「ローカルキャリアの始め方」第5回で取り上げるのは、この度、日本政策投資銀行主催の「第7回DBJ女性新ビジネスプランコンペティション」で「女性起業大賞」を受賞された渡邊享子(合同会社巻組・代表社員)さんです。空き家を活用したシェアハウスの運営と、アート思考の人材育成を組み合わせた事業スキームが高く評価されての受賞となりました。宮城県石巻市を拠点に事業を展開しています。
渡邊さんは震災を機に学生時代から石巻に通い始め、そのまま石巻に居ついて経験を積みながら(B1)起業(A)に至りました。ある意味、地方での起業に向けた最短距離とも言えるケースです。スキルも経験もない学生が、地方でどのようにキャリアを積み上げていったのでしょうか?地方へ向かうことになったきっかけや、女性ならではの苦労など、オープンに語っていただきました!
人生で一番もやもやしている時期に、就活。そして震災
埼玉県出身で元々縁もゆかりもなかった渡邊さんが石巻を訪れたのは、東日本大震災がきっかけでした。2011年3月当時、修士2年への進学を控えた渡邊さんは就活まっただ中。とは言え行きたい企業があるわけでもなく、これと言ってやりたいことがあるわけでもなく、学んだスキルをどう活かせるのかも見えない……就活自体を続けるべきか悩み、当時を「人生で一番もやもやしていた時期」と振り返ります。
「震災当日も新宿で就活してたんですけど、震災で全部ストップして考える時間ができてしまった。執行猶予ができたというか。就活をやめるタイミング見つからない中で、就活自体が中止になったのは大きかったと思います」
その後の計画停電による節電や小売店での品不足、メディアが伝える被災地の惨状や自粛ムードといった首都圏を覆う空気感も、渡邊さんのもやもやに拍車をかけます。
「それでなんで被災地に行こうと思ったのかっていうと説明が難しいんですけど、たぶん合理的な理由はないです(笑)ただ、震災が起こって飲み込まれるように人生の風向きが変わった感じがした。自分の環境を大きく変えた震災というものが気になった。それで、2011年の5月に研究室のメンバーと石巻に来たのが最初です。石巻だったのはたまたまですね。いっぱいボランティアを受け入れていて、受入基盤も充実してたので。居心地がいいままに居続けてる感じです」
石巻で感じた不思議な包摂感
石巻に来て感じたのは、「自分達でなんとかしなきゃ」と前を向いて立ち上がろうとしている住民の力強さ。それは、メディアで報じられていた被災地の悲惨さとはギャップがあるものでした。
「そういう姿を見ていたら、悩んでいたことがどうでもよくなってきた。不謹慎かもしれないけど、石巻の人達が楽しそうに見えたんですよね。災害ユートピアというか、瓦礫に映画を投影してみようとしていたりとか、これからどうしていくかを描いていたりとか、前向きに進んでいる感じがして」
渡邊さんは学業の傍ら毎週末夜行バスで石巻に通い、継続的にボランティア活動に携わるようになります。特にノウハウがあるわけではないので、料亭の宴会場やお店の一角、様々な場所に泊めてもらいながら、片付けや泥かき、イベントの設営等、とにかくなんでもやっていたそう。
「当時の石巻はどんな人でもいいから必要としてる感じ。何かやったら誰かが見ててくれるし、思いついたことがあれば聞いてくれて、『いいね!やってみれば?』と言ってくれる。だからこっちも『とりあえずやってみよう!』ってなれるし、文化祭みたいな空気感というか、包摂感みたいなものがあった気がします。『自分は必要とされているんだ』と勘違いできる環境の中で、『この空気にのまれて何かやってみたい』っていう気持ちが大きくなっていきました」
石巻に通う内、次第に東京にいる時間がもったいない、つまらないと感じるようになってきたという渡邊さん。折しも博士課程への進学が決まり、研究費もつくことに。論文は書く気になったらやればいい。当面の生活費が続く限りはやっちゃおう。「この流れの中にいたい」という想いに任せ、石巻での活動が本格化していきます。
ずば抜けた特技や想いはなかった。研究費で食いつなぎ、丁稚奉公の日々
「最初は学生だったんで、下っ端というか丁稚奉公的な感じですね。お給料はなかったので、研究費で食いつないでいました。
当時は本当に、特別なスキルや強い想いがあるというわけじゃなかった。大学でフィールドワークはずっとやってたけど、活躍してたかっていうとそうでもないし。専攻は都市計画なので、設計をばりばりやっていたわけでもない。資料を作ればデザインがダメだと言われ、模型を作れば不器用だと言われ……全然光ってるタイプの学生ではなかったですね(笑)」
こうして石巻での活動が長期化するにつれ気づいたのが、ボランティアの住宅問題でした。震災後の1年間で、石巻には延べ28万人ものボランティアが訪れたといいます。[i] 支援活動の長期化に伴い、石巻に定着する人も出てくる中で、住むところがないから残りたくても残れないという声も多く耳にするようになりました。元々大学院では移住や空き家活用について研究していた渡邊さん。石巻で何かやりたいという人を残していくために、使えそうな空き家を探し始めます。
そして2013年4月、一般社団法人ISHINOMAKI2.0に企画を出し、プロジェクト化されたのが、「2.0不動産」でした。リノベーションできそうな物件を見つけ、大家さんと相談しながら改修をサポートし、入居希望者とマッチングを行うというもので、運営のための助成金獲得から携わりました。2014年の4月には、自身の代表作となる若者向けシェアハウス「八十八夜」がオープン。設計・施工だけでなくネーミングやブランディング、運営まで総合的に手がけました。
「学校で教わることは基礎中の基礎なので、それを使って明日から、とはいかない。不動産・建築・デザイン、今のスキルは大学を卒業してから手探りで覚えました。石巻には広告関係のクリエイターや建築家の方が大勢いたので、OJTで英才教育を受けたと思ってます。不動産に詳しいわけではなかったけど、やらなきゃってなったら覚えるしかない。今はネットで検索すればほぼなんでもいけるので、契約書1つ作成するのも調べながらやってました」
スキルも何もない中で経験値を上げていけたのは、失敗を恐れないという強みがあったからだそう。
「失敗しても、『すみません』でノウハウが蓄積されていく。できないからやらないんじゃなくて、できるふりしてやって、直して、できることが増えていくプロセスが面白かった。そこに身を置けただけでもいい日々でしたね。」
石巻で生き残るための、一番自然な選択が起業だった
しかし、大学院から研究費が出るのは3年間。だからこそ、「研究費が切れたら終わり。3年経ったら食えるようになっていよう」という想いが心の中にあったといいます。そんな渡邊さんにとって、石巻で生き残るための最も自然な選択が起業でした。
「組織の中の一企画だと予算消化型になっちゃうし、自由度のなさが気になってきた頃でした。他にもいろいろやってる中でインパクトが薄まるんじゃなく、ちゃんと1本軸を立てて、設計・施行・運営をワンストップでできる事業型にしたかった。それには自分が責任もって回していかないと難しいし、これをやるのって私しかいないんじゃないかと勝手に思い込んで(笑)
石巻でずっとやることに覚悟があったわけじゃないけど、自分が残る理由として一番手っ取り早いなと。」
起業を選んだのは、組織的なものへの苦手意識や、自分の名前で仕事がしたいという想いもあったそうです。
「会社の建前や組織って感じの雰囲気を見て、無理だなって思っちゃったんですよね。指示されて何かやるのは苦手だし、雇われるってことも逆にすごく不安で。
元々研究者か起業かの2択だったんでしょうけど、学生のときは起業ってどこか遠い、想像の範疇を越えたことだった。でも石巻では同世代で起業してる人が周りにいたし、地方だと経営者に近いところじゃないと食ってけない仕事ばっかりだなってことも見えたので、選択肢として一気にリアルなものになった。
それに、自分で提案して予算も取ってきて、こんなに責任もってやってるのに、結局大枠でくくられて先生や団体の名前で発信されることにフラストレーションもあって。要は目立ちたがりなのかな?(笑)」
そして2015年3月、「2.0不動産」を一緒にやっていたメンバーと合同会社巻組の設立に至ります。
地方で、自分の看板で仕事をする大変さ
ヨソモノ・若者・おまけに女子。巻組の設立直後は箸にも棒にも掛からず、独立してやっていく大変さを痛感したといいます。行政に協力を求めようにも、どこの課が何を担当しているかもわからない。移住者が対象で被災者向けの事業ではないところがネックになったり、事業内容を理解してもらえなかったり、起業当初は苦難の連続でした。
「団体や環境に守られてた部分はあったんだなと思い知りました。最初は復興や建設関連の部長に直接メールしたり、直談判したり。『こんなよくわかんない女の子が一生懸命何かやっている!』っていうので、協力してあげたいなって気分になってもらえたのもあると思います。反対に余裕を見せちゃうとクレームにつながることも。全力と本気を見せ続けるのが本当に大事ですね」
お金をもらうとなれば、納期もきっちり守らなければなりません。知名度も実績もない中で、当初はなかなかうまく回せず、クレーム処理に多くの時間を取られてしまうこともありました。
「菓子折り持って謝りに行ったことも何回もあります。自分で事業をやるってなると、思った以上に、ものすごく細かいことまで全部やらないといけないんですよね。電話を引いて、料金払って、会計処理して、書類作って、文房具も買わなきゃいけないし……こんなにも想定した通りに進まないものなんだ!って。
内部分裂や、こんなことまで言われなきゃいけないのかって批判もあったり……失敗してへこむことはなかったけど、辛い、忙しいっていうのはありました」
悪戦苦闘しながらも、レストランとシェアルームが一体となった松川横丁の「COMICHI石巻」など、少しずつですが着実に実績を重ね、メディアで取り上げられることも増えてきました。それにつれ行政も協力的になり、市だけではなく県や国からも事業を受託するまでになっていきます。行政からの仕事を受けるようになると信用がつき、融資も得られるように。現在は助成金等も活用しつつ、シェアハウス100室の稼働を目標に事業を回し続けています。
「嫁」として地域で仕事をする大変さを痛感
実は巻組設立よりも前の2013年9月に、結婚という大きな節目を迎えた渡邊さん。社長として走り続けた20代後半は、地域の中での女性の立ち位置について考えさせられる時期でもあったそうです。
「スタートして2~3年目は、女の子だし、学生上がりだし、ヨソモノ感はすごくありました。『君はいつかいなくなっちゃうんでしょ?』みたいな。特に2012~13年頃はボランティアがみんな帰り始めていた時期だったので、余計そう見られる。じゃあどうしたら私はここで信用される人間になれるのか?って考えたときに、地元の人と結婚するっていうのは、一つのわかりやすい覚悟の示し方だった。
結婚の報告をしたときに父から言われた『そんなしたたかに結婚しなくてもいいんじゃない?』って言葉が、すごくグサッときたのを未だに覚えてます。自分では気づいてなかったけど、地域の中での立ち位置が確立してないから、嫁ぐことで自分の立場を示したいっていうのもあったのかな。肩書やポジションをわかりやすく示せないと不安なところがあったんでしょうね」
ところが結婚してみると、「嫁」だからこそのしがらみに直面します。
「誰も私の名前を覚えようとしない。旦那の名前で呼ばれるんです。嫁になれば信用されると思ってた裏返しで、家の看板で評価される」
自分の看板で仕事がしたくて独立したにもかかわらず、何をやっても自分の存在が認識されないかのような状態に苦しむことに。
「地域に恨みつらみは一切なくて、感謝でいっぱいなんですが、やっぱり大変だよな……みたいな」
女子校から女子大7年間の女子校生活の中で教えられてきた、「こうあるべき」が通用しない世界で生きていくのはどういうことかを実感します。
「これだ!」と思える仕事ができれば、突き抜けられる
そんな状態を打破してくれたのは、やはり仕事でした。会社に新しいメンバーを迎える中で、入って来る人の半数が美大出身であることに気づきます。常識にとらわれないアート思考の人だと、普通は尻込みしてしまいそうな条件でも、そこに余白を感じて0から1を生み出せる。そういう人が入ることで、ちょっとずつ地域がイノベーティブになっていく。物件だけでなく、使う人も発掘することに可能性を感じた渡邊さんは、美大生をターゲットとした実践型インターンシップという形で、人材育成を事業化します。
「広報誌や動画の制作とか、美大生だとアウトプットを残しやすいんです。アウトプットが残ると企業さんも喜んでくれる。スキルはピンキリだけど、アート思考の子が中小企業に入るとそこで働く人も刺激を受けるし、インターン生の満足度も高い。
それに、短期間でもインターンをきっかけにシェアハウスを使ってくれると、不動産事業にもプラスがあるんです。何かしらの人材需要があると、不動産も動くという仮説が証明された。3年やってみて、人を育てることが不動産事業とダイレクトにつながっているという実感をもてました。うちの会社としての存在意義が見えた以上は、そこに賭けていきたい」
扱う物件は借り手がつかないような条件の悪い空き家に絞り、アート思考の人材を呼び込む。ターゲットとニーズが明確になったことで、「こういうことをやってみたい」というスタッフも自然と集まるようになりました。事業の歯車が噛み合い、好循環が生まれていきます。
「自分がやっている事業が本当に必要とされているのか自信がないと、自己肯定感も下がるんですよね。そういうときって、大学の講師だとか嫁だとかいろんな肩書をつけて自分を表現しようとしちゃう。今は、求められている層にサービスを提供できている実感が出てきたので、地域に認められたくてたくさんの肩書を求めていた自分のことも受け入れて、振り返れるようになりました」
アドバンテージはかっこつけずに使い切る
様々な困難にぶつかっても前に進み続けてきた渡邊さん。地方で事業を回していくために大切なものはなんなのでしょうか?
「『補助金使って……』とか『若いからって……』とか、いろいろ言う人もいますけど、現実が動いていくなら使えるものはなんでも使う。それによって生きていけて、直面している課題が解決するなら、あらゆる手段を使い切ればいいと思います。アドバンテージはかっこつけずに使い切る」
ヨソモノゆえ、若さゆえ、そして女性ゆえという壁を乗り越えてきた渡邊さんの口から出ると、非常に重みがあります……!
「リノベーションって各地でやってますけど、よそから来た20代の女の子が、不動産っていうTHE・地縁の世界で何軒も空家を活用したっていう事例はあんまりないと思んですよね。地元の男性が同じことをやるより、3倍くらいは余計なストレスがかかるはず。そういうことの中で、女性が地域でどれだけやっていけるかっていうのは、考えていくべき問題だと思います。
ただ、今の私があるのは信用して任せてくれた地域の方・大家さん・商店主さんがいてくれたからこそ。結婚したことによって『この人はいなくならない人だから任せてみようか』っていうのはあったと思う。ここからは、『石巻でこれだけやれた人だから任せてみようか』になっていけば」
「社長は天職」と語る渡邊さん。インタビュー中も、社長業を心から楽しんでいる様子が伝わってきました。
「これからも逃げ道を作らずチャレンジしていきたいですね。ここからがやっとスタートライン。いつでもスタートライン。ここをスタートとしたときに、どう進んでいくのかをいつまでも考え続けることが大事なのかな」
進化し続ける巻組が、石巻を更におもしろい街へとアップデートしていきます。
■合同会社巻組
■合同会社巻組を含む4社が石巻市役所と連携して移住・起業支援を行うコンソーシアムハグクミによる
「石巻を選ぶ」-石巻、暮らし方ガイド
[i] 公益社団法人みらいサポート石巻 「石巻災害復興支援協議会活動報告書」
http://ishinomaki-support.com/wp/wp-content/uploads/2017/10/e3551ecf9028c5d7081c97b8a8bc21b7.pdf
この特集の他の記事はこちら
>> ローカルキャリアの始め方。地域で起業した経緯と始め方をクローズアップ!
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