現在大学4年生。先日、自分の名前を名付けたファッションブランド・株式会社DAN NAKAMURAを設立した中村暖くんインタビューです。学生だって、こんなに自由に社会に自分を表現していけるんだと、自然体で遊ぶように生きる中村くんから元気をもらうこと間違いなし!
意外にも“モヤモヤ・チャラチャラ”してた高校時代
—中村さんは、どんな高校生だったのですか?
佐賀県立佐賀北高校芸術コースに通っていました。普通の田舎の高校生だったかも!!!!水色とゴールドの2色のチャリに乗ってました。たまたま16歳のときに、世界一周をする機会があり、にそこからどんどん身の回りの範囲が広くなってきたかも!広くなった分、多く動くので大量の汗を流してました!若い子の言葉で言うと「滝汗」ですね。
—高校生で世界1周されたのですね。何がきっかけで実現したのでしょうか。
佐賀県で、世界一周できるプログラムがあったんです!超ザックリ簡単に言うと、県は国から、道路をつくったり、公民館をつくったりするためのお金が支給されてて、それを佐賀県は未来の人材育成に使おうということで!
—やりますね佐賀県!
素敵な佐賀県です!佐賀を探そう!!はい。 30年後の未来の佐賀を担う人材育成!ということだったので、僕はあと20年後の佐賀を担わないといけないですね。
—担う気、満々ですね。
もちのろんです!
—世界一周から帰ってきたとき、どんなことを感じていたですか?
世界一周をしているとき、イスラエルに入国するときに銃をつきつけられたり、タイのスラム街に行ったりして感じたことを、facebookやTwitter で発信していました。東日本大震災のとき、僕はイスラエルにいて、ちょっと離れたところでテロが起きていました。僕はTwitterで発信することしかできなくて。
帰国したとき、友達が「ダンの投稿を見て、メチャびっくりした。」と言ってくれて。でも続けて出た言葉が、「てか、聞いて。昨日ケータイ落として画面割れちゃって超最悪!」だったんです。 僕は、それが結構、心残りで。そのケータイの画面で誰かが泣いてたり、亡くなったりしていても、自分のiPhoneの画面が割れる方が悲しく感じてしまう。そのことに対して、すごくモヤモヤして…。 そのモヤモヤが行動エンジンのガソリンですね、レギュラーかハイオクだとレギュラーですね。(車の免許持ってないけど。)
—世界一周から帰ってきてからは、どんなことをしていたのですか?
もっと多くの人に世界の事実や僕が思っていることを伝えたくて、日本一周しながら作品をつくるプロジェクトをしたり、その展覧会を開いたりしました。
高校時代の営業は、●●の匂いとともに…
—日本一周や展覧会と、高校生離れした行動力ですね。結構お金もかかったみたいですが、高校生のときも企業に協賛をお願いしたり、営業に行ったりしていたんですか?
そうですね、まさに。でも僕は高校生だったので、放課後に企業に行っても、もうみんな定時すぎて帰っているんです…! だから昼休みの50分が勝負でしたね。時速70キロぐらいで自転車を漕いで県庁とか行ってましたね。しかもただ行くだけじゃ相手にされないから、いかにも純粋な高校生が来たぞということをアピールしなきゃいけないなと考えました(笑)。
例えば、プールの授業の後、髪が濡れたまま企業の社長室に行って「すみません、僕は髪を乾かす暇もないまま、あなたに思いを伝えにきました。とりあえず、プレスリリースの紙とタオルをください」と言ったりして。もちろんアポイントは取ってますよ!(笑)。プールの塩素のにおいと共に、営業に行った高校生でした。当時、伺った皆さん、プール臭がしててゴメンなさい。。
—塩素のにおいをかぐと、営業の頃を思い出すみたいな感じですか(笑)。
思い出しますね(笑)。でも、やっぱり高校生だからナメられて「出直してこい」とか、「大学生になってから来い」みたいな感じで言われちゃって。何度トイレで泣いたことか……。でも、高校生のときだったから意味があるし。
だから、そんなこわいオジサンの心をいかにつかむか必死に考えましたね。カラコンをしてウルウルしたチワワみたいな目で、プレゼンしに行ったりも。尾行して焼肉屋の前に3時間くらいとずっと出待ちをしたこともあります(笑)。すると「一緒にご飯を食べながら話そうか」となって、1日に9食、ご飯をべたことも……。ごちそうさまでした。
—いろいろな大人にビジバシしごかれていたんですね。
今では笑い話だけど、当時は本当に本当に本当に本当に本当に、つらかったですね。いつも、家に帰ったら玄関で寝てました。 でも、応援してくれる人がいたから怖いものはなかったし、やりたい事も叶えたい事もたくさんあったし。友達も彼女も先生も、親もいたし!!めっちゃ汗かいて走りきったかな!!!!佐賀県の土地にドラム缶30本くらい僕の汗が流れている気がします。気持ち悪いけど、それくらい頑張ったって自信をもって言える高校生活です。
日常にあふれているもので、誰かの日常を傷つけたくないから
—大学生になった今、大学生が起業家のゼミで事業づくりを学ぶETIC.のプログラム「MAKERS UNIVERSITY」に参加してくださっていますが、そこではどんなチャレンジをされているんでしょうか?
挑戦していることは2つあります。一つは、ジュエリー作り。去年ラオスのシェーン・クワンという田舎に行ってきました。その地域では、ベトナム戦争でアメリカ軍が落とした地雷や爆弾がまだ眠っています。でもその地雷や爆弾を現地の人たちが溶かして、そのアルミからスプーンをつくっていて。それを知って、僕も現地に足を運んでみたいなと思ったんです。
水牛の群れに襲われたり、道に迷って滝に着いちゃったり、いろいろハプニングがありながら無事に着くことができました。そこで素材を買い付けて、日本に持って帰ってきて、いろいろな研究所と一緒に研究開発して、加工して、地雷や爆弾の金属をジュエリーにしようとしています。 もう一つは、透明なワニの革のバッグを作りたいなと思っています。
—透明、ですか。確かに、透明なワニ革のバックは見たことも聞いたこともありませんでしたが……。
もともと透明が好きということもあるんですけど、透明にはすごい安心感があるんです。単に見た目が透明なだけじゃなくて、誰が作っていて、どんな素材を使っているという、作られる背景や作られる過程までも透明にしたいと思っています。本当にクリアで、透明なバッグを作りたいなと思っているんです。
—プロセスも含めて、オープンで透明ということですよね。
はい。例えば、日常生活の中で、みんな服を着ていますよね。でも誰がどこで作った服なのかまったくわからない。もしかしたら、誰かが無理やり働かされて泣きながら作った洋服かもしれないし、一流のデザイナーが一流になる前に作ってた服かもしれない。 作られている材料も安さを追求しすぎて、環境に良くない素材かもしれないし、100年前の素材かもしれない。 こんなに、自分に一番近いモノだからこそ、それで誰かの日常を傷つけたくないということがあります。
僕自身、おしゃれが好きだから、自分が買う服で誰かを傷つけちゃいけないと思っているし、自分が作る服やジュエリーも、誰かを傷つけてはいけないなと思っています。自分がカッコ良くなる行為と誰かが悲しくなる行為が結びついていたら、絶対に嫌だし!だから、生産者、作り手、買い手、どの立場からも、透明にしていきたいなと思っています。
何回も脱皮するワニ革のバッグ
—例えば、動物の虐待がないような素材を使っているというように、社会的な意識を洋服の中に取り入れるというエシカルファッションの動きがありますが、中村さんの「透明」という話は、そのような文脈でもすごくおもしろいなと思います。
今は再生可能なワニのテキスタイルの開発をしています。たとえば、塩化ビニルとかポリだったら、燃やすとダイオキシンのような有害な物質が出てしまう。でも、これって適切な温度で処理されてないからダイオキシンがでていたり、そもそも論で言うと、モノを捨てる前提で考えてるなぁって。だからこそ物を捨てる前提で考える世の中を変えていかないといけないなと思っています。
だから、今作ってるワニの生地は再生可能で捨てるって概念をなくそうとしています。たとえばバッグだと使っているうちに傷がついたり、黄ばんだりします。でも、今、作ってる素材だと、そうした古いバッグを解体して、その生地を小さく刻んで熱で溶かし、液体にして最初の製造工程に流しこんだら、また新しいワニの生地ができるんです。まさに脱皮!用語で言うとマテリアルサイクルです。
—何周も使えることが、脱皮なんですね。孫に譲るとかもできそうですね。
そうですね。このアイデアは、動物愛護として生き物を殺さずにバッグを作るということが出発点では無いです。でも、美しいものを作って、それが環境によかったり、丈夫で長持ちしたりしたら、それがベストだと思います。
でも環境にいいものを作るために、環境に悪い制作工程があったりする場合もあります、まさに本末転倒的な。だからこそ、製造プロセスはすごくデリケートに制作しています。
次の世代を応援できるようになったら、「大人」
—MAKERS UNIVERSITYは月1回くらいでゼミが開催されるなど、同じゼミ生の仲間やメンターたちと密な時間を過ごすプログラムです。中村さんから見て、MAKERS UNIVERSITYの仲間はどんな存在ですか。
みんな何でもエネルギーにする力が強くて、一緒にいるだけで、そのエネルギーをもらっているような気がしています。
—MAKERS UNIVERSITYでは、短期間で何人もの学生が自分の会社をつくって登記をしていますね。それは、その関係性からも生まれているのかもしれませんね。
僕も世の中に新しいお金の流れをつくりたくて、このプログラムのみんなで財団を立ち上げました。一人に助成金を与えたら、そのお金を受け取った人は二人以上に同じ額を助成するという仕組みをつくろうと思っています。下にどんどん増殖する、新しいファンドのカタチですね。新しいペイフォワードのような。 MAKERS UNIVERSITYで事務局の方や起業家の皆さんに応援していただいているこの感じを、次の世代にも広めていきたいなと思っています。
実は最近、やっと自分の中ストンと腑に落ちる《大人の定義》が見つかりまして。それは、「次の世代を応援できるようになったら大人」。だから21歳で成人だし、自分にしかできない応援で、自分より若い世代もエナジャーイズしていきます!!最近、energizeという言葉を覚えたので使いたかっただけです!はい!!!! この記事をここまで読んでくださったみなさんに対してenergizeできてると嬉しいです!
—エネルギーを与えるであるとか、活気づけるということですね。インタビュアーはしっかりエネルギーをいただいちゃいました^^ 読者の方々にも届きますよう! ありがとうございました!
株式会社DAN NAKAMURA・代表/中村暖
1995年生まれ佐賀県出身。16歳で世界一周を経験後、高校時代に日本全国を行脚し、2000人以上の人々を巻き込みながら絵の制作を行い、展覧会を開催。展覧会実行委員長として、優れた社会起業家の資金調達を表彰する第4回日本ファンドレイジング大賞特別賞を17歳で受賞。高校卒業後は、京都造形芸術大学に進学。アーティストとして全国に作品を展示する傍ら、ジュエリーコレクションのプロデュース、行政関係の委員など幅広い分野で活動。2014年からファッションブランド「DAN NAKAMURA」としてプロダクトを制作、2016年に株式会社化。2015年より世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパー選出。
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