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波佐見焼の商社から見た今後のものづくり経営に必要な「シンプル思考」とは?定番ヒット商品を生んだプロセスを大解剖―マルヒロ・馬場匡平さん【ローカルベンチャー最前線】

2018.11.30 

遡ること8年。Facebookが日本法人を立ち上げ、SNSの存在が一気に生活の一部となったひと達が急増したさなか、突如タイムラインに流れてきた「それ」は、私たちのイメージする「伝統工芸」を明らかに覆すものだった。

マルヒロの定番商品「HASAMI」のマグカップ。波佐見焼のアイコン的商品である。

マルヒロの定番商品「HASAMI」のマグカップ。波佐見焼のアイコン的商品である。

長崎県内で唯一、海に面していないまち・波佐見町。佐賀県との県境に位置し、焼き物の里として400年以上の歴史を誇るそのまちは、大量生産を得意とし、日常食器の産地として名を馳せている。 最盛期では国内シェアの約1/3を占め、いまでも出荷額は全国でも上位3位に入るほど。また焼く工程ごとに分業制をとっているのが特徴的だ。

全国でも3位のシェアを誇る長崎県。大量生産を得意とするので事業所の数に比べてシェア率が高い。 (引用元:東彼商工会資料より抜粋)

全国でも3位のシェアを誇る長崎県。大量生産を得意とするので事業所の数に比べてシェア率が高い。(引用元:東彼商工会資料より抜粋)

2000年の産地表記指定明確化を国から命ぜられる前までは、そもそも存在していなかった波佐見焼。

有田の下請け的存在だったがゆえ、代表的な商品がなく、出荷額も高度経済成長期の終わりと共に全体的に落ち込んでいった。そんななか、突然現れたのがマルヒロの「HASAMI」シリーズのマグカップだ。

伝統工芸といえば連想する「和」のイメージとは全く違い、モードスタイルな生活シーンに馴染むようなスタイリッシュなデザイン。

また特徴的なのはその絶妙な色使いで、ジャパニーズレッドやクリアブルー、スモーキーグリーン、マスタードイエローなど、たとえ北欧雑貨と混ざってもまったく違和感のない配色とフォルムは、登場してすぐに若者たちの心をつかみ、波佐見焼の名を一気に全国に轟かせた。

そんな波佐見焼の定番商品としてすっかり有名になった「HASAMI」シリーズだが、ヒット商品を産み出すまでいったいどんな背景があったのだろうか。当時の商品開発の責任者であり、祖父、父、と継いで今年の8月にマルヒロの3代目社長に就任したばかりの馬場匡平(きょうへい)さんに当時を振り返ってもらった。

有限会社マルヒロ 代表取締役社長・馬場匡平さん。波佐見焼の人気商品「HASAMIシリーズ」の生みの親。

有限会社マルヒロ 代表取締役社長・馬場匡平さん。波佐見焼の人気商品「HASAMIシリーズ」の生みの親。

ガサモンから A級品へ取扱い変更。価格競争に巻きこまれる

「祖父が1957年に創業したマルヒロは、産地問屋で、元々は窯焼きさんが作った商品を店舗に売りにいくのが専門だったんです。新品でも急須の口やお皿の角が欠けて売り物にならないものを補修作業して、箱ごと仕入れて叩き売りをしていたんです。いわゆる『ガサモン』の専門商社だったんですよ」

 

と、馬場さんは緑色のプラスチックの箱を見ながら語りはじめた。

 

「モノが足りない戦後当時だったから成り立った商売だったんですが、高度経済成長期からは見た目の良い商品、美品を求めるお客さんが一気に増加しました。そのため叩き売り商売をやめてA級品を取り扱うよう、社長の代替わりを期にやり方を変えたんですよね。

 

けれどいざやってみるとA級品を取り扱っている商社はすでに波佐見町内でもたくさんいるんで、後発組のマルヒロでは同じ窯元の商品でも上代(筆者註:標準小売価格)が100円ほど違うっていうケースがよくあって、結局、価格競争に勝てず、そのまま自社倉庫にOEM商品を含め500近い商品が在庫で眠っていました」

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2年間の修行時代で抱いた違和感

「そんななか、親父が急に福岡で友人と暮らししていた僕の家に来たんです。日曜の朝に突然ひとこと『波佐見に帰ってこい』って。その時、僕は福岡でフリーターでいろんなバイトをしていたんですが、ちょうど仕事をやめた時で何もしていなかったんですよね。それまで何も言わなかった親父が急に呼び出したことと、ちょうど仲の良い同級生がUターンで戻ってきたこともあって、ま、これもタイミングかと、軽い気持ちで戻ってきました」

 

ーそれまでは何か別の場所で焼き物を勉強していたのですか?

 

「いいえ、それも全然で。専門学校卒業後に大阪でインテリアショップに8ヶ月勤めたあとは福岡でアパレルとかパン屋とかエレベータの設置とか、焼き物とはかけ離れた仕事をしていました。当時22歳ですね」

 

ーなるほど。ではそれまでは焼き物に関しては全くの未経験で、ゼロの状態から始められたんですね。

 

「そうです。で、そこから二年ほど百貨店やら卸問屋など得意先に通って窯元の完成品を売るんですけど、美大も出ていない僕からしたら『こんな椿の柄いる?』って思うことがほとんどだったんですよね。素人の僕から見たら、『伝統工芸品で柄入りの茶碗が1500円するなら、無印良品で800円のものを買って、残りのお金を趣味に使いたい』と扱っている傍ら思ってました」

 

魯山人、有田焼……勉強して行き着く先はやっぱり「シンプルが一番

ー目の前の完成品と馬場さんの普段の生活シーンにズレがあったということですか?

 

「そう。でもまずは基礎を身につけないとと思って、魯山人など国内外の有名陶器も本や資料など見ながらリサーチしていたんですけど、結局やればやるほど『食器は食べられればいいっちゃない?』というシンプルな答えがただただはっきりしていくだけだったんですよね」

背後にあるのはマルヒロで扱っている商品の型枠。インタビュー場所は森に囲まれた自社倉庫・アトリエで行われた。馬場さんはこの場所が落ち着くそう。

背後にあるのはマルヒロで扱っている商品の型枠。インタビュー場所は森に囲まれた自社倉庫・アトリエで行われた。馬場さんはこの場所が落ち着くそう。

 

ー違和感が大きくなっていくなかで、マルヒロの在庫も増えていったんですよね。そんな状況のなか、転換期となったきっかけは何だったんでしょうか?

 

「それはやはり中川政七商店との出会いですね」

たった一行が行動のきっかけに。そこから二年、中川政七商店との二人三脚がはじまる

「実はもともと、マルヒロでは中川政七商店の商品を店頭で販売していたんですよ。で、すごくセンスがいい会社だなって当初から思ってたんですが、息子さんの中川淳さんが帰ってきてブランディング事業に携わってからみるみる会社が急伸していって、それを僕らは傍らで見ていたので、先代も気になっていたんでしょうね。ある日、急にこの本を買ってきて会社にもってきたんですよ」

当時、2代目社長が馬場さんのもとに持ってきた本。これがマルヒロの運命を変えた。

当時、2代目社長が馬場さんのもとに持ってきた本。これがマルヒロの運命を変えた。

「で、この本の終盤にひとこと、 “同業界非競合の他社を手伝う一つの手段として、コンサルティングを考えている”と書いてあって。それを読んだ先代が本気にして『じゃあ自分たちと一緒にやってくれないでしょうか』と、直接、中川淳さんに電話したんです。

 

そしたら『決算書類を3期分、奈良まで持ってきてください』といわれて用意することになったんですね。ただ悲しいことにその過去3期分というのがマルヒロの歴史上、ワースト3の業績でして。『ああ、これは100%無理ね〜』と家族で話してました(笑)」

当時、経営が悪化する状況に苦戦する毎日だったころ。

当時、経営が悪化する状況に苦戦する毎日だったころ。

 

ーけれど結果からいうと中川政七商店さんとやることが決まったんですよね。

 

「そうですね。お会いした翌日に中川さんから電話があり、2年契約でまとまりました。その後、中川さんから提案されたのがマグカップと蕎麦猪口、あとラーメン鉢の3種類だったんですが、最初に取り組んだのがマグカップじゃなくて蕎麦猪口やラーメン鉢だったら、確実に今のマルヒロではなかったな、と思います」

自分の周りが喜ぶものを提供したい。マーケティングは一切なし。

ーそうして馬場さんは中川さんと二人三脚でHASAMIのマグカップを完成へと導いていくわけですね。ちなみにどういう風にマーケティングはされていたのでしょうか?

 

「よく、40代の女性で子供が2人いて……って、いかにも需要がありそうな年代や、そのひとたちの生活を想定してから商品開発するじゃないですか。そういう類は一切しなかったですね。 なぜなら当時僕が若すぎて、40代の人のイメージが全然湧かなかったんですよ」

 

ー確かに、20歳も離れたひとの日常って想像しづらいですね。

 

「そうなんです。だから僕は、自分が好きな友人たちが日常食器として使ってもらえるものを作れたらそれでいい。当時の友人は釣りや音楽とか洋服とか、自分の趣味を大切にしているひとがとても多かったんで、そういうひとたちにマルヒロのマグカップを使って欲しい。そのひとたちに相応しいのはいったいどんな形なんだろう、と考えることから始めました。波佐見焼とか伝統工芸とか、そういうことではなくて、自分たちの素材や技術でどこまでできるかということを追求していったんです」

趣味が大切な友人たちの食卓へ。そのメッセージが形や色の決め手となる

マルヒロの店舗前。休憩時間にはスタッフがスケートボードで遊んでいた。

マルヒロの店舗前。休憩時間にはスタッフがスケートボードで遊んでいた。

「デザインも、本当はプロのデザイナーに頼みたかったけど、当初はそんなお金もないから自分たちでなんとかやるしかない。リサイクルショップで1個500円までと予算を決めてサンプルを500個集めて、あーだこーだと職人さんと話している日々がしばらく続きましたね。

 

そして最終的にはコーヒー党だけでなくスープ派のひとにでも楽しめるようにと、180ccのお湯を入れてかき混ぜてもお湯がこぼれない程度の容量に落ち着きました」

 

ーHASAMIの色使いも絶妙だなと思うのですが、あれはどうやって決めたのですか?

 

「色は、自宅のクローゼットにあるTシャツの色を参考にしました。赤、青、黄と、普段自分が着なれている色を30色用意して釉薬専門の職人と実現できるかどうかを相談しつつセレクトしていきましたね。柄は無地。戻ってきた当初から抱いていた違和感を、ここで形にしました」

天草陶石100%の波佐見焼。焼き上がると強く頑丈で濁りがなく美しく仕上がる。

天草陶石100%の波佐見焼。焼き上がると強く頑丈で濁りがなく美しく仕上がる。

マグカップは中川さんが「若いんだから、マグカップやりなよ」って勧めてくれたのがきっかけだそう。

マグカップは中川さんが「若いんだから、マグカップやりなよ」って勧めてくれたのがきっかけだそう。

伝統工芸ブーム×サードウェーブ。時代の波と行動が伴ったとき、ヒット商品は生まれた

マグカップのほかお皿やコップなどシリーズで展開。スタッキングできるのが特徴。

マグカップのほかお皿やコップなどシリーズで展開。スタッキングできるのが特徴。

結果、マルヒロはHASAMIシリーズ発表年に年商8000万だったのが、それから8年かけて年商3億円まで業績をあげ、見事にV字回復を遂げた。また現在、認知度が上がったことによって掛け率が以前は38%だったのが現在は60 %になり、経営状態は以前と比べてだいぶ良好になった。

 

—馬場さんが波佐見焼に戻った当初から抱いていた違和感は正解だった、ということですね。

 

「本当にラッキーパンチャーで、HASAMIシリーズが世にでた2010年は、ディスカバージャパンやCasa BRUTUSなどの雑誌が次々と伝統工芸の特集を組んでいたんですよ。と同時にコーヒーのサードウェーブもきていて。本物志向の若者がまちなかに増えていったのも大きかったです。さらにはライフスタイルショップが出現したり、アパレルブランドが食器メーカーとコラボレーションしたりなど、横断的なビジネスも流行りだして……と、いい流れに乗ったって感じですね」

 

ーお父さんが本を読んで電話をかけ、馬場さんが友人に向けての商品を開発する。親子で起こした小さな行動が、時代の波によって大きな注目を浴びるようになったんですね。

型屋ではなく自社倉庫で保管。こうすることによって自由に型を生地屋にいつでも持ち込めるようになり、生産スピードもあがった。

型屋ではなく自社倉庫で保管。こうすることによって自由に型を生地屋にいつでも持ち込めるようになり、生産スピードもあがった。

若者を応援する職人たち。それが攻めの伝統工芸となる突破口になった

ー伝統工芸のリブランディングで成功するにはやはり職人さんの存在が必要不可欠だと思いますが、価値観の違いなどで軋轢は生まれなかったのでしょうか?

 

「波佐見焼は分業制なので型屋、窯焼き、生地屋、釉薬とそれぞれの専門知識を持ち寄りながら、6人がメンバーとなって動いていたんですが、全員、新しい考えを受け入れてくれる人たちで。当時は50、60代と親世代の職人さんだったのですが、皆、小さい頃からの知り合いでしたし、僕が『商社でも商品開発したい』て言いだす前にも、波佐見では外部プロデュースで陶磁器が売れたときがあったので、比較的受け入られやすかったんです」

 

ー職人にも時代の流れにあった商品を作らないといけないという自我が芽生え始めていたかもしれないですね。

 

「そうですね。波佐見全体での出荷額も減っていましたしね。なので新しいことをやりたいと思っている職人さんが父親世代でもいたんです。あとHASAMIを作っていた職人さんたちってみな、バブルを経験しているんですよ。相当数、食器を焼いた時代を経験していると、技術も馬力もかなり違う。なので新しいことでもパターンを何個作っても最後までついてきてくれました。これはとてもありがたかったです」

ものが売れない時代に考えるものづくりの未来とは?

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ーHASAMIが売れてちょうど8年経ち、多くの伝統工芸からリブランディング商品が出ています。また一方で、ものが増えすぎて売れない時代に突入していますが、馬場さんは今後のものづくりをどのようにお考えでしょうか?

 

「今ちょうど転換期にさらされているなと僕自身感じていますね。バブルを経験した職人さんたちが高齢になりパワーダウンしているなかで40代の職人が波佐見に少ない。人材を新たに雇用したとしても、ものが売れない時代なので、量が作れない。となると技術や馬力が徐々に低下していきます。この状況のなかで僕自身もどうしようかと悩んでいるところです」

 

ー馬場さんとしては、ものづくりは具体的にどうあるべきだと思いますか?

 

「最近、ドイツのベンチャー企業が山登り用のスティックに浄水ストローを内蔵した商品を発表していたんですが、それだと、防災用としても使えます。そんな風に『ものって必要とされるから生まれてきている』って思うんですよ。でも今は圧倒的に需要より供給の方が多い。リサイクルショップにもたくさん食器は並んでいるし、実家に帰ってもあふれていますよね。そんな時代のなかで必要とされるものって果たしてあるの? という状況に陥っているのが正直なところです」

 

苦しくなり続けるものを残す、というのは違う

ー昔のようなシンプル思考がいま、また別の形でやってきている、というところですか?

 

「陶器の産廃料も、地球環境保護の観点から年々上がってきています。極論、伝統工芸なので後世には残したいけれど、僕は、苦しくなり続けるものを残す、というのは違うんじゃないかなと思っているんですよね。利益追求で多店舗展開とかもいいのでしょうけど、未来も見えないまま動いてしまうと『着地どこ?』ってなりますし、その態度がお客さんにも伝わってしまう。

 

なのでいったん今は止まってあたりを見回している状況です。マルヒロが、5年後どこに向かっていくのかを、じっくりと考えたいです。定番商品ができた上での行動、これがいま、僕には求められている課題だと思います」

あえて紙皿に見立てた、ユニークな商品も。使い捨てへのアンチテーゼが垣間見える。

あえて紙皿に見立てた、ユニークな商品も。使い捨てへのアンチテーゼが垣間見える。

そう、素直に今の気持ちを話す馬場さんの目はとても真剣だった。

 

インタビューの間、馬場さんの背中ごしにマルヒロの全商品の焼型が目にはいる。まるでじっと、こちらの話を聞いているかのように静かに佇んでいるように見えた。

 

波佐見焼のアイコン的存在としてHASAMIが売れ、マルヒロの定番商品となり、確かに経営は安定した。しかしマルヒロ「らしさ」とは、その商品そのものというよりも、自分たちが使いたいものをつくりたいという、シンプルな「想い」そのものがコアにある。

時代の変容と共に世間の多様化、要望が変わっていくなかでそのシンプル思考の行き着く先はいったいどこなのだろうか。次のステージはいったいどんなものなのだろうか。原点回帰した馬場さんが仕掛ける次のアクションには、きっとものづくりの未来へのヒントが明示されているだろう。

 

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ローカルベンチャーPROFILE

馬場匡平さん

長崎県波佐見町で、波佐見焼の問屋の家に生まれる。高校卒業後、福岡の流通専門学校に入学後、実家の取引先である大阪のインテリアショップで働く。福岡でフリーターとして、洋服屋、パン屋、エレベーターの設置など、様々な仕事を経験したのち、父親の申し入れで家業を継ぐ。現在、波佐見焼の陶磁器ブランド『HASAMI』を始めとする、4つのブランドを展開中。2018年に代表取締役社長に就任。

 

有限会社マルヒロ

所在地:佐賀県西松浦郡有田町戸矢乙775-7

設立:1957年

資本金:1,000万円

従業員:19人(社員)

事業内容:陶器の販売、制作

URL:https://www.hasamiyaki.jp/

この記事を書いたユーザー
フルカワ カイ

フルカワ カイ

九州にUターンしたのをきっかけに地域活性に興味を持ち始め、編集・ライターとして独立。地域活性にまつわる記事執筆のほか、ブランディングやコピーライティングも担当。noteではビジネス小説も執筆中。

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