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20代の移住者が挑戦する「このまちで自分自身の人生を豊かにする」ということ〜宮崎県日南市の移住者キャリア拝見【油津商店街編】

2019.09.04 

「いつかは地元に戻りたいけれど仕事がなくて……」「地方で自分の力を活かしながら働きたいけれど、今は都会にいてキッカケがつかめない」

 

そんな方にぜひ知ってもらいたい、「ローカルベンチャー協議会」という存在と、協議会メンバーである宮崎県日南市が推進する移住者へのキャリアスタート支援の取り組みがある。

 

春の訪れを感じる日南市で、筆者が出会ってきたのは2018年に移住し日南市のローカルベンチャーで右腕となって働きはじめた20代の若者たちと、彼らの師匠でもある創業者たち。 「自分の人生は自分でつくりあげていく」という覚悟を持ちながらも余分な気負いがなく日々を夢中に楽しんでいる移住者たちの姿、そしてそんな彼らの挑戦を見守る地域の人々の姿は、踏み出そうか迷う人々の背中を軽やかに押してくれるはずだ。

「創客創人」のまち、宮崎県日南市

2016年9月、地域の新たな経済を生み出すローカルベンチャーの輩出・育成を目指し、岡山県西粟倉村NPO法人ETIC.の呼びかけに賛同した8つの自治体により発足した「ローカルベンチャー協議会」。

 

自治体同士や民間団体が連携し、全国からローカルベンチャーの担い手を呼込み事業成長を支援し、5年間で総額50.4億円のローカルベンチャーによる売上規模増、114件の起業家創出、269人の起業型・経営型人材の地域へのマッチングを目指して活動を開始した同協議会は、2017年5月に新たに2自治体が、2018年4月にはさらに1自治体が参画し、5年間で60.1億円のローカルベンチャーによる売上規模増、176件の新規事業創出、366人の起業型・経営型人材の地域へのマッチングを目指して活動している。今年度からは、さらに多くの自治体や企業にも活動の輪を広げ、地方での挑戦と、その支援者のネットワークの拡がりを狙っている

 

宮崎県南部に位置する日南市は、その参画自治体の一つ。「創客創人」をコンセプトに掲げ、“人を育て、まちを育てる”ことを戦略とし、専門知識を持った民間人をマーケティング戦略やまちづくりなどに積極的に登用している。同市では、2019年現在かつての県南地区最大の市街地でありながら衰退の一途をたどっていた油津商店街への店舗・IT企業の誘致、そして明治初期までの280年間 飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えた飫肥の空き家再生が着々と成果をあげている。

地域特性に合った「失敗しない」キャリアスタートを総合支援

今回お話を伺った2人の移住者は、それら商店街と城下町を舞台にしたローカルベンチャーの創業者右腕として活躍する、株式会社油津応援団の杉本恭佑さん、paak design(パーク・デザイン)株式会社の大迫佑貴さんだ。

 

2人はそれぞれ、日南市ローカルベンチャー事務局が進める地域特性に合わせた起業の知識、経営のノウハウ、スキル習得など、それぞれの分野のプロたちが助言・指導し地域特性に合った「失敗しない」キャリアスタートを総合支援する1年間のプログラムを活用して日南市に移住した(画像参照)。

LV地域オリジナルプログラム (1)

日南市ローカルベンチャー事務局は、創業支援グループ、大学、次世代経営者、地元企業などから構成され、それぞれが連携して 1)右腕人材育成 2)起業(第2創業) 3)事業継承 の3つの視点からプログラム受講者の育成支援を行なっている。

 

その中でも右腕人材として育成支援を受ける杉本さんと大迫さんは、これまでどのような日々を送ってきたのだろうか。今回の記事では、2人の歩みを通して地域のまちづくり企業で修業するというキャリアについて届けていきたい。

「奇跡の商店街」と呼ばれるまでの、油津商店街の6年間の道のり

最初に訪れたのは、広島東洋カープが春季キャンプを張る球場にほど近く、油津“カープ”商店街の異名を持つ油津商店街。

油津商店街アーケード

油津商店街アーケード

 木材の積出やマグロの水揚げなどで賑わいをみせていた油津港と、交通の要衝であった油津駅を結ぶメインストリートとして繁栄していた同商店街は、様々な要因が重なり今から10年ほど前には空き店舗と空き地が目立つシャッター通りと化し、近隣の住民にとっては幼い子どもを一人で歩かせられないような場所になってしまっていたという。

 

そんな油津商店街に転機が訪れたのは、2013年のこと。日南市中心市街地活性化事業として商店街再生請負人であるテナントミックスサポートマネージャー(サポマネ)を「商店街に4年で20店舗の誘致」というノルマを課し全国公募、333人の応募者の中から九州で複数の実績を持っていた木藤亮太さん(当時38歳)が選出された。

 

木藤さんの着任後、大人や子どもが集い語り合う場として空き店舗を活用した「Yotten(よってん)」がリニューアルオープン、また空き地の活用策として「油津アーケード農園」が誕生し、続いて七夕祭り、ファッションショー、50mボウリング大会などの“一風変わった”小規模イベントを繰り返しながら市民の関心を集め、復活が望まれていた「土曜夜市」を約20年ぶりに開催。新たな客層を商店街に誘致することに成功した。

写真左手が「Yotten(よってん)」入口

写真左手が「Yotten(よってん)」入口

 1年後の2014年には、商店街再生事業に継続性を持たせるため、日南商工会議所OBである黒田泰裕さん、木藤亮太さん、現在は有限会社一平を設立し独立した村岡浩司さんの3名で株式会社油津応援団を設立。市民の集いの場として長年経営されてきた喫茶店をリノベーションし、商店街の復活のシンボルともなる「ABURATSU COFFEE」を開店した。

 

さらに市は、油津応援団を中心市街地活性化基本計画において計画していた行政主体の多世代交流施設と民間主体の屋台村の建設と運営の担い手として位置づけ、国の補助を受けた2015年冬、多世代交流モールを油津商店街に開業。長年その利活用に悩まされてきたスーパー跡地は、地元杉によるリノベーションとコンテナ店舗を並べるという手法によって復活した。

スーパー跡地の現在の風景

スーパー跡地の現在の風景

 2017年には29店舗が誘致される成果が生まれ、2018年には11社ものIT企業が起業家支援の政策により後押しされ商店街にオフィスを構えた。

写真右手に写るのが、IT企業のオフィス入口。普通の商店街だと思って歩いていると、驚くこと間違いなしのオフィスの構え

写真右手に写るのが、IT企業のオフィス入口。普通の商店街だと思って歩いていると、驚くこと間違いなしのオフィスの構え

 杉本さんが宮崎にUターンし油津応援団で働くようになったのは、油津商店街が「奇跡の商店街」と呼ばれるようになって1年ほど経った2019年1月のこと。数々の舞台装置が整い、次は人の流れを生み出していくことが求められていた商店街で、適任者として黒田さんが声をかけたのが数年前から商店街に出入りしていた杉本さんだった。

自称・宮崎観光大使。商店街との縁が実現させた、30歳までの宮崎Uターンという夢

株式会社油津応援団・杉本恭佑さん

株式会社油津応援団・杉本恭佑さん

 

 生まれは熊本、工業高等専門学校を経て宮崎大学工学部に3年次で編入、友人が少ない状況で何とか地域に馴染み知り合いを増やしたいと、誘われるがまま宮崎市内で地域活性のボランティアを始めた。そこで「宮崎を大好きな大人たち」に出会ったことが、杉本さんの人生観を変えることになった。

 

「地域のために頑張る大人たちは、純粋にかっこよかったんです。それまでは高専からの工学部でエンジニアになる未来しか考えていなかったのに、人生の選択肢が彼らに出会ったことで変わりました」

取材は商店街復活のシンボル「ABURATSU COFFEE」にて

取材は商店街復活のシンボル「ABURATSU COFFEE」にて

 1年を経て想像以上に多くの友人に囲まれるようになり、「宮崎が自分を受け入れてくれているからだ。この人たちと暮らしていくだけで、自分は幸せになるんじゃないか」と感じるようになったという杉本さん。宮崎への恩返しと自分自身の幸せのために、宮崎を通して周囲の人たちが今より少しでも幸せになれるような活動がしたいと、宮崎野菜のEC販売をメインとする宮崎発のベンチャー企業に就職。東京支社の立ち上げに携わることになり、卒業後は東京で暮らしながら店舗(八百屋)の立ち上げと店長を担当、その傍ら副業というかたちで飲食店とコラボをし宮崎野菜を楽しんでもらうイベントのコーディネートを始めた。

 

多いときには仕事と並行して月5回もイベントを開催していたという杉本さん。宮崎野菜を通して東京に出てきた地方出身者同士が友人となるような場づくりをしながらも、関東から25人を宮崎に連れていくためにクラウドファンディングを成功させたこともある。

 

「自称、宮崎観光大使なんですよ(笑)。観光だけでなく自己対話プログラムを入れて、『あなたを彩る旅をしよう』というコンセプトで宮崎に興味がない人にも開かれた旅を設計しました。自分の人生が変わった場所って、その人にとっての大切な場所になると思っています。宮崎が誰かにとって、そうした場所になってくれたら嬉しいなと思ったんです」

 

「旅の舞台は日南市にしたい」。そう考えた杉本さんは、﨑田恭平日南市長が民間から招聘したマーケティング専門官であり学生時代からお世話になっていた田鹿倫基さんに相談。市長にも話が進み、地元の学生も巻き込んだ大イベントとなった。

 

そうして度々油津商店街に友人を連れて出入りしていた杉本さんと油津応援団の代表である黒田さんは関係を深めていき、「彼こそ新しい人の流れを商店街に生み出してくれるはず」という黒田さんからの熱心なラブコールを受け、杉本さんはUターンを決意。それは、「宮崎に30 歳までには帰って、自分が学生時代にめちゃくちゃ楽しかったように、若い世代に宮崎を好きになってもらう活動がしたい。理想は宮崎から声をかけられて」と20代のキャリアを思い描いていた彼にとっても、願ってもない好機だった。

「皆に期待されて苦しいかもしれないけど、好きなことにチャレンジするのが一番だよ」

油津商店街での杉本さんの具体的なミッションは、大人や子どもが集い語り合う場としてオープンしたYottenのフリースペース利用者を増やしていくこと、そしてスーパーマーケットの跡地にある空き店舗3つのコンテナを活用すること、さらに商店街のイベント各種の立て直しの3軸だ。

商店街のスーパー跡地に設置されたコンテナ店舗。カラフルに染め上げることで、ポップな印象の一角を作り上げている

商店街のスーパー跡地に設置されたコンテナ店舗。カラフルに染め上げることで、ポップな印象の一角を作り上げている

 「イベントは、運営を特定の個人や団体が続けると疲弊してしまう」という視点から、商店街を使って遊ぶ人を増やそうと“部活”「あぶかつ(油津+部活)」をスタート。商店街のアーケードを走る定期ランニングイベントや、ボードゲーム部を立ち上げた。

 

「自分が好きだったというのもありますが、ボードゲームは場に来てくれさえすればすぐに遊べるものなので、人が集まりやすく交流が生まれていくだろうと考えたんです。さらに商店街の企業の方に部活の構想を話していたら、偶然ボードゲーム好きがいてその方に部長になってもらうこともできました」

 

杉本さんは、「従来の商店街はあるものを消費する・楽しむ場所だったけれど、現在の油津商店街はすでに日常の買い物の場ではない」と考える。一方で、商店街を見渡せば“遊べるスペース”が多くあるように感じ、「ただ消費するだけではなく、商店街を使って遊んでもらおう。まちづくりに携わってもらうのではなく、商店街の中で自分のやりたいことを表現してもらえればいい」と考えるようになったという。

 

「日南市の地域オリジナルプログラムでの任期は1年と決まっているので、修了後も残れたらいいとは思っているのですが、1年間イベントの回数をただ重ねて盛り上がった感じを作ることで誤魔化さずに、自分がもしここからいなくなっても自走する仕組みをつくりたかったんです」

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話を伺ったのは、着任から未だ3か月も満たない日のこと。副業としてイベントコーディネートをし、自他ともに認める“友人の多い(らしい、と続けたのは少し恥ずかしそうな本人)”杉本さんでも、「人を呼ぶ、コミュニティをつくるというのはとても難しいこと」だと語る。

 

着任当初は、商店街の店舗内には人がいるけれど、想像以上にアーケードを歩いている人が少なく、油津応援団も商店街の管理に人手が渡り、課題に取り組む専任者は0という状況。「自分がやるしかない」と、右腕としての責任感がのしかかってきた。そんな彼の肩の荷を下ろしたのは、油津応援団のスタッフの言葉、そして黒田さんの支えだったという。

 

「『具体的にこれを頑張って欲しいという希望は応援団としてはない。それよりも1年後、恭ちゃんがやりたいと思うことに挑戦できていることが一番だと思っている。皆に期待されて苦しいかもしれないけど、好きなことにチャレンジするのが一番だよ』と、あるスタッフが言ってくれたんです。課題を解決しなくてはと責任を感じていたけれど、それよりも自分がやりたいことをやって商店街に新しい価値を生む方がいいのだろうと、薄々は自分も感じていたことが確信に変わりました。

正直、この1年間はある程度拘束されることを覚悟していたんです。けれど、やらなくてはならないことは多い一方で想像以上の自由裁量を与えてもらっていて、最初は戸惑ったのですが、そうした言葉もいただき今は“自由”でいいのだと思えています」

 

杉本さんの地域おこし協力隊としてのミッションは、「商店街に流れをつくる」というもの。一方で油津応援団のスタッフとしてのミッションは、「テナントの利用者を増やして利益を生む」。そして杉本さん個人のミッションは、「商店街を通して人生が豊かになる人を増やしたい」。この3つのミッションに挟まれて最初は難しさも感じていたが、「まず自分がここで挑戦したいことをする」ということに一番に軸を置くようになり、現在ではその葛藤も消えたと杉本さんは語る。

まずは自分自身の人生を、油津商店街を通して豊かにしていく

4月からはYottenのマネージャーとして商店街にさらなる変化を生み出していくことが期待されている杉本さんだが(取材は2019年3月)、油津商店街での個人としての挑戦は他にもあるのだそうだ。

 

「商店街が盛り上がっているらしいぞと興味を持って来てくださった方がいても、今は飲食店以外に楽しめる場所がないんです。そこで本屋を作って、本を通したコミュニティをつくりたいと考えていて。本棚には商店街の人がセレクトした書籍を並べて、コミュニケーションを生んでいけたらと思っています。

正直本屋というビジネス自体は儲けが少ないのですが、金銭面以外のメリットが色々あります。経費削減の意味もありますが無人の本屋にする予定で、それによって狭い店内でも食後に気軽に立ち寄りやすくしたり、近隣のプリン屋さんでプリンを購入された方は本屋までは持っていって大丈夫などの工夫をすることで、ランチ後の商店街の回遊を増やせるのではないかと考えているんです」

 

加えて、「商店街を通して人生が豊かになる人を増やしたい」の一例に自分がなろうと、本屋は個人事業として挑戦するつもりだと言う(2019年6月、『ほん、と』オープンについてはこちらから)。

 

「会社の中で守られてやるよりも、自分で責任を持って挑戦してみたかったんです。また任期後もこの商店街に何かしらの形で残りたい気持ちがあるので、自分の仕事を生み出したかったということもあります」

 

日南市でローカルメディアを作る動きも進めていると語る杉本さんは、それでも自分がここまで挑戦できるのは日南の土地柄があるのだと付け加える。

 

「いいね、と言うまでは誰でもできます。けれど日南には、それならどうしていこうかと具体に話を進めていける仲間がいるんです。移住者よりも、地元民が多いくらいで。それがとても嬉しくて、自分も誰かにとってそうした存在でありたいなと思うんです」

 

商店街には、まだまだ巻き込めていない地域の人たちも多い。人の流れにも課題は残る。

 

「1年という限られた期間で商店街を見違えるほどに変えることは難しいですが、その種をいくつ作れるかだと思っています。花が咲くまではたどり着かなくても、芽を出すところまでは成果を残したい」 そう語る杉本さんからは、限られた期間に焦燥しながらの責任感よりも、これからの自分と商店街の可能性に対する前向きな感情が伝わってきた。

第1世代を終え、第2世代としての油津商店街の新しいステージのはじまり

実は杉本さんを取材する前日、受け入れ先企業の創業者のお話も可能であれば伺いたいという突然のお願いに、快く時間を作ってくれた代表の黒田さん。「僕は彼をリスペクトしているんです」と心からの笑みで語ってくれた。

株式会社油津応援団 代表取締役・黒田泰裕さん。Yottenフリースペースにて

株式会社油津応援団 代表取締役・黒田泰裕さん。Yottenフリースペースにて

 「彼が関わるコミュニティは幅広いし、フットワークは軽い。そして何よりも、常に周りの人をリスペクトして決してバカにしないし、人のことをよく見ています。そしてどんなことでも仲間を集めて楽しそうにやりますね。それが新しい世代だなあと思うんですよ。僕らの世代のように難しい顔をして取り組むのではなく、まずは自分たちが遊びのように楽しめることからスタートして、そこからさらに踏み込んでどうビジネスにしていけるのかを考える。

彼の働きを近くで見ていて、僕らの世代ではやりきれないことをする力を持っているなと感じます。正直若い彼の柔軟なアイディアすべてを理解できているわけではないですが(笑)、信頼しているので彼には自由に動いてもらえるよう環境は整えたいと思っています」

日南市の担当者の方にも同行してもらった取材中、この冬に商店街でアンブレラ・スカイの企画をクラウドファンディングにて実現した現役女子高生・穐田(あきた)さんと遭遇!

日南市の担当者の方にも同行してもらった取材中、この冬に商店街でアンブレラ・スカイの企画をクラウドファンディングにて実現した現役女子高生・穐田(あきた)さんと遭遇!

 若い世代に新しい視点を求める地域は多い。ただ油津商店街にとってまず重要だったのは、「現在抱える課題に対してマッチする人材である」ということ(杉本さんの場合は、彼の求心力と商店街の人の流れを生み出すという課題、世代交代という意味でのマッチングだろう)、さらに「ドロドロした部分も腹を割って話せるということ」だったという。

 

「今自分たちが抱えている課題に対してコンサルティング的な視点を持ち込むことも大切ではありますが、一方で実際には思うように物事が進まないようなしがらみの中で僕らは日々活動しています。そうした“ドロドロとした”部分にも向き合って、自ら動いていける人物と一緒に働きたいと思っていたんです」

 

そうした中、20代という若さで数々のイベントを開催し、いつでも新しい人を連れて油津商店街にやってくる杉本さんの姿を目にして信頼感を育んでいったのだと語る。

 

「企業としてはまだまだ厳しい課題も抱えていますが、それでも彼が働き出してくれて、ずいぶんと楽になりました。木藤がこの油津商店街立て直しの第1世代だとすると、彼は第2世代です。正直、一度盛り上がりを見せいったん波が引いた場所でもう一度チャレンジするというのは、相当なハードルがあるかと思います。それでも彼は、自ら『新しいステージを作りたい』と言ってくれている。

2019年の12月には地域おこし協力隊としての1年を終えますが、その後も彼が商店街に残れるよう、実績づくりと仕事づくりの機会を整えていきたいと思っています」

 

杉本さんと油津応援団の関係を、「相思相愛やね」と楽しそうに笑う黒田さん。油津商店街の新しいステージへの挑戦は、まだ始まったばかりだ。

次は、飫肥に移動します!

次は、飫肥に移動します!

 >>後編、飫肥編へ続く。ローカルベンチャー協議会の詳細はこちらから。

 

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桐田理恵

1986年生まれ。学術書出版社にて企画・編集職の経験を経てから、2015年よりDRIVE編集部の担当としてNPO法人ETIC.に参画。2018年よりフリーランス、また「ローカルベンチャーラボ」プログラム広報。

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