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勉強が救う、社会でつまずいた若者の将来(株式会社キズキ代表・安田祐輔さん)

2016.09.26 

「挫折で人生が終わるわけではない。何度でもやり直せます」と話すのはNPO法人キズキ理事長の安田祐輔さん。 ドロップアウトした若者たちの「勉強をしたい」という思いを、新たな一歩につなげる学習支援事業を展開している。

安田祐輔(やすだゆうすけ/NPO法人キズキ理事長)

安田祐輔さん(やすだゆうすけ/NPO法人キズキ理事長)

挫折経験を持つ講師が寄り添う塾

キズキのスタッフ

NPO法人キズキのスタッフと安田さん(2列目左から3番目)

東京のJR代々木駅。駅前から5分ほど路地に入った静かな住宅街に、「キズキ共育塾」はある。ここに通うのは、不登校やひきこもり、高校中退などで悩みを抱える中学生から社会人までの若者だ。現在、生徒数は約160人。塾では、彼らに高校受験や大学受験など目標にあわせた「学び直し」の機会を提供している。

 

講師は、大学生を含む20~60代で約70人。そのうち約6割が過去に落ちこぼれ、いじめ、受験の失敗など挫折の経験がある。キズキでは、講師自身が自らの経験を生かした指導をすることで、生徒との信頼関係を築いてきた。授業は週1回から、専任の講師が生徒の体調や学力にあわせて進めていく。勉強とメンタルの両面をサポートするのが大きな強みだ。

 

また専門学校・大学に足を運んで、学力面・精神面に課題を抱え、授業についていけなくなった生徒を対象に特別クラスを運営したり、教職員を対象とした研修を行ったりしている。そのほか、新宿区では行政からの委託事業として、ひきこもり等の若者を対象とした就労相談窓口の運営をする一方、ベトナムにて障がいを持つ若者を支援するための事業を立ち上げた。

大学受験が人生を変えた

安田さんは、幼い頃から18歳まで苦労続きだった。家庭環境の悪化により、12歳で親元を離れてからはどこにも居場所を見つけられないままなんとか高校へ進学するが、毎日明け方まで夜の街を徘徊(はいかい)し、学校には数日に一度しか行かなかったという。

 

そんな安田さんを奮い立たせたのが大学受験だった。「18歳で将来を考えたとき、『この生活から抜け出したい』と強く思ったんです」と安田さんは話す。

 

しかし、たやすいことではない。高校時代はほとんど勉強をしなかったのである。そのため、まず安田さんは高校卒業後の2年間をあえて「浪人する」と決め、中学1年生の分から参考書を買ってきて、周囲の人に勉強のやり方を教えてもらったりしながら基礎を学び直した。1日の勉強時間は、予備校に通った時期もあったが、大半は独学で13~14時間。テレビや漫画などすべての娯楽を断ち、週末や祝日関係なく、この生活を毎日続けたという。

 

こうした努力は実を結び、成績もぐんぐん上がっていった。2年目の終盤で伸び悩んだりもしたが、「国際的な社会問題を解決したい」と受験したICU(国際基督教大学)教養学部国際関係学科に合格、翌春に入学した。

 

「人生の中で18歳までが一番つらかったけれど、勉強を始めてからの18歳は一番楽しかった。また浪人中は、ブランクの長い人にとって、勉強をゼロから学び直すことの大切さを実感した2年間でもありました」

傷ついた人がしっかり生きるための「勉強」

大学在学中は、海外関連の支援活動に熱心に取り組んだ。大学時代の前半は、学生NGOの代表として、日本にイスラエル人やパレスチナ人を招致し、1か月にわたる平和会議を開催した。大学を一時休学してルーマニアの研究機関に所属した後は、バングラデシュの娼婦街でドキュメンタリー映画の撮影もこなした。

 

安田さんはその間、途上国のグローバル化がもたらした経済、貧困の問題を目の当たりにして、「幸せとは何か」を自問自答したという。

 

「バングラデシュというと『貧困』がイメージされますが、餓死するような貧困はほとんどありませんでした。また、物質的な貧困は本質的な問題ではないと思いました。たとえば、自分の家にテレビがなくても、隣の家にもなければ人は不幸を感じないのです」

 

「一方で、娼婦街にいるとメンタル面の課題が目につきました。農村にいるより所得もあり、自由も保障されているはずのセックスワーカーたちの中に、リストカットを何度も繰り返す者がいました。誰からも承認されず、孤独に苦しんでいた。そんな風に精神的に傷つく立場の人がしっかりと生きていけるような社会をつくりたい。これが自分に与えられた役割だと確信しました」

 

この思いが実現したきっかけは、大学卒業後に入社した総合商社を退職し、知人の紹介で社会起業塾に通い始めたことだった。大学時代から温めてきた「人の尊厳を守りたい」という思い。それに安田さんが得意とする、ゼロから勉強をやり直す方法を組み合わせた「キズキ共育塾」を2011年春、社会起業塾が終わると同時に始めた。

 

事務所は、友人宅の共同スペースを月3万円で借りた。JR巣鴨駅から徒歩15分の立地にあった、築40年のマンションである。その後、同年8月に法人化した。

生徒が1日1人だけの時もあった

個別指導

キズキ共育塾の授業の様子

立ち上げ早々、キズキ共育塾は集客でつまずく。チラシや紹介を中心に告知をしたが、生徒がまったく集まらず、1日1~2人という状況が半年も続いたそうだ。塾に来てほしい人は、学校に行かない人、所属すらしていない人も多い。この人たちにキズキを知ってもらうにはどうすればよいのか。悩んだ揚げ句、可能性を感じたのがWEBだった。

 

「WEBなら見てくれるだろう。WEBマーケティングをするしかない」。

 

そう思った安田さんは、本を読んだり、人に聞いたりしながら、インターネットでたどり着きやすいようなSEO(検索エンジン最適化)対策やキャッチコピー作成などを徹底的に学び、反映させながら改善を繰り返したという。先輩起業家やプロボノの派遣NPOに相談したことも奏功し、気づくと人が集まるサイトに仕上がっていた。ツイッターとの連動も効果的で、情報を拡散すれば自然と反応がくるようになった。

何度でもやり直せる社会を

施設紹介_校舎前の写真

事務所の前でスタッフと安田さん(左端)

設立から3年半(注:2015年1月取材時点)、現在、キズキでは事業全体で、常に数百人単位で若者たちを継続的に支援しているそうだ。

 

内田和也さん(仮名)は、高校で引きこもり後、中退。大学受験のために入塾し、体調にあわせて勉強を基礎からやり直したという。すると、入塾から1年で高等学校卒業程度認定試験(高認)を取得、さらに慶應義塾大学にも合格した。彼はその後、講師となってキズキに戻ってきた。「本当にうれしかったですね」と、安田さんは目尻にしわを寄せて語る。

 

「つまずいて困難な状況に陥ったとしても、自己肯定感を持って何度でもやり直せるような社会をつくることが大事だと思っています」

続ければきっと変化はある

最後に安田さんは、悩みをもつ若者たちへ一言、メッセージを送ってくれた。

 

「『挫折は人生の糧になる』みたいな教訓めいたことを言うつもりはないけれど、事実として、10代の頃の挫折があったからこそ、僕は今の事業を起こすことができました。今はつらいかもしれないけれども挫折を乗り越えたときには、その経験が強みになるかもしれません。いくら努力をしても3歩進んで2歩下がるような毎日かもしれませんが、それを続ければきっと変化はあります」

※この記事は、2015年1月13日にYOMIURI ONLINEに掲載されたものの転載です。

※2016年4月より、株式会社キズキ(代表取締役 安田祐輔)が「キズキ共育塾」の運営主体となりました。詳細につきましては、以下リンクをご参照いただければと思います。

「キズキ共育塾」運営主体変更のお知らせ(「キズキ共育塾」ホームページより)

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安田さんは、社会起業塾イニシアチブ(以下”社会起業塾”)のOBです。社会起業塾は、セクターを越えた多様な人々の力を引き出しながら、課題解決を加速させていく変革の担い手(チェンジ・エージェント)としての社会起業家を支援、輩出する取り組みで、2002年にスタートしました。興味のある方は、ぜひチェックしてみてください!

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NPO法人キズキ理事長/安田祐輔

1983年、神奈川県横浜市生まれ、2008年、ICU卒。在学中にイスラエル・パレスチナで平和構築関連のNGOに携わり、一時大学を休学し、ルーマニアの研究機関に勤務。主に紛争解決に向けたワークショップのコーディネートなどを行う。卒業後、総合商社で油田権益投資に関わった後、10年度横浜社会起業塾に参加。11年8月、NPO法人キズキを設立し、理事長に就任。14年6月より東京都新宿区の自殺総合対策会議委員に就任。

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たかなし まき

愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科を卒業後、企業勤務を経て上京。業界紙記者、海外ガイドブック編集、美容誌編集を経てフリーランスへ。子育て、働く女性をテーマに企画・取材・執筆する中、2011年、東日本大震災後に参画した「東京里帰りプロジェクト」広報チームをきっかけにNPO法人ETIC.の仕事に携わるように。現在はDRIVEキャリア事務局、DRIVE編集部を通して、社会をよりよくするために活動する方々をかげながら応援しつつフリーライターとしても活動中。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。