ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京(SVP東京)の代表、そしてNPO法人NPOカタリバの代表代行の二足のわらじを履く岡本拓也さん(36)。
ユーラシア大陸放浪のさなかでマイクロファイナンスと運命的に出会った前回に続き、今回はビジネス・パーソンとしてのキャリアの始まりから、キャリアを積み重ねた後にソーシャル・ビジネスと再会するまでをお送りします。
<写真:高円寺での岡本拓也さんインタビュー風景>
大勢の中のひとりではなく、顔の見えるチームの中で働く
石川:卒業してしばらくたって、公認会計士の資格を無事取得された後、岡本さんのビジネス・キャリアはどう展開していったんでしょうか。
岡本:会計士の試験から合格発表までには、2ヶ月くらい間があるんです。その間に就職活動をしたんですが、とにかくやたらとベンチャー企業をまわっていました。結果として色んな所から内定はとれたんですけど、ふと思ったんですね。「まてよ、ベンチャーに入るなら公認会計士の資格いらないじゃん」と。笑
石川:そうですね。笑 もちろん無駄ではないでしょうけど。
岡本:ちなみに、監査っていう仕事は公認会計士じゃないとできないんです。さんざん苦労して会計士に合格したんだから、監査という仕事を体験せずに次に行くのは、ちょっと違うなと思ったんです。だから、監査法人を選びました。だからしばらく監査をやって、その後に自分の意志にそって仕事を選ぼうと思って。
石川:それで、まず監査法人に。
岡本:そうです。大手監査法人の名古屋オフィスでした。実は東京オフィスと両方受けていて内定をもらっていたんですけど、最終的には名古屋オフィスにしました。
石川:それはまた、なぜですか?
岡本:東京の方は採用が200名以上あって、職場も金融部など多くのセクションにわかれていたんです。一方の名古屋は20名かそこらの、働く人一人ひとりの顔がみえる規模で、社員それぞれが幅広い業務をする必要がありました。それに、担当の方も「岡本くん、是非ウチに来てくれ」と声をかけてくれたんです。これなら数年でいい経験ができそうだなと思って、名古屋オフィスにしました。
石川:次のステップも考えての選択だったんですね。働いてみて、どうでしたか?
岡本:入った時はけっこう期待されていたと思うんですが、1年目は同期で1番怒られた自信がありますね。もともと細かいことがそんなに得意じゃなかったから。笑 そこでは、ビジネスや監査についての基礎をものすごく鍛えられました。
企業再生とSVP東京パートナーという2足のわらじ
石川:その後、ビジネス・プロフェッショナルとしてのキャリアを10年弱積まれたわけですね。
岡本:そうですね。その間も、「力をつけて、いずれ自分で道を拓く」ということは忘れませんでした。その後、ビジネススクールに通ったり、ベンチャーで働いたりもしながら、東京の企業再生コンサルティングファームに転職しました。20代終わり頃のことです。そして、このタイミングでSVP東京(ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京)と出会いました。
石川:おぉ、ついに出てきましたね。
岡本:知人の「岡本が好きそうなイベントがあるよ」という誘いで参加したのが、SVP主催のソーシャルファイナンスのフォーラムだったんのです。そこでは、アメリカのSVPI(ソーシャルベンチャー・パートナーズ・インターナショナル)の代表や、日本のビジネス・プロフェッショナル、そして代表の井上英之さんが登壇していたのですが、本当にかっこよかったんです。
彼らは本業をまっとうしつつ、真剣に社会性と事業性を追求していて、そのことを実に楽しそうに語るんです。「こういう世界があるのか!」と、かつてバングラデシュでマイクロファイナンスと出会った時の衝撃を思い出しました。
「そもそも僕が会計士やプロフェッショナルを志した原点ってこれだよな」と。そのフォーラムの3ヶ月後には10万円出資して、SVPのパートナーになっていました。
石川:相変わらず決断と行動にスピードがありますね。
岡本:とはいえ、パートナーになった直後に企業再生の仕事が忙しくなって、いきなり幽霊部員になっちゃったんです。本格的にSVP東京の支援案件に関わることになったのは、事業再生の大型案件が順調に動き出して、少し余裕ができてからでした。それで久しぶりにSVP東京の投資委員会(投資先のソーシャルビジネスを決定する委員会)に顔を出したら、やっぱりめちゃくちゃ面白くて、刺激的だったんですね。カタリバと出会ったのは、その頃でした。
<写真:岡本拓也さんインタビュー風景>
「中途半端なコミットなら支援は必要ありません」
石川:カタリバはSVPの支援先だったんですか?
岡本:そうです。僕のSVPとしての最初のプロジェクト、つまり社会起業家との本格的な接点のスタートはカタリバだったんです。当時のカタリバはちょうどこれから事業を拡大していこうというフェーズで、僕は財務や事業計画策定に専門性があったし、そもそも教育課題に最も関心があるということで参画しました。
代表の今村久美さんをはじめ、スタッフの人たちがすごく魅力的だったというのもありますね。久美さんといえば、すごく印象的だったことがあります。プロジェクトの顔合わせ初日に、「中途半端なコミットなら支援は必要ありません」とガツーンと言われて。「確かにそのとおりだな」と、あらためて気を引き締めましたね。この人達は人生かけてるんだと。
石川:本人の人生もかかっていますし、何より事業を通して変化を生み出すことに人生をかけてますよね。だから、関わる側も腹の底からコミットすることが求められるのだと思います。
岡本:そうですね。そこは本業の企業再生と何ら変わりません。そんなこんなでプロジェクトが始まって、平日の本業・事業再生と週末のカタリバという2足のわらじが始まりました。当時は平日大阪にいて事業再生に取り組んで、金曜日になると、おみやげの豚まんを買って帰路そのまま高円寺のカタリバに顔を出すという生活でした。
自分がやりたいことと仕事が一致している、社会起業家たちとの出会い
石川:豚まんは大事ですね。笑 しかし、中途半端さを微塵も感じさせないコミットメントです。どれくらいの期間関わる予定だったんですか?
岡本:SVP東京の支援期間は原則2年間なんです。1年目が終わったタイミングで、僕はカタリバの理事になりました。同時に、SVP東京のディレクターにもなりました。もちろん本業も相変わらずある中で、「これはちょっといよいよ、まわらないかもしれない・・」という感じになってきたんです。
とはいえ、正直なところ、この世界だけで食っていくのも難しそうだ。でも、思い切って飛び込んでもみたい。そんな感じでもやもや悩んでいたんです。その時僕が決めたのは、「限界まで、やれるところまで全部やってみよう」ということでした。本業では海外事業の再生が始まって、インドネシアの夜にカタリバの電話会議をしたりと大変な状況でしたが。
石川:本業の事業再生もどんどん楽しくなってくると。
岡本:そんな時ふと、自分の脳内シェアが、どんどんカタリバやSVP東京に奪われていくのを感じたんです。移動中や寝る前とか、ふと一息ついたときに、カタリバについて考えている時があって。
石川:愛を感じます。なぜ、そんなに気になったんでしょうか?
岡本:カタリバやSVP東京のような個々の事業が、そしてソーシャルセクターと呼ばれている領域自体が、ぐっと成長していくということには確信がありました。マネジメントのあり方は確立していませんが、間違いなく世の中に価値を提供していると思ったからです。
そして、何より、フローレンスの駒崎さんとか、ETIC.の宮城さん、そしてカタリバの今村久美さんみたいに、人生を賭けて社会課題に立ち向かいながらビジネスを創っている人たちに出会って心が揺さぶられたんです。
「この人達は一致している」と。自分が本当にやりたいと心から思っていることと、仕事っていうものが、こんなに一致しているんだと。なんというか、社会のイノベーションって、こういうところから起こるんだなぁと肌で感じましたね。
石川:直に空気を共有することで伝わってくる、なんともいえない迫力がありますね。そういう人たちと仕事ができるのは、本当に幸せなことだと思います。
岡本:ということで、気づいたらもう脳内シェアはかなりの部分奪われているわけです。本業もどんどん忙しくなって、自分の評価も上がっていく。自分の時間の80%以上は本業に費やしていて、給料もそこからもらっている。でも一方で、脳内シェアの80%くらいはカタリバやSVP東京に占有されている。そんな状況に自分の内面でバランスがとれなくなって、だんだん気持ち悪くなっていったんです。
■ 「飛び込むと決めた瞬間のわくわく感を大事に」岡本拓也さんインタビュー(3/4)へ続きます。
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SVP東京代表理事、NPOカタリバ常務理事・事務局長/岡本拓也
1977年大阪府生まれ。大学時代に1年間休学し、短期留学と海外約30ヶ国の旅を経験し、バングラデシュにてマイクロファイナンスと出会う。大学卒業後に公認会計士に合格し、大手監査法人にて監査やIPO支援等を担当。その後、同じPwCグループのコンサルティング会社・プライスウォーターハウスクーパース株式会社にて企業再生業務に従事。同社に在職中に出会ったソーシャルベンチャー・パートナーズ東京(以下、SVP東京)を通じてソーシャルビジネスの世界に魅了され、震災直前の2011年3月に独立。同年4月よりSVP東京 代表理事(2011年6月〜)に就任し、5月よりNPOカタリバの理事 兼 事務局長に就任(2013年6月より常務理事)。現在に至る。その他、KIT虎ノ門大学院 客員教授、内閣府 共助社会づくり人材ワーキンググループ専門委員、東日本大震災復興支援財団「まなべる基金」選定委員なども務め、現場と支援の両面から、ソーシャルセクターの成長と成熟に尽力中。
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