東京都の島しょ地域の中でも、伊豆諸島と小笠原諸島にある、人が生活している11の島は「東京諸島」と呼ばれています。近いようで遠い島と島、そして島と本土を結ぶことで、これまでにない価値を生み出そうと奮闘する、伊藤奨さんにお話を伺いました。
この記事は、【特集「自分らしさ」×「ローカル」で、生き方のような仕事をつくる】の連載として、地域に特化した6ヶ月間の起業家育成・事業構想支援プログラム「ローカルベンチャーラボ」を受講したプログラム修了生の事業を紹介しています。
伊藤 奨(いとう しょう)さん
株式会社TIAM 代表取締役社長 / ローカルベンチャーラボ第7期生
幼少期から、伊豆大島、小笠原父島、八丈島といった東京諸島で育つ。神奈川での大学・社会人生活を経て、25歳で三宅島へ移住し、(一社)アットアイランドを起業。「東京諸島の個と和が続く島づくり」を理念に、ゲストハウス経営、自然ガイド、地域コーディネート、島での創業サポート、東京諸島ベースアップ講座主催、クラウドファンディング伴走など、多岐にわたって活動。現在はローカルメディア『東京都離島区』を運営する株式会社TIAM(ティアム)の代表取締役も務める。
Webサイト : https://ritoku.tokyo/about-us/
幼少期の島暮らしから、三宅島へ移住するまでの道のり
幼少期から島暮らしをしている伊藤さんですが、意外にも出生地は東京の六本木だそう。1歳になる頃に伊豆大島に引越し、その後も東京都の日野市、小学2年生からは小笠原諸島の父島、小学6年生からは伊豆諸島の八丈島と、様々な特色ある地域で暮らしてきました。
自然豊かな島での生活の中でも、高校生のときに企画側として参加した「ドリームプロジェクト」は、伊藤さんの現在の活動にもつながる原体験となっています。88人の高校生が島の壁を越えて伊豆大島に集まり、東京諸島全体の未来を考えるというイベントで、当時の仲間達とは今も一緒に仕事をする関係性にまでなっているそうです。
高校卒業後は、神奈川県の体育学部がある大学に進学した伊藤さん。教員を目指していたものの、教員免許取得後、社会人経験がないまま教員になることに違和感を持ち、大学時代からアルバイトをしていたフィットネスクラブでそのまま働くことにしたそうです。フィットネスクラブでの勤務経験は、改めて子ども達に教えることの楽しさや、人と接することが好きだという自分に気付くきっかけになったと語ります。
一方で、当時は「このままではいけない」という感覚もあったと言います。本当にやりたいことを考えるため、自転車旅行に挑戦したり、起業家など多くの人に話を聞いたりする中で、伊藤さんの中に「島で子ども達と関わり続けたい」という思いが生まれてきました。
教員は転勤もあるため、ずっと島にいられる保証はありません。そこで、民間団体として子ども向けプログラムの運営を行うことを想定し、経験を積むため野外教育施設で働くことにしました。また、この時期に任意団体として設立されたのがアットアイランドです(2016年に一般社団法人アットアイランドとして法人化)。1年程を起業準備期間として、働きながら休日に東京諸島の島々を訪れ、ニーズ調査などを行った伊藤さんが、最終的に移住先として選んだのは三宅島でした。
「2000年の三宅島噴火のとき、八丈島に避難してきた子達と親しくなったことが三宅島に目を向けるようになった最初のきっかけです。三宅島出身の友達ができたことで、たまに遊びに行くようになりました。特に大学生のときに参加させていただいた牛頭天王祭(ごずてんのうさい)というお祭は心震えましたね。
真夏に1日中ジャンピングスクワットをやるような、体力的にハードなお祭なんですが、子どもからお年寄りまで、地域にとってそのお祭がなぜ大切なのか、いわれを自分の言葉で語れる人が多かったんです。地域の文化がリスペクトされているなと感じました。僕もその一員になりたいと思ったことが移住の決め手です」
三宅島の牛頭天王祭の様子
仕事以外での地域との関わりは、めぐりめぐって仕事にも活きている
当初はゲストハウスの運営と寺子屋的なプログラムの実施を事業として考えていた伊藤さんですが、直前で物件が借りられなくなってしまい、計画変更を余儀なくされます。それでも、自由に動ける若者の存在が求められているかもしれないと、2016年に三宅島への移住を決行しました。
移住直後は早朝の運送業や中学校の支援員の仕事をして、最低限の生活ができる程度の収入を確保しながら、長期休みを中心に島の子ども達や島外の大人を対象としたキャンプを企画したり、自然ガイドをしたりしていたそうです。生活のベースを確保するための仕事は、島内の人や物資の流れをつかむという面でも役立ちました。
「自分ができることや、島にとって必要なことを探すために、事業以外でも青年団や消防団、商工会、地域の老人クラブ、サッカーのコーチなど、地域に関わる様々な活動に顔を出していました。直接収益につながるわけではありませんが、ここで得たつながりは今の事業に活きていますし、こういった活動は好きなので苦にはなりませんでした」
着々と三宅島での基盤を築きつつ、伊藤さんは2017年7月に「三宅島ゲストハウス島家(しまや)」をオープンさせます。
三宅島ゲストハウス島家にて
「島の資源を活かした教育を実践できる環境をつくりたいという思いがずっとあったのですが、キャンプだけだと収益的にも厳しいし、単価を伸ばす方法もわからず悶々としていたときに、地元の信用組合から融資を受けられることになったんです。
不動産屋さんとも親しくしていて、僕がやりたいことをお話しする機会もあったので、いい物件を紹介してもらうことができました。信用組合の方と一緒に事業プランを考え、3ヶ月程かけて島内外のボランティア約100人に改装を手伝ってもらい、オープン準備を進めました。準備段階から関わってもらうことで、関係人口化してもらえたらという狙いもありました」
オープンから2年程はゲストハウスの運営と島内ガイドの仕事を中心に、年間約500人のゲストの対応に当たっていた伊藤さんですが、コロナ禍に突入し事業の見直しを余儀なくされることになります。
コロナ禍をきっかけとした方向転換。同じ熱量をもつ仲間との出会い
「ゲストハウスだけやっていても、島の暮らしや自然を残していくために島同士が協力するという方向にはいかないなと悩んでいる時期でもありました。コロナ禍で必然的に今後の事業について考える時間ができたことは、各島のキーパーソンと深く話す機会になりました」
そんな中で意気投合したのが、現在共に「株式会社TIAM(ティアム)」を運営している千葉努(ちば つとむ)さんです。伊豆大島でデザイナーをしている千葉さんとは、元々東京都総務局が実施する「東京宝島」という事業を通じて知り合いました。
「千葉とは気質もやってきたことも違いますが、東京諸島の魅力を多くの人に知ってもらって残していきたいという、根幹の思いは同じだと確認できました。スキルがそれぞれ違うからこそ、協力したら実現に近づけるはずだし、何より同じくらいの熱量をもってやれそうだと感じて、その場で会社設立の話までしたのを覚えています。数ヶ月後の2022年1月には25万円ずつ出し合って、TIAMを設立しました」
共にTIAMを運営する千葉努さんと
TIAMはメディア、コミュニティ、マーケティングの3軸で事業を展開しています。この3軸での展開にはどういった狙いがあるのでしょうか。まずはメディア事業について伺いました。
「現在TIAMで運営している『東京離島区』というWebメディアですが、実はサイト自体は2021年頃からあったものなんです。島しょ地域を東京の24区目の“離島区”に見立てるというコンセプトは千葉が考えたもので、東京宝島の事業で使っていた名称だったんですが、すごくいいなと思って、それを引き継ぐ形で運営することになりました。
『東京離島区』のサイトは、東京諸島内のおもしろいプレイヤーをすぐに見つけられるよう、シンプルな作りを心がけています。ですので、アフィリエイトなどの広告は入れていません。メディア事業は儲ける窓口ではなく、あくまで発信する場ですね。見やすいサイトがあれば、東京諸島を知ってもらう入口になりますし、情報も蓄積していきます。イベントの参加者募集や報告にも活用できるので、他の2事業との相乗効果も高いんです。
それから、取材は東京諸島のプレイヤーと関係性を築くためのきっかけにもなっています。今はメディア事業の社員は1名だけですが、ライター養成講座を準備中です。今後は各島で一次情報を取れるような人達にライターになってもらい、記事の更新頻度を上げていきたいです」
島の当事者として、本質的な課題の解決につながる事業を
そして、伊藤さんが一番の強みと位置付けているのがコミュニティ事業です。
「僕らの強みである島の当事者という立ち位置を活かしているのがコミュニティ事業です。具体的には、離島での創業・事業承継を学ぶフィールドワークとセットになったセミナーや、島の食や商品、それらを生み出す魅力的な島の人達と都内をつなぐイベントなどを、リアルとオンライン両方で開催しています。
東京都からの島を対象とした予算があるのですが、これまでは島外のコンサルティング会社に流れがちでした。また島のための予算なのに、話を聞くだけで解決のためのアクションがなかったり、報酬なしで島内を案内してほしいというような、島の住民が疲弊する使われ方がされている場合もあり、課題を感じていました。
そこで、行政や商工会、観光協会といった公的なセクターとしっかりつながり、信頼を得て、事業を任せてもらえるようになるということは当初から意識していました。民間も巻き込みながら、本質的な島の課題解決につながる事業ができるとアプローチすることで、仕事につながっています。
そして地域のつながりがあるからこそ、島内でクリエイティブチームを作ったり、必要なものはなるべく島内の事業者から買ったり、僕達が補助事業を受けることで、島内に二次的な経済循環を生み出すということにも挑戦をしていきたいです。
メディア事業・コミュニティ事業を通じて生まれた、島の未来によりよい変化を起こしそうな芽をさらに大きく育てるのがマーケティング事業です。中身はコンサルティングやリサーチなど様々ですが、この3つの軸があることで、これまでボランティアベースでやっていたことをマネタイズできそうだと感じています」
東京諸島で生まれた商品やサービスの背景にある物語を伝えるイベント「離島区商店Dialogue」
島内のプレイヤーが活きる「回路」をつくれる組織を目指して
TIAMを設立し、組織としての方向性を考える上で視野を広げたいと2023年に参加したのが、NPO法人ETIC.(エティック)が運営するローカルベンチャーラボ(以下、LVラボ)でした。
「LVラボは、自分自身を見直す機会になりましたし、全国各地で思いを持って活動している人達とつながりをもてたことがすごくよかったです。特に北海道厚真町でのフィールドワークは、行政が主体となって運営している『ローカルベンチャースクール』の仕組みがすごく参考になりました。地域おこし協力隊の起業を促すことで、地域全体でシナジーが生まれますし、こういったスクール系の取組をTIAMでもやっていきたいと思っています。
創業当初から、TIAMをこの島が続いていくために必要な、大きな流れをつくる船のような組織にしたいという思いがありました。島にはおもしろいプレイヤーがたくさんいるのに、その人達やコーディネーター的な人材を活かせる場があまりないので、スーパー事務局として島内に新たな価値が巡っていくような『回路』をつくっていけたらと思っています」
LVラボ参加時の1枚
最後に、今後の展望と、ローカルでの起業やLVラボへの参加を検討されている方へメッセージをいただきました。
「三宅島に限らず、東京諸島が競争しつつも連携していくことで、各島の個性をさらに発揮していけたらと思っています。TIAMとしては、島に対して思いをもった若い人がちゃんと稼げるような環境を整えていきたいですね。特にUターン者は地域の人との距離が近いので、島で何かやるときに起こりがちな様々な問題をショートカットで乗り越えられるというメリットもあるのではないでしょうか。
事業を始めると、地域内の関係性を抜け出せないといった悩みも出てくると思います。地域内にメンターや壁打ち相手がいるという人は少ない気がするので、LVラボを通してメンターや他のエリアでがんばる仲間とコミュニケーションを取りながら、自身の強みややりたいことを深く考える機会として活用してください」
伊藤さんが受講されていた「ローカルベンチャーラボ」では、例年3月から4月に受講生を募集していますので、気になった方は公式サイトをご覧ください。
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