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まちづくりは「ドラクエ」だ。「月額90万円の人」の挑戦は続く 株式会社ホーホゥ 木藤亮太さん-ローカルキャリアの始め方(第10回)-

2020.09.08 

わずか4年で29もの店舗や企業を誘致したことで、シャッター街と化していた宮崎県日南市(にちなんし)の油津(あぶらつ)商店街は劇的な変化を遂げました。その立役者となったのが、今回ご紹介する木藤亮太(きとう・りょうた)さんです。木藤さんは、月額90万円という破格の委託料も話題となった、日南市油津商店街テナントミックスサポートマネージャーに、全国333人もの応募者の中から選ばれました。

 

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大学卒業後、福岡市でまちづくりコンサルタントとして働いていた木藤さん(D)。日南市とつながったのは、元々転職を考え始めていたところに、インターネットでたまたまテナントミックスサポートマネージャーの公募を知ったことがきっかけでした。2013年同職に着任し(B1)、さらに任期中の2014年3月には油津の仲間と共に「株式会社油津応援団」を設立(A)。自らリスクを取って商売をする「民」の顔と、行政と協働する「公」の顔を持ちながら、「4年間で20店舗のテナント誘致」というミッションを150%達成しました。4年間の任期終了後は、地元でもある福岡県那珂川市(なかがわし)に拠点を戻し、新たなまちづくりを仕掛け続けています。試行錯誤の中からつかんだ「油津流」まちづくりが、また別の地方へと広がりを見せる、木藤さんのローカルキャリアに迫ります。

 

木藤さんの変遷

木藤さんの変遷

 

「月額90万円」のアグレッシブな公募が日南市との縁をつなぐ

 

「行政がやっている事業って、市民にはあまり認識されてないですよね。予算がどれだけかかって、成果がどれだけ出ているかも知らない。それが『月額90万円の人』というキーワードで話題を呼んだことで、市民の認知度がぐっと高まりました。厳しい声もありましたが、知ってもらっていることが後押しにもなりましたし、行政がそれだけ覚悟を持って取り組んでいるというところに惹かれました」

 

木藤さんのキャリアの転機となった日南市の公募は、日南市長に﨑田恭平さんが九州最年少(当時33歳)で就任したタイミングで実施されたものでした。マーケティング専門官として民間から田鹿倫基(たじか・ともき)さん(当時29歳)が登用されるなど、立て続けに若い顔ぶれが登場し、「若い世代でもまちづくりに参画できる」という期待感が日南市全体に生まれつつありました。

 

「日南市の公募条件で一番魅力に感じたのは、日南市への移住が必須だったことです。これまでの行政は東京や福岡など大都市のコンサルタントに発注をして、出張で専門家がやってくるというパターンなんですよね。それまでは僕自身もそうでした。結果、現地にいる時間は少なく、地域のことが理解できないままに仕事をしていたように思います。もっと地域に入り込んで、密度の高いコミュニケーションをすることが必要だと感じていました。

 

そんな思いから前職を辞めようと決心した私が社長に話を切り出すと、妻も含めて三者で話すことに。辞めてからどうするという話になったとき、長年自分を育ててくれた社長の方から『商店街マネージャーの公募知ってるか?君が一番求めている仕事だと思うよ。受けてみるべきだよ』と、話を出してくれたんです。受かったら宮崎に引っ越さなきゃいけないという条件、しかしその話を妻も横で聞いていて、『あなたが心からやりたいと思える仕事なら応援する』と。自分の思いに理解のある人達が後押ししてくれて、『応募するしかないな』と決意が固まりました」

 

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2016年には中小企業庁の「はばたく商店街30選」にも選ばれた油津商店街

 

家族と共に移住した木藤さんは幼少期に転校経験があり、知らない土地での生活や子どもの転校には大きな不安はなかったそう。むしろ、家族で移住するからこそ地域の方々との関係性が作れるのではという期待があったと言います。

 

「単身赴任の道も選べたんですが、僕が子どもの頃、父はそうしなかった。家族一緒に新しいまちで生活を送り、『あのときあのまちはこうだった』というのが思い出や成長につながっているので、家族での移住は自然な選択でした。宮崎は子育て環境としては抜群ですし、家族で来たおかげで地域の方々と仕事だけじゃない、人間的なつきあいができたと思っています。自治会長さんが顔を見に来てくれたり、小学校の運動会では近所の人みんなが子ども達を応援してくれたり。油津応援団という社名も、実は地域の人達が一生懸命子ども達を応援する光景を見て思いついたんです(笑)。

 

こういった生活レベルでの人とのつながりから地域情報も入りやすくて、それが事業へ発展したケースもあります。例えば商店街にできた保育園は、息子達が通っていた保育園の園長先生と話をする中で案が生まれました。任期終了時の送別会は妻も一緒で涙、涙でしたし、子ども達も油津を好きになってくれた。家族ごと受け入れてもらえたと感じています。家族にとってもいい4年間でした」

 

家族での移住が伴うキャリアチェンジの場合、配偶者の理解や、家族にとってプラスの経験になりそうかの見通しがあることは、やはり重要なファクターだと言えそうです。

 

応援の連鎖が会社という形になった

 

油津商店街の復活の狼煙とも言える存在が、空き店舗となっていた喫茶店をリノベーションしたカフェ「ABURATSU COFFEE」です。

 

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油津商店街の「奇跡」はここから始まった

 

「よく『あいつはどうせ4年ももたずに帰ってしまうんだろう』と言われたりしました。まちづくりは4年で終わるものではない。商店街をサポートし続ける持続的な仕組みが必要だったんです」

 

そこでカフェのオープンをきっかけに設立したのが株式会社油津応援団でした。当時日南商工会議所の事務局長だった黒田泰裕(くろだ・やすひろ)さん、「九州パンケーキ」の発売など、宮崎ではフードビジネスの第一人者として知られる村岡浩司(むらおか・こうじ)さん、そして木藤さんの3名が30万円ずつ出資して設立した、民間投資の会社です。

 

「カフェをつくるために、銀行から800万円借り入れました。借金返済は少なくとも5年かかります。それは4年経っても関わり続けるという覚悟を示すためでもありました。『こいつはけっこう本気だ』という認識が広がり、油津応援団を応援する人達が出てきたんです。応援は出資金という形になって、今では47人の市民から1500万円以上の投資が集まりました。

 

黒田さんや村岡さんは、商店街の事業を自分ごとのように応援し、支えていてくれました。僕自身もお店の運営に関しては長けた経験もないですし、スタッフも含めて支えてくれる誰かが常に周りにいたから、心折れずに最後まで走れたんだと思っています。専門家として油津商店街を応援するつもりで来たのが、逆に応援されてしまった感じですね。そんな『応援の連鎖』がつながって様々な動きが生まれました。その大元は覚悟だと思います。大事なのは『覚悟』とそれを『応援』する気持ちです」

 

ABURATSU COFFEEを皮切りに、2015年11月には多世代交流モールがオープン、2016年にはIT企業の進出が相次ぎました。空間としても油津商店街は大きく変わり、評価も高まっていきます。とは言え、木藤さんの任期終了が2017年3月ということは多くの関係者が意識しており、木藤さんがいなくなってもやっていけるような体制づくりが模索されていきました。

 

「『いると頼っちゃうから離れた方がいい』『やっぱり残ってほしい』。いろんな声がありましたが、最終的には地域の人達が自分達でやらなきゃという気持ちになることが必要と考えていました。私に任期があったのはよかったと思います。とはいえこれからも必要なときに支え合ったり、自発的にやっているときは見守ったり、油津というまちといい距離感を保つことが大事だと思います」

 

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日南市での任期終了を祝うパーティーの様子

 

次なるステージは、人口増加中のベッドタウン

木藤さんの新たな挑戦の場となったのは、地元である福岡県那珂川市(なかがわし)でした。子どもの頃は父親が転勤族で各地を点々としていたため、地元意識があまりなかったという木藤さんですが、油津での4年間を経てどこで仕事がしたいか考えたときに浮かんだのは、やはり那珂川市だったそうです。

 

「以前は那珂川市でまちづくりが動き出すイメージはありませんでした。家はあるけど寝るだけのまち。単なるベッドタウン。自分も住んでいるまちのことを真剣に考えたことがなかったんです。油津で4年間暮らしたことで見方が変わったんだと思います。『今まで気付かなかったけど、けっこうおもしろいまちだ』と思うようになりました」

 

木藤さんが油津へ行った頃は、那珂川市でもこれから少しずつまちづくりを仕掛けていきたいというタイミングだったそう。油津で木藤さんが注目され始め、任期中に那珂川市役所の関係者が視察に訪れたり、逆に木藤さんが博多南駅ビル事業に関するプロポーザルの審査員として呼ばれたりと、徐々に那珂川市とのつながりができていきました。

 

那珂川市に戻った木藤さんは、2017年4月から2年間、事業間連携専門官という行政や市民をつなぐコーディネート役を担いました。そして2018年に「株式会社ホーホゥ」を、さらに2019年には「株式会社バトンタッチ」を設立。ホーホゥは、那珂川市が所有するJR博多南駅前ビル「NAKAICHI」の運営に関わっている会社です。1990年のJR博多南駅開設以来、博多まで新幹線で8分という便利さから、那珂川市は福岡市のベッドタウンとして人口も増加傾向にあります。しかし駅に帰って来るのは博多で用事を済ませて来る人がほとんどで、乗降客数の割に賑わいのない駅前ビルとなっていました。転機となったのが、2018年の単独市制の施行です。那珂川町が市となるタイミングで駅前ビルをリニューアルし、少しでも人の立ち寄る場所にしたいと2015年にスタートしたのが、「こととば那珂川」という事業でした。その事業者選定プロポーザルの審査員を木藤さんが務めたのです。

 

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博多南駅前ビル「NAKAICHI」にて

 

同事業ではリニューアルオープンまでの3年間、様々な社会実験的イベントが繰り返され、その結果を踏まえた設計と改修が始まりました。木藤さんが那珂川市に戻ったのはちょうどこの頃。駅前ビルリニューアルオープン後の運営事業が始まることを知ります。民間の発想で動ける主体を作りたいと、計画段階から中心となって動いていた坂口麻衣子(さかぐち・まいこ)さん、那珂川市出身で市民活動分野に強みのある森重裕喬(もりしげ・ゆうすけ)さんの3人で設立したのが株式会社ホーホゥでした。その後、他社と協働体制を組んで指定管理業務の公募に応募し、晴れて2020年4月からNAKAICHIの運営に本格的に関わるに至りました。

 

もう1つの株式会社バトンタッチは、那珂川市のメイン通りに位置する創業39年の老舗喫茶店「キャプテン」を継承するために、また別の3人で設立した会社です。発展する那珂川市にとって失ってはいけない文化を守るために、木藤さん達が受け継ぐことを決意しました。店長や料理長を務めるスタッフを探して、前マスターにコーヒーの入れ方からナポリタンの作り方まで全て指導を仰ぎ、以前と全く変わらぬ味とメニューで営業を続けています。そのクオリティは、常連さんも作る人が変わったことに気付かないほどだとか。

 

「キャプテンは舟をひっくり返したような個性的な空間が魅力。まちのメイン通り沿いなので不動産の引き合いも多く、閉店となればすぐに更地になって別の建物ができる。そうすると、どこぞのまちの何号線と変わらないチェーン店が立ち並ぶ風景になってしまいます。発展するまちでは、まちから消えて行ってしまうものがこれからどんどん出てくる、そういうものをなんとか残したいという思いで、事業継承を担う会社『バトンタッチ』を立ち上げました」

 

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底引き漁船の船長経験もあるマスターから引き継いだ「キャプテン」

 

「油津流」が活きる、地元・那珂川市でのまちづくり

 

日南市は「人口減のまち」、かたや那珂川市は「人口増のまち」です。同規模ながら対照的な両市ではありますが、人が集まる空間の運営や老舗喫茶店の再生などは、油津商店街での取組を彷彿とさせます。

 

「最初から意識していたわけではないんですが、油津で学んだ方法論がすごく活きていると思います。まず1つは行政(公)に近い立場で始めて、民間と行政をつなぐような役割を担ったところ。公共に近い人として見られることもある一方、あくまで発想は民間という、コウモリのような存在かもしれません(笑)。でも、どっちの目線にもなれるのは大切だし、どちらとも密にコミュニケーションが取れる立場というのも、重要だと思います。

 

それから、『3人で30万円出し合って会社を設立する』というのも油津応援団と同じ手法ですね。私はチームを組むとき、あえて専門性や活躍の領域・ネットワークが違う人間と組むことを重視します。自分にないものをもっている仲間だからこそ、幅が広がるんです。

 

もう1つは、施設の構成です。今運営している駅前ビルのNAKAICHIは、1階にバスの待合室と店舗と保育園があって、2階はイベントスペースとカフェにオープンデッキ、3階はシェアオフィス、そして屋上にビアガーデンが入っているんですが、これって油津商店街の構成とすごく似てるんです。商店街だからといって、生活必需品が並んでいる従来の商店街として再生するのではない。駅前ビルだからといって、電車を利用する人だけを相手にするわけではない。どちらのプロジェクトも、それぞれの空間やコンテンツに新しい価値を与えて、これまで関わっていなかった新たな層の人達をいかに呼べるかということへのチャレンジです。気が付けば那珂川市でやっていることが、油津商店街でやってきたことにどんどん近づいてきていますね」

 

応援の連鎖は「見える化」することから生まれる

 

木藤さんが活動の中で心がけているのは、顕在化・具現化させることだと言います。それが事業になったとも言えるのが、同じく那珂川市から受託している「まち活UPなかがわ」です。「那珂川市でこんなことをやってみたい、挑戦してみたい」という思いをもっている人を発掘して応援するという事業で、2019年9月にスタートして以来、市民から40件以上の相談がありました。市内の様々なパン屋さんのパンを神社の境内で一度に楽しめるイベントや、ママ同士のマーケティング座談会、古い家の解体時に廃棄される部材を思い出として残すプロジェクトなど、すでにいくつものチャレンジが生まれています。

 

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マママーケティング座談会に集まったメンバー

 

「油津でも那珂川市でも、やってること自体は革命的でも発明的でもなんでもない、それぞれは誰もが思いつくアイデアに過ぎません。しかしそういった人々を後押しして、目に見える形に仕立てててあげるのが僕の役割だと思っています。思いを絵に描いたり、意見を交換できる場を作ったり。思いを聞き取って、できるだけ形にして、仲間で共有するというのを逐一やっていくだけで、意外と実現していくんです。これはコンサルタントとして培ったスキルでもありますね」

 

この事業をきっかけに那珂川市で初めてカードゲームでSDGsを学ぶ会が開催されたのですが、40~50代のお父さん世代の方が参加していたことから、コロナ禍の中で更なるチャレンジが生まれることにつながります。

 

きっかけはコロナ禍。まちづくりに目覚めたお父さん世代

 

「まち活UPなかがわでは普段は女性からの相談が多くて、男性は少ないんです。ですがSDGsの勉強会をきっかけに、普段は見えてこない40〜50代のお父さん世代が自分達でまちをなんとかしていくおもしろさに気付いた。『俺達にもなんかできることないやろうか』って火がついたんです。そこへコロナ禍が訪れた。ベッドタウンですから、これまで昼間はまちにいなかったお父さん達が、在宅ワークも重なってまちにいるようになったんです。そこで、数名のお父さん達が市内のテイクアウト情報をまとめたウェブサイトをボランティアで作ってくれたんです。さらに宅配ボランティアまで始めちゃった。普通は宅配してもらえないような山手のエリアにも届けると、まちの人からも『生まれて初めて出前が来た!』って喜んでもらえました。その声を受けて、彼らはボランティアに終わらず、すでに事業化を視野に会社を立ち上げたところです」

 

日頃は遅くまで博多で働いて飲んで帰ってくるため、まちづくりに関わる機会のなかったお父さん世代が、コロナ禍を機に動き出しました。地元・那珂川市の商売のよさに気付き、応援しようという機運が出てきたのです。このお父さん層(40〜50代)の動きが活発になってくることは、那珂川市にとって新たな変化につながります。

 

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SDGsの勉強会をきっかけに思わぬ動きにつながった

 

「まちの活性化って、お店ができることや人通りが増えることではなく、1人1人が『まちがどうなったら良くなるか』と『考える』ことなんです。そして考えるだけでなく、小さいことでも『動く』ことなんです。油津でも、1つ1つの小さな個人レベルのチャレンジが生まれ、それをみんなで支えて、応援しあって、それらが連鎖のように続いてきた結果、まち全体が大きく変わったように見えてるんですよね。

 

実は最近は『まちづくり』って言葉はもういらないんじゃないか?って思ってます。『まちをつくる』なんて神様にしかできない(笑)。『まち』なんて勝手にできていくものですから。ただ僕達は、まちを少しでもよくしていくために、いろんな方向を向きながら自分達でできることを、シンプルに一生懸命やっていくだけなんです。その過程で関わっている人達の温度・熱量が高まっていくのが大事なんじゃないかと。そういうものの必要性を改めて感じています」

 

まちづくりは「ドラクエ」だ

 

木藤さんが油津でも那珂川市でも大切にしてきたのは、覚悟を持って挑戦し、応援し合う土壌を作っていくこと。誰しもがチャレンジャーであり、誰しもが応援者であるという、有機的なつながりを生むことが、暮らしていて楽しいと思えるまちへとつながっています。

 

「よく学生向けに話すんですが、 まちづくりって『ドラゴンクエスト』みたいなものなんじゃないかと。悪のボスを倒しに行くとき、1人だと倒せない、必ずパーティー(チーム)を組んで臨みますよね。個性豊かなキャラがいて、それぞれに特殊能力や弱いところがあって。油津や那珂川市ではまさにそういう風にいろいろな力をもった人達がチームを組んで物語を達成することができた。僕1人だったら無理でした。

 

一方で、その中心にいる主人公『勇者』ってなんの特徴もなくて、平均的な力しかないんです。しかし魅力的。なぜか?彼は父をその悪のボスに殺されていて、『あいつを絶対倒してやる!』という使命感と腹をくくった覚悟だけはもっている。それが大切なんです。そんな勇者が真ん中にいれば、周りに魅力的な仲間が集ってくる。油津商店街のプロジェクトは、38歳にして僕が初めて勇者になれた仕事だったように思う。

 

社会に出て、パーティーをつくるとき『君には何ができる?』『君の武器は何?』と必ず聞かれる。実は同じ武器を持っている人とは組む必要がない。自分が持っているものとは違う能力や武器がある人を選びたい。なので、若いうちは自分に何ができるか見定めてほしいし、その武器を学生時代にしっかりと身につけてほしい。もちろん、ずっと勇者でい続ける必要はありません。ただ、一生に1度か2度は勇者になれる仕事がある。チャンスが来たら逃さず食いつけるように、常にアンテナを立てておくのが大事だと思います」

 

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次に「勇者」になるのはあなたかもしれない

 

「ドラクエ」で仲間を探すのは、「ルイーダの酒場」という場所です。ここで主人公の勇者は仲間を見つけたり、パーティーに加えたりします。木藤さんは、そんな人と人をつないでいくリアルなルイーダの酒場を、今次々と生み出しているのかもしれません。

 

 

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この記事を書いたユーザー
茨木いずみ

茨木いずみ

宮崎県高千穂町出身。中高は熊本市内。一橋大学社会学部卒。在学中にパリ政治学院へ交換留学(1年間)。卒業後は株式会社ベネッセコーポレーションに入社し、DM営業に従事。 その後岩手県釜石市で復興支援員(釜援隊)として、まちづくり会社の設立や、組織マネジメント、高校生とのラジオ番組づくり、馬文化再生プロジェクト等に携わる(2013年~2015年)。2015年3月にNPO法人グローカルアカデミーを設立。事務局長を務める。2015年4月より、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に在籍。

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