。10年以上、そうやって仕事を積み重ねているから、地域の人と信頼関係ができている。ここにいけば相談に載ってくれる、ということを皆が認識しています。
石川:今の職場ではたらこうと思った背景には、そういうあり方への共感というのがあったのでしょうか。
宮本:一緒に働く周りの人たちの考え方に共感したことに加えて、任せていただく仕事が自分に合っているし、やりたいことだったからですね。今振り返ってみれば、最初の就職活動の時から一貫してそうでした。メーカーならメーカー、サービスならサービスで、その会社が人々に何を提供しているのか、ということが気になって。「自分は、そのサービスなり製品を、好きでいつづけることができるのだろうか」と思っていたんです。色んなものに興味がありすぎて。だから、色々見てみたり、何かと何かをつないだりする仕事が向いているのかなと思っていました。
石川:そうした考え方から、リサーチ会社に行き着いた背景には、何があったのでしょうか。
宮本:好きでいつづけられるものが見つからないから、色々な仕事をみることができる会社がいいなと思ったんです。それでリサーチ会社を見ていった中で「自由闊達な社風です」と言っている企業に就職しました。実際のムードも自由闊達で、のびのびやらせていただきました。
コミュニケーションに過度な上下関係はなかったですし、年齢や役職の差があっても、自分の意見をもつこと、それを伝えることを良しとする空気で、女性の存在感が強いという特色もありました。そんな会社としてのあり方も好きでしたね。
リサーチ会社で磨いたスキルを活かして、プロボノに参加する
石川:僕が宮本さんと最初にお会いしたのは、ETIC.のプロボノ・プロジェクトでしたね。かなりアクティブに色々活動されている印象でしたが、仕事とそれらをどう両立されてきたんでしょうか?
宮本:会社では、1年目の終わり頃から、顧客対応からリサーチ設計、集計、報告など一通りをやらせてもらいました。大変だったこともありましたが、2,3年目には後輩も入ってきましたし、それまでに勉強したことと実務が結びつくようで、仕事は楽しかったですね。それで少し余裕がでてきて、ひと通りまわせるようになったかな、という感じはありました。 石川:そのタイミングで、プロボノなどに参加するようになったんですか?
宮本:そうですね、大学の時は色々なところに顔をだしていたんですが、会社に入ってからは、まずは仕事をちゃんとやる、ということでひたすら仕事に打ち込んでいました。それである程度余裕が出てから、会社で学んだものを持って、また外にでるようになりましたね。
最初は、サービスグラントでプロボノのプロジェクトに参加してみたんです。その時、「意外と自分のスキルは、誰かの役に立つのかも」ということを体感しました。それで、他のプログラムやイベントにも色々顔をだしてみたんです。
会社の外で出会った人たちと関わる中で、多様なはたらき方を知った
石川:イベントや交流会だけではなく、スキルを活用するプロボノのような、コミットメントが必要とされる機会に色々参加されていましたね。そういった経験は、宮本さんの今にどう影響していますか?
宮本:言葉にするとシンプルですが「いろんな人がいて、いろんな生き方がある」ということに気づいたことですね。
石川:例えば、どんな時にそう思われました?
宮本:あるプロボノのプロジェクトで北海道のとある町を訪問した時の、現地の方のお話が心に残っています。「ここの家賃は2万円で、食料は農家におすそ分けしてもらえるから、給料が少なくても生活水準は高いんだ」と。東京で働いていると、ついついみんなが自分たちのように暮らしているんだと錯覚しがちですが、そうじゃないんだなぁと思って。そういう人に直接会えたということが、大きかったですね。
石川:話に聞くのと、実際にその人に会って感じることの間には、大きな違いがありますね。
宮本:それで、「私は一度もそういう暮らしをしないで、東京でサラリーマンとしてずーっと働いて生きていって、それでいいのかな」と思って。
石川:僕はその思想にとても共感します。笑 そういうことが様々に積み重なって、震災後に退職して被災地で復興に携わる、という選択にもつながっていくのですね。
NPO法人藤沢市市民活動推進連絡会 職員/宮本裕子
1984年生まれ、神奈川県藤沢市出身。大学卒業後、都内のマーケティングリサーチ会社に4年半勤務。調査企画・提案・分析・レポーティングなど一連業務に従事するとともに、各種ボランティアやプロボノ等にも参加。退職後1年間仙台の中間支援NPOに勤務、その後地元藤沢にUターン。地域のNPOセンターで働く傍ら、マーケティングやリサーチの仕事、東北に関する活動などに従事。趣味興味は、柴犬、地図、一人旅、ライブを観にいくことなど。
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