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「復興優先」で考えてきた被災地の子どもたちのこれから。NPO法人カタリバ菅野祐太さん〜311をつながる日に(1)

2021.05.11 

東日本大震災から10年を迎えた2021年。

新型コロナウィルス感染症の影響もあり、未来の不確実性が議論される今だからこそ、東北のこの10年の歩みは、「未来のつくり方」の学び多き知見になるのではないでしょうか。

「311をつながる日にする会」によるインタビューシリーズ(全6回)、第1回は、震災直後の岩手県大槌町(おおつちちょう)に、NPO法人カタリバのスタッフとして着任し、仮設住宅に住む子どもたちの放課後学習支援をしてきた菅野祐太さんです。支援する・されるの関係性から、大槌の教育に携わる姿勢を問われたことや、今の大槌の子どもたちを見ていて思うことを率直に語ってくださいました。

 

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菅野祐太(かんの・ゆうた)さん

認定NPO法人カタリバ コラボ・スクール 大槌臨学舎

岩手県大槌町で、放課後学校コラボ・スクールを立ち上げ、現在は大槌町教育委員会の教育専門官として行政支援を担当。

認定NPO法人カタリバ:どんな環境に生まれ育っても未来をつくりだす意欲と創造性を育める社会を目指し、2001年から活動している教育NPO。

高校生たちの「大人は復興に奔走してるのに、子どもは勉強だけしてていいの?子どもは邪魔ものなの?」という言葉から始まったマイプロジェクト

 

――これまでの活動の経緯を教えてください。

 

菅野さん(以下敬称略):私は2011年9月にカタリバのスタッフとして大槌町に入りました。仮設住宅住まいで学ぶ場のない子どもたちを見て、将来この子たちが学べなかったことを後悔しないようにと、緊急的に「放課後スクール」を始めました。

 

2013年からは地域や学校とも連携して、カタリバが子どもたちを見守る生態系の一部になることを考え始めます。私が教育委員会と関わるようになって、少しずつ活動が町に根付いていきました。

 

ちょうどその頃、高校生たちから「大人が復興のために毎日奔走している中で、子どもは勉強だけしてればよいのか?邪魔者扱いされてる気がする」という声が上がって、それなら主体的に町づくりに関わってみようと「マイプロジェクト」が始まりました。マイプロジェクトは、子どもたちが自分の関心をテーマにプロジェクトを立ち上げ、実行することを通して学ぶ、実践型探究学習プログラムです。

 

やってみると、こういう子どもたちの主体的な活動こそ町に広げていくべきだと、2017年に私が教育委員会に出向し、町の教育専門官になり、政策として取り組むことになりました。

 

――カタリバはいろいろな地域で活動されていますが、被災地での活動ならではの気づきや学びはありましたか?

 

菅野:私は元々、子どもたちが大変そうだから何かしてあげたい、支援がしたいと思って大槌に来ました。

 

3年くらい経って、現地の人から「いつまでいるの? こんなところにいないで東京に戻った方がいいよ」と言われ、自分の支援は大槌のためになっていないのではないかと苦しくなりました。

 

ある時ふと気づいたんです。支援を「する側」と「される側」に分けてしまった瞬間、「される側」の人は「する側」の人に「ありがとう」と言わなければならない構図を生むことになる。そうすると対等ではなくなると。被災地支援の大きな学びは、支援の難しさだったと思います。

 

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支援したい一心でやってきた自分に突きつけられた「君に大槌の教育を任せたいとは思わない」という言葉

 

――それでも大槌に残るという判断をされたのはなぜですか。

 

菅野:ある教育委員会の先生と焼き鳥屋で飲んでいるとき「君に大槌の教育を任せたいとは思わない。君はこの大槌を背負う気はあるのか」と言われ、とてもショックを受けました。

 

考えてみると、私は都会の価値観で「もっと大槌はこうあった方がいい」と勝手な課題感を持って大槌に接していたのかもしれない。本当に背負う気があるのなら、大槌で起きていること、いいところ、すべてを背負ってその上でどうするのか考えるべきだった。自分は本当の復興の担い手ではなかったのではないかと強く感じさせられました。

 

その後、2016年12月に、当時の教育長と1対1で話す機会がありました。そのとき私は、「震災を機に大槌の教育を変えていこう」という教育長の強い想いでつくってきたものが「風化している」と伝えました。

「だったら教育委員会に来てやってくれないか」と言われ、2017年度から教育委員会に出向します。

 

カタリバはずっとよそ者として、町の中枢には関われない立場だったのですが、立ち位置が変わりました。ついに町の中に入り、内部の視点で考えていかなければならなくなって、責任や重圧を感じましたね。

 

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大人優先、復興優先に考えてきた子どもたち。これからは自分の幸せをもっと考えてほしい

 

――「大槌を背負う」立ち場での活動になったわけですね。震災から10年経って、これから先に対してどんなことを思っていますか。

 

菅野:今こそ、この町にカタリバが必要だと思っています。ある程度ハードの整備が終わって、復興は、見掛け上は形になってきましたが、これからが本当にこのまちを、好きだった大槌町、好きになれる大槌町に変えていく段階です。

 

その時に、「私はこうしたい」という町民ひとりひとりの想いが、町に魂を宿らせます。その「私はこうしたい」を作るのは教育です。カタリバがこれまでやってきたノウハウが十分生かせるので協力したいと考えています。

 

けれども一方で、この10年に被災地で起こったことは、これから日本各地で起こることだとすると、ここで知ったこと、経験したことは、日本中のいろいろな自治体でも参考にしてもらえるのではないかとも思っています。

 

――どうしてこの町にカタリバが必要だと思うのでしょうか?

 

菅野:最初は「そんなことしなくてもいいんじゃない」と言われていた「マイプロジェクト」が、今や高校の授業の中に入って全員が経験しています。それは町民のみなさんが子どもたちに主体性を身に付けてほしいと願っているからです。そのためには、子どもたちに主体性を持たせるノウハウのあるカタリバの存在が必要だと思います。

 

――大槌での経験が他の地域でも参考になるという話ですが、コロナ禍で社会が不安を抱える今、震災を経験したからこそ、言えることがあるのでしょうか?

 

菅野:震災後、「絆」という言葉が流行りましたが、「絆なんて使いたくない」という生徒もいました。それが何故かが重要なのですが、被災地ではつながりの大切さと息苦しさを考えさせられたと思います。

 

この人を信じていいのか、支援されたら「ありがとう」と言わなくてはならないとか。また、被災地はいろんな決断の連続でした。意見の違う人の存在も明るみに出てしまう。

例えば、たくさんの職員の方が亡くなった旧市庁舎を残すか壊すかについても、それぞれ気持ちは違っても、意思決定をしなければならなかった。

 

意見の合わない人ともお互いに納得できる答えを見つけなければならない経験をしてきた町だからこそ、コロナ禍で分断されていく社会に対して一石を投じることができるのではないかと思っています。

 

――震災を経験したからこそ主体性を持って強く生きていける子どもが育っていると感じますか?

 

菅野:最初に高校生たちがマイプロジェクトを始めたとき、「町のため」「地域のため」というプロジェクトが多かったんですね。それが何故かというと、大人の願いが投影されてしまっただのと思います。小さいときに、避難所では、自分のことより大人のことを優先せざるをえなかった。同じように、自分のことより町の復興が大事だという時期がこの10年間でした。

 

今、本当にこの子たちが自分の幸せを考えていけるのか、私は少し不安に感じています。自分のやりたいこと、好きなことをちゃんと感じられる人を育てていかなければ、と思っています。

 

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世の中で一番面白いところにいたい。という気持ちは変わらない

 

――この先、菅野さんが実現したい、取り組みたいのはどんなことでしょうか。

 

菅野:「こういうことがしたい」という気持ちをお互いに育てていけるような文化をつくりたいです。意見を聞いてもらえずに弱者になりやすい子どもたちを支えていくことで、町民がみんなでやりたいことを応援し合える。そんな町にしていきたいです。

 

――震災を経験していなかったら、意見を言い合うことはなかったと思われますか?

 

菅野:被災地だからできたことはあると思っています。一つは、町民の多くが生活を変えることを余儀なくされた中で、何のために働くのか、何が自分の生活のモチベーションなのかを考える機会になった。二つ目は、自分のことだけではなく、町をどうしていくのか、ほぼすべての町民が問われる経験になったということです。だから、自分の気持ちや主体性が大事だと感じている大人の住民がとても多いと思います。子どもたちにもその力を付けてほしいです。

 

――10年経って改めて思うことは。

 

菅野:カタリバに関わってくれるたくさんの人を、ひたすら大槌に受け入れ、大槌から送りだす9年でもありました。自分はなぜ帰らないんだ、なぜここに残ることにしたのか、毎年3月には考えていました。でも今年度はあまり考えていなくて。「被災地の支援」という分かりやすい目標から、何かほかのことに目標が変わってきていると感じています。

 

だからといって、ずっと大槌にいるということでもなくて、世の中で一番面白いところにいたい、という気持ちは変わらない。でもそれは東京ではない。早く東京に帰りたいという気持ちは全くなくなりました。

 

――町が自走できるようになったら、菅野さんを必要とする別の町に行きますか。

 

菅野:大槌町という視点で自分が考えねばならないのではなく、自分が大槌町で成し遂げたいことをちゃんと発信して働きかけていくことで、町に議論が生まれる。学びが広がっていく。だから僕は、正面からぶつかっていこうと思っています。

 

――ありがとうございました。

 

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聞き手:高島太士

一般社団法人NEW HERO代表

ソーシャルアクティビスト/ディレクター/ドキュメンタリスト

 

このインタビューは動画でもご覧いただけます

 

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「311をつながる日にする会」は、東日本大震災から3年となる2014年秋、「震災をきっかけに、世界を巻き込みながら日本中に広がったできごとや知ったことを、すべての人に関係があることとして、ポジティブな形でずっと残していこう」というNPO法人ETIC.宮城治男代表理事の呼び掛けをきっかけに発足しました。(https://www.tsunagaru-311.jp)企業人を中心に有志が集って活動しています。

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