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うつ病からふんどしに開眼! SHAREFUN®・中川ケイジさんインタビュー(前編)

2016.10.20 

日本人なら誰もが知っている「ふんどし」。時代劇やお祭りの場面で見たことがあるだけで、実物を見たことがある人は実は少ないですよね。けれどこの「ふんどし」、最近再び注目を浴びているんです。寝るときだけに使用するオシャレなふんどしは、特に女性にも(!)大人気だそう。そんな密かに広がりつつあるふんどしブームの仕掛人である、一般社団法人日本ふんどし協会の中川ケイジさんにお話をうかがいました ! ふんどしブームを生んだ中川さんは、どのようにしてふんどしで仕事を創っていったのでしょうか?

 

一般社団法人日本ふんどし協会の中川ケイジさん

一般社団法人日本ふんどし協会の中川ケイジさん

 

 

 

SHAREFUN®女性用の、パンツのような「もっこふんどし」

SHAREFUN®女性用の、パンツのような「もっこふんどし」

 

 

元美容師でコンサルタントという異色の経歴。会社員時代に患ったうつ病から、「ふんどし」と運命の出会い。

 

―ふんどしと出会うまでの中川さんのことを教えてください !

 

僕は兵庫県の神戸市出身で、都内の大学に通っていたんですけど、美容師になることを決めて一度神戸に戻り、30歳まで美容師をしていました。その後30歳で親族の会社に転職して、再び東京の渋谷に戻ってくることになりました。その後、3.11の震災がきっかけでうつになり、そのときにふんどしと運命の出会いをしました。初めて装着したときの快適さに衝撃を受けてしまい、これが広まれば、日本中、いや世界中の人たちが元気になる ! と確信し、独立起業しました。

 

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―以前は美容師さんだったのですね。普通の大学に通っていたけれど、途中で美容師になろうと思われたきっかけは何だったのでしょうか?

 

元をたどると、高校3年生のときの「阪神淡路大震災」の被災体験がきっかけでした。当時、ちょうど受験生でいつも朝5時に起きて勉強していたのですが、その日に限って寝坊したんです。すると経験したことの無い激しい揺れで飛び起きたんです。家は全壊。特にお風呂なんてガラスでぐちゃぐちゃに崩壊していたので、いつもの時間にきちんと起きてシャワーを浴びていたらお風呂で死んでいたと思います。知人や同級生が亡くなってしまうのを目の当たりにして、「自分はたまたま生かされた。大事に、そして好きなことをして生きないと」という感覚が自分の中で芽生えました。

 

その後進学したのですが、大学ではそんなに勉強せずに、表参道のカフェでバイトしたりして、ゆるゆると大学生活を満喫していました。でもいざ就職となったとき、就職活動に全部落ちてしまいました。やりたいこともないし、頑張ってきたことも堂々と言えなかったので当然ですよね。それで追い込まれたときに、震災のときの気持ちを思い出したんです。人はいつ死ぬか分からない。だったらやりたいことを徹底的にやろう ! と。ちょうどそのときキムタク主演の「ビューティフルライフ」という美容師のドラマがやっていたのですが…。

 

―あのドラマのおかげで美容師さんが増えたという(笑)。

 

そうです、それです ! 美容師が人気職業ランキング1位になるくらいの影響力があったという(笑)。それに多少感化されたところもあったのと、僕ずーっと中学生のころから、自分は若くして薄毛になるだろうな……という大きなコンプレックスがあって。

 

中学生から“薄毛”にコンプレックス。自分なら親身になって考えられる

 

―それは、家系的にですか?

 

家系的にもそうですし、中学生のときに女の子から「中川君はハゲるんちゃう ? 」って陰で言われてたのを聞いちゃったことがあって。それからもう、ずっとコンプレックスを感じてしまって。他人からしたらくだらない話なんですけど(笑)。

それで、美容師だったら帽子かぶって仕事できるし、同じようにコンプレックスを抱えた人の助けをできるかもしれないと。僕にしか分からない、親身になって考えられるかもしれないと思ったんです。

あと性格的に組織の中で働くことは無理だと思っていたので、個人プレーで、かつ頑張って結果を出せば、年功序列ではなく、収入が変わっていく仕事を選ぼうと思いました。それから、専門学校は行っていないし、周りは反対するしと色々あったのですが、神戸で1番行きたいと思っていた美容室になんとか入ることができました。

 

美容師時代

美容師時代

 

―専門学校には行かなかったのですね。

 

はい。通信教育で資格は取れるんですよ。3年間働きながら資格を取って、晴れてデビューしました。美容師は楽しかったですね。僕は「3年で神戸で1番の美容師になる」と決めていたから、目的もはっきりしていたし、先輩よりもスピード出世してたくさんのお客様に恵まれました。「ああ、本当にやりたいことが見つかれば自分も頑張れるんだな」と、自分の中でちょっとしたプチ成功体験を一つ作ることができたんです。

 

「好きに生きているか?」

 

 

―そんなに楽しまれていた仕事を変えた理由は何だったのでしょうか?

 

僕の親族が東京で起業をして社長をしていたんですが、彼にずっと憧れていたんです。そんな折、「うちにきてくれないか」という誘いがあって、ビジネスを学びたいと入社することに決めました。美容師としてたくさんのお客様もいましたし、自分のやりたいことをやっている充実感もありましたし、神戸で1番になるという目標もあったので、胃潰瘍になるほど悩みましたけど、ビジネス感覚を身につけて、将来は自分の美容室を経営したいと思ったんです。

 

―もともと独立志向もお持ちだったのですね。

 

独立志向があったというよりも、本当に組織になじめないタイプなんです。グループで活動することが本当に苦手で……。学生時代にやっていたスポーツも団体競技ではなく個人プレーのテニスですし(笑)。

 

―一般企業に転職して、うつになったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

 

自分で言うのも変なのですが、僕は真面目で頑張る気持ちは人一倍強いんですが、本当に要領が悪い……(苦笑)。会社に入社しても、朝一番に出勤して終電で帰る、みたいな、時間だけは費やして働くんですけど全部うまくいかない。営業担当だったんですけど、新卒の子たちよりも仕事が取れない、とにかく成果が出ない状態でした。そんな状況でしたが、「親族のコネ」で入社したのでいきなり役職がついてしまったりして。自分に対するプレッシャーと、成果を挙げられない自分に対してストレスがたまっていきました。転職して4年目に入ったとき、今の自分は誰の役にも立てていないことに気づいてしまったんです。美容師のときとは違って、誰からも「ありがとう」って言われないのがとても辛くなってしまいました……。

 

サラリーマン時代

サラリーマン時代

 

 

そうこうしているうちに2011年3月11日に震災が起きて、渋谷から巣鴨の自宅まで歩いて帰るとき、高3の阪神淡路大震災のときのことを思い出して。あのとき好きなことをして生きるって決めたのに、今はそれができているのか ? って自問しながら4時間半かけて帰るんですけど、出てきたのは「できてないなぁ」という答えで。

 

誰の役にも立っていない自分がいて、亡くなる方がいっぱいいて…。そこでこう、精神的に限界に達してしまって。ちょうどコップの中の水がギリギリいっぱいだったものがあふれ出した……そんな状態になりました。今までしんどいなと思いながらも、ギリギリでなんとか保っていたものが、キャパを超えたみたいな、あふれた瞬間のその感覚があって。目の前が真っ暗になりました。誰とも会いたくないし、一歩も外に出たくなくなったんです。それから電車にも乗れなくなって、休むことが多くなって。奥さんが「診察してもらえば ? 」と言ってくれたことがきっかけで、ようやく病院に行くことができました。お医者様からは「半年間は自宅でゆっくり静養して下さい」といううつの診断とドクターストップをかけられました。

 

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クライアントの社長がジーパンをおろしたら…!?

 

―奥さまが支えてくださったんですね。

 

自分の中に抱えこんでしまっていたんですけど、見かねた奥さんが助けて支えてくれたので、病院にも行けたし、「休んでもいいんだ」っていうマインドに変わっていきましたね。

 

―そのうつのときにふんどしとの出会いがあったということですが、どんなタイミングだったのでしょうか?

 

震災があった後も、しんどいながらも会社には行っていたんです。それからもう会社を休むと決まったぐらいの時期、たまたまクライアントの方が出張で東京にいらしてました。その方と打ち合わせをしている雑談の中で、急に「俺、実はふんどししてるんだよ ! 」と目の前でジーパンをおろして見せてきたんです(笑)。

「ふんどしにしてみたら、すごく調子が良いんだ」って。最初は意味が分かりませんでした。

 

その方はもともと面白い方で、普段もくだらない雑談をして場を和ませて下さる方だったので、「また変なこと言ってるよ」と最初は笑っていたんですが、実際にふんどしをしている人を間近で見たのも初めてでしたし、何より、その方のふんどしが想像していた「お祭りのふんどし」とは違ったんです。

 

お祭りのイメージが強かったのもあって、ちょっとびっくりして。その方があまりにも楽しそうに、「ふんどしがなぜいいのか ? 」をお話されるので、ゲラゲラと……久しぶりにそんなに笑ったんですけど、笑いながらも、「もうどうせ休むし、話のネタに……こんなに話が盛り上がるなら、僕も買ってみようかな」って思ったのが最初のきっかけですね。

 

 

日常生活の中で新しいことをする開放感

 

―ちなみに初めてのふんどしは、どちらで買われたんですか?

 

そこが問題で。百貨店に行っても、ネットで探しても、ほとんどないんです。あっても赤か白かしかないですし。オシャレさに欠ける。でも、そういうもんなんだろうと思って、言われるがままに赤いふんどしを買ったんです。で、つけてみたら、すっごくよくて ! (笑) 今までなんで知らなかったんだろうと思うくらい、開放感があったんです。

 

―開放感  ! (笑)

 

日常生活の中で新しいことをする開放感ですかね(笑)。初めての動作をするのも新鮮だったし、ちょっと人に言いたくなりますから。つけるのは寝るときだけなんですけど、鬱々としている中で、その瞬間だけはちょっと明るくなれたんです。

 

そうやって最初は、半年間どうせ休むなら普段の生活を少しでも快適にしようと、寝るときだけふんどしをしていました。そうしたら段々、朝パンツに戻るときに違和感を感じるようになって。「パンツってこんなにピタッと締めつけるんだ」とか、「なんだか蒸れるな」とか。そこから日中もふんどしの方がいいと思うようになって、買い足しはじめました。

 

そんなときにふと、ステテコブームを思い出したんです。白くてダサいおじさんの汗取りパットだったステテコが、カラフルにおしゃれになって登場したとたん、その快適さが見直され百貨店を皮切りにどんどん流行りだしたんです。一過性のブームではなく、女性用にも広がったりして、今では夏のルームウェアとして当たり前のように日常に溶け込んでいますよね。元々ポテンシャルは高いのにそこまで評価されていなかったものを、イメージと見せ方を変えるだけで価値をグッと高めたそのビジネスモデルはすごく面白いなって感じて。

 

白くてダサいステテコの変貌から、赤くてダサいふんどしのオシャレな未来が見えた

 

―カラフルだったり、柄物のステテコだったりしてましたね。

 

はい。父の日のプレゼントにということで西武池袋本店が火付け役だったんですけど、その事例を思い出して、古くから日本にあった快適なものが新しくちょっと見せ方を変えるだけでこんなにも受け入れられるというビジネスモデルはふんどしにも当てはまるんじゃないかなって思いました。

あとよかったのは、ふんどしはもう形が決まっているので、これならアパレル経験が一切無い僕でもできるかもしれないと思ったんです。

うつ病になって、半年経って前の会社に戻れないことが分かっていたし、自分の能力の低さ、要領の悪さだとどこにも転職なんてできない。だったらもう自分でやるしかないなと。これまでも一部の愛用者の中では人気のあったふんどしですから、オシャレなふんどしブランドを作ったら、奥さん1人くらいはなんとか食わしていけるかも ! と思ったんです。

 

―それを思いついたときは、どこにいましたか?

 

家です。療養中だったのでずーっと家にいたので。僕がうつになったから、奥さんが派遣に登録してくれて働きだしてくれて、「とにかくあなたは休んでていいよ」って言ってくれて。その日の夕食のさんまを魚屋さんに買いに行こうだとか、新聞を読みに図書館に行ってみようだとか、そういったゆっくりした生活を送らせてもらっていました。昼寝したりしながらダラダラと『ミヤネ屋』でも見るかな、とリモコンを取りに立ち上がった瞬間に、パッと視界が明るくなってひらめいたんです。「あ ! もしかしたら、ふんどしだってステテコみたいにイメージを大きく変えることができたら、僕のように鬱々としている人や、元気がなくなっちゃった人を元気にできるんじゃないか ! 」って。この瞬間のことは今でも鮮明に覚えていますね。初めて「使命感」を感じた瞬間でもありました。

 

―ずっとそのことを考えていらっしゃったのかもしれませんね。

 

たぶんそうだと思います。恐らく仕事が順調にいっていたら、お客さんにふんどしを見せられたって「またまた変なこと言って」という反応で、試すことすらなかったと思います。きっと、色々なことにアンテナを張っていたというか、この状況を脱するために藁をもつかむ思いでいましたから、ふんどしを見せられても自分に取り入れたんだと思います。ふんどしを僕に見せてくれた方は、「他に20人くらい同じようにふんどし姿を見せているけど、実際に買って試すという行動に移したのは中川くんだけだったよ」と後からおっしゃっていました。

 

 

 

後編に続きます。

 

この記事を書いたユーザー
桐田理恵

桐田理恵

1986年生まれ、茨城県育ち。医学書専門出版社にて企画・編集職の経験を経てから、2015年よりDRIVE編集部の担当としてNPO法人ETIC.に参画。2017年からはフリーランスのライターとして活動している。

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