JR石巻駅から車で10分ほどの場所に、そのファームはあった。ゆったりと流れる北上川河畔の、30アールほどの土地。収穫を終えたばかりのサツマイモ畑のとなりに小松菜やカブの苗がならび、その向こうには、この辺りでは珍しいホップ畑が続く。すべて農薬や除草剤などを使わない自然農法だ。この農園を出発点に、生きづらさを抱えるすべての人々が自分らしく働ける場所としてソーシャル・ファーム(社会的企業)を立ち上げ、やがてクラフトビール製造・販売を含むビジネスへと発展させたい―。そんなチャレンジが始まっている。
福祉としての「社会的弱者支援」を越えて
この農園は「イシノマキ・ファーム」という。様々な理由で通常の仕事に就くことが難しい人たちのための中間就労の場として、2015年5月に誕生した。作ったのは、SwitchというNPO法人である。仙台で障害福祉サービス事業所「スイッチ・センダイ」を運営しているほか、石巻市では2013年6月から「ユースサポート・カレッジ石巻Note」という事業を展開し、「まなぶ」「はたらく」をキーワードに若者の「こころの自立」を支援している団体だ。
ユースサポートといっても、この地で心の支援が必要なのは若者だけではない。東日本大震災で石巻市の死者・行方不明者は3700人にのぼり、いまだに6200人余が応急仮設住宅で暮らしている(2016年10月末現在)。高齢者、シングルマザー、障がい者など、社会的弱者と呼ばれる人々のほか、仮設はもちろん復興住宅に移っても引きこもりから抜け出せない人は多いという。「中間就労支援」とは、それら一般的就労が難しい人々を対象に、次のステップを踏み出すための訓練の場を提供することだ。現在イシノマキ・ファームでは、週に2回ほどそうしたニーズのある人々が集い、訓練日当をもらいながら農作業に汗を流している。
なぜ農業なのか? 大震災の直前にSwitchを立ち上げ、以来仙台と石巻で様々な困難を抱える人々の就労支援を行ってきた理事長の高橋由佳さんは、こう語る。
「私は以前、ジョブコーチ(障がい者の一般企業における職場適応・定着を促進する専門職)という仕事を通じて、様々な業界における障がい者雇用の実態を見てきました。症状に波があることも多い障がい者が一般の企業に定着するのは容易なことではありません。しかし、農業をやってみると、みな元気になって自発的に動き出すのです。農作業は自分のペースでできるし、企業でいう『失敗』というものがない。みな平等な立場で働けます。自分には何ができるのか。リカバリーのプロセスの中で『自分探し』をするのに、農業は最適なのではないかと、常々思ってきました。そこで、この地域の中間就労支援の場として、イシノマキ・ファームを立ち上げたのです」
しかし、高橋さんが目指すのは、決して「福祉としての弱者支援」ではない。
「ソーシャル・ファーム」への道
ソーシャル・ファーム(Social firm=社会的企業)という概念は、1970年代にヨーロッパで生まれたといわれる。社会福祉法人恩賜財団済生会理事長でソーシャルファーム・
a.通常の労働市場では就労の機会を得ることの困難な者に対して
b.通常のビジネス手法を基本にして
c.しごとの場を創出する
ことである。障がい者を主な対象としつつ、高齢者、シングルマザー、ニート・引きこもりの若者、刑務所出所者、ホームレス、被差別集落などにも適用可能だという。
(出典:障害保健福祉研究情報システム 「国際セミナー報告書—ヨーロッパとアジアのソーシャル・ファームの動向と取り組み」
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/conf/080120_seminar/kicho.html)
日本にもすでに多くのソーシャル・ファームが立ち上がっており、日本ソーシャル・ファーム促進事業団(JASOC)という団体も2011年に設立されている。増え続ける我が国の社会保障費をどう抑制するかという観点からも、社会的弱者が自立するための、福祉でも企業でもない「第三の道」として注目を集めているとされる。
「生活保護や障害年金をもらいながら働いている人は多いですが、それはあくまで福祉的就労。また企業の障がい者雇用率が上がったといっても、仕事はみな1年更新で安定しません。納税者として自立したいと願いながら、生活保護から抜けられない障がい者はたくさんいます」(高橋さん)
そうした人々を、一般の人と対等の立場で雇用し対等の給料を支払う。その原資を国の補助で賄うのではなく、一般企業と同じビジネスモデルで稼ぎ出す。それを農業で実現しようというのが、イシノマキ・ファームなのだ。
高橋さんが元来やりたかったのは、まさにこれだった。5年前にまずNPO法人を立ち上げ、ノンプロフィット事業で実績を積んできたのは、その準備のためだったという。そしていよいよ、上述の農園イシノマキ・ファームを、単なる中間就労の場から本格的なソーシャル・ファームへと発展させるべく、このたびNPOの事業から独立させることを決めた。「一般社団法人イシノマキ・ファーム」の誕生である。
「助成と寄付で成り立っている事業にはどうしても限界があります。それを乗り越えるため、農業の部分だけを切り出して、通常のビジネスモデルで勝負したいのです。とはいえ、軌道に乗るまではある程度公的な資金で運営を賄う必要もあるため、一般社団法人として設立しましたが、数年後には株式会社化を目指しています」(高橋さん)
国産ホップとクラフトビールに勝算あり
一般社団法人イシノマキ・ファームの事業は以下の4つだ。
- 自然農法による野菜の生産・販売
- ホップ栽培・販売、クラフトビール製造(当面は委託醸造)
- ファームステイによる就農プログラムの実施
- 中間就労支援(農業による就労支援)
- 就農講座・その他ワークショップの実施
野菜の生産・販売と中間就労支援はこれまでのNPO事業の延長線上ともいえるが、新しい取り組みの柱となるのがホップ栽培・クラフトビール製造とファームステイである。これらの実現のため、高橋さんは市内北上町で新たに3か所の土地を借り、その近くにはオフィス兼ファームステイ宿泊所となる古民家も借り上げた。
まず、なぜホップとクラフトビールなのか?
第一に、これから畑を作ろうとしている北上町の気候がホップ栽培に適しており、技術的にもさほど難しくないことが挙げられる。また、ビール造りに水は欠かせないが、北上町は水源が豊富で新鮮な湧き水もある。
「ホップは一度株を植えると20年くらい収穫できます。また、手摘み作業は簡単で誰でもできる。たとえば農機具の扱いが苦手な人でも、これならできるかもしれません。地域の人にも参加してもらい、みんなで作業すれば地域活性化にもなります」(高橋さん)
次に、世界的なクラフトビールの隆盛を受けて日本でもブルワリーが増え、並行して国産ホップの需要が増してきたことも大きい。これまで日本でビールといえば喉越し重視のラガーがほとんどだが、さまざまな味わいを楽しむエール系のクラフトビールは、若者を中心に人気が高まっているという。
クラフトビール・メーカーが3000以上もあるアメリカのブルワーズ・アソシエーションによると、クラフトビールの定義は、①小規模である、②独立している、➂伝統的なビール造りをしている、の3点。自身もビール好きの高橋さんによれば、ただご当地の名前を冠しただけのお土産用「地ビール」とは一線を画すものだそうだ。
「いま日本のビール生産に使われているホップはほとんどが輸入もの。こだわりのあるブルワリーは国産ホップ、それもオーガニックにこだわりますね。大手ビールメーカーも国産ホップの増産に力を入れています。イシノマキ・ファームで無農薬栽培するホップは、そういう需要に応えられると思いますし、自分たちでもフレッシュホップを使って伝統的なペールエールのビールを作りたい。醸造については、最初は外部に委託することになっていますが、ゆくゆくはこれも自分たちでできるようにしたいですね」(高橋さん)
もうひとつ、高橋さんがビールを軸に据える理由がある。北上町白浜の鹿嶋神社は、通称なんと「ビール神社」という。その昔、米の不作が続いて御神酒のどぶろくを造ることができず、村民はかわりに麦酒を献納した。その後、再び米で造ったどぶろくを献納したところ、村中に悪い病気やけが人が続出したため、麦酒(ビール)を献納する習わしになった、という言い伝えによる。(北上町観光協会)
この日本唯一の「ビール神社」は津波で流されてしまったが、残ったご神体をお祀りして再建する計画とのこと。市の観光資源として白浜海水浴場も再生される予定で、そこで地元産のオーガニックホップで作られたクラフトビールを提供できたら…。ビールを作りながら町おこしにも貢献できるというわけだ。
高橋さんがクラフトビールづくりを事業として立ち上げるのは、こうした「勝算」があってのことなのである。
ファームステイを通じて達成したいこと
上述の通り、ソーシャル・ファームのミッションは(社会的弱者向けの)「雇用の創出」だが、高橋さんのイシノマキ・ファームには、もうひとつ大切なことがある。一般の人も含めて様々な人がお互いを認め合い、自然に皆が助け合って仕事をするような環境を作ることだ。
「ここを『社会的弱者を救う場所』にしたくありません。たとえば、児童養護施設の対象者や更生保護の人が働いているというと、ここはそういう人たちだけのもの、という偏見を生み、社会から隔絶されてしまいます。そうではなく、ここは誰が来てもいい場所にしたい。
地方移住を考えている人が農業体験してみるのもいいし、地域の高齢者が来て若者に農作業を教えてくれるのもいい。あるいは、都会の疲れたサラリーマンがふらりと来て、数日間滞在するのもいいでしょう。いろんな人が集まる、いわゆるコミュニティスペースなのだけれども、たまたまそこに支援対象者も交じっている、という感じ。多様性を認め合う場づくりを、ここで試していきたいと考えています」(高橋さん)
その方法論のひとつが、体験型農業インターンを中心とするファームステイ事業なのだ。オフィス兼宿泊所として借り受けた築100年の古民家は、来春からリノベーションを施す予定だという。
こうしてイシノマキ・ファームは、「農」を通じてみなが自分らしく働ける場を提供するとともに、きちんと利益を出して事業へ再投資する、持続可能なビジネスとしてのソーシャル・ファームを目指しているのだ。
今しかできないチャレンジを―「右腕」となる人材を募集中
一般社団法人イシノマキ・ファームの本格稼働開始は2017年4月を予定している。高橋さん自身が近々仙台から石巻へ移り住み、この夢の実現に注力する考えだ。しかし、それは一人ではできない。高橋さんは現在、クラフトビール製造事業を中心にイシノマキ・ファームの立ち上げに関わってくれる人を、ETIC.の「Reborn-Art×右腕プログラム」を通じて募集している。
どんな人を求めているかという問いに、高橋さんはこう答えた。
「ただクラフトビール造りが面白そうだ、というだけでは厳しいと思います。やはり、ソーシャル・ファームという理念に共感できる方、ビールをつくりながら地域づくりにも貢献するという観点がある方、そして何より人が好きな方、に来ていただきたいですね。事業の草創期を経験できるのは今しかありません。ぜひ一緒にチャレンジしてくださる方をお待ちしています」
ちなみに、高橋さんのNPO事業ではすでに「右腕」の先輩・高坂岳詩さんが活躍している。高坂さんは、いま稼働している農園の運営を全面的に担当しているほか、上述の古民家にも管理人として住み込み中。今後は新生イシノマキ・ファームの農産物販売やファームステイ事業を中心に担っていく予定だそうだ。
取材で訪れた農園ではこの夏、初めて少量ながらホップを収穫した。来年はそれを使って試験的にビールを醸造する計画だという。その味見ができるころには、新しい「右腕」人材とともに、ソーシャル・ファーム建設への大きな一歩が踏み出されていることだろう。
●イベント情報
イシノマキ・ファームの高橋由佳さんは、12月5日(月)開催のイベント「ETIC.ローカルベンチャーラボ 連続トークイベント ローカルベンチャーで広がる、キャリアの可能性 DAY2:産業の魅力を引き出す、6次産業のキャリア」に登壇します。高橋さんのお話を直接聞ける機会です。ぜひご参加ください。
一般社団法人イシノマキ・ファーム 代表理事/高橋 由佳
二輪メーカーにてモータースポーツ企画運営、自身もレーシングカートのワークスドライバーとしてレースに参戦。その後、教育分野・福祉分野の専門職を経て、2011年に、障がい者の就労支援団体のNPO法人Switchを設立。そして、以前住んでいた石巻で再び新たな雇用の創出を目指し、2016年8月一般社団法人イシノマキ・ファームを成立、代表理事として半農半Xの日々を送っている。
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