「次世代を担う起業家型リーダーの輩出」をミッションに掲げるNPO法人ETIC.にて、事業統括ディレクターを務める山内幸治(38)。ETIC.の黎明期より事業に参画し、代表理事である宮城治男の”右腕”として、大学生を半年以上起業家のもとに送り込む、「実践型インターンシップ事業」や、社会起業家の創業支援プログラム「社会起業塾」を創ってきました。
常に仕事のことを考え、「起業家の特権は、24時間仕事に打ち込めること」と言いきる山内は、東日本大震災以降、その情熱と時間の多くを復興支援事業「右腕派遣プログラム(詳細は下に)」に注いできました。
復興に取り組む地元のリーダー(企業やNPO、行政をリードする人々)のもとに、事業推進を支える若き”右腕”を送り込む「右腕派遣プログラム」は、どういった背景から生まれたのか。また、その先にどのような社会を目指しているのか。早朝のETIC.オフィスでお話を聞きました。
※右腕派遣プログラムとは:被災地の地域課題解決型プロジェクトに取り組むリーダーのもとに、その「右腕」となる人材を派遣するプログラムです。主に20代・30代の若手ビジネスパーソンは、原則1年間現地に住み込み、リーダーとともに復興に取り組みます。2011年の事業発足から2014年5月までに、117の現地プロジェクトへ187名を派遣しています。
NPO法人ETIC.事業統括ディレクター・山内幸治
東日本大震災の夜、Skypeで夜通し議論
石川:まずは震災直後までさかのぼって、右腕派遣プログラムがうまれた経緯をお話いただけますか。
山内:震災当日の金曜日は、多くの学生が参加するイベントの真っ最中でした。続く土日にも、多くの方々が関わる合宿やイベントが予定されていましたね。地震から数時間経って少し落ち着いた後、別の場所にいたディレクター(経営陣)とSkypeをつないで、対応策を話し合いました。
石川:まずは、関係者の安全確認をする必要があったのですね。
山内:そうですね。時間が経つにつれて事態の重大さがわかり、予定されたイベントは全て中止しました。その議論の過程で、「自分達には一体何ができるだろうか?」という話になったんです。
夜通し話しましたが、未曾有の大災害の中で、それを自分達だけで考えることは難しいという結論になりました。そこで、ちょうど東京に滞在していた阪神淡路大震災の支援の現場を体験した関西のNPOの代表に話を聞くことにしたんです。 そこから得た示唆は、緊急支援の段階でも、その後にやってくる復旧・復興の段階でも、必ず担い手となる人材が不足するだろうということでした。
特に今回の被災地は、都市部と比較すれば人口が少なく、高齢者が多い地域です。一方で、ETIC.がこれまでやってきたことは、大きくいえば、「社会課題の現場と、人材をつなぐ仕事」です。このあたりに、何かしら貢献できる可能性があるのではないか、とは思っていました。
阪神淡路大震災の時、何もできなかった悔しさ
石川:東京でも続く余震や、原発の問題で混乱が起きていた真っ最中に、自分たちに何ができるかを常に考えていたんですね。何が、その時の山内さんを動かしていたのでしょう。
山内:ほとんど反射的に何ができるかを考えていたのだと思いますが、振り返ってみれば、阪神淡路大震災のことが影響していたように思います。
1995年の発災当時、私は早稲田に通う大学生でした。テレビで阪神淡路大震災のニュースをみながら、何かしなければと思ったのだけれど、そのとき自分は何もできなかった。その時の悔しさを、今でもよく覚えています。 さらに言えば、東北の沿岸部での災害は、他人事ではありませんでした。かつて仕事をした起業家が、仙台にいたんです。彼は、自身も被災者でありながら、震災初日から現地を駆けまわって炊き出しをしていたそうです。
地震から数日経って、そういった仲間とやりとりする中で、現地で何が必要なのかを少しずつ理解していきました。 同時に、幾つかのNPOの仲間たちと一緒に、避難所にいる社会的弱者(高齢者や妊産婦、アレルギー患者等)を支援する活動を開始し、宮城県内の避難所にボランティアを派遣しました。
その活動の中で、「南三陸町(宮城県)の避難所に、リーダーを補佐する人材を送ってほしい」という要請があったのです。 早速、現地に入っていたボランティアのメンバーを”右腕”として送り込んだところ、あふれる業務を右腕が巻き取ることで、リーダーが本来すべき業務に集中できたそうです。
この経験からの学びが2つありました。ひとつは、同じような状況におかれている避難所は他にもあるだろうということ。そしてふたつめには、今後避難所にかぎらず、仮設住宅のコミュニティ支援や、ローカルビジネスをつくっていく現場でも、同じような人材の需要が増えるのではないか、ということでした。
石川:こうして、右腕派遣プログラムの原型ができていったんですね。そこから3年以上が経過して、これまでに117のプロジェクトに187名(2014年5月時点)の右腕を派遣してきたわけですが、どんな点にこだわってプロジェクトを運営してこられたのでしょうか。
雄勝の子どもたちの学習支援や農林漁業プログラムに取り組む、公益社団法人sweet treat 311の元右腕・安田健司さん。現在では同法人のスタッフとして活躍されています。
派遣する右腕は、「地域に仕事をつくる人」
山内:ひとつのこだわりは、「単なる人手を送らない」ということです。被災地を訪問すると、「人手がほしい」という声はそこら中にあります。何かをするときに人がいないよりは、いたほうがいいですから。
石川:おっしゃるとおりですね。
山内:右腕を派遣する先は、新たな仕事をつくる現場です。なぜなら、被災地には「仕事」より、「仕事をつくる人」が必要だと思うからです。例えば、「魚の骨を抜いて缶詰をつくるから、骨を抜く人を派遣してほしい」という依頼があるとしますよね。でも、そういった仕事であれば、将来の売上を見込んで現地の人を雇用すべきだと思うのです。
一方で、「これまでにない商品をつくりたい、新しい流通の仕組みをつくりたい」といった、実験的な取り組みのための依頼もあります。だから、周りでは見つからないスキルをもった人がほしい、というニーズがそこにあります。
私たちは、こういった新しいチャレンジに取り組むリーダーのもとへ、右腕を送り込みたいと思っています。
石川:右腕人材の派遣が、「未来の可能性への投資」になっているかどうかを見ているんですね。
カトリーナの復興に手応えを感じたのは「6年後」
石川:派遣者のアセスメント結果には、60%が派遣就業後も現地に留まって、継続就業あるいは起業しているとあります。(関連記事)これを見ると、「東北で仕事をつくる人を増やす」というミッションに対して一定の成果が出ているように思います。震災から3年が経ちましたが、今後、右腕派遣プログラムはどうなっていくのでしょうか。
山内:この前、ニューオーリンズで復興に取り組んだ財団の方とお話する機会がありました。その際の「復興の手応えを感じてきたのは、ハリケーン・カトリーナの被害から6年くらいが経過したときでした」というコメントがとても印象に残っています。6年が経過してようやく、「明らかに、カトリーナ以前のニューオーリンズとはひと味ちがう地域として復興しつつある」ということを彼は体感したそうです。
石川:地域が復興していくには、やはり長い時間が必要なのですね。
山内:以前から、復興に貢献するのであれば長期的に取り組むことが不可欠だと思っていましたが、これを聞いてやはり、継続的に復興の担い手を送り続けることが大切だと再認識しました。
仕事を自分で創る楽しさ
石川:DRIVEでも、東北での求人にはどんどん人が集まっていて、引き続き注目が高いことを感じています。「東北ではたらきたい」と思っている人に向けて、何か伝えたいことはありますか。
山内:自分の目的を持ってきてほしいということですね。もちろん、派遣先の地域や組織に貢献したいという気持ちを持ってきてくれるのは嬉しいし、そういう思いは大事です。でも、「何かのために」に偏り過ぎないことも重要かなと思っています。「私はこれがやりたくて、だからここにいます」と言えるものを持って現地に行ってほしいですね。
現地の人と話していると、「この地域で暮らしてはたらくという経験や、ここにある課題に取り組むことを、うまく使ってほしい」ということをよく聞きます。それは、必ずしも将来的に東北に貢献するものでなくたっていい。例えば、「自分の出身地で将来的に地域医療に関する事業をやりたいから、東北の先進的な事業者のもとで修行したい」といったような。そんな事例がどんどん増えたらいいですね。
石川:主体性をもってきてほしい、ということでしょうか。山内さんのこだわりポイントですね。
山内:そうですね、自分の人生を自分で切り拓いていける人や、自分の仕事にプライドを持って、やりがいを感じて働く人が増えてほしいなと思っています。もちろん、みんなに起業や右腕になることをすすめるわけではありませんが、仕事を自分で創る楽しさを一度体験してしまったら、そうではない働き方は想像しがたいものがあります。新しい可能性を追いかけて、魂を込めて働いている人たちとの仕事は、本当に楽しいですから。
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