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秋田から能登へ。中間支援組織として、人と未来をつなぐ―株式会社なんで・なんで 篠原万里さん&須田紘彬さん【能登復興の右腕(2)】

2024.08.21 

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2024年1月1日に起きた能登半島地震から半年が過ぎました。以来、現地の民間団体や自治体を中心に復興活動が推進されています。東日本大震災をきっかけに始まったエティックの「右腕プログラム」では、震災直後から全国の右腕人材たちがリーダーのもとへ派遣され、ともに活動しています。

 

秋田県を拠点に人材支援を軸とした地方創生事業などを行う株式会社なんで・なんでの篠原万里(しのはら まり)さんは、4月から2ヵ月間、右腕として七尾市のまちづくり会社・株式会社御祓川(みそぎがわ)の活動に参画。また同時に、代表の須田紘彬(すだ ひろあき)さんは珠洲市に入り、地域の起業家・事業者支援を行いました。今回、当時の活動や思いなどをお二人にお聞きしました。

 

※今記事は、「右腕」として現地の人たちと復興活動を推進してきた人材たちのインタビュー連載です。若者たちが携わった活動や彼らを送り出した団体の思いにフォーカスし、復興における右腕派遣の可能性を探ります。

※記事中敬称略。

聞き手 : 瀬沼希望、たかなしまき(NPO法人ETIC.)

「社外に出て、仕事をやり切る力を」

――能登の活動に参画した2ヵ月間、普段の仕事もあったと思います。その中で、なぜ現地での活動に入ろうと思われたのですか?

 

須田 : 東日本大震災が起きたとき、秋田でボランティア団体を立ち上げて宮城の復興に携わったことが原体験になっています。当時、被災地に近い秋田から支援に入る人が少なくて、なんとかならないかと歯がゆい思いをしていました。

 

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株式会社なんで・なんで代表の須田紘彬(すだ ひろあき)さん

 

須田 : また、会社の代表として、コーディネーターの篠原には地域のために奮闘する方たちとの活動を経験してほしいという思いがありました。地域の人と人とをつなぐ自分たちの仕事を振り返り、自信を持ってもらえたらと、篠原に「行く?」と声をかけました。すぐに「行きます」と返ってきたので逆に拍子抜けしましたけれど(笑)。

 

篠原 : 私は入社3年目で、普段、社内のメンバーに助けてもらうことが多くて、いつかもっと外に出て、自分で行動し切る力をつけたいと思っていました。

 

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株式会社なんで・なんでの篠原万里(しのはら まり)さん

 

篠原 : 今回、能登のハブ役として動かれている株式会社御祓川に右腕派遣されたのですが、御祓川の皆さんはコーディネーター経験がとても豊富で、一緒に活動することで多くを学べるはずだと思いました。だから、須田さんから声をかけられたときは「チャンスだ!」と思って即答しました(笑)。

ボランティアで被災地に来た人たちにポジティブな気持ちを持ち帰ってもらう

――篠原さんが初めて能登入りしたとき、町の風景などを見てどう感じましたか?

 

篠原 : 私が活動した七尾市は、駅前の大型店舗が再開しているなど都会的な風景が広がっていて一見すごく元気な町のように見えました。でも、七尾市の中でも住民が住んでいるエリアの中や、輪島方面への道のりでは、道路の表面が割れてガタガタな状態だったり、ブルーシートが張られた家屋が多く見られたりして、「やっぱりここは被災地なんだ」と胸が苦しくなりました。

 

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須田さん(右)と篠原さんが現地を訪れた4月、倒れた建物で道路がふさがれるなど震災後の跡がはっきりと残っていた

 

篠原 : 倒壊したままの家が4ヵ月経った後もそのままになっていて、東日本大震災が起きた東北と比べて、最初の頃は随分と復興活動が遅れているように感じました。ただ、細かく見ていくと、崩れた家の前の道路に出ていたがれきが何日か後には片づけられているなど、少しずつ復興が進んでいるのも感じられました。

 

――当時の活動内容を教えてください。

 

篠原 : 県から委託された高齢者世帯のヒアリング調査で、事務局としてボランティアのコーディネート業務を行いました。活動では高齢者の方の声にも触れていたのですが、「罹災証明の取り方、そもそも制度自体がわからない」、「情報源が市報など限られている中でこの先どう動けばいいのか不安」、「倒壊した家屋を建て替える資金もないし家族をどうすればいいのか先行きが見えない」、そんな答えのない悩みに直面されている方が多いのを感じました。

 

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高齢者世帯の状況や困りごとをヒアリング調査するボランティアたちの打ち合わせ様子

 

篠原 : また、活動の中で一番感じたのが、地域や家族との「日頃からのコミュニケーションや関係性づくり」の重要性です。いざ震災が起きたときに「家族内で話し合いが進まない」、「周囲に頼れる人がいない」など困っている方が多く、震災以前からの地域全体の課題のようにも感じました。こうした課題は、決して能登だけでなく、私が住んでいる秋田県や他地域でも共通して起こっていることだと気づくきっかけにもなりました。

 

――そういった状況でどんなことを大切に活動されていましたか?

 

篠原 : 今回は多くのボランティアの方が参加して被災者の方々の声を丁寧に聞いていく活動をしたのですが、なかには「自分にはどうすることもできない」という無力感を抱えてしまう方もいました。また、ボランティアに参加する経緯もそれぞれ異なる中、私はみなさんにポジティブな気持ちでそれぞれの地域に戻ってもらえるような接し方を心がけました。「来てよかった」、「いい出会いがあった」、「また能登に訪れたい」と思ってもらえるように。

 

このことは、現地に入っていたほかの支援団体の方々から学んだことで、彼らとの関わりから、ポジティブな気持ちの循環が後々の復興につながるのだと体感できたのはとても大きかったです。自分の行動次第でボランティアの方々や支援団体の方々、被災者のみなさんとポジティブな関係でつながっていけると信じて動くことができました。

 

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篠原さんと須田さんは、毎週行われる支援者たちの情報共有会議にも積極的に参加した

 

篠原 : 具体的には、自分から率先してコミュニティになるような場をつくりました。いろいろなバックグラウンドのボランティアさん、支援者さんや被災された方がいる中で、私からみなさんに声をかけて、夕飯に誘い、雑談もためこんだ思いも話しやすいように自分のことを開示しながら、気軽に話せる関係性をつくるようにしていました。

 

こうした関係性がつながって、同じボランティアさんがリピーターとなって再び能登で活動してくれたり、私が秋田に戻ってからも能登で一緒に活動したボランティアさんが秋田まで遊びに来てくれたり、嬉しいことがありました。

 

秋田で気軽に話せる場をつくる活動をしていたことが、少しでも活かせたのかなと思っています。

被災と支援、どの立場にも寄りすぎず、事業者を応援

――須田さんにお聞きします。珠洲市で行った起業家・事業者支援について教えてください。

 

須田 : まず、これから飲食店や宿泊施設をオープンしたいという若者のところに行きました。彼は起業寸前で災害が起きて、そのまま地域のお弁当屋さんと連携して毎日朝から夕方までお弁当を作る炊き出しの支援を行っていました。

 

そうした状況だったので、彼は自分の事業まで手が回っていない現状がありました。そんな中で私は彼の起業したい動機を聞いたうえで、事業計画、法人登記など起業に向けた準備、クラウドファンディングの立ち上げ、WEB広告周りの戦略設計など事業推進をサポートしていました。私も起業して、いまも会社を経営しているのでその経験を伝えることができました。

 

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起業家の話をじっくりと聞き、スタートを切る背中を押す須田さん(左)

 

須田 : 彼は地方から能登に来て被災しましたが、私は彼と接するうちに、彼の起業に向けて地域の人たちがたくさん力になろうとしてくれていたことに気づきました。場所を提供してくれたり、物件を安く貸してくれたり。私はそんな地域の人たちの思いを大事にしたくて、夜、彼と焚き火をしながら話を聞き、覚悟が感じられたときから起業を後押ししていました。

 

また、現地にいると飲食店なども徐々に再開を始め、通っているうちに「長く滞在しているけれど、何をしているの?」と聞かれるようになりました。事業者の支援をしていることを話すと、起業したばかりの飲食店の原価計算などの経営相談を持ちかけられるようになり、一人ひとりの事業の支援に携わりました。

 

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須田さん(右)は、事業者と根本的な課題解決を一緒に考えることから事業支援を重ねた

 

須田 : そのほか、民間ボランティア拠点の整備のために、宿泊場所や掃除や片付け、布団の準備など宿泊環境を整えていました。

 

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ボランティアスタッフや現地の人たち

 

――現地のいろいろな状況の方々と関わる中で、ここだけは大切にしようと思っていたことはありますか?

 

須田 : 常にフラットな状態で接することです。被災された方、支援する方、どちらの立場にも寄りすぎない、客観的な立場でいることを大切にしていました。あまりポジティブな気持ちになれない人たちに対しては、あえて「例えば10年後はどうしますか?」と、自分たちのことを客観視してもらえるような言葉をかけていました。

能登での2ヵ月間で得た経験を活かして

――能登での復興活動から、今後、仕事や地域に活かせると思ったことはありますか?

 

須田 : 私はいつも、秋田で何か災害が起きたときの初動をどうしたらいいかを考えています。だから、今回の経験はすべて今後の災害支援に活かしたいです。また、行政の仕組み作りへの働きかけも行っていきたいと改めて感じました。発災後の3日間どう行動するかがその後にも影響すると思うので、自治体との連携を含めた提言を考えています。

 

篠原 : 派遣先の株式会社御祓川は、長年、七尾市のまちづくりを担ってきました。活動中は、その歴史を感じるように、全国のコーディネート団体の皆さんや支援者の皆さんと顔の見える関係性をつくることができたのが大きかったです。自分が活動するうえで大切にしたいことや強みも見えてきたので、今後、どんな形になるかわかりませんが、コーディネーター業務を中心に活かしたいです。

 

今後も、家族や地域のコミュニティ、仲間など、いざというときに頼れる関係性づくりを地道につくっていかなければと思っています。私自身、人に頼ることが苦手だと自覚しているので、自分のためにも、人と人との関係性づくりに力を入れていきます。仕事でも、プライベートでも、これからも本音を言える場づくりを丁寧に続けていきたいです。

 


 

チャレコミ防災チームでは災害時に中間支援組織同士が支え合う「災害支援会員制度」を実施しています。詳細は以下のURLをご覧ください。

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>> 能登復興の右腕インタビュー

 


 

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たかなし まき

愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科を卒業後、企業勤務を経て上京。業界紙記者、海外ガイドブック編集、美容誌編集を経てフリーランスへ。子育て、働く女性をテーマに企画・取材・執筆する中、2011年、東日本大震災後に参画した「東京里帰りプロジェクト」広報チームをきっかけにNPO法人ETIC.の仕事に携わるように。現在はDRIVEキャリア事務局、DRIVE編集部を通して、社会をよりよくするために活動する方々をかげながら応援しつつフリーライターとしても活動中。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。