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本音で働き、本音で暮らす。北海道下川町発「ワーク・ライフ・リンク」を探る

2017.01.06 

 

旭川から北東へ100キロ、総面積の約9割が森林におおわれている下川町は、人口が3400人ほどの小さな町。北海道の名だたる観光地のような知名度はありませんが、いま全国から移住者が絶えず、大きな存在感を示す地域となっています。

 

なぜ、下川町に人が集まってくるのか、この町ならではの魅力とはいったい何か。今回は、こうした“下川の謎”に迫るべく、この地にゆかりのある2人のキーパーソンにインタビュー。すると、町ぐるみで推進する「ワーク・ライフ・リンク」というユニークな考え方が見えてきました。

 

森に囲まれた下川町。写真はエネルギーの自給と集落再生を目指して建てられた、一の橋バイオビレッジ。

森に囲まれた下川町。写真はエネルギーの自給と集落再生を目指して建てられた、一の橋バイオビレッジ。

下川町に個性的な移住者が集まる理由とは?

 

まずお話を伺ったのは下川町議会議員の奈須憲一郎さん。奈須さんは北海道大学大学院在学中に、この地域に移住者が集まる理由を調査・研究し、その後1999年に下川町に移住した人物です。

 

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「僕の調査では、1991、92年頃から継続的に移住者が集まるようになってきました。この時期、下川町の森林事業について雑誌で特集が組まれたこともあり、林業の仕事をやりたいという人たちが集まってきたんですね。これらの人たちが核になって、人が人を呼び移住してくるという流れが続いていきました。」

 

このとき移住した人たちは、たんに林業を行うだけでなく、環境問題に関心があり、森を生かした環境づくりを行いたいという意識を持っていたそうです。

 

もう一方の流れとしてあったのが、芸術家肌の人たちが集まってきたこと。たとえばその一人は、1991年に移住し、カフェレストラン「モレーナ」を営む栗岩英彦さんです。彼は世界じゅうを旅し、多くのスケッチを描いてきた画家でもあります。また、1993年に新規就農者となった及川幸雄さんは、農業とともに、地元の山で取ってきた素材を絵具に混ぜ込んだ絵画も制作しています。このほか、地域の暮らしを題材にした作品を描くマンガ家や、丸太から彫刻をつくるチェーンソーアーティストなど、移住者の顔ぶれは本当に個性的。

モレーナのオーナー栗岩英彦さん。店内には、世界の旅の記憶を閉じ込めたかのような栗岩さんのこだわりが随所に感じられます。

モレーナのオーナー栗岩英彦さん。店内には、世界の旅の記憶を閉じ込めたかのような栗岩さんのこだわりが随所に感じられます。

「なぜ芸術家肌の人が多いのか、いろんな人と話すうちにうかんできた仮説が“白いキャンバス論”です。下川町に来た理由を訪ねてみると『なにもないから』と答える人が多いんです。たとえば知床であれば世界遺産のイメージが強いですよね。そういう固定されたイメージがない、まっさらなキャンバスのような土地だから、自分でいかようにも描くことができる。そんな可能性が感じられたのかもしれません。」

 

加えて、移住者受け入れ側の地元住民にも、開けた風土があるという奈須さん。この地域は、林業とともに金・銅の採鉱が盛んだったこともあり、町外から人がやってくるケースが多かったという歴史があります。こうしたバックグラウンドがあるからか、移住者を気軽に飲みに誘ったり、困っていれば家財道具を譲ったりなど、新しい出会いを歓迎する雰囲気が代々受け継がれているそうです。

 

 

「ワーク・ライフ・リンク」という新しい概念を提案

 

いま、奈須さんは自分より若い世代とともに、田舎への移住に興味を持つ人たちへ向けて「ワーク・ライフ・リンク(WLL)」という、新しい概念を発信しています。

 

「『ワーク・ライフ・バランス』という言葉はすでにありますよね。これはワークとライフを、いかにバランスよく保つかという概念ですが、僕にはワークとライフが、それぞれ切り分けられているようなイメージがあるんです。ですから、バランスという言葉をリンクに置き換えてみてはどうかと思いました。」

 

奈須さんがこうした考えに至ったのは、1999年に出会った岩波新書の『仕事術』(森清著)で、「公私融合」という言葉を知ったことが発端となっています。そして、下川町に移住した人々や長年地元に暮らす人々と語らう中で、その多くが公私、つまりワークとライフを融合させた生き方をしていることに気づいたといいます。

 

「仕事で得たものをプライベートにフィードバックしたり、自分の生き方そのものが仕事になり、生き方が豊かになったり。ワークとライフをスパイラルアップで高めていくような人たちが多いんじゃないかと思いました。」

 

かくいう奈須さんも、ワーク・ライフ・リンクの実践者の一人。下川町に移住した17年前、役場勤めをしつつ、移住者を中心とした「さーくる森人類(しんじんるい)」という森林ボランティアの活動に参加し、それが徐々に一般の参加者を募る森林体験活動へと発展していきました。

 

2005年には役場を退職し、森林療法協議会を起こし、また同年、NPO法人森の生活も設立し、森を生かした体験プログラムやツアーなどを実施するようになりました。

 

「僕を含めサークルに集まっていた移住者たちは、いつかは持続可能な社会をつくるための森づくりをやってみたいと思っていました。そのためにプライベートな時間でボランティア活動を行っていたんですが、森の生活をつくったことで、自分たちが一番やりたいと思っていたことを仕事にすることができるようになったんです。」

 

ライフスタイルを変えていくことが、持続可能な社会へつながる

 

自分が本当にやりたいと思うことを、仕事においても生活においても実践したいと考える奈須さんは、自分のビジョンに向かって、いまも多彩な活動を展開しています。

 

「僕は、持続可能な社会を世界レベルでつくりたいと思っていて、そのためにはまず地域モデルをつくることが必要だと考えているんです。」

 

こうしたモデルをコンパクトに実現できる、ちょうどよいサイズの地域が下川町であると奈須さんは考えています。

 

「ここなら、きっと自分が想い描いているビジョンを実現できるんじゃないかと思っています。いろんなチャレンジができますからね。下川町でモデルをつくって世界に広めたいんです。」

 

奈須さんが考えるビジョンの一部は、すでに下川町で実践されています。この町では、豊富な森林資源を生かし、伐採から植林、育成を繰り返す「循環型森林経営」による町づくりをかかげています。また、1本の木をムダなく使うために、木材として使用できない部分についても、木質バイオマスエネルギーの燃料として活用。現在、公共施設の熱需要の60パーセントを自給するまでになりました。

 

こうした取り組みは全国から注目を集め、2011年には国の「環境未来都市」にも選定され、地域活性化総合特区の指定も受けています。

木1本を余すところなく使う下川町の森林資源のカスケード利用を示した図。

木1本を余すところなく使う下川町の森林資源のカスケード利用を示した図。

 

 

 

一の橋地区にある木質ボイラー。高齢化と過疎化が進んだこの集落を再生させようと、エネルギー自給を向上させ、集住化の取り組みを進行させています。

一の橋地区にある木質ボイラー。高齢化と過疎化が進んだこの集落を再生させようと、エネルギー自給を向上させ、集住化の取り組みを進行させています。

この持続可能な社会の実現と切り離せない関係にあるのが、ワーク・ライフ・リンクであると奈須さんは考えています。

 

「都会では仕事場と生活の場が分離しています。仕事と生活が切り離されてしまうと、資本主義経済の中では、どうしても経済優先、仕事優先になってしまう。ただ、本来の姿というのは、仕事と生活が両方見える生活圏があって、互いに補完しあうような状態です。まずライフスタイルを変えていくことが必要なんじゃないかと思っています。」

 

奈須さんは、現在新たなワーク・ライフ・リンクを模索中。3年前に当時7歳と2歳だった娘さんとの時間を大切にするために、自ら立ち上げた二つの組織から退き、仕事を減らしつつ、新しい事業をスタートさせました。

 

その事業とはボードゲームの制作と販売を行うというもの。娘さんが携帯ゲーム機をほしがったときに、代わりにボードゲームを渡したことがきっかけだったそうです。

 

「ボードゲームという遊びを通して、子どもたちは算数などの勉強を知らず知らずのうちにしています。こういうプライベートの子育てで得られたものを仕事にフィードバックし、仕事を通じて子育ての環境もよくしていくことができたらと思っています。」

 

奈須さんは、自分の置かれた状況に応じて、仕事と生活をつねに変化させながら自分のビジョンに向かって、一歩一歩あゆみを続けている人でした。奈須さんは最後に「ワーク・ライフ・リンクという考えは、まだ仮説なんですよ」と笑顔を見せてくれました。

 

「下川町の人々のライフスタイルを見ていくと、本当に多彩なんです。こうした人たちと話をする中で、また新しい概念が浮かび上がってくるかもしれませんね。」

 

 

2000年代に入り、移住者の仕事と生活はさらに多様化

 

続いてお話を伺ったのは、2013年に奈須さんからバトンを受け継ぎ、森の生活の代表となった麻生翼さんです。

 

森の生活は、設立以来、森を生かした体験プログラムやツアーなどを実施し、年を追うごとに活動の幅を広げているNPO法人です。2008年には森林組合から移管を受けトドマツ精油製造販売事業を開始し、翌年には自炊可能なコテージ型の交流施設「森のなかのヨックル」の管理運営も行うようになりました。

 

麻生さんが代表になってからは、地域の広葉樹を木工用材として供給する仕組みをつくり、家具や工芸品への活用も始まっています。

 

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こうしたさまざまな仕事を行うスタッフの多くは、全国からやってきた移住者です。麻生さんによると、彼らは森の生活で働きながら、同時に下川町で自分がやってみたいことを実現しようと積極的に活動しているそうです。

 

たとえば2012年に森の生活のスタッフとなった移住者・富永紘光さんは、昨年から「薪屋とみなが」をスタートさせました。富永さんは地域で暮らす中で、薪ストーブを利用している方の中に、高齢化や仕事で忙しいなどの理由により、思うように薪が割れない人たちがいることを知り、薪の販売を始めたそうです。

 

また、2013年にスタッフとなった佐藤咲子さんは、移住した翌年から「しらかばsulo」という活動を開始。白樺の木1本すべてを大切に使いたいと、樹皮細工や染色、樹液の利用などを行い、製品の販売やワークショップを展開しています。富永さんと佐藤さんは、自らの活動を行う時間を取るために、現在森の生活は非常勤で働いているそうです。

 

「スタッフのみんなには、ここで働くことをきっかけに、自分なりのライフスタイルを切り拓いてもらいたいと思っています。森の生活は事業を行う組織ですが、徐々にコミュニティ化していきたいという想いがあります。僕たちは町外の人と話す機会も多いので、森が好き、この地域が好きという人たちとの接点のような場に、ここがなったらいいなと考えています。」

 

麻生さんが森の生活で目指しているのは“多様な生態系”です。

 

「数名の限られたスタッフで仕事をまわすのではなく、外部に仕事を委託したり、ボランティアや森の生活の会員の関わる機会をつくりながら、ゆるやかにつながる場を生み出していきたいんです。

“多様な生態系”という言葉を使ったのは、僕にとっては森林がすべてのお手本だから。森は多様であればあるほど健全で、調和度が高いんです。人間社会も森と同じような多様性が実現できると、すごく強い地域が生まれるんじゃないかと思っています。」

 

“多様な生態系”という言葉は、下川町という地域自体にも当てはまると感じられました。奈須さんが語ってくれた1990年代の移住者も、森の生活のスタッフも、独自の道を歩み、それが人と人との豊かなつながりを生み出しているのです。

 

さらに、近年、移住者の数は増える傾向にあり、麻生さんが昨年知り合った人のうち、木工作家、木製オルガン制作者、塾講師などすでに5名が今年に入ってこの地に移住を果たしているそうです。

 

今年、下川町に移住した木工作家・臼田健二さんの作品。通常は使われないような変色した木の風合いをあえて生かした器などを制作。

今年、下川町に移住した木工作家・臼田健二さんの作品。通常は使われないような変色した木の風合いをあえて生かした器などを制作。

 

トドマツなど地元の木材を蒸留してつくった「フプの森」のエッセンシャルオイル。代表の田邊真理恵さんは、もと森の生活スタッフとしてトドマツ精油事業を担当。2012年に事業移管を行い「フプの森」を設立。

トドマツなど地元の木材を蒸留してつくった「フプの森」のエッセンシャルオイル。代表の田邊真理恵さんは、もと森の生活スタッフとしてトドマツ精油事業を担当。2012年に事業移管を行い「フプの森」を設立。

ワーク・ライフ・リンクとは本音で仕事し生活すること

 

麻生さんの出身は愛知県。北海道大学の森林科学科で学び、その後関西の種苗会社に勤務したそうです。

 

「もともと農山村の可能性を切り拓いていきたいという想いがあって就職しましたが、本当にやりたいことができない言い訳を、つねに考えていたように思います。」

 

麻生さんは会社を辞め、その後2010年に森の生活へ転職し、仕事の環境は大きく変化したそうです。

 

「たとえばインタビューを受けるにしても、以前だったら会社のいち担当者として、何かを気にしながら話していたでしょうけれど、いまは、できるだけいつわりなく自分の言葉をたどりながら話すことができるようになりました。本音で仕事ができるし、本音で生活ができていると思います。」

 

本音で仕事をし、本音で生活をする。麻生さんのこの言葉は、まさにワーク・ライフ・リンクを象徴するもののように感じられました。

 

しかし一方で、経済的にも安定しつつ夢を実現させるのは、たやすいことではないようにも思えてしまいます。田舎暮らしへの憧れは持っているものの、なかなか一歩を踏み出せないという人も少なくないはず。そうした人たちに向けて、どのようにきっかけをつかんだらいいのか、麻生さんにアドバイスを聞いてみました。

 

「都会で暮らす人が、いきなり田舎に移住して起業というのは、確かに難しいかもしれません。一足飛びには行動できませんからね。だから、僕はまずは試しにやってみることが大切だと思います。

 

たとえば森の生活のスタッフのように、ここで働きながら自分の生き方を探すのもいいですし、また1月から始まる『くらしごとツアー』に参加してみるというのも方法だと思います。」

 

下川町では1月、2月に就業希望者と起業希望者に向けた「くらしごとツアー」という1〜2泊の地域体験プログラムを実施予定です。このような実際に体験する場を通じて、はじめてわかることもあるのではないかと麻生さん。

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「くらしごとツアー2017冬」のチラシ。

 

「下川町はワーク・ライフ・リンクの実験場であってほしいと僕は思っているんですね。ここには、自分が本音で生きる実験をする人たちを応援しようとする空気があります。何か助けが必要であれば、役場や地域の人たちがサポートしてくれる可能性がすごく高い。それに、やってみてやっぱり都会のほうが合うとなれば、戻ってもいいわけです。なぜかというと、ライフスタイルというのは、理念ではなくて、今日このときの暮らしそのもののことだから。やりながら試行錯誤するしかないと思うんですね。自分も下川に移住した人たちもみんな実験中です。」

 

ちなみに麻生さんの実験テーマは「現代版マタギ」。子どもの頃から、自然と人との調和について漠然と興味を持ってきたそうで、狩猟を行ったり、山菜やキノコを採取したりと、さまざまな森の恵みを生活に生かしてきた精神を21世紀らしく形を変えて受け継いでいきたいのだそうです。

 

「ワーク・ライフ・リンクのひとつの形に、森の仕事というものがあると思います。今回お話ししたように、丸太を薪にしたり白樺の樹皮を利用したりと、本当に多様です。ものすごく可能性があって、きっとまだ見ぬ仕事がいっぱいあるはず。そういうものを掘り起こしていくことで、人と森の関係が再構築されて、新しい文化が生まれていくんじゃないかと僕は思っています。」

 

今回2人にインタビューを行い、奈須さんはワーク・ライフ・リンクの概念を「仮説」と語り、麻生さんはワーク・ライフ・リンクを求めて「実験中」と語ったのが印象的でした。つまり、ワーク・ライフ・リンクとは、すでに結果や答えが出ているものではなく、いままさに下川町の人たちが、自分たちのビジョンをつくりあげようとする、現在進行中の概念と言えそうです。

 

ということは、この町に新しく移住してくる人々のアイデアや動きによって、この概念はさらなる展開を見せていくのかもしれません。下川町で一緒に“実験”してみたい方は、ぜひ一度現地を訪ねてみてはいかがでしょうか。

 

お知らせ

 

2017年1〜2月、下川町に興味のある方や起業・就労を考えている方に向けて「くらしごとツアー」を開催します。就業者向けと起業家向けのプログラムがあり、町の概要や取り組みの説明だけでなく、人材を募集している職場のスタッフや起業した人々などとの交流も行います。ご応募、詳細は以下から。

 

  • くらしごとツアー2017冬(ちょっと暮らし)の詳細はコチラ

 

 

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來嶋 路子

編集者。アートの雑誌や書籍の編集を手掛け、『みづゑ』編集長や『美術手帖』副編集長を務める。2015年にフリーとなり「ミチクル編集工房」設立。5年前から拠点を北海道に移し、東京との二拠点暮らしを開始。岩見沢でエコビレッジをつくりたいと奮闘中。その道のりをウェブ「コロカル」にて連載中。http://michikuru.com