「お客さんかと思った!」茨城県つくば市の百貨店で、笑い声があがる。接客しているスタッフは、おだやかな表情の赤ちゃんを抱いて、にこにこと幸せそうだ。
子連れ出勤、授乳服――モーハウスは、女性たちが赤ちゃんと一緒に自由な生活を楽しめる生活を提案している。そんなモーハウスで実際に働く女性と、その仕掛け人の光畑由佳さんの話をうかがった。
左からモーハウス代表・光畑由佳さん、「LALAガーデンつくば」モーハウス店長・續薫さん
「子連れ出勤」というショッピングセンター初の試み
ショッピングセンター「LALAガーデンつくば」にあるモーハウスで、店長を務める續薫さんは、5歳と1歳5か月の二児の母。子どもが小さい間は抱っこしたまま接客をしてきた。明るい笑顔に相手の顔も自然とほころぶ。
子連れ出勤はショッピングセンター初の試みだった。續さんは初めて店頭に立った4年前をよく覚えている。「わくわくしたけど、緊張もしていました」と語る。
「一番心配だったのは、子どもが泣いちゃうのではないか、ということでした」。
お母さんの緊張は子どもに伝わることを実感した一日でもあった。しかし、そんな續さんを先輩スタッフがみんなで「大丈夫よ」とフォローしてくれた。帰宅したときに續さんは「私、やっていけるかも」と大きな自信を抱いた。
「お母さんがリラックスしていれば、赤ちゃんはぐずらないんです」と續さんは語る。実際に店頭で赤ちゃんを抱っこした店員はみんな、いきいきと輝いている。赤ちゃんも驚くほどおだやかな表情で抱かれている。
續薫さん
母親でも何もあきらめるものなんてない
一番やりがいを感じるのは、母乳育児で悩んでいるお母さんが商品を買い、表情を明るくしてまた来てくれたとき。スタッフが子連れのためにシフト調整に難航することもあるが、みんな同じ環境で働いているので、フォローしあえる。
スタッフ全員が持っているのは、「おたがいさま」という気持ち。授乳があるから外に行けなかったお母さんが、いつでもどこでも授乳できることで、自由に外に行けるようになった。子どもがいても「何もあきらめるものがない」と續さんは言う。スタッフたちの明るい表情と、抱かれた子どもたちの笑顔を見ていると、「子どもを産むのが怖くなくなる」と言う人も多い。
光畑さんは、「子なれた社会」を提唱している。子連れでどこにでも行けることで、お母さんと子どもを社会に慣れさせ、社会にお母さんと子どもを慣れさせる。社会の中で育った子どもは社会を怖がらないし、社会も子どもをみんなで育てようとする。子連れを受け入れる社会に慣れた子どもは、子連れを受け入れる社会を作っていく――、温かい輪は、たった一着の服から始まる。
光畑由佳さん
はじまりは都心の電車内での授乳体験から
女性と子どもたちを笑顔にする授乳服は、18年前に生まれた。代表の光畑由佳さんはその日、生後一か月の子どもを抱いて都内の電車に乗っていた。当時光畑さんの住むつくばと東京を結ぶ鉄道はなく、高速バスに長時間揺られたあとの電車だった。疲れてお腹がすいた子どもは、ついに泣き出してしまった。
当時は、今よりもさらに「子連れで電車に乗る」という人が少なく、周囲の目は冷たかった。光畑さんは焦り、子どもはさらに泣いた。 光畑さんは、他にどうしようもなく都心の電車の中でシャツをはだけて授乳をした。強烈な体験だ。同じように乳幼児を抱いた女性の友だちが外に出たがらない理由が痛いほどわかった。
なんとかできないのか――、光畑さんは「行政に訴えて解決してもらう」という方法を選ばなかった。受身ではなく、そしてもっと身近に、自分のできることはあるはずだ。光畑さんは布を買ってきて、授乳服の試作を縫った。自然に社会に溶け込むデザイン、そして授乳をしていることが外から見えないデザインを目指した。
モーハウスの授乳服での授乳
5年後には年商1000万円を超える事業へ
できた試作をカラーコピーし、布のサンプルを貼り付けて、育児関連ミニコミ誌に出した。二か月後には何着かが売れ始めた。光畑さんは、自分で知人の中をたどって縫製ができる人を探し、一緒に授乳服を作り始めた。
当初支払える謝礼はわずかなものだったが、それでも乳幼児を抱えた女性や、障害児を抱えた女性には大きなお金。「その人たちのためということではなく、一生懸命働いてくれるにきちんと払ってあげれば、その分丁寧に仕事をしてくれるから」と光畑さんは言う。
こうして動き始めたモーハウスは、5年後には年商1000万円を超え、法人化することになる。
オフィスへの子連れ出勤の様子
しかし、その5年間は決して順風満帆ではなかった。授乳服は、「子育てと我慢はセットだ」と考えるお母さんたちの意識に、なかなかなじまなかった。
光畑さんは自宅を開放し、イベントができるサロンを作った。ステージに授乳服を着たお母さんが子どもを抱いて座っているだけのイベントだ。しかし、「さあ、この中の誰が授乳しているでしょう」というクイズもおもしろく、イベントは反響を呼んだ。これが全国版の新聞記事になったことがきっかけで、授乳服は売れるようになっていった。
日本人女性の18人に1人がなる乳がんサバイバーへのケアも
実は、法人化するとき、「NPOにしたらどうか」といわれた。しかし、光畑さんは自分たちが稼いだお金で事業を回していく方を選んだ。女性が短時間で働くだけではなく、フルタイムで働いて子どもを養っていける可能性を残したかったからだ。
フルタイムで働いてくれる女性がいれば、今後やりたいいくつものプロジェクトもやっていける。 子連れ出勤のスタイルは働くお母さんが「何もあきらめない」社会を作っていける、と自信を持った光畑さんは、2012年には「NPO法人子連れスタイル推進協会」も立ち上げた。NPOでは、子連れ出勤を広めるだけでなく、育児休暇のあとの復職も支援している。
子連れで店頭に立ち、同じ母親として想いを共有する接客を
モーハウスとして既に動きはじめたプロジェクトでは「モーブラ・しゃんとシリーズ」という下着のシリーズが生まれた。都立産業技術センターと一緒に開発したこの女性用下着は、乳がんの手術後の痛みやすい体を優しく包み込み、痛みが少ない生活を送れる手助けをするシリーズだ。妊娠中、授乳中、思春期、乳がん後といった全ての女性が安心してつけられるユニバーサルデザインとなっている。
「モーブラ・しゃんとシリーズ」は、あるとき授乳服の店舗に高齢の女性が来店したことがきっかけとなって生まれた。女性は、昔乳がんの手術をした後遺症で、普通の下着が痛くてつけられないまま、長らく悩んでいた。ゆったりとして体を締めつけないというモーハウスの授乳用下着のことを知り、「もしかしたら…」と来店したのだという。女性は授乳用下着で痛みがないことに感動して買って帰った。
光畑さんはそこで、自分の周囲にも乳がんの女性が多くいることを改めて感じた。がん研究振興財団の計算でも、日本人女性の18人に1人が乳がんにかかっているという。服を通して女性を社会の中で生きやすくしていこうという光畑さんの気持ちは改めてふくらんだ。こうして乳がんの手術後から普段の生活に戻る女性のための下着、「モーブラしゃんとシリーズ」は生まれた。
新しい選択肢を創造する存在であること
「クリエイティング・オルタナティブス」(選択肢を創造すること)がモーハウスが目指す大きなテーマだ。
たとえば、子どもがいるお母さんの選択肢は二つだけだった。子どもを保育所に預けて働くか、外出せずに子どもと二人きりで毎日を過ごすか――。どちらも気の滅入るような選択肢だが、それをあきらめて、どちらかを選ばなければならなかった。しかし、授乳服のおかげで「子どもを連れて働きに出る」という新しい選択肢が生まれた。
乳がんの手術後の女性は、「痛くても我慢して普通の下着をつけるか」「下着を一切つけないか」の二つに一つしか選べなかった。女性たちはあきらめて、どちらかを選んだ。しかし、「モーブラしゃんとシリーズ」によって「痛くない下着をつける」という選択肢が生まれた。
續さんの言った「あきらめるものがない」という言葉がよみがえる。 モーハウスがこれから作っていく新しい選択肢は、さらに女性を自由にしていくことだろう。「機動力が上がれば、今練っているプロジェクトに挑戦できる」という光畑さんの言葉が力強い。そのためにも、フルタイムで働けるスタッフ、ボランティアスタッフを探している。
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