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地域の内と外、市民と支援者をつなぎ、効果的な支援の仕組みをつくり育てる。石巻市社会福祉協議会・阿部由紀さん

2021.05.17 

本記事は、東北リーダー社会ネットワーク調査の一環で行なったインタビューシリーズです。

 

宮城県石巻市では、死者・行方不明者が4000人弱、建物被害は5万6千棟あまりに上りました。この地で、多様な主体をつないで復興の仕組みと変化を生み出してきた石巻市社会福祉協議会の阿部由紀さんにお話を伺いました。

 

1顔

阿部由紀(あべ よしのり)さん

社会福祉法人石巻市社会福祉協議会 復興支援課 課長(2021年3月時点)

1967年宮城県石巻市(旧雄勝町)生まれ。宮城県水産高等学校を卒業後、父の勧めもあって船乗りにはならず、青森中央短期大学幼児教育学科に進学。その時のボランティア活動や福祉施設実習などで、当時の福祉への偏見や理不尽さに不満を持ち、福祉への関心が高まった。その後、民間企業で勤務し、平成元年に地元の雄勝町社会福祉協議会へ入職。石巻市の市町合併に伴い現在の石巻市社会福祉協議会での勤務になり、震災前から宮城県沖地震に備えた地域支援をイメージしながら、災害時の支援活動を行政担当課との調整を担当してきた。震災以降は、災害ボランティアセンターの運営の担当者として活動し、復興支援課で復興住宅入居者等への支援活動や、福祉でのコミュニティづくりを推進している。2021年4月から生活支援課課長。嫌いなことは、人のせいにすること。飛行機に乗ること。

災害ボランティアセンター運営で実践した生かし合う仕組みづくり

 

――阿部さんは発災直後から災害ボランティアセンターを運営する石巻市社会福祉協議会(石巻社協)の中核スタッフとして、大変な経験をされてこられたと思います。印象に残っていることを教えてください。

 

すぐに頭に浮かぶのが、震災後、石巻に全国から300を超える多くの外部支援団体や30万人以上のボランティアの方々が駆けつけてくれたことです。多くの方と出会い、名刺を5000枚くらい頂戴したと思います。皆さんの活動には感謝してもしきれません。でも、当時現場は混乱し、支援者の方々からは多くの提案やアドバイスをいただいたものの、ある意味「選択地獄」でした。アドバイスを取捨選択し、石巻に合う様に変化させるにはどうしたらいいだろうと、悩み考え行動していましたね。

 

――そんな地獄の中、意識・工夫されたことはどんなことですか。

 

発災後から2、3週間たった頃でしょうか。「災害ボランティアセンターの運営やコーディネートを全部自分がやろうとしなくていいのでは」と気づきました。各地から多くの経験や思いを持つ人たちが来てくれているのだから、自分はそのハブになればいいと。実は、これに気づかせてくれたのが被災地支援の専門家でした。「自分がいなければいけない、と思っていないか。自分がいないことを前提に仕組みを作り、回してみたらどうだ」と。

 

この言葉にハッとして仕組みを工夫しました。私がフリーになることができて、仕組みづくりの達成感も味わうことができました。でも、自分がいなくてもいいと思うとちょっと寂しい気持ちもありましたけれど(笑)。

 

――その後、時間に余裕ができたことで何に取り組みましたか。

 

考える時間ができたことで、次の仕組みづくりを進めていきました。石巻市の全ての応急仮設住宅(7153戸)とみなし仮設住宅(約4000戸)の支援を石巻社協でサポートする仕組みをつくり運営する一方で、地域をしっかり見守りコーディネートしていくために「地域福祉コーディネーター(CSC)」の仕組みをつくり、人材を育成しながら被災者や地域住民の支援をはじめました。

 

――全国からのボランティアや支援団体をコーディネートしている時、どんなことを考えていましたか。また石巻にどんな影響があったでしょうか。

 

支援に来てくれたのは若者が多く、地元住民からすれば孫世代。だから彼らのエネルギーとその可能性に賭けてみたいと思いました。当初は石巻市民には排他的な部分がありましたが、知り合うと彼らのエネルギーや元気をもらえるようになりました。

 

私はこの過程で活動内容がよく分からない団体とも付き合いました(笑)。言わなければいけないことはきちんと伝え、もめている場面では調整をしたり、地元住民に支援団体の説明をしたり、相互の誤解を解いたりと大変で・・・。でも、自分は生き残ったわけだし、亡くなってしまった方へ弔いの意味も含めて、腹を括って活動をしていました。何か大きな問題が起こったら自分なりの責任を取ろうと、辞表を書いて家に置いてもいました。

 

――ボランティアや支援団体からエネルギーをもらい、自分たちで復興を進めることができたのはなぜだと思いますか。

 

支援団体やボランティアの活動に、細かい決め事を作らない様に意識しました。彼らの強みは自由であることだと思ったからです。ボランティアセンターに来なくてはいけない、社協と連携しなければならない、となると活動が滞るのではないかと。ですから、発災直後にNPOの神戸元気村の方から「いろんな団体が来ているから情報交換するための部屋があったほうがいい」という声があった時も、大学と調整して部屋を使っていただきました。

 

これが「石巻NPO/NGO連絡会議」(のちの石巻復興支援協議会)という継続した場になり、多様な連携や団体間の協働を生み出すきっかけにもなりました。自分は災害ボランティアセンターの情報班も担当していたので、支援団体やボランティアがどんな活動をしているのかを知るために被災地を歩き回り、団体同士や団体と地域をつなぐことに力を入れていきました。

震災前から「受援力研修」など災害ネットワークづくりを実践

 

2活動

社協職員と地域の事業に参加し信頼関係構築

 

――地域の住民向けに働きかけていたことはありますか。

 

振り返って考えると、震災の6、7年くらい前から「受援力」をテーマに研修会を重ねていたことが効いたのではないかと思います。「災害が起こったら、全国から関西弁や標準語の人たちが助けに来てくれるんだよ」と話していました。

 

通常、社協や地域団体の研修会の場合、毎年テーマを変えて実施することが多いのですが、研修会で1度聞いても覚えておくことはできないものです。だからこそ何度も研修会をしました。自分もおばあさん役になり寸劇形式で伝えたりもしましたよ(笑)。

 

3受縁力

アドリブでの寸劇の様子

 

――この10年間で育まれたネットワークや関係性について、どうお感じになっていますか。

 

被災地支援に外部から来てくれた方々は、ある意味「タレント」でもあると思いました。その皆さんがいい活動ができるように、自分や社協は違和感を調整し、歯車がうまく回るように潤滑油を差す役割、マネージャー的な役割を担うことも大事だなと。

 

現在では、支援者やNPOと地元の人たちのネットワークが広がることで、福祉・保健・介護・医療がつながり、暮らしを支える仕組みができつつあります。石巻市としても、自治システムの構築をはじめているところです。石巻社協としても「CSCが相談にのるから大丈夫だよ」と言えるようになってきました。

 

――では、企業との関係はどうでしょうか。石巻青年会議所(JC)さんとは震災時からのつながりでしたね。

 

はい、JCさんとは、災害ボランティアセンターの運営支援をしていただいたころからのつながりです。2019年の台風被害の際もJCさんが駆けつけてくれ、被災者をサポートしてくれました。他にも経済界との関わりも深まってきました。現在社協の30~40歳代の職員で、企業との連携や資金調達を考える検討部会を設置し、話し合いを進めています。ここで考えた社会貢献事業の提案を、様々な会合でプレゼンさせていただきたいところです。

 

――NPOや地域団体との連携も「新たな形」になってきていますね。

 

NPOや地域団体のみなさんとは、仮設支援連絡会議から移行した「いしのまき支援連絡会」で一緒に課題を検討しています。また、私は現在2019年に設立された「いしのまき会議」の監事を務めています。この団体はNPOなどのネットワークづくりと行政との協働、自治組織や地縁団体との連携を目的にしていて、100を超える団体が参画しています。NPO等も地域も次世代・若手育成が課題になっているので、連携して取り組みたいですね。

 

――震災前から思いを持って活動されてきた阿部さんですが、どのような子ども・若者時代を過ごされたのでしょう。

 

私は、小さな漁村の漁師の家に生まれました。子どものころは落ち着きがなく多動で、決められたレールの上を歩むことや無理だと決めつけられることが嫌いな子どもでしたね。その当時は地域で障害を持つ方が一緒に暮らしていました。でも、社会では障害児・者への理解がなく、閉塞感や不平等があるなと感じることも。ですから、青森の短期大学では児童福祉を学びたいと思ったんです。

 

――青森から地元に戻って福祉の仕事に就かれたのですね。

 

22歳の時に旧雄勝町に戻ってきて町社協に就職しました。ここで、熱い思いの保健師さん達と障害児の親の会のみなさんと出会ったことが大きかったですね。当時、3障害と言われた(精神・知的・身体障害)在宅の人たちが誰でも来ることができる施設を、親の会の皆さんと雄勝町の真ん中で運営。地元の中学生はバスでの通所などの交流をしている内に、障害を怖がらず利用者と話せるようになっていきました。これまでの障害児への思いがあったので、大変だったけどやりたいことがやれて充実していました。

 

4おとめ会

地域の人たちの仲間づくりを応援(みなとおとめ会)

生活や暮らしが困難な人たちのために、新たな就労支援の拠点をプロデュース

 

――最後になります。これからの未来の石巻に向けて必要な取り組みは何でしょうか。石巻の課題も合わせて教えてください。

 

地域の現状を見た時に、年金が無い方やひきこもりの方が多く、生活保護の世帯割合が高いことなどから、負の連鎖が起こっていると感じています。この問題解決のために必要な一手としては「就労支援」が大事だと考えています。今ちょうどそのプランニングをしているところです。

 

――「就労支援」の施設はどんな場になりそうですか?

 

働くことを学ぶ場、販売の実践ができる店、共助型の長屋住宅も作り、高齢者などが子どもや孫たちとも交流でき、土日は地域から人々が集う公園のような空間をつくりたいですね。

 

ここでは、社協はもちろん、企業やNPOとも協力して資源を持ち寄り運営していきたいと考えていて、現在協力者が集まってくださっているところです。国道沿いの土地を無償で貸してもいいという企業の協力を得て、提案書を書いて助成財団に応募しようと準備中です。1ヶ所目が軌道に乗ったら、2ヶ所目、3ヶ所目と作っていきたいと思っています。この取り組みは、私が社協で働いた30年間の集大成でもあります。

 

――ありがとうございました!

 


 

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【イベント情報】6/25(金)、入山章栄さん(早稲田大学)、菅野拓さん(大阪市立大学)、高橋大就さん(一般社団法人東の食の会)によるオンラインセミナー『イノベーションと社会ネットワークとの関係を考える ~「東北リーダー社会ネットワーク調査」分析結果から~』を行います。参加は無料です。ぜひご参加ください。

 

※東北リーダー社会ネットワーク調査は、みちのく復興事業パートナーズ (事務局NPO法人ETIC.)が、2020年6月から2021年1月、岩手県釜石市・宮城県気仙沼市・同石巻市・福島県南相馬市小高区の4地域で実施した、「地域ごとの人のつながり」を定量的に可視化する社会ネットワーク調査です。

調査の詳細はこちらをご覧ください。

 

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遠藤智栄

まちづくりアドバイザー、ファシリテーター。 仙台市在住。大学卒業後、雑誌の企画編集、農山漁村の活性化のコンサルティング、NPOの中間支援等の仕事や活動を経て独立。現在は、共創でのソーシャル・デザイン、地域づくり、組織開発、人材育成などの支援と実践を手掛けている。地域社会デザイン・ラボ代表、株式会社ばとん代表取締役。好きなのは景観散歩とクラフトビール、野菜づくり。