2001年、アジアの片隅で亡くなった1人の少女との出会いが、専業主婦を夢見ていた村田早耶香さんの人生を大きく変えた。
カンボジアのコミュニティファクトリーで働く女性と共同代表の村田さん
アジアの子どもの人身売買問題を解決したい
「大学2年生のとき授業中に配られた新聞記事*で、ミーチャという女の子のことを知りました。ミーチャは12歳のとき、『子守の仕事がある』と言われ、家族の生活を助けようとミャンマーの農村からタイへ出稼ぎに出ました。しかし、連れて行かれたのは売春宿。激しい暴力を受けながら客をとらされ、21歳でエイズで亡くなったという実話でした。同じ時代の同年代の女の子にそんなひどいことが起きているなんて、衝撃を受けました。子どもの人身売買の問題を初めて知り、現状を知りたいという強い思いに駆られたのです」
*記事の内容は「買われる子どもたち―無垢むくの叫び」(大久保真紀著/明石書店)に掲載。
3か月後の夏休み、タイの現状を知るため、NGO(非政府組織)が主催するスタディーツアーに参加した。エイズ孤児の施設などを訪れ、貧しい農村や山岳民族の少女がミーチャのようにだまされて、あるいは強制的に売春宿に売られ、性的搾取やエイズの危険にさらされている実情を目の当たりにした。
「しかもアジア地域では、性的被害者に対する差別や偏見が根強くあり、救出されても結婚できなかったり、家族と暮らせなかったりなど、未来までも奪われてしまいます。精神的苦痛から命を絶つケースもあると知り、理不尽さに怒りがこみあげました。こんな社会を変えたい、変えなければという思いがふつふつと湧き上がりました」
仲間と出会い「かものはしプロジェクト」が誕生
自分に何ができるのか、悩みながら講演会やシンポジウムに足を運んでいたとき、出会ったのが、青木健太さんと本木恵介さんだ。2人は東京大学の社会起業家サークルに所属し、取り組むべき事業を模索していた。
「子どもの人身売買問題を解決したい」と熱を込めて語る村田さんに共感した2人の仲間とともに、2002年「かものはしプロジェクト」を立ち上げた。 改めて現地調査を行い、タイより被害が深刻な状況にあるカンボジアを活動の対象に据えた。
「議論を重ね、たどり着いたのは“ITで子どもの人身売買問題を解決する”事業モデルです。カンボジアで被害に遭いやすい貧困層の子どもたちにITの職業訓練を行い、技術者を育成。日本から仕事を発注して収益を上げ、持続的に課題解決に取り組むという仕組みです」
子どもを守る仕事には、人生をかける意味がある
そのころ、就職活動時期を迎えていた村田さんは、かものはしプロジェクトを続けることに家族から猛反対を受けていた。
「私自身も、普通に会社に就職してお給料をもらって……という生活を捨てていいものか、迷いがありました」
気持ちを整理するためカンボジアに飛び、1か月で40団体のNGOの現場を視察した。児童買春の被害者が暮らす保護施設には、5~6歳の子どもがいて目を疑った。売春宿で抵抗するたび電気ショックの虐待を受け、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいる幼い姉妹にも出会った。
「みんな家族を助けようとして出稼ぎに出て売られた子どもたちでした。被害者の6歳の子どもは、私の帰り際に『遊んでくれてありがとう』と大事にしていたカンボジアの布をくれました。そんな過酷な状況にあっても他人に優しくできる罪のない子どもが被害に遭っている。こうした子どもの将来を守る仕事は、人生をかけて取り組む意味があると、確信しました」
パソコン教室では貧しい農村の子を救えない
家族を説得して事業に取り組み、2004年、プノンペンにパソコン教室を開設した。3年間で13の孤児院から120人の子どもがパソコンの基礎技術を目を輝かせながら身につけていった。現地のNGOからWEB制作の仕事も舞い込み、事業として順調に進んでいたさなか、村田さんは重大な決断をする。
「パソコン教室は、都市部の孤児院の子どもたちが経済的に自立する手助けにはなっていました。しかし、人身売買の被害に遭う子どものほとんどは、貧しい農村から出稼ぎに出る子どもです。農村で生活に困窮する家庭を救う事業を行わないと、子どもの被害は根本的には食い止められない。『子どもが売られない社会をつくる』という使命を全うするためには、事業内容を変えるべきだと組織の分裂覚悟で主張したのです」
「コミュニティファクトリー」で100名以上の女性を雇用
新たに事業を立ち上げるには数百万円の資金が必要だった。村田さんは日本で200件以上の個人や企業を訪問して協力を依頼。3か月間、寝る間を惜しんで資金調達に奔走し、2008年、ソトニコム地区という農村に工房「コミュニティファクトリー」を建設した。
現在、村周辺から104人の女性を雇用し、いぐさを使ったブックカバーなどの生活雑貨を生産。旅行客の土産物品として、現地の直営店や高級ホテルで販売されている。
「カンボジアで作った商品だから品質が悪くても仕方ないという慈善事業の商品ではなく、ビジネスとして運営していくために、デザインや品質の改良を幾度も重ねました」
コミュニティファクトリーで手作りしているい草の雑貨
創業当時1か月500ドルだった売り上げは、2013年には1日500ドルに拡大した。女性たちに支払われる給料は、これまで農村では難しかった安定的な収入源となり、「日雇い労働をしていたときと比べて収入が倍に増え、出稼ぎに行かなくても生活できるようになった」と喜ばれている。工房では識字教室を開き、給食サービスや託児所もスタートさせた。
被害者が保護され、加害者が処罰される社会へ
子どもを買う加害者を減らすため、2009年からは警察支援も行っている。カンボジアの内務省と連携し、警察官に対して、被害者を適切に保護しながら加害者を逮捕するための実践的な訓練を実施。日本から警察専門家を招いた事業にも取り組んでいる。
日本の一NPO団体がカンボジアの警察組織と連携できるのも、10年にわたる現地での活動の積み重ねが、信頼につながっているからだという。
カンボジアの警察支援の様子
「活動当初と比べると警察の取り締まりが強化され、法律の改正もあり、カンボジアで子どもが人身売買の被害に公然と遭うという状況は見られなくなってきました」と村田さん。
「人身売買被害者の保護施設に行っても、小さい子どもはほとんど見かけなくなりました。30年かかると思っていたのが、10年で状況が良くなったのはうれしい驚きです」
南アジアでの新たな挑戦
2013年からは、いまだ子どもの人身売買の被害が多い南アジアに活動を広げた。現地のNGOと連携し、2013年度は187人の被害者を救済、サポートした。 海外経験もビジネス経験も資金も人脈もない女子大生の村田さんが、アジアの子どもの人身売買問題という闇に本当に立ち向かえると、13年前、誰が想像したことだろう。
困難も限界も乗り越えてこられたのは「今、救える子どもがいるなら一人でも多くを守りたい」という思いからだという。原動力となっているのは、タイやカンボジアのNGO施設で心を通わせた子どもたちの小さな愛情だ。過酷な状況にあって、なけなしのお金でジュースを買ってくれた子、「お母さん」と抱きついてくれた子、花を摘んで髪にさしてくれた子……。その現状と未来は、村田さんにとって「他人事」ではなく「大切な家族の身に降りかかっていること」。村田さんの挑戦は続く。
※この記事は、2014年10月22日にヨミウリオンラインに掲載されたものです。
認定NPO法人かものはしプロジェクトでは、ともに課題解決に挑む仲間(スタッフ)を募集しています。詳しくはこちらから。
認定NPO法人かものはしプロジェクト共同代表/村田早耶香
1981年東京都出身。2004年フェリス女学院大学国際交流学部卒業。「子どもが売られる問題を解決する」ため02年に青木健太氏、本木恵介氏とともに「かものはしプロジェクト」を立ち上げる。同年NPO法人ETIC.主催のソーシャルベンチャーコンペティションSTYLE2003で優秀賞を受賞。03年度NEC社会起業塾に参加。04年NPO法人化。05年日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2006」リーダーシップ部門をはじめ、07年国際青年会議所主催TOYP(傑出した若者賞)、09年国際ソロプチミスト主催「女性のために変化をもたらす賞」、14年ベアテ・シロタ・ゴードン記念賞を受賞。14年認定NPO法人に。著書に「いくつもの壁にぶつかりながら」(PHP研究所)がある。
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