東日本大震災から10年を迎える2021年。
新型コロナウィルス感染症の影響もあり、未来の不確実性が議論される今だからこそ、東北のこの10年の歩みは、「未来のつくり方」の学び多き知見になるのではないでしょうか。「311をつながる日にする会」によるインタビューシリーズ(全6回)、第4回は、宮城県南三陸町でものづくりによる地域活性化に取り組んでいる南三陸復興ダコの会の大森丈広さんです。
南三陸復興ダコの会 大森丈広(おおもり・たけひろ)さん
宮城県南三陸町で、名産のタコをモチーフとした合格祈願の縁起もの「オクトパス君」をはじめ、地域資源を活用した「モノづくり」により地域住民の雇用と交流の場づくりを目指している。
地域住民の雇用と交流の場をつくることを大切に活動した10年
――どんな活動をしているのかご紹介いただけますか。
大森:今仕事をしている職場は「YES工房」という、廃校だった建物を活用した工房です。震災後の地域住民の雇用と、交流の場を作るという2つの目的でスタートして10年。地域の資源を生かしたものづくりをテーマにしています。つくっているのは、「オクトパス君」というタコのキャラクターの文鎮がメインです。名産のタコを食べ物以外でPRしたいということで震災前の2009年につくった「置くとパスする」という縁起物を、震災後復活する活動から始まりました。その他にも、養蚕が盛んだった歴史・文化を持つ地域ということで、可愛い繭細工をつくっています。山の資源も豊かなので、間伐材を生かした木製品も。この3つを柱に運営しています。
――大森さんは最初から活動に加わられていたのですか?
大森:YES工房の発足した2011年7月1日のちょうど1年後にメンバーに加わって、現在は代表になっています。私は南三陸町出身で、小・中・高校と地元で学んで、その後東京・仙台で仕事をしていました。
震災当時は仙台にいて震度6弱だったので、すぐに直感で津波が来ると思いました。両親がいた南三陸の実家に電話してもつながらないので不安の中で過ごしました。何日か経って両親からメールが届いて、震災から1週間後に実家に帰ることができました。
その後、仙台と実家を行ったり来たりしている間に、両親と一緒にいると安心する自分に気が付いて、実家から通える仕事を探しました。役場の臨時職員をしていた中でYES工房の活動を知り、絵が描ける、グラフィックデザインを手掛けられる人を探しているということで、メンバーに加わりました。
――2012年、2013年を思い返すと、今と比べてどうだったのでしょう。
大森:震災で家や職場を失くしてしまった地域住民が、避難所に一日ずっといるだけという生活を続けていて、精神衛生上つらかったと聞いています。震災のつらい記憶を紛らわせる手段として単純作業が必要で、オクトパス君の色塗り作業から再開したというのもあります。
最初は復興支援として買ってもらったものが、現在は、純粋に合格祈願の縁起物として「頑張れる」「癒される」「可愛い」という声をお客さまからいただいていて、そういう変化は私たちも感じて前向きな気持ちにさせてもらっています。
町全体も、がれきの山がなくなっていき、大きい工事はほぼ終わって様変わりしています。一方で、震災前に交流があった人たちが疎遠になってしまったのを感じています。公営住宅などハード面の整備は進んだのですが、地域住民の心の拠り所やケアが行き届いていないというのは、私自身リアルに感じています。
YES工房は地域住民の交流の場で、休憩時間は雑談しながら、笑いながら仕事ができる貴重な職場です。東京や仙台では考えたことがなかったのですが、心が安らげる、人が集まる場づくりが大事なのだとこの10年で感じています。
みんなでつくってきた「頑張る人をゆるく応援する」世界観
――その心境の変化は震災の影響でしょうか。
大森:震災がなかったら南三陸に帰ってくることはなかったと思います。けれども震災前と違うのは、地域の中での自分の役割というか、関わる領域が広くなり、自分が町に還元できることは何かと考えるようになったことです。
――事業がここまでくるのにはいろいろあったと思うのですが、本当につらかった、苦労されたことは何でしょうか。
大森:一個一個の仕事に全力で突き進んできた10年で、正直もう少し計画性を持ちたかったというのはあります。ただできることも限られていて、そのときは目の前の仕事で一杯いっぱいで、終わった後に「ここをこうすればよかった」と反省することもありました。でもその反省は次につながっています。YES工房は男性より女性の方が多く、いろいろな世代のスタッフ、小さいお子さんがいるスタッフもいるのですが、みんなが自由に仕事できる職場になるように働く環境を整備してきました。
「頑張る人をゆるく応援する」というオクトパス君の世界観がありまして、私自身も、頑張る人に「頑張れ」ではなく、そっと一緒に、ゆるく応援することを大事にしています。「ゆるい」が大切で、相手を否定しないで肯定するキャラクターとしての世界観は、みんなでつくってきたものです。自分の前職のノウハウを生かしているのですが、ここ数年その効果が出ていて、九州や関東圏から「オクトパス君が好きだ」と訪ねてくれる人がいて、そこから交流が続いています。
――復興ということで始まった活動が、よりポジティブに切り替わったのはいつ頃からですか。
大森:YES工房が復興から「支援に頼らないやり方で頑張る」となったのは、おそらく4~5年前からです。数年限定で活動をスタートしたのですが、自分たちにとって大事な場所になっていて簡単にはやめられなかったのです。そこから「自分たちで頑張れるだけ頑張ってみよう」ということで、継続していくために利益をどうつくっていくのか、どんな方法で売り上げを立てるかを考えるようになりました。
現在は、全国のみなさまの支援に頼るやり方ではなくて、復興の先にある「よりよいものをつくってお客さまにお届けする」ということをしっかり意識するようにしています。
YES工房を地域の若者を雇用できる場に成長させたい
――コロナ禍で日本中、世界中が生活のスタイルを変えなければならなくなった中、震災とその後の経験でコロナにも強く立ち向かえたというようなことはあったのでしょうか。
大森:コロナの影響で、昨年の5月がどん底で売り上げが前年比の8割に下がりました。現地に来ていた観光客や教育旅行の受け入れが見込めなくなったときに、現実的にできる方法はオンラインでの販売強化しかなかったので、疫病退散のアマビエの商品を急遽つくったりしました。
その中でオンラインではいろいろな地域の方とつながれることを知り、そこでもコアなファンの方ができたので、前向きにできることをやっていくということに関しては震災の経験が生きているのかもしれません。
私個人としては、売り上げが下がれば10人のスタッフのお給料が払えなくなるので、不安でたまらない部分はありましたが、そうはいってもネガティブになっても解決しないので、現実的にどうやって少しでも売り上げをつくるのか切り替えました。
――この先、この取り組みをどうしていきたいですか。未来の話を教えてください。
大森:自分自身もそうですがYES工房は、地域の若者を雇用できる職場になっていきたい、という近い将来の目標を持っています。企画開発・デザイン・製作・販売を一貫してこの木造の小さな工房の中で行っていて、ハイテクな最新式の機械を使って設計するものもあります。田舎でもものづくりの仕事ができる場所、安心して生活できる環境があってこそ、UターンやIターンのきっかけになります。YES工房がものづくりの好きな人が活躍できる場として成長していく、しっかり売り上げをつくって、責任を持って若い世代を雇用する。これができればYES工房として成功だし、結果的に地域に還元する方法なのかなと思っています。
――ありがとうございました。
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