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食べものを、エネルギーを、仕事を、コミュニティを。厳しい自然のなか、自分たちで暮らしを”つくる”、石徹白の挑戦

2017.04.22 

石徹白(いとしろ)は、岐阜の山奥、奥美濃のさらに奥にある、110世帯250人の小さな集落です。この10年、若い移住者が次々とこの地に根をおろし、新しい挑戦をはじめています。そんな挑戦のひとつである農産物加工所の事業を、引き継ぎ、軌道にのせるための人材募集がはじまりました。

>>挑戦者たちが集う人口250人の秘境で、農産物加工事業を軌道に乗せる仲間を募集中!

冬は雪に閉ざされ、便利な都市からも遠い場所での、チャレンジングな仕事です。それだけに大きなやりがいがあり、支えてくれる仲間と豊かな自然が石徹白にはあります。冬から春の端境の季節に、石徹白を訪ねました。

石徹白はこんなところ

 

石徹白の集落にはいってまず感じたのはその水々しさ。集落を守るように流れる2本の清流は、福井県の九頭竜川に繋がり日本海へと流れ込んでいきます。

石徹白風景2

土地の歴史は古く、縄文前期の遺跡が出ていることからもわかるように、遡ると数千年前から人が住んでいました。時は下って平安、そして鎌倉の時代、石徹白にはたくさんの人が全国から集まっていました。白山信仰の拠点としてです。

 

白山信仰というのは、富山と岐阜にまたがる名峰、霊峰、白山を崇敬した人たちの山の宗教で、各地から白山を目指して集まった人たちが、石徹白をベースキャンプのようにして、参拝へと向かうのでした。最盛期には「上り千人、下り千人、宿に千人」と言われたくらいの賑わいだったとか。石徹白は古来から人の往来、出入りが盛んな場所だったのです。しかし20世紀も後半になると、多くの日本の田舎と同じように、石徹白も人口流出と高齢化が進みます。

新しい移住者たち

しかしこの10年ほどの間に、新たな人の動きが生まれています。12世帯32人。若い世代の移住者が石徹白に集まっているのです。どんな人が石徹白に移りすんできているかというと…。

 

自然栽培で農業を始めた男性。IBMを辞めて有機農業を始めた男性。東北での住み込みボランティアの後にこの地にたどりついた女性。エシカルジュエリーブランド勤務を経て学びの場をつくっている女性。モロッコのゲストハウス勤務の経験をいかしてゲストハウスをはじめようとしている女性、公共交通と福祉領域で仕事をつくろうとしている元ライブハウス店長。経営コンサルを辞めて自然エネルギーに取り組んでいる男性。地域の野良着を復刻した洋品店を営む女性、etc…。 

 

こんな山奥の小さな集落に、若い世代が続々と移住していることだけでもなかなか無いことなのに、それぞれの人たちがみな、新しいコトをはじめたり、自分の仕事をつくっている。しかもそれぞれの営みが相当に尖ってます、石徹白。どうしてこの土地では、こんなことが起きているんでしょうか? まずは“石徹白人”たちにお話を聞いてみました。

農作物は、わたしではなく、”石徹白”がつくる

愛知県生まれの稲倉さん。奥さんが石徹白出身ということで、2003年に移住してきました。若い時はマレーシアやインドネシアなど、東南アジアで過ごす時間が多かったとか。そしていまは石徹白で農家に。

 

サユールイトシロという名前で自然栽培の農業をやっています。ズッキーニなど果菜類を中心に”つくって”いますが、でも、畑でできた農産物のことを、”ぼくがつくった”、とは思っていません。ぼくが”つくった”のではなく、作物が自分の力で成長し、石徹白の畑がそれを育てた、という感覚。自分の名前で”稲倉農園”ではなく、”農園サユールイトシロ”という名前にしたのも、”石徹白がつくった”ということにしたかったからなんです。」

 

自然栽培というのは、ふつうの農家さんのように肥料や農薬は使用せず、有機肥料を使う農業でもなく、無肥料、無農薬で作物を育てる農法。畑の土、そして植物のそもそも持っている力になるべく委せる、自然の力を引き出す農法です。稲倉さんはブルースやソウル、ワールドミュージックなどを愛する音楽好きですが(ちなみに相当なマニアでいらっしゃいます)、ご自身の農業を音楽の喩えでお話してくれました。

 

「僕が好きなブルースやソウルミュージックは、地域の音楽で、そこにいる人の好みやクセが音に出てくるんです。同じように、農業も加工所でつくる商品も、石徹白の地域性が出ると思いますし、地域の個性を大事にしたいと思っています。」

稲倉さんとスタッフ のコピー

生きる力を取り戻すー加藤万里子さん

続いてお話を伺ったのは、名古屋出身、2014年に石徹白に移住した加藤万里子さん。

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「まず石徹白に住んでびっくりしたのは、住民みんなが知り合いだということ(笑)。あとは郵便物が、住所に石徹白と書いていれば名前だけで配達されるところ(笑)。」

 

都会っ子だった加藤さんはどうして石徹白に?

 

「若い時からずっと、持続可能な暮らしってなんだろうとか、これからの生き方ってどんなかな、ということに関心がありました。名古屋では、エシカルブランドのHASUNAで働いていたこともありました。新卒で働いていた商社を辞めて、アフリカに住み込んでボランティア活動をしていたとき、現地の人たちと接する中で、「人間てたくましいんだなあ」と強く感じました。そして、「日本人も昔はこうだったんだろうなあ」って。日本で、持続可能なかたちで、たくましく”生きる力”を取り戻せないかと考えていた。そこで石徹白に出会ったんです。

都会の目線で見ると、石徹白には”なにもない”ということになるかもしれません。でも山があって水があって、食べ物ができる、エネルギーも作れる。ゼロから暮らしをつくることができる。石徹白に来たことで、”生きる力”ってなんだろう、って抱えていたモヤモヤが晴れました。」

 

加藤さんは加工所での仕事を一区切りして、いまは「いとしろカレッジ」という新しい学びの場を運営しています。

 

「石徹白の地域の人と繋がりながら「生きること」を学ぶ場です。石徹白の集落をたくさん歩いてみたり、発酵食や保存食など昔の暮らしの智慧を学んでみたり。結の作業を一緒にやってみる、石徹白の小水力や森などの仕事をしている人の話を聞く、そういったプログラムをやっています。

来てくれて一緒に学んでいるのは、移住を考えている人や、これからどうやって暮らしていったらいいのかを考えている人、自然への感性を磨きたいと思っている人。1期生の受講者は20-50代さまざまでしたが、それが良かったです。今年度の2期生も募集中です。石徹白が日本の未来の暮らしのモデルになればいいな、そんな気持で取り組んでいます。」

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まず自分、じゃない

石徹白の”原住民”である、通称”ヒデナリさん”にもお話を伺いました。名字は”石徹白”。石徹白秀也さんです。

石徹白さん

「こういう集落でずっとヒトが生きてきたのは、ここで衣食住のすべてがまかなえたから。それが何百年か続いてきた。たまたま、明治以降に西洋文明がはいって、戦後はそれが一気に進んでしまって、田舎でも都会と同じような生活をすることが幸せや、という価値観になった。そうすると暮らしていくために、今まではそんなに要らなかったお金が必要になってきて、これまで大事にされてきたほかのことを切り捨てるようになってきた。

そういうやりかたがどっかおかしいよ、と気づいた人たち、バブルがはじけて震災も起こって、そうじゃない価値観が出てきて、移住者も増えてきたということでしょうね。

田舎は自然が厳しいので、コミュニティの中でそれなりのおつきあいを、結びつきをもたないと生きていけないところがある。まず自分、じゃないんですね。冬は雪の中でじっと我慢する。そして夏はがんばる。冬を越すために、夏に蓄える、そういう人間性です。我慢強い。でもベタベタでもないのが石徹白の特徴かな」

どうして石徹白では新しいことができる?おこる?

話しを聞けば聞くほど、石徹白でどうして、移住者たちが新しい”コト”を起こせるのかが気になってきます。

 

「江戸時代になる前に、白山信仰の勢いが弱くなった時代があったんです。その時の権力者から、「白山信仰を再興せよ」という命が下ったそうです。外の神道系の人たちを呼んで、石徹白に移住させた。うちはその末裔なんです。名字は石徹白ですが、さかのぼればよそから来てるんですよ。

ここにはそういう歴史が繰り返しある。自分もここで生まれて一度外に出て、また石徹白に戻ってきた。そしてこれから石徹白をどう繋げていくかを考えた時、外の人を積極的に入れこむ、外の智慧をいれなければムリだな、と思ってやってきた。この10年も、最初に平野さんたちが「小水力をやりたい」といって入ってきて、そこからたくさんの人たちが来た。そういう歴史なんですね」

 

移住してもうすぐ6年の平野さんはこう見ています。

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「もともとオープンな人たちが多いですね。白山信仰のために昔から往来がたくさんあったということもあるように思います。”ヒデナリさん”も言ってましたが、数百年に一度、移住の波がある。危機の時代になると外から人がやってきて、再興する、という歴史を繰り返してきたんだそうです。僕たちが取り組んだ水力発電も、漁協(*)も、今回人を募集する加工組合も、石徹白と外の人といっしょにやる、ということを繰り返してきました。昔の精神性をうけ継ぎつつ新しいものを創る、そういう風土が強くあるように感じます。」

 

*石徹白漁協:石徹白はフライフィッシングの聖地として、釣り人たちに有名。キャッチアンドリリース区間(釣った魚をリリースしなくてはいけない釣り場)を設置して、魚の生態系と釣り人の楽しみを持続可能なかたちで維持している。

 

移住3年目の加藤さんにも伺ってみました。

 

「歴史は古く、深い。けれども新しいことにも取り組む場所ですね。移住者の人たちが、もともと住んでいる人たちを尊敬して、大事にしながら、好きなこともやらせてもらえる。その懐の深さというのを感じます。新しいことやろうとする時も協力してくれる。つかず離れず、構えすぎず、いい距離で見守ってくれています。」

石徹白のチャレンジと農産物加工所の仕事について

ここ10年の石徹白の街づくりの中核になっているのが、地域づくり協議会。人口が減ってきたという危機感の中、30年後にも石徹白小学校を残そう、ということで、2007年に設立されたのがはじまりです。

 

学校を残し、集落が続いていくためにはどうしたらいいのか。3つの活動を行ってきました。1つ目はファンづくり(石徹白”を”知ってもらう)。2つ目は仕事づくり(石徹白”で”働いてもらう)、3つ目は移住定住促進(石徹白”に”住んでもらう)。自治会が中心となり石徹白土建社長の石徹白さん(ヒデナリさん)、そして平野さんは事務局をつとめています。

 

平野さんが最初に石徹白に関わることになったのは、石徹白を流れる豊富な水を使った小水力発電。今では日本の地域の小水力発電では最先端の取り組みを行っている平野さんたちですが、最初は素人同然で、たくさんの試行錯誤をしたそうです。この石徹白にある水から作ったエネルギーの利用先になったのが、農産物加工所でした。

 

2011年、閉鎖していた農産物加工所に、水車でつくられた電気を送り再び灯が灯ると、加工品の開発に着手。石徹白の特産品であるとうもろこし「あまえんぼう」をドライにしたり、みかんやイチゴなどもドライフルーツに。稲倉さん、加藤さん、そして地域の人たちが取り組んだ成果として、8月および冬季のあいだの雇用が生まれています。

 

いま、夏はとうもろこし、冬はドライフルーツと、素材そのもので勝負する商品のラインナップは出来てきました。販売先も広がって、ビジネスモデルの核も定まってきています。これまでやっていた加工の請負を終わりにして、これからは石徹白の独自ブランドで商品展開することにチャレンジしています。この加工所の仕事を中心に、石徹白で営まれている古くからのなりわい、そして新しい移住者たちが仕掛けるチャレンジと歩みをともにしながら、暮らしを創っていく、そんなポストであり生活です。

石徹白で仕事をするのに向いている人は?

実際に石徹白で働いている移住者の3人にお聞きしました。まずは稲倉さん。

 

「意外かもしれませんが、食べることが好きな人、というのは大きいかもしれませんね。そして石徹白に住みたい、ここで暮らしたい、というヒトのほうが最終的には残ると思います。地域のリソースを使って商品をつくるという新しい事業体を、この田舎、この僻地で立ち上げることに魅力を感じるヒトが向いている気がします。そして出来過ぎな人よりも、少しおっちょこちょいでも頑張り屋、みたいな人がいいかもしれません(笑)。」(稲倉さん)

 

続いて加藤さん。

 

「一人で抱え込まずに、外に助けを求められるヒト、というのはポイントかな。今年から、加工所には地域のおばさんたちが入ってくれたというのは大きくて、そこで地域とのつながりがより深くできた。そのつながりを使って、仕事を進められる、生きていける人ですかね。あとは加工所の中は食品を扱うので、衛生面などで大きな責任もあります。作業はコツコツしたところもたくさんある。そういうことも念頭に。」(加藤さん)

 

そして平野さん。

 

「自立してなにかつくる人、つくろうとしている人。いま石徹白に来て、新しいことをここではじめた人たちはそういう人たちです。稲倉さんはじめ、農業をやっている移住者たち、新しい自分の事業を石徹白の資源を使って立ち上げようとしている。今回の求人は、たくさんの人たちが関わりながら、道なき道を苦労して進んでつくり上げてきた、加工所の事業を軌道に乗せるという仕事。石徹白の人たちとしては、最後のバトンを渡すような仕事ですね。」(平野さん)

 

日本の未来の暮らし、新しい生き方に関心がある人なら、ぜひ一度訪れてほしい、石徹白はそんな場所でした。


白山に守られながら、土地を守り、外からの人を受け入れながら、新しさを取り入れて歴史を創ってきた石徹白。都市にいてはわからない、自然との近さと厳しさ。その中で暮らしてきた人たちといっしょに、歴史の1ページをつくる石徹白地域づくり協議会の求人はこちらから

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