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「気仙沼でしかできない観光」を創る、”よそ者“の力――リアス観光創造プラットフォームの挑戦に迫る

2017.03.27 

気仙沼といえば何を思い浮かべるだろう? やはり漁業だろうか。

しかし、最新の気仙沼のキーワードは「観光」だ。東日本大震災からの復興を賭けて、水産とならぶ柱に観光を据え、これまで多くの新しい試みを成功させてきた。この4月から、それらの取組みは新しいステージに入る。地域全体で観光戦略を立案・推進する体制づくりが本格化するのだ。これを機に専任スタッフを増員すべく、新たに地域おこし協力隊員2名を募集中である。その現場の一端を、よそ者目線を生かして気仙沼の「新しい観光」に関わっている移住女性の声を交えて、お伝えしよう。

気仙沼の観光シーンはいま

 

気仙沼伝統の凧をつくろう!

ひんやり氷とぽかぽか温泉!

トマト収穫体験!食べ放題お土産付き

バイオマス発電プラントを見に行こう!

 

びっくりマークがならぶチラシ。「ちょいのぞき気仙沼」という体験イベントデーの案内である。2016年はこうしたイベントがほぼ毎月、合計11回開催された。体験できるメニューの内容は各回少しずつ異なり、全部で30種類以上もある。いずれも地元の若手事業者を中心メンバーとする「観光チーム気仙沼」が開発してきた、まちの新しい観光コンテンツだ。

2015年夏に始まった「ちょいのぞき気仙沼」体験の場は、水産関係から田畑や山林まで、開始2年で大きく広がってきた

2015年夏に始まった「ちょいのぞき気仙沼」体験の場は、水産関係から田畑や山林まで、開始2年で大きく広がってきた

その発祥は2015年6月、「港町の仕事場ちょいのぞき」と題し、魚の輸送に欠かせない氷屋・函(箱)屋の現場を見学するイベントだったという。水産のまち気仙沼で「観光」を第二の産業の柱に育てるという市の方針のもと、市民が自らの足元にある資源を活かし、売れる観光コンテンツとして商品化を試みた成果である。

 

その後、「ちょいのぞき気仙沼」の体験内容は漁具屋や造船所の見学、メカジキの解体、ウニ剥きといった水産関連から、シーカヤック、キャンドルづくり、トマト収穫、ゆずアイスづくりと、どんどん拡大。これまでの参加者数は延べ2,000人を超え、体験客をホストする事業者も初年度の12社から2年目は25社と倍増した。

ちょいのぞき1(大サイズ) ちょいのぞき2(大サイズ) ちょいのぞき3(大サイズ)

誕生したのは体験プログラムだけではない。物販面では、特産のメカジキをブランド化した「メカしゃぶ」、「メカすき」、「メカカレー」を開発。さらには、市民一人ひとりが自分たちのまちの観光資源を再発見することを目的とした市民向けの交流・企画会議「ば!ば!ば!プロジェクト」も、定期的に開催されている。

 

データに基づくマーケティングで地域の「観光で稼ぐ力」をアップ

 

観光の世界はもともと飲食・宿泊などすそ野が広く、事業者団体や商工会議所、観光協会など関係機関も多い。その各々が行ってきた努力と、上のような新しい取組みを漏れなく重複もなく組み合わせ、気仙沼全体の観光振興を持続させるためには、正確なデータに基づくマーケティング戦略が欠かせない。そこで、店ごと、団体ごとに散在している客数データなどを一元化し、足りない情報は新しく収集して、有意義なマーケティングデータとして関係者全体で共有する試みも始まっている。

 

また、気仙沼全体で「顧客データベース」を構築するため、「気仙沼クルーカード」というポイントカードも導入した(会員募集は今年4月からの予定)。このデータベースに基づいて顧客の情報を把握し、個々の事業者のみならず、地域全体の「観光で稼ぐ力」をアップさせようというのだ。

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気仙沼港の生メカジキの水揚げは、全国トップシェアの73%。カツオやサメなどほかにも全国一位を争う魚種は多いが、ブランド化第一号の白羽の矢が立ったのはメカジキだ。また、市内の飲食店では、刺身、焼き、鍋などいろいろな調理法でメカジキが提供されている。

気仙沼港の生メカジキの水揚げは、全国トップシェアの73%。カツオやサメなどほかにも全国一位を争う魚種は多いが、ブランド化第一号の白羽の矢が立ったのはメカジキだ。また、市内の飲食店では、刺身、焼き、鍋などいろいろな調理法でメカジキが提供されている。

 

 

気仙沼のこうした先進的な観光への取り組みは、マスコミにもたびたび取り上げられ、安倍首相も視察に来たほどだ。ともすれば行政のお題目に終わりかねない「観光まちづくり」が、ここまで具体的な実践の成果を出すに至ったのは、ひとつには気仙沼市の「本気度」があるだろう。東日本大震災からの復興という命題のもと、気仙沼市は「観光」を水産に続く基幹産業に育てるべく、震災翌年3月に「気仙沼市観光戦略会議」を立ち上げた。上述の取組みはすべて、この会議が1年かけてとりまとめた『観光に関する戦略的方策』に基づいて発展してきたものだ。

 

そして、壁にぶつかりながらもその方策をひとつずつ実現に導いてきたのは、市民自身のエネルギーと外部人材が持つパワーの相乗効果であるように思われる。

 

 

そして生まれた「リアス観光創造プラットフォーム」とは

 

気仙沼市には震災後ボランティアなどとして支援に入り、そのまま住み着いた移住者は少なくない(移住者数などについては、気仙沼まち大学の記事も参照されたい)。さらに市行政には、経済同友会を通じて民間からの出向者が多数支援に入っている。観光推進に関して、市内外の協力が最も端的に表れているのが、一般社団法人リアス観光創造プラットフォーム(以下リアスPF)だろう。この団体は、まさにその『観光に関する戦略的方策』を実現する中核組織として、市内の観光関係者に加え、市外の旅行会社やメディアなども参画して2013年春につくられた。

 

リアスPFは、「商品をつくる」「人をつくる」「しくみをつくる」 の3つの役割を担っている。商品づくりを担う「ちょいのぞき気仙沼」プロジェクト、人づくりを担う「ば!ば!ば!プロジェクト」の運営に加えて、これから始めようとしているのは、データを活用した地域全体の観光戦略推進というしくみづくりである。

テスト運用が始まっているポイントカードシステム、「気仙沼クルーカード」。気仙沼ファンの獲得と囲い込みを目指す。貯まったポイントはもちろん気仙沼での買い物などに使えるが、もし失効してしまっても、カード会社ではなく気仙沼に寄付されるという。

テスト運用が始まっているポイントカードシステム、「気仙沼クルーカード」。気仙沼ファンの獲得と囲い込みを目指す。貯まったポイントはもちろん気仙沼での買い物などに使えるが、もし失効してしまっても、カード会社ではなく気仙沼に寄付されるという。

この団体の立ち上げから関わってきたのは、気仙沼商工会議所会頭であり地元の酒蔵、株式会社男山本店の社長、菅原昭彦氏だ。リアスPF理事長に就任し、民間から出向した事務局メンバーとともに動き始めた当初は、何をする機関なのか、すでにある観光協会や事業者団体とどう違うのか、地元の冷ややかな視線も浴びたそうだ。しかし、菅原さんはその熱意と機動力と発信力で事業者たちを徐々に動かし、オール気仙沼で観光戦略を推進する体制の基盤をつくってきた。

 

現在のリアスPFには、菅原さんをはじめとする地元事業者から成る理事らに加え、事務局には民間からの出向者が5名、他の業務と兼任で関わっている。そのほか専任スタッフとして女性が2名。いずれも県外からのUターン、Iターン者だ。体制整備につれて業務量が増えることから、ここに新しく専任スタッフを2名、地域おこし協力隊員としてさらに外部から採用しようとしているのだ。

 

「糸との会話」から「人との会話」へ――気仙沼でキャリア転換

 

ここで、現在の専任スタッフの一人、小柳朋子さんを紹介しよう。

 

2016年3月にリアスPFで仕事を始めた小柳さん。この1年は「とにかくイベントのチラシをたくさん作りましたね」と笑う。「ちょいのぞき」の運営や新コンテンツ開発をメインに担当しつつ、「気仙沼クルーカード」の加盟店開拓なども行っている。

 

千葉県出身で気仙沼には縁もゆかりもなかった。前職は京都で西陣織の職人をしていたという、異色の経歴の持ち主である。気仙沼に来たのは結婚がきっかけだった。が、ご主人もUターンというわけではない。夫の元樹さんは震災直後に県外から気仙沼に支援に入り、所属していたNPOが引き上げるタイミングで、自分は気仙沼に残ることを決めたのだという。小柳さんが彼と京都で出会ったのは、すでに彼の気仙沼移住が決まった後だった。

 

「1年ほどは『遠距離』でした。彼のほうから『こっちへ来てほしい』と強く言われたわけではないんです。でも何度か気仙沼へ遊びにきているうちに、出会う人がみなさん親切で、あたたかくて。私、こっちに引っ越してこようかなと」。2015年8月のことだった。

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観光商業施設「海の市」の3階にあるリアス観光創造プラットフォーム事務所にて、パソコンに向かう小柳さん。

 

気仙沼に来て、最初から仕事があったわけではない。小柳さん自身、「10年間やった織物の仕事は一区切りという気持ちで」、新しいキャリアを考えているところだった。「風光明媚な唐桑半島の貸家に木工職人の夫と暮らしながら、近所の民宿を手伝ったりパソコンを習ったり。そのうち、『気仙沼つばき会』という、元気なおかみさんたちの会から声をかけてもらって、イベントなどのお手伝いをするようになりました。そのつながりで、リアスPFの仕事をやってみないかと紹介されたんです。もちろん観光の仕事など経験はありませんでしたが、よそ者目線、女性目線が大事だからといわれて」。

 

それにしても、織物職人という前職との間には大きなギャップがありそうだが、ストレスは感じないという。「織物をやっているときは、一日中『糸と話す』日々。好きな仕事だったけれど、いずれは他人が織ったものを紹介するような仕事をしたいと思っていて、人と会ってコミュニケーションするのも自分には向いていると感じていました」。

 

リアスPFに入り、前任者からの引き継ぎでは「同じ仕事は二度とないよ」と言われた。実際にやってみると、「ルーチン業務などなく、常にいろんなところから弾が飛んでくる状態(笑)」。でも、小柳さんはやりがいを感じている。この1年で、既存の体験プログラムの運営に加え、トマト収穫やキャンドルづくりなどの新しい企画も、自ら事業者に働きかけて実現させた。夏にはローカルテレビのレポーターも経験したという。新しいキャリアを十分に楽しんでいるようだ。

 

 

気仙沼の観光戦略は次のフェーズへ―― 挑戦者募集中!

 

気仙沼の観光は、この4月から次の段階に入る。市長はじめさまざまな関係団体のトップが集まる、観光戦略の意志決定機関として「気仙沼観光推進機構」(仮称)が立ち上がるのだ。その事務局として、実はリアスPFにかわる新しい法人が作られようとしている。いよいよDMO(※註)の具体化に向けて気仙沼は進む。

 

※Destination Management/Marketing Organization:観光まちづくりについて、戦略策定、実施、調整など、地域の中心的役割を担う組織

市内のリアスアーク美術館に展示されている模型をみると、リアス式海岸の複雑な海岸線がよくわかる。右手前が小柳さんの住む唐桑半島だ。ちなみに、この美術館に常設の「東日本大震災の記録と津波の災害史」は必見である。

市内のリアスアーク美術館に展示されている模型をみると、リアス式海岸の複雑な海岸線がよくわかる。右手前が小柳さんの住む唐桑半島だ。ちなみに、この美術館に常設の「東日本大震災の記録と津波の災害史」は必見である。

新組織はリアスPFの使命を引き継ぎ、小柳さんと募集中の地域おこし協力隊員2名のチームを中心に、さらに理想の体制を目指していく。小柳さんは、2年目の抱負をこう語る。「『ちょいのぞき気仙沼』を通年で実施したのは今年度が1年目です。一巡して反省点もあるので、来年度はどの体験プログラムももっと磨いていきたい」。

 

既存プログラムのブラッシュアップだけではない。さらに多くの商品開発、気仙沼クルーカード推進、そのデータに基づく本格的なマーケティング… 新組織のチームに期待される役割は大きい。小柳さんはどんな人をチームメイトに望んでいるだろうか。

 

「やりたいと思ったら、やっちゃう人。平たく言ってしまうと、行動力のある人ですね。とはいえチームで取り組む仕事なので、私を含めて、それぞれ得意不得意を生かして補いあえるよう、柔軟でありたいと考えています。さらに言えば、イベント運営などコーディネートの仕事は大雑把ではダメ。なんとかなるでしょ、ではなんともならないこともあるんですよ(笑)。だから、細かい気遣いができる人が向いているかなと思います」。

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気仙沼市内外の人でにぎわう人気スポット、「アンカーコーヒー」にて。水産物の輸出入業を営んでいた社長が、アメリカ留学時代のコーヒーショップを地元・気仙沼で再現しようと2005年に開業した。庭のベンチは小柳さんのご主人、元樹さんの作品だという。

 

仕事は難しいこともあるけれど、住めばやっぱり好きになる

 

小柳さんがこれまで取り組んできた仕事のなかで、もちろん難しさを感じるときもある。たとえば、気仙沼クルーカードは地域全体の顧客データベース構築をするために必要不可欠なシステムだが、加盟店営業に行ってもなかなか理解されない場合があるという。「利用料を払って加盟店になれば何をしてくれるのか?」というのだ。

 

「これはまず、気仙沼という地域全体に人を呼びこむ仕組みだということをわかっていただかないと。そして、何をしてくれるの? ではなく、集めたデータを活用して稼ぐ方法を一緒に考えましょう、ということなんですが…」

 

「ちょいのぞき気仙沼」の体験プログラムの受入れ事業者開拓も同じことだ。待っているだけではお客は来ない。そんな「受け身」からの転換には、やはり「お客様との生のふれあいがいちばん」なのだそうだ。実際に体験客を受け入れ、自分のいつもの仕事を見せるだけで、「あ、こんなことで喜んでくれるんだ」という発見がある。一度でも客を受け入れた事業者(たとえば漁業体験の漁師)は、少しずつ考え方が変わってくるのだという。

 

店ごとの個別最適、さらに飲食やホテルといった業界最適を乗り越えて、地域全体でwin-winの最適を目指す。そうした観光まちづくりの“キモ”を体制として推進するには、やはり行政のリーダーが腹をくくり、市民全体がその気になる必要がある。一朝一夕にはできないが、気仙沼はまさにそれをやろうとしている。

 

そのための新体制下で小柳さんとチームを組む地域おこし協力隊員も、おそらく小柳さんと同じように外からやってくる人だろう。よそ者にとっての気仙沼の住みやすさを体験した小柳さん自身が考える、「気仙沼のよさ」とはなんだろう?

 

「海がきれいとか魚がおいしいといっても、それは気仙沼だけじゃない。誰にでも普遍的におススメできる『気仙沼のよさ』みたいなものは正直、わからないんです。でも、こちらに来て夫しか頼る人がいない中で、知り合いが一人増え、二人増えていくにつれて、次第に私にとって『気仙沼じゃなきゃだめ』、になっていった。好きな人が一人増えると、また一段気仙沼を好きになる。そういう意味で、気仙沼のいいところはやっぱり『人』ですね」

 

気仙沼市内に10か所ほど存在していた仮設商店街は、昨年から徐々に退去期限を迎えている。港にほど近い「復興屋台村 気仙沼横丁」は今年3月末に役割を終え、入居していた事業者はそれぞれ新しいステージを迎える。

気仙沼市内に10か所ほど存在していた仮設商店街は、昨年から徐々に退去期限を迎えている。港にほど近い「復興屋台村 気仙沼横丁」は今年3月末に役割を終え、入居していた事業者はそれぞれ新しいステージを迎える。

気仙沼市の震災復興は、終わっていない。仮設住宅(みなしを含む)にはまだ3,000人以上が暮らし、市内は災害公営住宅の建設、防潮堤の建造、地盤かさ上げなどの工事がまだまだ続く。しかし、ここに人を呼ぶコンテンツからは徐々に「震災」「復興」の文字が減ってきている。

 

それはすなわち、気仙沼が「普通のコンテンツ」で勝負できるようになってきたということであり、被災地を「卒業」していく過程でもある。試練にもひるまず新しいことに挑戦する市民のエネルギーと、小柳さんのような熱き「よそ者」のパワーが相まって、海と生きる気仙沼に「ここでしかできない観光」が生まれつつある。

 

 

お知らせ

 

「リアスPF」の地域おこし協力隊員募集の詳細はこちらをご覧ください。

 

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中川 雅美(良文工房)

福島市を拠点とするフリーのライター/コピーライター/広報アドバイザー/翻訳者。神奈川県出身。外資系企業で20年以上、翻訳・編集・広報・コーポレートブランディングの仕事に携わった後、2014~2017年、復興庁派遣職員として福島県浪江町役場にて広報支援。2017年4月よりフリーランス。企業などのオウンドメディア向けテキストコミュニケーションを中心に、「伝わる文章づくり」を追求。 ▷サイト「良文工房」https://ryobunkobo.com

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