「多様性と調和」を1つのコンセプトとして掲げている2020年東京オリンピック・パラリンピック。そのビジョンに共鳴するように、LGBTとスポーツをテーマとした情報発信拠点「プライドハウス東京」が今まさに設立されようとしています。
今回は、過日2018年9月6日に行われた記者発表のレポートをお届けします。
2010年バンクーバーから、2018年東京まで
「プライドハウス」は、2010年バンクーバーオリンピック・パラリンピックにおいて世界で初めて設立されました。LGBTをはじめとしたセクシュアル・マイノリティに関する正しい理解を広げるための情報発信施設としての役割や、当事者や支援者である選手、家族、大会を観るために訪れた観光客が安心して過ごすことのできる空間を提供することを目的としています。
バンクーバーでの誕生後には、ロンドン、グラスゴー、トロント、リオなど、代表的な国際大会の開催に合わせて現地のNGOやNPOが主体となり「プライドハウス」の設立・運営がなされてきました。
2020年を、日本のマイノリティ情勢を変えるテコに
今回の「プライドハウス 東京」の発起人は、「LGBTと、いろんな人と、いっしょに」をコンセプトに、住まい・職場・サードプレイス・スポーツイベントなど様々な場づくりを通してセクシュアル・マイノリティに関する理解促進活動を行う認定NPO法人グッド・エイジング・エールズ代表の松中権(ゴン)さんです。
記者会見では、「本当に多くの方々が世界中から日本にやってくる2020年東京オリンピック・パラリンピックは、 LGBT 当事者を含めた全ての方々に向けて情報発信できる最大の機会」と語った松中さん。 スポーツというコンテンツそのものも、様々な人々がお互いを知り理解し合っていける素晴らしいコンテンツでありながら、「米国の調査において当事者の子どもたちが学校で最も嫌いな場所に体育館や運動場などが上位を占める」と続け、そうした状況改善にも働きかけていきたいと語りました。
また、「昨今の日本のマイノリティ情勢は、うまく進んでいるかと思いきやまだまだつまずいてしまうときもある」と続けた松中さん。「この2020年を、そんな日本を変えるための梃子(てこ)にしていきたいと思う」と、その決意を語りました。
「プライドハウス」史上初のチャレンジとなる、コンソーシアム型の運営を
「プライドハウス」が世界で加速した契機となったのは、2014年ソチオリンピック・パラリンピックでのこと。直前にロシアで同性愛宣伝禁止法が制定されたことを契機に、「プライドハウス」の過去の主催団体と今後立ち上げを目指す団体が手を取り「プライドハウス・インターナショナル」が誕生しました。
2015年のトロントオリンピック・パラリンピックでは、「プライドハウス・インターナショナル」の会合が開催され、リオのチームや平昌のチームらが集い、過去の取り組みや課題、実施までのノウハウがシェアされると共に、各地の独自性を活かしながらいかに持続可能な取り組みとしてバトンを渡していくかについて議論されました。 松中さんは、そうしたこれまでの「プライドハウス」の歴史、コンセプトを大切にしながら、「プライドハウス東京」では以下のようなチャレンジをしたいと語ります。
「今回の東京では、コンソーシアム型の運営をしていきたいと考えています。過去のプライドハウスでは特定の団体が主催する形をとってきましたが、東京では様々なNPOや企業、自治体などと積極的に連携していきたいと考えています。セクターを越えた連携でコレクティブインパクトを生み出し、社会に大きなうねりを生み出していきたいのです。
また、大会までの期間(TOWARD 2020)、大会の期間中(UNITED 2020)、大会の開催以降(BEYOND 2020)という3つのステップに分けて、オリンピック・パラリンピック期間の45日間だけではなく、生み出したコンテンツやプログラムを活かし、レガシーとして『プライドハウス東京』の常設化を目指したいと思っています。 世界にはLGBTセンターという悩みを抱えた若者が相談できるような常設の総合施設があるのですが、日本にはまだ存在しません。この2020年の契機を生かし、様々な人の力を結集してそういった場を日本にも作りたいと考えています」
“平等”を願ったロゴデザイン
「プライドハウス 東京」プロジェクト全体のロゴデザインを作成し、東京2020オリンピック・パラリンピックエンブレムも手がけたアーティストの野老朝雄さんは、「今回のロゴをデザインするにあたり、これまでのLGBTの歴史を調べ悲しい事実を次々と知ることになった」とその作成過程を語りながら、「数十年後にはハウス自体が必要なくなることを願っている」と、このプロジェクトへの想いを語りました。
見方によっては屋根のある建物を正面から描いたようで、他の見方をすれば巨大なビルディング、もしくは小さな家のかたまりを描いたようにも見えるロゴデザイン。均一に6等分され6色に彩られたデザインは、“平等”を表しています。
奇しくも記者会見当日は、北海道胆振東部地震が発生した日。「この国にいる限りこういった災害は避けられない。だからこそ、人々が手をつなぎ助け合い、輪になる大切さを感じています」と野老さんは語りました。
「個性や違いこそが、この世界を豊かにする」
コンソーシアムメンバーであり、アライ・アスリート、ニッパツ横浜FCシーガルズ/元日本女子サッカー代表の大滝麻未さんは、「普通、人は人と同じことが正解、違うことが不正解だと無意識に判断してしまいがちですが、スポーツでは個性や違いこそがチームを強くする原動力です。けれど、それはスポーツだけではないのではと感じています。個性や違いこそが、この世界を豊かにするのではないでしょうか」と語り、「誰もが自分らしく生きられる社会の実現のために、発信力を持ったアスリートとして社会的責任を果たしていきたい」と、コンソーシアムに参加するに至った想いを語りました。
また、NPO 法人 東京レインボープライド共同代表の杉山文野さんは、フェンシング選手としてのご自身の15年間の経歴を振り返り以下のように語ります。
「トランスジェンダーとして女子の選手として活動していたときもあり、オリンピックを目指していたときもありました。しかしながら、日本のスポーツ界はセクシャルマイノリティーにとって厳しい状況をむかえていた時期もあり、トランスジェンダーであるということで競技生活を続けることが難しい状況に置かれていました。
たとえば、リオでのオリンピック・パラリンピックでは、オリパラの両選手合わせて60名のカミングアウトされている選手が参加していましたが、その中で日本人のアスリートとしてカミングアウトしていた選手は0名でした。そのように、たとえば選手間の個人的なカミングアウトはあったとしても、公のカミングアウトはまだまだしづらい状況が続いていると感じています。
スポーツには本当に素晴らしい力あります。この機会にしっかりと連携して、この流れを盛り上げていきたいと思っています」
「新しい社会が生まれてきたスタートの機会」としての2020年
社会課題解決を目指すリーダーの育成を担ってきたNPO法人エティック代表の宮城治男は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックで何を未来に残すのかと考えたとき、「新しい価値が生まれた機会だった」ということを残していくことを大事にしたいと語ります。
「1964年大会では経済発展などのインフラこそが未来に残せたものだったが、対して2020年は『新しい社会が生まれてきたスタートの機会だった』ということを未来に残していけるのではないかと思っています。 『プライドハウス東京』に集った皆さんは、クリエティブに社会を作られている方々。そういった皆さんをぜひ応援したいと思っていますし、『プライドハウス』という組織・場が、オリパラ後もレガシーとして継続していくということが東京発で生まれ、次へ受け継がれていくよう応援していきたいと思っています」
2020年まで残り1年と少し。「プライドハウス東京」のチャレンジは、これから加速していきます!
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