宮城県気仙沼市といえば、水産業をイメージする方が多いかもしれません。たしかに、気仙沼港はカツオの水揚げ20年連続日本一を誇る有数の漁港。市の製造業出荷額の8割を占めるのは水産加工品です。でもその市内南部に、昔は「乳の流れる町」と呼ばれるほど酪農が盛んだった本吉という地区があるのをご存知でしょうか。
ここは、2009年に気仙沼市と合併するまでは本吉町という独立した自治体でした。かつては町の農業総生産の3分の1を畜産が占め、ピーク時の1970年代には100軒以上の酪農家がいたといいます。その地で半世紀の歴史を持つ牧場が「モ~ランド・本吉」です。
過疎高齢化の波に8年前の東日本大震災の打撃が追い討ちをかけ、この老舗牧場をとりまく環境は激変しました。しかし長年人々に愛されてきたモ~ランド・本吉はいま、外から来た人材の力を借りて将来への一歩を踏み出そうとしています。その人材とは、地域おこし協力隊員として今年1月に着任した狐塚聡志(こづかさとし)さん、30歳。さて、どんな動機や抱負を持ってモ~ランドへやってきたのでしょうか。
子供たちに愛されてきた地域の牧場
漁船や水産加工施設、真新しい商業施設や市営住宅が立ち並ぶ気仙沼市街地を離れ、車で南へ。完成したばかりの三陸自動車道本吉津谷インターを降りて10分ほど内陸へ走ると、山道が急に開け、目の前に52ヘクタールの牧草地が現れます。牛たちが草をはみ、小高い丘の上から遠くに海を臨む景色は、市街地とはまるで別世界です。
ここが、地域の人なら誰でも知っている公共牧場「モ~ランド・本吉」。農事組合法人モーランド(以下モーランド)が市の指定管理を受けて運営しています。50年前の誕生当時からの業務の柱は、周辺の酪農家から子牛を預かって育成することですが、平成に入ってからは観光牧場としての整備も次々と進められてきました。
1991年の公募で「モ~ランド」の愛称が決まり、その後は広々とした景色を眺めながら焼肉が食べられる食堂や、全長123メートルの滑り台などの遊具、また「まきばのがっこう」として小動物とのふれあい施設なども設置され、付近の幼稚園や小学校の遠足のメッカになってきたとのこと。また、2008年には、雨の日でも屋内でアイスクリームやバターなどの手作り体験ができる研修棟も新設されています。
▲全長123mの滑り台は完成当時の日本最長だったとか▲
▲べ~ごこハウスのテラスからは海が臨めます▲
さらに、ミルクハート館という加工施設では、酪農家から集めた乳を低温殺菌し、昔ながらのビン詰め牛乳として出荷・宅配しているほか、ババロアやヨーグルトなども製造。これら加工品は、その後も時代に合わせて内容やパッケージのリニューアルを行い、道の駅ほか市内各所でも人気商品となっています。また、毎秋開催される「モ~ランドまつり」は、広大な芝生の上でバーベキューを楽しめる人気イベントで、来場者は2,000人を超えるとか。
このようにモ~ランド・本吉は、合併前の本吉町民のみならず地域の人ならだれでも、子供の頃、また子供を連れて一度は訪れたことのある「思い出の場所」なのです。
▲モ~ランドで預かるのは乳用牛(ホルスタイン)のみ。子牛は生後6か月以上▲
環境激変、牧場の維持にヨソモノの力を
しかし、モ~ランド・本吉の経営を取り巻く環境は決して楽観できるものではありません。
動物を扱う畜産業は農家の負担が大きく、高齢化とともに全国で廃業が続いています。本吉地区も例外ではなく、以前は地域に100軒以上いた酪農家が「いまは片手で数えられるほど」(モーランド総務課の榧木〈かやき〉良輝さん)になってしまいました。「生乳の価格が過去15年以上ほぼ変わらない中で、新規で酪農に手を出す人などまずいない」(気仙沼市産業部農林課の遠藤秀和さん)という厳しい状況なのです。
それに伴い、牧場として預かる牛の頭数も以前の70頭から現在は50頭以下に。また、モーランドがこだわる低温殺菌のビン詰牛乳は今でも週2回の宅配を行っていますが、800戸あった得意先が2011年の東日本大震災で一気に3割以上減ってしまいました。
「そのうえ、牧草から放射性物質が検出されたという報道で、体験学習などが軒並みキャンセルになってしまったんです。それで52ヘクタールの牧草地ほぼ全面を掘り返し、土を入れ替えることで安全を確保しました」(モーランド代表理事の及川義紀さん)
その後の営業努力で、近年の年間来場者数は3~4万人と漸増傾向を維持しているというものの、冬場の閑散期をどう乗り越えるかは依然として課題。また地域の子供の数が減り続けるなか、今後「さらに市内外からの交流人口を増やさなければならない」という危機感があるといいます。
▲「おいしさには自信をもってオススメできる」(市農林課・遠藤さん)というモーランドの牛乳と乳製品▲
「公共牧場であっても、牛の育成受託以外の事業収入で人件費などを賄う必要があり、適正な利益の追求は私たちの命題なのです。そのために、今あるものを使ってやれるだけのことはしてきたつもり。でもここから先は私たち内部の人間だけでは限界がある。新しい考え方で新しいことに挑戦していかなければ」――そう感じた及川さん、榧木さんたちは、気仙沼市が募集する「地域おこし協力隊」制度の活用を決めたのでした。
「普通に求人情報を出しても地元の人にしか届きません。私たちが欲しかったのは外からの視点。域外から人を募るには協力隊の制度利用が必要だった」(及川さん)といいます。
「フカヒレのイメージしかなかった」気仙沼とのご縁
「海の見える豊かな牧場の体験イベント企画運営・PR担当募集」――そうやって募集を始めたのが昨年11月のこと。探求心とやる気さえあれば、もちろん畜産の経験は不問という条件でしたが、誰でもいいというわけにはいきません。関係者はみな長期戦も覚悟していました。
それがなんと、ひと月も経たないうちに手を挙げた人がいたのです。それも気仙沼に2年ほど住んだことがあり、大学では畜産を勉強していたという人が!
▲農業組合法人モーランド代表理事・及川義紀さん(右)と狐塚さん▲
1988年生まれの狐塚聡志さんは、千葉県の出身。大好きな動物に関わることがしたいと大学は農学部に進み、畜産を専攻しましたが、その後の狐塚さんの経歴はかなり異色といえるかもしれません。卒業後、「行くなら就職する前の方がいいと思って」JICAの青年海外協力隊に応募。南太平洋のソロモン諸島に赴任し、環境教育に携わります。2年の任期を終えて帰国すると、次は復興庁からの派遣という形で気仙沼市へ。
「ちょうど大学卒業の年に東日本大震災が起きたんです。ソロモン諸島でボランティアをしている間もずっと、いずれは復興支援に携わりたいという気持ちは持っていました。そこで帰国後、JICAの方からの紹介もあって復興庁の派遣職員に応募したのですが、勤務地については希望を出したわけではありませんでした。気仙沼と聞いたときは、フカヒレくらいのイメージしかなかったですね(笑)」
▲青年海外協力隊時代の狐塚さん(狐塚さん提供)▲
派遣先の気仙沼市役所では、農政に関わる業務に2年間従事。その間に「モ~ランド・本吉」にも出会いました。
「といっても直接仕事で関係があったわけではなくて、プライベートで何回か遊びにいきました。動物たちがのんびりリラックスしているのを見ると癒されるし、ヨーグルトやババロアなどの乳製品もおいしいし、いい施設だなあと」
▲遠くに海を臨む、滑り台の上からの眺め▲
そのときはまだ、ここで働くことになろうとは夢にも思っていなかった狐塚さん。任期終了後は千葉にもどり、国際物流の会社に就職します。そして2年後、ふたたび気仙沼に戻るため地域おこし協力隊の募集に手を挙げたのでした。でもなぜ?
「実は、復興庁派遣時代に気仙沼で知り合った人がいまして。千葉に戻ってから2年間の遠距離恋愛を経て、自分のほうが気仙沼に移住することを決心したのは去年の秋です」
狐塚さんがモーランドの求人を知ったのは、ちょうどそのタイミングでした。まさに自分のために用意されたようなポジションに、狐塚さんはご縁を感じたといいます。すぐに応募し、順調に採用が決定。今年1月中旬に着任し、2月初めに奥様ともめでたく入籍されました。
「入籍と同時に、8歳を筆頭に3人の息子の父親になりました。自分でも面白い人生だなと思います(笑)」
いつまでも愛され続ける牧場に
さて、モ~ランド・本吉で実際に働き始めて2か月あまり。狐塚さんはいま、「まきばのがっこう」という体験施設を中心に、一通りの業務を経験しているところだといいます。「外の視点で新しいアイデア」を期待されている狐塚さんですが、手始めにもう公式ウェブサイト<https://www.moolandmotoyoshi.com/>のリニューアルを実行したとか。
「動物とのふれあいでは、うさぎにリードを付けてお散歩する『うさんぽ』という新メニューを企画中です。この牧場はお客さまとの距離がとても近いんですよ。『うさんぽ』も実際にモニターとして体験していただいて、お子さんや保護者の方々の目線でご意見をいただけるのが有難いですね」
▲動物と触れ合える「まきばのがっこう」▲
ほかにも、売り場の商品陳列方法の改善や、訪問販売といった販路拡大のアイデアを練っているとのこと。モーランド代表理事の及川さんは、「具体的な数字目標の設定はこれから」としつつ、「変に固まらずに伸び伸びやってほしい。そのために彼がやりたいと思ったことをやれる環境を作っていく」と目を細めます。
一方、大好きな動物に囲まれる仕事をしつつ、狐塚さんは小さな子供の親になった目線でこんな感想も。
「牧場というのは、自然体の動物を観察できると同時に、家畜は何のために存在するのかを学べる場所でもあります。特に肉牛の説明は難しいのですが、子供のストレートな質問に対してわかりやすく、かつ怖がらせないように答えるのは勉強になります」
そんな心やさしい狐塚さんの活躍で、モ~ランド・本吉はこれからどんな変化を見せるのでしょうか。気仙沼市街地からの距離も新インターの開通で改善されたうえ、以前は海水浴場として賑わった近くの大谷海岸の再整備も計画されているとのこと。市内の家族連れだけでなく多様な来場者でにぎわう、人々に愛され続ける牧場として発展していく姿が楽しみです。
まずは自分が“好き”と思える場所でないと
ところで、気仙沼市が地域おこし協力隊の募集を開始したのは2016年度。狐塚さんはちょうど10人目だそうです。隊員の任期は3年ですから、まだ「卒業生」は出ていません。この「卒業後」の展望がきちんとイメージできるかどうかが、協力隊への応募を決める際の一大ポイントと言えるでしょう。Iターン者であればなおさらです。
地域おこし協力隊を募集する自治体は全国にありますが、その制度活用の意図はさまざま。協力隊員個人が3年かけて自分のやりたい分野での起業を目指す「起業型」も増えるなか、気仙沼では市として注力したい分野を担う組織に“右腕“人材を派遣する「ミッション型」が中心となってきました。これまでに地域商社や林業・エネルギー関連企業、観光DMOなどに協力隊員が派遣され、既存事業のテコ入れや新規事業開発などを担当。「卒業後」については、3年間培ったものをベースに「独立」という新しいチャレンジを含む、さまざまなパターンが想定されています。
今回、地域の核となるモーランドという老舗組織に派遣された狐塚さんの場合、最も自然な「卒業」の仕方として、3年後のモーランドへの移籍・継続雇用が前提でした。モーランド・狐塚さん共に当初からその希望が明確だったことも、今回のスムースなマッチングにつながったと言えそうです。
念願の気仙沼移住を果たし、公私ともに充実した狐塚さんに、これから地域おこし協力隊への応募を考えている人へのアドバイスを伺ってみました。
「任務や仕事を云々する前に、まず自分が“好き”と思える場所でないと難しいと思うんですよ。気仙沼は心のあったかい人たちが多いんです。最初のころ、言葉が聞き取れなくてちょっと困ったこともあったけど(笑)なんでも親切に教えてくれました。もちろん食べ物はおいしいし、楽しいイベントも多いし。これが自分の使命、などと気負いすぎずに、まずは町を楽しむ感覚で来たらいいんじゃないかな」
実際、狐塚さんの穏やかな語り口には、「挑戦」や「情熱」などのギラギラした言葉があまり似合いません。でもモーランドの行方を担うミッションへの期待は大きく、結果を出さなければ将来は厳しいことも事実です。その責任感を静かに支えているのは、家族という新たな拠り所のようでした。
「正直に言うと、もし結婚を考えた相手がいなければ気仙沼に戻ってくることはなかったですね。これまでは、せっかくの人生、なるべくいろんなところに住んで違う経験がしたいと思ってました。でも結婚して親になって考えが変わった。これからは自分が動きたいというよりも、子供たちにいろんなものを見せてあげたいと思っています」
東日本大震災の被災地に、ボランティアや復興支援という形で外からやってきた人は膨大な数に上ります。その中には、そのまま就職・起業して定住した人、さらに一度は離れても再び戻ってきた狐塚さんのような人が決して少なくありません。その理由として、もちろん「その土地の魅力に惹かれた」という共通項はあるにしても、そこから先の事情は十人十色。移住定住に至るまでのパターンは実に多様です。
そんな多様な「ヨソモノ」たちがそれぞれの方法で地域に根づき、周囲の人たちと幸せに暮らしていく。そして、ヨソモノと地元の人たちとのつながりが多重化し、「個別の活動がヨコにつながって協働がうまれつつある」(気仙沼市移住・定住支援センターMINATO・千葉可奈子さん)という気仙沼。これからどんな化学反応が生まれるのか。そして、それがモ~ランドのような地場産業にもどのような好影響を与えていくのか。ぜひ現地を訪れて肌で感じていただきたいと思います。
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