ソーシャルベンチャーパートナーズ東京(SVP東京)の代表理事、そしてNPO法人NPOカタリバの常務理事・事務局長という二足のわらじを履く岡本拓也さん(36)。企業再生のプロフェッショナルからNPOの経営ポジションへ転職という異色のキャリアを持つ岡本さんに、企業再生の現場からNPOの現場にフィールドを移した経緯、そしてNPOの経営についてじっくり伺いました。
第1回となる本稿では、現在の岡本さんにつながる、学生時代からビジネスキャリアをスタートするまでのお話をまとめました。
写真:SVP東京代表理事、NPOカタリバ常務理事・事務局長の岡本拓也さん
石川:DRIVEでは、色んなNPO・ソーシャルベンチャーの担い手にお話を伺ってきましたが、岡本さんのようなキャリアの方は初めてです。これまでのインタビューの多くは20代のビジネスパーソンの転職でしたし、職員・社員から代表に移行したという方はいませんでした。 まずは、今につながる岡本さんのライフヒストリーを伺ってもよろしいですか。
大学を休学し、単身ユーラシアを横断
岡本:そうですね、今に直接つながるということなので、大学生のころの出来事から、簡単にお話します。僕は1977年生まれで、ひとつ上が76世代、ミクシィやグリーの創業者に代表されるように、ITベンチャー華やかなりし世代なんです。そんなころに僕は何をしていたかというと、バックパッカーとしてユーラシア大陸を横断していました。
石川:大学を休んで、ですか?
岡本:そうです。もうちょっと言うと、僕はずっと海外に行きたいなと思っていて、でも留学ではなく、自由なバックパッカーがいいなぁと思っていたんです。当時、やりたいことが見つかっていないのに勉強するということがあまりしっくりこなかったんですね。それで、お金をためて、まずはロンドンにいって、旅を始めたんです。
石川:その放浪の旅が、今とどうつながってくるんでしょうか。
岡本:実はロンドンに4ヶ月くらいいて、そこでお金が半分くらいになっちゃいまして。それで、これはまずいと思ってアジアに向かったのです。今思えばちょっと恥ずかしいですが、自分探し的なところもあったものの、自分なんて全く見つからない。でも楽しいなぁ、なんて思いながら旅を続けていたら、終わり頃に運命的な出会いがありました。
石川:どんな出会いだったんでしょうか。
バングラデシュにて、マイクロファイナンスと出会う
岡本:僕はシリアで体調を崩してしまって、しばらく寝込んでいました。そうしたら隣のベッドの人が本を借りてきてくれたんです。それが『目指せ世界のフィールドを』っていう、これまたベタな本で。笑
著者がJICAからFAO(国際連合食料農業機関)に入り、当時バングラデシュで所長をされている方だったのですが、これがなんとも面白かったんです。 その後、バングラデシュに行った時、あまりにもヒマだったのでFAOに立ち寄ったんです。
そうしたら、その著者の方の写真が受付に飾ってあったんですね。思わず窓口の人に「この人、日本人ですよね?」と聞いたら、「そう、あなたも日本人ね。彼に連絡をとってあげるよ」という展開になって、ランチをご一緒することになったんです。
石川:すごい偶然ですね。シリアで寝込んでいなかったら、おそらく出会うことはなかったでしょうね。
岡本:そうでしょうね。著者の方に「すごく感動しました!」と伝えたところ、「いやぁ嬉しいよ」とかいいながら、「今自分は、単に援助をするだけじゃなくて、自立を促すためマイクロファイナンスに取り組んでいるんだ」という話をしてくれたんです。僕はそれにものすごく興味をもったので、お願いして現場に連れて行ってもらいました。そこで僕は、涙が出るほど感動したんです。
石川:何がそこまで岡本さんの心をとらえたのでしょうか。
岡本:僕は当時、商学部にいたくせに、お金というかビジネスにあまり興味が持てなかったんです。かといって社会貢献についても、旅の途中で出会った国際機関で働く日本人から社内政治とかそういう話ばかりきいて、うんざりしているところがあって。そんなときにマイクロファイナンスの現場をみて、これはすごいなぁと思ったんです。貧困という課題を解決しながら、ビジネスとして運営しているわけですから。そんなことが可能なんだ!と思いましたね。
今思えば、それが「社会起業」というか、「ソーシャル・エンタープライズ」と出会った瞬間です。当時はそんな言葉は知りませんでしたが。
石川:バングラデシュでついに、自分に深く突き刺さるものに出会ったんですね。
写真:2010年に訪問したアフリカにて
「君には何ができるの?」とインドで問い詰められる
岡本:そうです。それともうひとつ、印象的なことがありました。インドにいたときなんですけど、日本企業で働いたあと、青年海外協力隊に参加していたっていう人とルームシェアしていたんです。あるとき、インドの薄いビールを彼と飲みながらまったりしていたら、「君には、何ができるの?」って言われたんです。
石川:なかなか難しい質問ですね。問いにインド的な空気が漂っているようです。
岡本:僕は「なんでもやりますし、なんでもできると思います」みたいなことを言ったんです。そうしたら彼は、「それは、なんにもできないって言っているのと同じだね」って言うんです。確かにそうなんですけど、ちょっと衝撃でしたね。「この人、なんでこんなに俺のこといじめてくるんだろう」って。笑
石川:ちょっと理不尽ですね。笑
岡本:順番としては、バングラデシュよりもインドのほうが先の出来事なんです。それで、バングラデシュの現場にいったとき、インドで自問したことと、バングデシュの現場で受けた衝撃とがつながって、強烈に「力をつけなきゃいけない」と思ったんです。
それまでたいして勉強していなかったんですけど、ちゃんと自分の武器だと言えるものを持ちたいと、思ったんですね。その気持ちとマイクロファイナンスとの出会いとが重なり、マネジメントや金融のスキルを身につけよう、と初めて本気で勉強するモチベーションが湧きました。
石川:そうして、宿題をもって帰国されたんですね。
岡本:帰ったら周りは就職活動の時期だったんですが、僕は就活はせず、公認会計士の資格をとろうと決めました。
石川:それはまた随分尖った選択ですね。
岡本:迷いましたが、自分自身で何かを選んで、人生を切り拓いていけるようになりたいと強く思ったんです。自分自身が、自分の人生の当事者というか、オーナーシップを持って生きてゆけるようにと。それに、世界をまわっていて様々な国の人たちと接する中で世界がより身近に感じ、当時は金融ビッグバンというか、色んな金融や会計のルールがグローバルに統一されている真っ直中だったので、これは面白くなるだろうという確信もありました。
石川:なるほど。放浪の中で、そういった流れもつかんでおられたんですね。
岡本:とはいえ、バックパッカーを一年もやっていると、感性は磨かれるものの頭が勉強についてゆけなくなっていて、勉強がまったくはかどらないんです。皆が大学を卒業して就職していくのを横目に、僕は実家でひたすら会計士の勉強をしていました。
石川:それは想像すると、けっこうつらい状況ですね。
岡本:そうなんです。皆は新しい世界でどんどん成長していくのに、自分はひたすら勉強しているだけで、何の価値も社会に提供していない、生産性ゼロだなと。これはつらかったですね。でも、ここで苦労したことでとても鍛えられたし、謙虚になりましたね。自分は人より努力しないとダメなんだと。まぁ、最終的に合格したから言えるところもあるんですけど、すごくいい時間を過ごせたと思っています。
■ 「迷って悩んで考えぬいた果てに、原点に立ち返る」岡本拓也さんインタビュー(2/4)へ続きます。
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SVP東京代表理事、NPOカタリバ常務理事・事務局長/岡本拓也
1977年大阪府生まれ。大学時代に1年間休学し、短期留学と海外約30ヶ国の旅を経験し、バングラデシュにてマイクロファイナンスと出会う。大学卒業後に公認会計士に合格し、大手監査法人にて監査やIPO支援等を担当。その後、同じPwCグループのコンサルティング会社・プライスウォーターハウスクーパース株式会社にて企業再生業務に従事。同社に在職中に出会ったソーシャルベンチャー・パートナーズ東京(以下、SVP東京)を通じてソーシャルビジネスの世界に魅了され、震災直前の2011年3月に独立。同年4月よりSVP東京 代表理事(2011年6月〜)に就任し、5月よりNPOカタリバの理事 兼 事務局長に就任(2013年6月より常務理事)。現在に至る。その他、KIT虎ノ門大学院 客員教授、内閣府 共助社会づくり人材ワーキンググループ専門委員、東日本大震災復興支援財団「まなべる基金」選定委員なども務め、現場と支援の両面から、ソーシャルセクターの成長と成熟に尽力中。
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障害がある人もない人も対等に働き、稼ぐ。持続可能な仕組みをつくり続ける市民事業の挑戦。豊能障害者労働センター副代表 新居 良さん
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