「人の尊厳を」
2023年からカンボジアの公教育改革に取り組むNPO法人SALASUSU(サラスースー)の青木健太さんは、取材中、何度かこう話しました。
SALASUSUは、もともと青木さんが仲間と3人で2002年に創業した認定NPO法人かものはしプロジェクトを基盤に、農村の女性をエンパワメントするために作った団体です。2008年から青木さん自身がカンボジアに移住し、農村部で暮らす女性たちに向けて、雇用と生きるための教育を提供してきました。2018年に独立する形で法人化し、昨年からは、カンボジアの公教育に切り込む事業を本格的に開始。2024年1月には実験校をオープンさせました。
青木さんが仲間やカンボジアの人たちと共に始めた教育事業の特徴、大きな挑戦への思い、未来についてお聞きしました。
青木 健太さん
NPO法人SALASUSU 理事長/認定NPO法人かものはしプロジェクト理事長
1982年生まれ。2002年、東京大学在学中に、村田早耶香さんと本木恵介さんと 3人でNPO法人かものはしプロジェクトを創業。子どもの人身売買の撲滅に取り組む。その後大学を中退し、創業期は IT事業を担当。 2009年、カンボジアに移住し、ソーシャルビジネスと教育事業に取り組んできた。現在カンボジア在住15年目。
2018年かものはしプロジェクトのカンボジア撤退にともない、NPO法人SALASUSUを設立し理事長に就任。認定NPO法人かものはしプロジェクト理事長(2022年7月~)
カンボジア国際商工会教育部会副部長。NPO法人SALASUSU 理事長
好きなもの:「同窓会」「文化祭」「仮装して走るマラソン大会」
趣味:フットサル
「楽しいこと」を自分で作り、模索していた学生時代
――青木さんが子どもの頃から得意だと感じていたことを教えてください。
場の緊張をほぐしたり、和ましたり、そんなことが多分昔から得意だったと思います。逆にいうと、緊張感や対立した雰囲気が苦手なので先回りするんです。ミーティングなどでも険悪なムードを感じたら「ボケ」を入れようとします。ひとりで勝手に焦るんでしょうね。ざわっとした空気感や、怒りの感情が出てくる場面がすごく嫌なんだと思います。
――子どもの頃のご自分らしいエピソードはありますか?
勉強は多分できるほうで、そうすると褒められることも多いので、自分もうれしくて褒めてもらうために本をすごく読んだり、良い成績を取ったりしていたと思います。授業中もアクティブなほうで、それに生徒会の副会長、文化祭実行委員、また部活を自分で作ったりもしていました。そういうことが楽しいと思っていました。
でも、学校の教室にいること自体はだんだんつまらなくなっていきました。塾にもすごく通っていたので、授業の内容はすでに知っていたし。今思うと、学校の勉強がつまらなくなった分、委員会活動などで居場所を見つけようとしていたんだと思います。
高校生になるとあまりうまくいかなくなって、授業中の挙手をやめてみたり、欠席が増えたり、休み続けたり。学校に居場所がないような時期がありました。
SALASUSUというコミュニティで働き続けられる教育を
――SALASUSUでは、2023年、ものづくりの工房からカンボジアの公教育作りに的を絞り、事業を推進されています。教育を始めた最初のきっかけは何だったのでしょうか。
教育への取り組みは、2008年にカンボジアの田舎に工房を設立したことから始まります。工房では、観光客向けにい草を使ったお土産品を製造していました。作るのは、地元の女性たちです。僕たちスタッフは、何とか仕事を作って、雇用を生み出そうとしていました。「工房に働きにくれば、人身売買の被害にあわないから」と。
でも、すぐに、「働くためには教育が必要」だと強く思うようになったんです。「約束の時間を守る」「求められる品質を保つ」など、僕たちが当たり前だと思っていた仕事の価値観は、カンボジアで働く人たちにまったく通じませんでした。なぜなら、小学校や中学校を中退している人が多かったから。学びを途中でやめざるを得ない環境に置かれた人が少なくなくて、「すぐに教育をしなければ」と始めました。
当時の僕たちの工房(後の学校)の大きな目的は、人身売買を防ぐことです。だから、突然、工房に来なくなってしまったら、「もしかしたら」と万が一の場合も考えなければならない。「誰も取り残さないように、本当に頑張って教育をしよう」と取り組んでいました。「みんながSALASUSUというコミュニティで働き続けられる教育」を目指して。授業を進める中で、語学の課題などからカンボジア人の教師を育てる取り組みを始めました。
その後、2017年頃からは、いろいろな団体やNGO、カンボジア政府から「その教育面白いね」と声をかけてもらうようになり、教員のトレーニング研修を外部にも提供するようになりました。
「学びの密度が薄い」師匠の一言で知った、誰も取り残されない授業
ある時、日本の公教育に携わる僕の師匠の一人が、僕たちの授業を見てくれました。そうしたら、「学びの密度が薄いね」と言われてしまった。みんなで時間をかけて授業や学校を作ってきた分、担当者は号泣でした。僕もすごくショックでした。
その後、師匠の言葉の意味を知りたくて、茨城県のある公立中学校を見学させてもらったのですが、そうしたら、授業がすごく面白かったんです。「日本で教育を受けるならこういう学校がいい」と思うくらい、すごい授業でした。
――どんな授業だったのでしょうか。
生徒も先生も一人ひとりが生き生きとして、全員がつながっていました。しかも、そんな授業をされる先生が多かった。僕は見学した授業を通して、「学びの密度」という言葉が理解できたと同時に、「一人ひとりが本当に取り残されない授業ってあるんだ」という希望を目の前で見せてもらえた気持ちになりました。
同時に、「公教育」というキーワードが自分の中でどんどん大きくなっていったんです。
カンボジアでは、どんな貧困層も、公教育の小学校や中学校には子どもを通わせたいと思っています。「これじゃん!」と思ったことが、公教育の取り組みへとつながりました。
「誰も取り残さない」ための授業は本当に難しいと思います。でも、世界や社会、町にとって公教育は大事な役割を持っていると思っています。
僕たちがカンボジアで公教育の取り組みを始められたのは、もちろん、90年代後半くらいから日本の人たちがたくさん学校や教育プログラム、教科書を作ってきた歴史のおかげもあります。カンボジアという国自体が、一介の小さなNPOやNGOが公教育を改革することを受け入れてくれる広い受け皿をもっているおかげでもあると思います。だって、突然、僕たちが学校を訪れて「何かやりましょう」と提案をすると、「やろう」と実際に挑戦させてくれますから。
――SALASUSUの公教育改革について、カンボジア政府も待ち望んでいたという感覚はあったのでしょうか。
どうでしょうか。僕が良いと思う公教育と、カンボジア政府の人たちが思う良い教育は少し違うんです。僕は、「誰一人取り残さない」ことを大事にしたくて、例えば、学校の教室が生徒にとって息ができる場所に感じられたり、「今日ここに来てよかった」と思えるホームのような場所になったりするといいなと思っているんです。
一方、教育系でも経済志向の人だと、少なくとも学力や「学校を中退しない」「ドロップアウトしない」といった目に見えやすいものを大事にする価値観が強くなりがちです。良い公教育や良い教室への価値観は、必ずしも一致しません。だから、僕のカンボジアの公教育への思いと、カンボジア政府が「何とかしなきゃ」という部分が重なるような形で、教育作りを行っています。
小学生と母たちが一緒に学ぶ教室から教わったこと
――今年1月8日にカンボジアで実験校をプレオープンしました。学校の様子はいかがですか?
プレオープンの日は、スタッフがみんな苦労していたのを見ていたので、「ようやったな」と心から思いました。
学校で学ぶ人たちは、もともと工房でものづくりをしていた人たちが大半で、学校を中退したり、10年働いていたり、27歳や30歳のお母さんたちもいます。みんな子どもがいます。今回、彼女たちと、新しく呼んだ小学校4年生から小学6年生までが一緒に学ぶクラスが1つあるのですが、みんなが同じ授業を受けて、同じ問題を解いているんです。
例えば、小学5年生で学校をやめた後、出稼ぎに行って、つらい目に遭って戻ってきて、村で10年くらい出稼ぎや日雇い労働をしていた女性がいるのですが、彼女も、算数の授業中、45分間、ひたすら集中して一つの問題を解き続けていました。「ああでもない」「こうでもない」と言いながら。隣の小学生に「これはどうなっているの?」と聞きながら、資料を見ながら、難しい問題を解くんです。最後まで絶対に諦めない。授業の最後に回答を配っても、その答えを「本当に!?」と疑ったりして、最後には自分で解いていました。
つまり、彼女は「自分はこの授業で学べる人なんだ」と信じているんです。それって当たり前じゃないと僕は思っていて。むしろ彼らの今までの人生経験からすれば、学校の教室で、彼女のように学ぶことに対して期待した人は誰もいなかったという感覚が強いと思います。
人は、期待されなければ自分が持っている力も信じられないと思います。だから、普段の学校で彼女が「自分は学べる人だ」と信じて問題に取り組むことはすごいことだし、その姿が小学生たちにも影響を与えていると思っています。27歳、30歳くらいの女性が、子どもを育てながら小学4年生の問題をみんなと一緒に解いているんですよ。「この人って…!」と子どもたちからは見えているかもしれない。そういうことってすごく大事なメッセージだと思うし、大きな学びになっていると思っています。
学びはいろいろな形があっていいし、いつ始めても学ぶことができる。「自分は学べる」と信じさえすれば「学べる」と実感できる場があることが大事です。「場があれば学べる」教室を、僕たちは最初から意識して作ったつもりだったけれど、みんなが一緒に勉強し合う教室の光景から、改めて自分自身が教えてもらった気がします。
安心して「変わりたい」「学びたい」と思えるまで
――「カンボジアの公教育を変える」について、教師や生徒など、何か大きな出来事がないと、人はなかなか変わらないのでは?という疑問を持っていました。自分が変わろうとしても、家に帰ればいつもと変わらない環境があって、子どもたちは家の手伝いもあったりして、「どうせ自分なんて」と思うこともあるのではと。ただ、SALASUSUの学校では、小さな経験の積み重ねでじわじわと変わっていけるのかと思いました。でも、時間もかかるのではないでしょうか。
まず、「変える」と「変わる」という話は、大きな差があると思っています。人を変えることはできないと思った方が、健全に生きていける気がしています。
たとえ、誰かの環境を変えることができても、その人自身が変わるかどうかは、その人の意思次第で、変わらないことを選ぶ権利もあります。僕たちはもちろん環境をつくりながら、一人ひとりの「自分自身も変わりたい」「学び続けたい」という気持ちに重ねられるように働きかけ続け、その人が変わるかどうかをその人が素直に喜べる状態をつくろうと試行錯誤しています。
喜べる状態になるまでの過程は、もちろん時間がかかります。例えば、教師なら3回研修すれば確実に変わる、なんてことは起きません。だから、まずは「変えられない」「変えようとすること自体が暴力的」だと学ぶのです。
例えば、そばにいる人が「そんなに落ち込まないで」「前を向いて」と心から思ったとしても、どうするのかを選ぶのはその人たちの権利です。「そう変えようとすることは間違っています」ということが大事な考え方なのだと、今、僕自身も教わっているように思います。
学校の前身の工房では、作り手として商品開発をリードしていた彼女が自然の素材を使って自由にアートを作成。
観察力と構成力が活かされた一作に
もう一つ。「だからこそ時間をかける」とも言えます。目の前の人のことを自分の理想通りに早く変えることが暴力的だとしたら、どうすれば本人が安心して「変わりたい」「早くやってみたい」と思えるのか、そうなれる状態まで整えながらも、時間をかけて待つのです。
例えば、僕たちの取り組みの対象は、主に教師で、教師の人たちがどう変わっていくのかをサポートしていますが、何をしているのかというと、生徒の学んでいる様子を、教師に観察してもらうことをずっと行っています。めちゃくちゃ地味です。教師の誰かが45分の授業をしている時に、ほかの教師は先生ではなく生徒をずっと見ているんです。「この机の配置だと、この子とこの子はつながりやすいけれど、この子はちょっと遠く離れてしまう」といったことが分かってくる人もいます。「この子は勉強が得意だから自分が助けられる子を探している」といったことがだんだんと見えてくるようになるんです。
そうすると、先生が自分の授業に置き換えた時、いかに自分は気持ちよく話をしていても生徒は誰も聞いていないか、また、自分一人で30人から40人の子どもをなんとかしようといかに思い上がっていることを考えていたのかに気づくようになります。それよりも、子ども同士、子ども自身が自分で学んでいくペースや時間配分で力をつけてもらうことのほうが大事だといったことを、先生はだんだんと考えるようになるのです。
自分の授業では分からないことが、他人の授業を通して子どもたちの様子を見ることで、いろいろなことが見えてくるし、理解できるようになります。
どんな子でも、授業が始まった最初の5分は、授業にすごく期待しています。勉強が苦手のように見える子も、その子の一言で授業が大きく前に進むこともあります。こんなふうに、学びという場を通して人を丁寧に観察していくと、「人の尊厳」のようなものが見えてくるんです。
――「人の尊厳」ですか?
教師の多くは、生徒は未熟で、何か知識を提供しなければならないと思い込んでいるわけです。多くが良かれと思ってそう接しています。でも、そんな意識で授業をすると、たいていが一方通行になります。いかに効率よく知識を渡すか、と思ってしまっているから。
でも、僕たちが見てきたり、教えていただいたりした「優れた教師」とは、生徒の尊厳や権利、考える力を「未熟なもの」とはみなさず、「人間としては完璧だけれど算数の方程式を少し知らないだけ」と捉えます。そうすると、一人ひとりの違いも見えてくるし、生徒同士がつながって教え合うこともできるようになってきます。だから、教師観が変わることがまず大事で、いくらカンボジアで30年前から「生徒主導の学び方がいい」と言われていても授業が変わらないのは、先生自身が「先生が生徒に知識を詰め込まなければ」と良かれと思ってやっているからなのです。
そういった先生たちにとって、SALASUSUの授業はインパクトのある経験になりやすいと考えています。ただ、すごく地味な取り組みなので、日々、自分で「今日は椅子に数人掛けでやってみたけれど、明日は4人掛けにしてみよう」「明日は話す時間を5分減らしてみよう」など日々考えて挑戦しない限りは変わりません。変わるかどうかは先生次第です。
しかも、先生同士の関係性次第だったりもします。何かをやったことですぐに変わっていく先生もいます。そういった先生がうまくいってクラスの様子が変わっていく、その様子を見ることで変わっていく先生もいます。むしろ、一人ひとりが変わるまで時間はかかりますが、時間をかけるべきだと思います。先生よりも生徒の方が、早く変化することもあります。
教師は誰も、「生徒を置いていきたい」とは思っていない
――教師がほかの先生の授業を通して生徒を観察する授業はどんなカリキュラムになっていますか?
小学校の45分くらいの授業をまるごと使って、先生は子どもたちを見ます。その後、30分くらいで先生同士の対話の時間を作り、「今日はこの子からこんなことを学びました」など感想や意見を交換しています。
――生徒の様子を「見る」に集中することで、SALASUSUが言う「生徒を見取る」ことが可能になるのかなと思いました。
そうですね。本当に。見える人になってくると、「この子とこの子は、5分くらいのところで、授業に集中していた。一方、この子とこの子は顔には出さなかったけれど身体で学ぼうとしていた」など、見える解像度がどんどん上がってきます。そうすると、その先生の授業では、置いていかれる人が少なくなっていくんです。もし見えていたら、先生は変わってきます。生徒を置いていきたいなんて誰も思っていませんから。
――もともと子どもたちへの想いがあって、教師を目指されたはずだから「生徒を置いていきたい」なんて思わないですよね。
現職教師としての専門的な訓練を受け続けていないだけで、「それなら訓練しよう」ということです。
一人ひとりが「自分のペースで進めた」と思える授業を
――工房で製造業を展開していた時には、働く女性たちに対して、ある成果基準を一度設けて、青木さん自身が違和感を持ったことで止めた経緯があったと思います。今回、同じように成果を計る仕組みは作っていますか?
NGOでお金を預かる立場として、また事業開発を継続させるためにも、ある程度の評価設定は必要です。でも、あまり言いすぎると、誰でも気になってしまいます。
現在は、毎日、子どもたちや教師が授業の終わりに書く振り返りシートを、子どもたちがどう変わってきたかなど見る参考にしています。ただし、評価というよりも、学びを共有することを大事にしたいと思っています。先生に関しては、対話に子どもの具体的な名前が出てきた、子ども同士の関係性まで見えるようになってきたなども見ています。
――SALASUSUが作る学校で大切にしていることとして、お話から、「見る」「待つ」ことの大事さを教えてもらいました。さらに大事にされていることを教えてください。
もちろん、「誰一人取り残さない」ことを前提にしているうえで、「尊厳」ということでしょうか。人がそこにいるということには意味があって、みんな人は人を必要としているし、いてもいい。僕は、「人には大きな可能性が眠っていることを、どんな人に対しても丁寧に思えるか」は当たり前ではないと思っています。また、「尊厳」と結びつきますが、「自分のペースで進む」こともすごく大事にしています。
例えば、日本やカンボジアの公立校では、学力差がある中で、真ん中より少し学力が上の子たちに向けて一斉に授業を作ることが多いのですが、ターゲットに当てはまらない全体の約4割の子たちは授業中にこう感じてしまいます。「私はこの授業のターゲットじゃない」と。
先生が、「勉強の得意な子が教室の学びを独占する」ことを知ったうえで、一人ひとり全員が自分のペースで学べる授業を作るためには、高度なスキルや工夫が必要になります。生徒一人ひとりが「自分のペースで学べた」と思える授業、つまり、自分で問題を解くのに格闘していたり、ブツブツ言っていたり、隣の子に「これどういうこと?」と聞いたり、そういう時間が授業の中でどのくらいあるかが大事なのです。
全員のペースに合わせた授業ができる日本の先生は、45分中4分しかしゃべりません。最初から問題と資料が渡されて、みんなで解いていき、先生は様子を見ながら途中で2分×2回くらい話をして終わりです。子ども同士は、授業中、しゃべっているんです。クラス全員を授業で学ぶ状態にしようとしたら、そういう授業形態にするしかないし、そういうのが理想かなと思っています。先生一人でうまくしゃべろうという授業は無理なんです。
――日本では1クラスの生徒数は30人くらいですが、カンボジアでは1クラス40人くらいだそうですね。教師1人に対する生徒数が圧倒的に多い。
そうなんです。文字の読み書きができない子がクラスにいることが当たり前なので、先生たちは大変だと思います。
公教育の改革に、本気で、楽しく向き合う
――今回の教育改革では、青木さんの「カンボジアの公教育は変わる」という確信も感じられるのですが、そのあたりはいかがですか?
誤解を恐れずに言うと、僕自身は「変わらないかもしれない」とも思っています。最近、思うんです。「僕たちがカンボジアの公教育の質の問題を解決しました」という確率は、「150分の1くらいかもしれない」と。運や縁も大きく関わると思うんです。だから、
では、「なぜこんなふうに走れるのか」と問われたら、どう考えても、カンボジアの公教育の問題に本気で向き合う人150人が走ることが大事だと思っているんです。もし、僕が「1ミリも進まなかった」という結果になったとしても、いろいろなスタッフと一緒にいろんなものを持ち込んで、本気でやってきて、後に続く人たちに「この方法はうまくいかなかったよ」と1つでも伝えられるかもしれない。それも大事な150人のうちの1人の貢献だと思っています。だから僕はやるし、「150人全員で届けましょう」とオープンマインドで走っていきます。
もう1つ、少しでも走る人が増えるほうが僕はいいと思っています。だから楽しくやる。だって、カンボジアの教育に関わることで楽しくなれるほうがいいですよね。そして、僕はここから15年、20年走ることで、あとで振り返った時に、「めっちゃ楽しかった!」と言える自信があるんです。かものはしプロジェクトでも同じ気持ちを感じたので。本気で社会を変えようと思って、全力で走った仲間と、「こんなこともあった」「あんなこともあった」と一つひとつ思い返した時、かものはしに賭けた人生を「いい旅だったなあ」と思えたんです。ということは、僕の人生としては、カンボジア教育の改革をやり切ることで最高になるはずなんです。絶対に楽しいし、意味がある。というくらいに今思っています。
――今後の取り組みについてどんな思いでどう展開したいか、教えてください。
公教育をなんとかしなければいけないという問題は、世界中の問題で、大事な運動だと思っています。そのためにも、先生たちが学びを通して「自分から変わっていく」ことを応援する人たちがもっと増える必要があります。
教師は、学びの専門家です。小学生に教える難しさも経験しないとわからないと思いますが、いろいろな仲間がつながって、運動として教育改革が広がっていくことが大事だと思っています。そういう意味でいろいろな場でSALASUSUの活動についてお話しすることも大事だと思っています。
――そういった行動や発信が、SALASUSUにとって日本や他のアジアの国での公教育改革への第一歩にもなるのですね。
はい。世界の公教育の一つとして、カンボジアの取り組みをオープンにすることは意味があるし、発信することで、運動の輪を広げていきたいです。
写真提供:青木健太
後編はこちら
>> 「これだ!と思えた人生を楽しみたい」カンボジア移住から15年、SALASUSU青木健太さんの旅【後編】
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