取材のために訪れたゲストハウスの、スタッフたちの楽しそうな声とゆるめのBGMが流れる待ち合わせ場所で美味しいジュースを飲みながら外を眺めていると、たくさんの人がそこを通る。車もしょっちゅう出入りしている。その日はちょうど村外の企業の研修で10人以上の若い人たちが訪れていた。横を流れている川の音も聞こえる。綺麗な川にはたくさんの小さい魚が泳いでいて、ちょうど今の季節の夜には、蛍がたくさん飛ぶ(*)。
しばらくするとひょいと、牧さんが現れた。
牧大介さんが、西粟倉で株式会社森の学校を創ったのは2009年のこと。まだ地方創生という言葉も使われていないその時代から9年を経て、人口1500人の西粟倉村は、移住者100人超、ローカルベンチャー30社、総売上は15億円を超える価値を産みだす村となった。ローカルベンチャーとは、その土地ならではの資源からビジネスを起こし、互いに関連をつくりながらその地域の経済をなりたたせていくことで、牧さんがはじめてこのコンセプトを発案した。
国の地方創生の成功事例としてしばしば取り上げられることからもわかるように、西粟倉は地域の未来の一つの形をはっきりと目に見える形として実現しているし、そのポジションに留まることなく新しい、ワクワクするような打ち手を次々と世に示し続けている。森林信託、ニホンウナギの養殖、”定住しなくて、いいんです”を掲げたローカルベンチャースクール…などなど。
そして去年からスタートした、ローカルライフラボもその打ち手の一つだ。
起業を前提として人を募集したローカルベンチャースクールの一つ前のステップに位置づけられるローカルライフラボは、地域おこし協力隊の仕組みを利用して、最大3年間、給料をもらいながら自分が探求したいテーマで西粟倉で動けるという”ラボ”である。起業するしないはどちらでも構わない。現在第二期のラボ生の募集が始まっているということで、お話を伺った。
(*)7月の西日本豪雨で、西粟倉村全体では人的被害は無かったものの、この吉野川も氾濫し、土砂崩れによる交通の遮断や、西粟倉・森の学校では木材乾燥機の浸水による故障、加工場への土砂流入、フェンスの破損などの被害があったとのこと。
・被害状況についてはこちらを参照:http://zaimoku.me/mag/nishinihon-gouu-nishiawakura/
・緊急支援募金はこちら:https://www.satofull.jp/static/oenkifu/oenkifu_201807.php
”妄想”と”行動”がしやすい地域
「たくさん “妄想”できて、かつ”行動”もできる人」。
“ローカルライフラボにどんな人が来たらおもしろいですか?”という質問に牧さんはこう答える。まずは妄想について。
「西粟倉でこんなことできたら楽しそうだな、ワクワクするなっていう妄想が、その人の中から湧いてくるような人が来てくれたらうれしいですね。たとえばローカルライフラボ一期生のいのっち(*いのっち=猪田有弥さん。記事後半に登場します)は妄想が得意なタイプで。彼は、”智頭急行の特急を(今は通過している)あわくら温泉駅で停める”、という妄想をしてくれた。これは考えたこともなかったし、ワクワクしましたね。」
もちろん牧さん自身も相当妄想が好きな方である。
「妄想族ですね(笑)。妄想でワクワクしてくると、じゃあ次はどうしたらいいだろう、っていろいろ調べたりしながら構想ができてきて、次第に仲間も集まってきて、だんだん形になってくる。それが楽しい。」
"想像"や"構想"ではなく、"妄想"という牧さんの言葉からは、ゼロからイチで新しいコトを創造するときに、”ぶっ飛んだ”発想や斜め上をいくアイディア、笑いや驚きを巻き起こすビジョンといったものが必要なんじゃないか、という想いを感じる。たくさんの困難な課題が積もっている地域では、こうした”妄想”が必要とされている。そして地域には、妄想しやすい環境がある、ということでもある。
「東京のような都会だと、物事のつながりが複雑すぎて因果関係がわからないことが多い気がします。誰がどういう思いでどう動いたからこうなっている、みたいなことが分かりづらい。でも地域だとそれがよく見えるんですよ。この場所やプロジェクトはどこの誰がどういう思いで始めたのか、その因果関係がわかりやすかったり、つながりがより生々しく感じられる。そういう環境のほうが妄想しやすいかもしれませんね。」
森や川、空き家、暮らしてきた人たちや新しく事業を創っている人。どこを動かしたら何がどう変わるのかがダイレクトにわかる。地域の村のような小さなエリアではその繋がりが都会よりもはっきり見えるということなのだろう。
別の見方をすると、地域の資源は用途がはっきりしていないために自由度が高い因という面もあるのかもしれない。たとえば使われていない建物が、地域では宿になるかもしれないし夜はスナックになるかもしれないな、と妄想ができる。地域には、あるものをどううまく使うか、それはあれにもこれにも利用できる、といった自由さがある。
「西粟倉では余白がどんどん広がっている気がしています。人は増えていて空間的には埋まってきているんですが、ビジネス的には広がっている。それはどうしてかというと、ローカルベンチャーにとっては、ローカルベンチャーが最大のリソースなんですよね。何かと何かの関係から価値が産まれるんだとしたら、ローカルベンチャーの数が増えれば増えるほど掛け算で可能性が増えていくからです。可能性が広がってきている。そこにうまく自分の妄想を乗せて、実行、行動まで持っていける人が出てくるといいなと思っています。」
妄想と行動の間には浅からぬ溝がある。妄想はできても、それをほんとうに実現するのは当たり前だが簡単ではない。西粟倉ではそれがしやすい環境になっているのだ。
「ラボのフィールドワークのプログラムは、西粟倉のいろいろなローカルベンチャーの人に会いに行くというものですが、会って、現場を観てみることで、”この人と組んだら、こんなことができるな”っていうことが見えてくる。
はじめはもちろんわからないんです。地域にどんなリソースがあって、どんな余白があるのか。それを肌感覚でわかっていないうちに、いきなり事業計画をつくってビジネスをつくるっていうのは、相当な人でないとなかなか難しいと思うんですよね。僕も、西粟倉に関わりはじめて森の学校という会社を立ち上げるまでに4年くらいかかっています。でも今は、(ラボの担当の高橋)江利(佳)ちゃんが居るので、西粟倉のいろいろなリソースにアクセスして関係性をつくることが短期間でできます。僕が4年かかったところを1年に短縮できるくらいになっている。そしてローカルベンチャースクールもあるので、流れ的に切れ目なく業を起こすところまでいける。なんかやってみたいんだけどなかなか決まらないんですよ、という人にとっても、うまく流れていくようにできている。」
”このまま”を超えたい人に
“江利ちゃん”こと高橋江利佳さんは、ローカルライフラボの担当者である。高橋さん自身も、2年前に西粟倉に移り住んだ。東京での仕事と暮らしを続けることもできたけれど、一歩踏み出したくてしかたがなかった彼女は、なんと一度も西粟倉に足を運ぶこと無く、移住と転職を決めたという。今回のローカルライフラボのキャッチコピー、「このままじゃない道を、わたしは選ぶ」をまさに実践してやってきた高橋さん。ラボ二期生としてどんな人に来てほしいのだろう?
「ひとつイメージしているのは、社会人になってしばらく経って、このままだと違うなってちょっとモヤモヤとしている人、ですね。自分の枠を超えたい人、といってもいいかもしれません。」
後にお話を伺ったラボ1期生の猪田敦子さんはそのタイプだ。
「(猪田)敦子さんは助産師として20年以上も病院でお産の現場に関わってきた方ですが、病院という枠組みの中で限界を感じていること、模索したいことがずっとあった、モヤモヤがあった。それを越えたいという想いでローカルライフラボに来てくれた方なんですね」。
高橋さんが今回の募集で特に重要視しているのがフィールドワークへの参加。フィールドワークでは、西粟倉の資源や人、そして暮らしに触れる視察、ナリワイづくりの先駆者による講演会と懇親会、そして自らの強みや生き方、大切にしたいことについて考えるワークショップなどを予定している。
「フィールドワークを通して、ナリワイをつくっていくフィールドになる西粟倉の土地を体感してもらって、一緒に働いたり暮らしたりする仲間になるかもしれない、役場や村民の方、起業家たちの人柄や想いを感じてもらうことが大事だと考えています。牧も言っているように、”この人と組んだら、こんなナリワイができるかも”とイメージが膨らむ機会になると思います」
好きでやっている人が、好きで応援してくれている場所
ラボ1期生の細谷由梨奈さんは、そうしたフィールドワークで大きな出会いをして新しい活動に繋がった一人。
「ラボがはじまった4月前半、フィールドワークのプログラムを通して西粟倉で起業した方にたくさんお会いしました。その中で、株式会社ミュウの渡部さん(*)にお会いして、”自分もこうなりたいなあ!”と強く思ったんです。恋をしたような気分で(笑)。それから渡部さんの西粟倉の工房で研修を受けることになったんです」。
(*)ミュウの渡部さん:”いちごが大好きすぎて専門ケーキ屋を立ち上げた才女”(牧大介著 『ローカルベンチャー』木楽舎刊, 2018年, p107より)。京都を拠点にいちご専門の製菓店を経営、ローカルベンチャースクールの生徒さんでもあり、西粟倉に工房をつくった。
細谷さんは、広島県尾道で生まれ育ち、大学ではまちづくりについても学んだ。就職して広島から東京へ、そして西粟倉に移住。もともと起業という意識はそれほど強くは持っておらず、”自分でできるのもいいなあ”という感覚があったくらいだったという。
渡部さんが工房での日々と並行してもうひとつ取り組んでいるのが村での教育というテーマ。
「自分が誰かになにかを伝えたとき、その人が”わかった!”と顔が輝く瞬間が好きで、教育には関心をもっていました。これからの子どもたちには、自分の考えがあって、自分で選べること、そして選んだことを実現できる、という力が必要だと思っています。なにかを実現するにはいろんな人やモノとつながる力も必要です。この西粟倉には、自分の考えを持っていて、それを実現できる大人がたくさんいる。そういった大人と西粟倉の子どもたちがつながるようなことができるかもしれないなと」。
西粟倉村役場でも新しい教育というテーマに取り組もうとしており、そのプロジェクトに関わり始めているそう。最後にどんな人にラボ生として来てほしいかを尋ねた。
「変わりたくて、変わる気があって、そのために動ける人、ですね。あと、西粟倉で私たちを支えてくれる人たちは、みんな好きでやってくれているんです。余っている知恵や時間をたくさん分けてくれるんですが、決してみなさん無理はしていない。だから自分も無理をしないでいられるんです。好きでやっている人が好きで応援してくれている。西粟倉はそういう場所なんです」。
鉄道好き夫とお産大好き妻の夫婦でラボ生に
猪田有弥さんと敦子(のぶこ)さん。ご夫婦で西粟倉にラボの1期生として移住してきた。
敦子さんは助産師として20年以上お産に立ち会って来た。赤ちゃんが大好きで、産前産後のお母さんと赤ちゃんのケアに関心を持ちながら、これまでの医療や病院の仕組みではもどかしさやジレンマを感じてきたという。
「点でしか関われなかったんですね。分娩には関われても、産前産後には関われなかった。たとえば家族のことや身体のことでうまくいかないところがある方たちの分娩に立ち会っても、病院の枠があると後追いができなかったんです。”あの人はどうしてるかな”って気になってしまって。でもこの西粟倉なら線で関われるなって。産前も産後も、子どもとお母さん、家族の成長がちゃんと線でつながって見える。だから責任も持てるし、自分が学んできて伝えられるものを届けられるなって。」
有弥さんは、新聞社、シンクタンクでのコンサルタントを経て敦子さんと共に西粟倉に来た。旅好きということもあって、これまでいろいろな地域を訪れる機会があった。そしていつかは地域に住みたいという想いもあり、地域と都市を繋ぐ活動をしているコミュニティに参加。そのフィールドの一つが西粟倉だった。はじめて訪れた時は、”実家の大阪から近いな、楽しそうだな”、と思ったくらいだったという。
「初訪問時に、西粟倉の人たちを前に発表する機会があって、”妻がいつか助産所をやりたいと思っている”、ということをポロっと言ったんですね。それからしばらく間があいて去年の9月、ローカルライフラボの募集をWEBで見たら、子育てに関するプロジェクトも記載されてたんです。また助産師の話を覚えていてくれたんでしょうか、ラボのスタッフさんからも連絡をもらったりして、迷いました。でも期限も迫ってきていて。結局申し込みの締切三日前に、”出そう”と決めました。」
鉄道好き、移動好きということもあって、有弥さんは独特の視点で西粟倉を見ていた。鳥取にも兵庫にも近く、村を通っている高速道路は無料で村内に降りるICもあるこの場所について、
「便利なところだなと思ったんですよ。特急も通りますしね。だったらあの特急が村に停まったらいいのになって、牧さんに伝えたら、”その発想は無かった!”っておもしろがってくれた。その時、僕が思っていることがそういうふうに役に立って、村を変えるかもしれないんだってことに気付いた。だったら得意な交通っていうところをフックにして、やりたいことをやっていけるかもしれないなって思って、今は”特急スーパーはくとを村に停めるプロジェクト”というのをやっています。」
“通過していた特急が村に停まったらいいのに”という妄想からはじまったプロジェクトは、地域におけるモビリティの在りかたを刷新するような構想に広がってきている。
「”田舎はクルマが無いと生活できない”という固定観念を外してみると、地域らしい楽しさがあるかもしれないなと。」
バスや自転車、カーシェアリングに新しいモビリティ、そして歩くこと。確かにクルマ以外の移動手段が多様になることで、地域に来る人だけでなく、暮らす人々の動きや見る景色、感じることも多様に、豊かになる可能性がある。この取材の日も、まずは自ら試してみる、の姿勢でクルマではなく自転車で来てくれた有弥さん。
村長がすぐ後ろにいる距離感で
「行政というよりは、零細企業の社長と従業員ほどの距離感といったほうが近いかもしれないですね」
笑いながらそう話してくれたのは、西粟倉村役場の産業観光課の荻原勇一さんだ。
「村長室から出てきた村長に声をかけて、その場で新しいアイディアや企画の話しができる。そういう距離感なので、フィードバックやレスポンスが早いし、議論や承認のプロセスも短縮できる。なにかコトを進めるのがとにかく早いんです。
だから仕掛けられる。行政ってふつうは後追いなんですよ。課題が見えてから追いかけて対応するのがふつう。でも西粟倉は、先を見て”仕掛けられる”自治体になっているんです。」
役場内の距離だけでなく、行政と村民との距離も近い。
「役場に電話がかかってきたら、声でどこの誰かだいたいわかります(笑)」
という近い関係性。牧さんが語っていた、”因果関係がわかりやすく、つながりを生々しく感じられる”というのはこういうことでもある。そしてこの距離感で、ラボ生といっしょに動くこともできる。
「ラボ生からのワクワクするアイディアに、”いいね!”と言ってくれる仲間がたくさん居て、”それはどうやったらできるんだろう?”、と後押ししてくれる人たちがいる。われわれ行政としても、アイディアや事業の計画をもらったら、”実現するにはどうしたらいいか?”と一生懸命考えるわけです。大きな自治体だと、起業の相談だったら商工課に話が来るけれど、事業のテーマがたとえば福祉分野の内容だったとしても、すぐに保健福祉課につながるわけではない。でも西粟倉だとすぐに横の課と繋いで、横断的に考えるという動きができるんですよ。しかも村長がすぐ後ろにいる距離感で。」
自由に生きられる社会への変化は思ったよりも早い
ローカルライフラボの近くには、妄想しやすい環境と活用を待っている豊富な資源、いい距離感にいる行政や仲間たちの厚いサポートがある。これらの重なり合いによって、地域における起業=ローカルベンチャーが極めてやりやすい場所が西粟倉では既に実現している、と語る牧さん。
「昔はハードルが高かった”起業”という行為が、とてもやりやすい時代になりましたね。本来そんなに楽しいものではないんですよ、起業って。死ぬような思いをしてようやくたどり着ける喜びを求めていくような、そんな気持ちがないとできないところがある。だから、今の西粟倉はちょっと過保護過ぎるんじゃないかと思うこともありますけど(笑)、ともかく時代が変わった。」
たしかに今回話しを聞いた、ローカルライフラボに関わる人たちは、モヤモヤもワクワクも同時に抱えながら、みんな楽しそうだった。
「いろいろな固定観念が外れて、世の中全体が変わってきているんだと思います。思ったよりも変化が早いですし、この数年でもっと劇的に変わっていくと思います。ローカルで暮らす、働く、起業するという選択肢も圧倒的に選びやすくなった。より自由に生きられる社会になってきているんじゃないでしょうか。」
ローカルにおける自由とは、都市での自由とはまったく違うものだ。豪雨によって日常の生活や事業が完全にストップしてしまうこともあるような中での自由。西粟倉で会った人たちの楽しさは、そうした新しい自由の形を示しているように感じた。ローカルライフラボは、そんな自由を自分なりに探求できるよき機会になるだろう。
すこしモヤモヤ、でも“このままじゃない道”を選んでみたいと思っている方、フィールドワークに参加してみたい方は、ぜひローカルライフラボのページをご覧ください。(フィールドワークは8月4-5日(土日)、9月1-2日(土日)、10月6-7日(土日)の3日程で開催されます)
また、今回お話を伺った猪田夫妻をゲストに、ローカルライフラボを担当している西粟倉はエーゼロの高橋さん(江利ちゃん)&林春野さんをホストにした、ローカルライフラボのイベントが、7/20, /21, 8/24, /25に東京で行われます。題して、
“美味しいものをわいわい食べながら、自分の生き方とナリワイを考える会”
場所は最近話題の喫茶ランドリー。フードを提供してくれるのは東京と西粟倉を往復しながら”ナリワイ”を実践する、足立区のシェアキッチンハウス「mogmogはうす」オーナー丸山寛子さん。
“このままじゃない道”を選んだのはどんな人たちなのかを知りたくなった方は、気軽に参加してみてください!
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