キラキラと輝いた人を目の前にすると、自分もそうでなければと焦ってしまう。または、自分には無理だと自信をなくし、やりたいことがあっても諦めてしまう。そんな時はないでしょうか。
キラキラと見える一面のその背景に目を向けると、積み重ねられた思いや行動に気づき、もしかしたら「自分も自分のやりかたで頑張ってみよう」と思えるのかもしれません。
例えば、岩手県大船渡市で新卒起業家として活動の幅を広げる臼山小麦(うすやま・こむぎ)さんも、現在に至るまで様々な選択と葛藤、行動がありました。
この記事は、古い価値観を手放し、新しいキャリアや生き方を選択することで自分が納得できる人生の物語(ナラティブ)を創っていく、そんな越境的・創造的キャリアづくりを目指すトランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(略称 : AFT)の連載記事です。
臼山さんのキャリアや人生のつくり方がみなさんの今後の参考になれば幸いです。
臼山小麦さん
聞き手 : 川端元維・小泉愛子 (「Action for Transition」運営メンバー)
「家を持たない旅人」から大船渡市のまちづくり人材へ
臼山さんは、昨春の大学卒業後、大船渡市に移住、現在は個人事業主として3つの仕事を軸に大船渡市のまちづくりに携わっています。1つめは地域おこし協力隊としての活動。昨年5月に着任してから「ICT 利活用推進」を担当し、主に大船渡市のPR活動としてSNSなどを活用しながら積極的に情報発信をしています。
2つめがコワーキングスペース「OFUNATO DX_Hub」のキュレーター。「DX_Hub」を訪れる人とのコミュニケーションやイベントの企画・運営を任されています。
臼山さんがキュレーターを務めるコワーキングスペース「OFUNATO DX_Hub」。臼山さんは写真中央左
3つめは臼山さん自身の興味・得意をより活かせる仕事として、民泊プロジェクトの企画・運営、旅ライターの仕事、さらに大学時代から研究を続ける社会人類学を活かしたLGBTQの講師です。
まさに多才な活躍ぶりをみせる臼山さんですが、自身の今の状態を「予想外です」と笑顔で話します。
今の仕事を手にするまでの大きな転機は2回ありました。1回目は、大学3年生の時にインターンとして数ヶ月、LGBTQ当事者の働きやすさを追求する企業でインターンをした経験です。その企業では、呼ばれたい名前で呼ばれ、ありたい性やファッションで過ごすことを当たり前とし、臼山さんは働き方やキャリアへの価値観が大きく変わるのを感じたそうです。
「就職活動を始める前は、旅好きなので旅行関連の職種や業種で働くのかなと思っていました。でも、インターンで働くうちに、ありたい自分を大切にできる場所でありのままの自分でいられたら、最高のパフォーマンスが出せそうだと思うようになりました」
大船渡市で今の働き方を始めるきっかけとなった2回目の出来事、それは、インターン後に予定していたリトアニア留学が新型コロナウイルス感染拡大で中止になったことでした。「新型コロナウイルスを言い訳に何もしない自分になるのが怖い」。臼山さんは休学を決め、旅費を工面するためにアパートを解約し、リュックを背負って国内の旅へ。2年かけて43都道府県をまわりました。
臼山さんは大学を休学し、国内をリュック一つで旅することを決め、実際にやり遂げた
「旅先では、地域おこし協力隊として地元の人との活動に真剣に取り組む方、資本主義から離れた暮らしを楽しんでいる方などいろいろな人の生き方に出会い、視野が広がりました。もともと人間が好きなのもあって、自分自身が寛容されていくのを体感しました」
広島を旅していた時の臼山さん
農業に興味を持った時には、農家を訪ね、大好きな牛を育てる手伝いをする。知識だけでなく、自分の体感を持って深く知ることが、臼山さんの興味の対象との向き合い方でした。そんな旅を続ける中で、気になっていた震災10年目の東北へ足を延ばし、出会ったのが大船渡市です。2021年2月から2ヵ月の間、大船渡市に滞在しました。
大船渡市でのインターン時代の写真(臼山さんは写真左)
「震災の被害が大きく、安全面から今後住宅が建てられないために商店街として活用されているエリアがあって、そこのまちづくりをする会社で働かせてもらいました。ポジティブな表現はしたくありませんが、震災で多くのものがなくなってゼロの状態から始めざるを得ない起業文化を感じて、一緒にできることをやりたいという思いで動いていました」
心身ともにボロボロだった自分が「帰りたい」と思った場所だった
「それに、純粋に面白い人がたくさんいました」と臼山さん。2ヵ月の滞在ですっかり魅了された大船渡市に、再び1年後に訪れ、移住を決めることになります。大学卒業を控えた一昨年の冬、内定が取り消しになったのです。
「1年間頑張ったことがすべて無駄になったようで、自分が何も成長できなかった気がして心身ともにボロボロでした。そんな時、『帰りたい』と思ったのが大船渡市だったんです。
大船渡市では、町も人も、泣きながら帰った私を温かく迎え入れてくれて、『小麦ちゃんが仕事ないって何事!?』と、たくさんの人が何もない私に優しくいろいろな機会をつくってくださいました」
なかでも、臼山さんが特にお世話になっていると語る3人のうちの1人は、信頼を込めて「岩手のお母さん」と呼ぶ女性です。臼山さんの働きぶりを知るその女性は、臼山さんに合いそうな仕事との縁をつないでくれたそう。各方面に、「小麦が大船渡に残れるような仕事はありませんか?」と言いながら。
2人目は、「岩手のおじいちゃん」。「俺は周りに流されやすいんだ!」と度々口にするおじいちゃんを臼山さんは尊敬しています。
「70歳をすぎて周りに流されることができるなんて、それだけ考え方が柔軟だということ。かっこいい!」
3人目は、30代の漁師です。大学卒業後に起業し、東日本大震災後にUターン、現在は、持続可能な一次産業を目指して新しいブランド開発など意欲的に事業を展開。臼山さんが携わる民泊プロジェクトのオーナーとしても、町の盛り上げに一役買っています。
「3人は、私に『頑張りすぎてない?』って聞いてくれる人たちです。私は『頑張れ』と応援されることが多いしうれしいのですが、プレッシャーを感じそうになった時に、3人は私の心が軽くなるような声をかけてくれます。気持ちを素直に話せる存在です」
目の前の人に少しでもハッピーでいてほしいから
臼山さんは取材中、何度か「人間」「人が好き」と繰り返していました。なぜ人に惹かれるのか――。臼山さんは子どもの頃から死生観について考えをめぐらすことが多かったそうです。
「『美しく死にたい』とずっと思ってきました。『なぜ自分は生きているのか』と考えてきましたが、まわりの人から『この人は美しい死に方をした』と評価されれば、自分自身、納得できるんじゃないかと思ったんです。
そんなふうにいつも考えてきたことが、『生きている人間ってなんて愛おしいんだろう』という気持ちにつながった気がします」
臼山さんが就職活動で辛い経験をした時、大船渡市を「帰る場所」に選んだのは、人が理由でした。「この人に会いたい」。これまでもその気持ちが旅のモチベーションになっていましたが、「大船渡市に帰ってから思うのですが、目の前にいる人が少しでもハッピーな気持ちになってくれることが、私のやりたいことに近いのかもしれない」。そう臼山さんは話します。
「どこに行ってもいいよ」の意味
臼山さんが帰るもう一つの場所、それは長野県の実家です。松本市で生まれ、安曇野市で育った臼山さんは、両親と姉、犬2匹と暮らしていました。父親は自動車関連の仕事、母親と姉は医療関係の仕事に就いています。
姉とは高校時代から2人で旅をし、これまで7ヵ国を共にしたそう。臼山さんは写真左
「両親は私のことを天使だと思っていて、『人間は天使を産めるんだね』と、いまだに話しています(笑)」
臼山さんのこれまでの選択も受け入れてきた家族。アパートを解約して旅に出ようと決めた時には、「親に迷惑をかけるんじゃないか」と心配した臼山さんを、両親はこんな言葉で送り出しました。
「どこに行っても心配だから、どこにでも行っていいよ」
「ありがたかったですね。強い後押しになりました」と臼山さん。就職ではなく、今の個人事業主という働き方を選んだ時も、母親はこう言葉をかけたそう。
「小麦が“普通”の人生なんてつまらない。変なことやっていいよ」
「『人とは変わった選択をしてもいい』と言ってくれる人がすごく身近にいてくれてよかった」と臼山さんは両親への思いを話します。
寛容な町、社会とは?
「寛容な社会をつくりたいと思っています」
「例えば15年後くらいにどんなありかたを目指したいですか?」。こんな質問を臼山さんにした時、臼山さんはそう答えてくれました。
この言葉の背景には、生きる意味を考えながら、臼山さんが学び、選択してきたことが、自身の寛容度を上げて、成長させてくれる人たちとの出会いにつながったと実感できたことがあります。「面白い人生の選択肢が増えたと思っています」。
大船渡市の港で、漁師の手伝いをする臼山さん(写真手前右)
臼山さんはこんな思いももっています。「世の中の古い価値観によって自分の選択肢が限られてしまう、そんな違和感を少しでも解消したい」。例えば、「女性」「若手」というキーワードから注目されること。
「『女性なのに、若いのに、すごいね』と、自分の意思ではコントロールが難しい評価に悔しさ、生きづらさを感じる人もいると思います」と臼山さん。
「たとえ今は辛い気持ちになっても、ネガティブに感じる言葉や要素をすべて『負けない。やってやる!』と強いモチベーションに変えられればその先の選択肢も増えると思うんです。私の生き方が誰かの参考になるように、『こんな選択があるよ』とみせていけたら」
インタビュー中の臼山さん(写真下中央)。笑顔でハキハキとした口調でわかりやすく話してくれた。
「小麦って名前なので小柄な人だと思われがちですが、身長は172cmあるんです(笑)」
大船渡市のまちづくりに携わる臼山さんは、現在、まちづくりのありかたについて学びを重ねています。最近、“心に刺さった”書籍として、リチャード・フロリダの『クリエイティブ都市論』を挙げてくれました。
「考え方や生き方、性など多様で創造性であることが町を活性化させていくという内容なのですが、私が個人で変容してきたと感じてきたことは私だけのものじゃなくて、実は町や社会でも同じことが言えるんだと発見できた一冊です」
創造的なことに触れるほど寛容度が上がり、人が集まって活性化されていく。
「もちろん、私自身が社会に与えられるインパクトは小さいです。でも、この考え方はこれからも自分の軸になっていくと思います」
臼山さんは都内でも大船渡市に関するイベントを開催している
臼山さんにとって、初めて寛容な町だと感じたのは大船渡市でした。なぜなら、無職だった何もない自分を受け入れてくれ、「一緒に町をもっとよくしていこう」と自分の可能性を信じてくれたから。たくさんの新しい価値観や世代の人たちに居心地の良さを感じさせてくれるその寛容さが、訪れた人を「この町にいたい」と思わせるのではないか、大船渡市の人たちに囲まれながら、臼山さんは確信を深めています。
「自分の目の前にいる人たちが私と一緒にいることで自身の変容を少しずつ感じていく。小さなその繰り返しで、寛容な社会がつくられていくのかなと思っています」
大船渡市の海が見渡せる「首崎(こうべざき)」での1枚
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>> 越境的・創造的キャリアの挑戦者たちにインタビューした記事はこちら
トランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(AFT)
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