地方創生の追い風や「地域おこし協力隊」制度の活用を模索する中で、今「地方での起業」への注目が集まっています。企業への就職と比べると、ただでさえハードルが高そうに見える起業。しかも、さらにハードルが高そうな地方での起業を選択するのはなぜなのでしょうか?
この連載ではローカル起業家それぞれが地方での起業に至るまでの経緯や、その始め方を特にクローズアップしていきますが、まずはイントロダクションとして、なぜ「地方での起業」に注目するのか、そして私自身のローカルキャリアの始め方をご紹介したいと思います。
時には大学院生、時にはNPO職員、そして時には母のトリプルフェイス
まず簡単に自己紹介させていただくと、私は現在、東京大学大学院の総合文化研究科に在籍し、大学院生として「都市と地方の人材の循環」をテーマに研究を行っています。今回の連載も修士論文の取材を元に企画させていただいたものです。
そして大学院で学ぶ傍ら、2015年に前々職の先輩と共に立ち上げた、宮崎県高千穂町を拠点とするNPO「グローカルアカデミー」で事務局長を務めています。また、大学院に入った年に第1子を出産したので、1児の母でもあります。「がんばりすぎない」をモットーに、研究も仕事も育児も合わせて100%くらいの出力にすることを目指して活動しています(笑)。
「宮崎のNPOで仕事してるのに東京大学の学生なの?」と疑問に思われるかもしれませんが、そのあたりのお話はまた後程詳しく!
進学時に発生する地方からの人口流出
さて、多くの方が感覚的にご存じかと思いますが、地方から都市部への人口流出の大半は大学進学時に発生しています。グローカルアカデミーの拠点がある宮崎県を例に数字を追ってみましょう。
以下のグラフから読み取れる通り、20歳手前でガクッと落ち、25~30歳代でやや回復するものの、50歳以下の年齢構成割合は全国平均を下回り続けています。つまり、大学進学時に県外に流出し、一部が大学卒業時にUターンしているものの、大半はそのまま流出先で働き続けているという状況だと考えられます。
このような状況が発生している主な要因は、大学の絶対数と難易度、そして就業後の平均年収が大きく関連していると思われます。まず大学数についてですが、全国には780校の大学があるのに対し、宮崎県はわずか7校です(平成29年度)。また大学の偏差値を比較してみると、例えば国公立文系学部の場合以下のようになっています。
宮崎大57/熊本大63/九州大71/名古屋大72/京都大77/東京大80
つまり、学力の高い生徒ほど県外進学を目指すという構造があるのです。
そして、もう1つ見逃せない数字が都道府県別の平均年収です。いずれも厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」を元にしているようですが、サイトや調査年によってばらつきがあるので、以下に3つほど併記します。
サイトA:宮崎県347万円/東京都580万円/全国平均469万円(平成25年)
サイトB:宮崎県367.8万円/東京都605.9万円(平成28年)
サイトC:宮崎県365.8万円/東京都615.6万円(平成29年)
この数字を見ると、地方と都市部、特に東京との賃金格差は歴然としています。進学時に上京した場合、できることなら東京で就職先を探すというのは当然の選択と言えるでしょう。宮崎県を例に数字を追ってみましたが、このような状況は多くの地方に当てはまるのではないでしょうか。
完全流出型の流動エリート層のうち、5%が戻ってくれば地方は変わる
先行研究では、大学進学時に流出し、そのまま地方に戻らず中央の仕事を担う層を完全流出型の「流動エリート層」、進学時に流出するものの、地方に戻り地方ホワイトカラーの担い手となる層を「ローカル・エリート層」と位置付けています。
ローカル・エリート層の多くは、医師・薬剤師・公務員・教員・銀行員といった「地元型職業」に就きます。ですので流動エリート層は、「地元型職業」にはない、地方では成り立ちにくい職業に就いていると考えられます。
一方で、徳島県神山町、島根県海士町、岡山県西粟倉村といった先進的な取組で注目されている地域の動きを見てみると、その中心にいるのはこの流動エリート層であるように思えます。これは裏を返せば、地方であっても流動エリート層を惹きつけるような仕事があるという証明に他なりません。
メインストリームにはなりえないけれど、もし流動エリート層のうちたった5%でも地方に戻れば、あちこちの地方で変革が加速するかもしれない。そして、「流動エリート層を惹きつけるような仕事」のつくり方の1つが起業にあるのではないか。これが私の仮説です。こういったわけで、これからの連載では「地方での起業」が起こるプロセスや、どのような人が「地方での起業」を選択しているのかを探っていきたいと思います。
超ソフトランディングな地方移住までの道のり
私の場合、起業家というよりはフリーランスに近い感じなのですが、つい先日家族で熊本にUターンしたこともありますので、今回は参考までにここまでの経緯を自己分析してみたいと思います。
私のローカルキャリアのスタートは、DRIVEメディアでも度々登場している岩手県釜石市。それからUターンまでの時系列を整理すると以下のようになります。
2013年8月~ 復興支援員制度を利用した「釜援隊」のメンバーとして2年弱活動
2015年3月 NPO法人グローカルアカデミー設立
2015年4月~ 東京大学大学院入学。釜援隊を卒業し、生活拠点を東京にシフト。遠隔でNPOの業務を行いつつ、大学院に通う。3ヶ月に1回程度のペースで1週間程宮崎に出張し、業務をカバー。
2016年1月 第1子出産(大学院は4年で卒業を目指す長期履修に変更)
2017年4月~ 新事業「GIAHSアカデミー」開始。月の半分は宮崎へ通う生活に。
2018年5月 夫が熊本市内のベンチャー企業に転職。家族で熊本へUターン。
つまり、
一定程度の収入を得ながら地方で活動しつつ、事業の立ち上げに関わる
↓
不安定な創業期は学生という立場を確保しつつ、東京を拠点に生活
↓
事業の本格化に合わせて生活拠点を地方へ移す
というように、先に地方での仕事をつくり、二地域生活を経て、ある程度仕事が回るようになってから移住という流れです。振り返ってみると、地域への入り方はかなりの慎重派と言えます。このようなやり方が可能だった要因は、主に以下の3点です。
1.現地にパートナーがいたこと
グローカルアカデミーは、新卒で入社したベネッセコーポレーションの先輩と設立したNPOです。社内のビジネスプランコンテストに応募したことをきっかけに偶然知り合い、同じ宮崎出身ということもあって、いずれ宮崎で教育系事業を立ち上げたいという話になりました。私が退職して釜石に赴任した1年後に先輩も退職。宮崎県高千穂町に家族で移住した上で創業に向けて約1年間準備を行い、現地で動いて事業の中身を形作ってくれたからこそ、私は遠隔で対応できる仕事を中心にサポートするということが可能だったわけです。
現在も事業を創る「攻め」が先輩、組織を整えて事業を回す「守り」が私というような役割分担ですが、代表としてフロントに立つ先輩の存在がなければ私のローカルキャリアは成立しえませんでした。
2. 現地に実家があったこと
グローカルアカデミーの拠点がある高千穂町は、実は私の出身地でもあります。新規事業スタートにより現場対応が必須となり、月の半分は子連れで高千穂に滞在という二地域生活も、高千穂に実家があったからこそ成せる業です。
3.理解ある夫がいたこと
釜援隊への転身、大学院入学、そして熊本への移住……収入減という大きなリスクを伴うこれらの決断が可能だったのは、正直なところ夫の存在による部分が大きいです。経済的な面では結婚していることが明らかにセーフティネットとして機能していましたし、移住が実現したのも、夫が私の実家がある熊本に就業地を絞って転職活動してくれたおかげです。
「ん?さっき実家は高千穂って言ってたのになんで熊本にも実家があるんだ!」とお思いでしょうが、実は我が家は親の代から二地域生活をしており、父は高千穂を、母は熊本を拠点に行ったり来たりしながら暮らしています。さすがに高千穂にはシステムエンジニアで食べていけそうな仕事がなかったため、このような形に落ち着きました。
改めて整理してみると、これほど慎重に様子を見ながら移住を実現できたのは、ひとえに「周りのおかげ」と言えることが浮き彫りとなりました……。
家族ですらよくわかっていない私の仕事の中身
では私自身は仕事として一体何をやっているのだという話ですが、仕事の中身を考えるとトリプルフェイスどころではなくなります。今やっている仕事は以下の4つです。
1.宮﨑の企業の海外進出支援
現在の収入の柱は、実はNPOの仕事ではなくこちらです。海外出張手配、各種書類作成等、主に事務系のサポートを個人で受けています。地元の中小企業の国際化にもつながっていますし、憧れの海外出張の可能性もあり、やりがいのある仕事です。
年によって収入にはかなり差があり、永続性はないので数年以内に次の「稼ぐ柱」を見つける必要はありますが、時間と場所の縛りがあまりない点も今の働き方にマッチしています。
2.グローカルアカデミーの事務局長
「宮崎を起点に世界とつながる教育を創る」をミッションに活動しています。私の担当は、事務全般と教育プログラムの企画・運営がメインです。まだまだこれ一本で食べていける程ではありませんが、一番やりたかった分野を「仕事」という形でやれているのは大きいです。
3.ETIC.でのプロジェクト型の仕事
リサーチ系の仕事や、教育系のプロジェクト、地方での組織作りプロジェクトなど、プロジェクトベースで不定期に仕事をさせていただいています。教育・地方など自分の関心にドンピシャの事業に関わることができるので、とてもエキサイティングです。
4.田原未来プロジェクトのサポートメンバー
NPO法人「田原未来プロジェクト」のサポートをしています。こちらは父が退職後に立ち上げたもので、空家等を活用しながら活力ある地域づくりを目指しています。実務的なことというよりはアイディア出しがメインで、メンバーに「人生100年時代の地域づくりをしよう!」とプレゼンしたり、京都造形芸術大学の家成ゼミとのコラボ企画を考えたりしています。時間があるときにボランティアで、今後の仕事の種まきにつなげたいという感じです。この流れで9月を目途に高千穂の実家で民泊を始める予定なので、もしかすると将来的にはお小遣い程度の稼ぎができるかもしれません。
パラレルにやらないと食べていける程にはならないというのもありますが、結果としてやりたい方向で経験を積みながら収入が得られるようになってきているようにも思います。
地方(地元)での起業に向かわせる要因を考える
それでは最後に、私のケースから地方(地元)で自分主導で働くことに向かった要因を整理してみましょう。
1.好きな仕事・興味のある仕事を中心にできる
収入は減っているので、前述の通り結婚というセーフティネットがあるからこそかもしれませんが、会社勤めをしていた時と比べて圧倒的に違うのはここです。やっていることを好きになる努力をしていたのが会社員時代、やりたいことで稼ぐ努力をしているのが現在という感じでしょうか。
2.自己効力感と地域への貢献意識
多少傲慢かもしれませんが、「この地域でこれをやるなら自分達しかいないだろう」という感覚も、都市部では得にくいものです。コミュニティが小さいほど、自分達の活動の影響力や手応えを感じやすいというのはあると思います。何より、自分と縁のある地域に多少なりとも貢献できている感覚は、地方ならではのやりがいと言えるのではないでしょうか。
3.子育て環境のよさ
場所はあまり関係ありませんが、フリーランスのように自分主導で働けると時間の融通が利きます。小さいうちは特に子どもがいつ体調を崩すかわからないので、雇用されている状態と比べてプレッシャーなく働けるように思います。
そしてこちらは地元に戻って来たからこそですが、子育て中の身にとっては実家のサポートを全面的に受けられるようになったことが相当大きいです。おかげさまで夜遅くまで仕事があるときや泊りがけの出張時など、民間のシッター等を利用するとかなり高額になってしまうであろう事態にも対応できるようになりました。また、自然との触れ合いやすさといった点ではやはり地方に分があります。
4.働きやすくなった
これは単純に現場と近くなったという話です。熊本市内から高千穂へは車で1時間半強。毎回東京から子連れで来ていたことを思えば、時間的にもコスト的にもかなり気軽に通えるようになりました。
自分のケースを分析してみると、地方に向かう要因と起業へ向かう要因がそれぞれありつつも、両者が不可分に結びついている状況が見えてきました。また、ジェンダー的な要素も無視できないように思えます。
次回は、事業の始め方や地域への入り方に様々な違いをもたらす、ローカル起業家の類型を考えていきたいと思います。
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>> ローカルキャリアの始め方。地域で起業した経緯と始め方をクローズアップ!
[i] 学校基本調査 / 平成29年度 高等教育機関《報告書掲載集計》 学校調査 大学・大学院 7-都道府県別学校数及び学生数より
[ii] ベネッセマナビジョン 学部が複数ある場合、最も偏差値の高い学部の数値を掲載。
[iii] 年収ラボ 都道府県別 平均年収ランキング 平成25年版
[iv] みんなのおかねドットコム 都道府県別平均年収ランキング
[vi]苅谷剛彦 他(2007)「地方公立進学校におけるエリート再生の研究」『東京大学大学院教育学研究科紀要』第47巻,51-86
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