ベンチャーキャピタルのANRIが、「ANRI基礎科学スカラーシップ」をスタートした。数学や物理学、生物学、化学などの分野で、実用化に時間がかかる基礎研究で重要な分野に取り組む若手研究者を対象とした給付型奨学金プログラムだ。比較的短・中期のリターンを目標に投資をするベンチャーキャピタルが、基礎研究という分野で奨学金をスタートしたのはなぜか。ANRIのパートナーである鮫島昌弘氏(@NestHongo)にお話を伺った。
初期銀河の進化を研究していた学生時代。アメリカの研究室を見てキャリア観に変化
ーーーベンチャーキャピタル(以下VC)であるANRIさんが、投資ではない奨学金をはじめるに至った経緯をお聞かせください。はじめに鮫島さんの簡単なプロフィールから伺いますが、鮫島さんも学生時代は研究をされていたんですね。
鮫島:2002年に東京大学に入学して、2008年に修士を卒業しました。もともとは研究者になろうと思っていて、天文学の中でも電波天文学を専門にして宇宙がどのように進化してきたのかを研究していました。新卒で就職した総合商社を経てVC業界に来ました。
ーーー大学や修士の時には、研究者のキャリアについてはどんなことを考えていらっしゃいましたか?
鮫島:当時、残念ながら日本のアカデミアは雇用が不安定でなかなか先のキャリアが見えづらいと感じました。例えば知り合いの優秀な研究者で、いきなり研究室に来なくなったりする人を目のあたりにしました。ものすごく優秀な人たちなんですが、社会の側が受け皿を持っておらずにそうなってしまうというところがあった。
日本のアカデミアの環境に危機感を覚え、アメリカで研究者の道を目指そうと思い、大学4年のときUCバークレーやスタンフォードの研究室を見に行きました。大学院でそちらに行けたらいいなと思ったんです。
そこで会った先生や学生たちが、「自分たちでベンチャーをやっているんだ」という話をしていたんですね。2006年のことですが、当時の日本では大学発の技術系のベンチャーというのはあまり出てきていませんでしたし、ベンチャーのイメージというのは、社会に対して新たな価値を提供していくとか、技術を活用して社会を変えていくとか、そういうものではありませんでした。
でもアメリカでは、例えば天文学のシミュレーションの技術を金融等に応用するベンチャーというものがあった。こういうことが日本でもできるかもしれない。自分が研究者になるのではなく、優秀な研究者の技術を世の中に出すという仕事なら、日本でもできるのではないかと考えました。そこから、研究者の道ではなく、ビジネスの道を意識して、修士課程を卒業して民間企業への就職を考えました。
ーーー「優秀な研究者の技術を世に出す」というモチベーションが鮫島さんの中にあることがよくわかりました。
基礎研究が冷遇される日本の現状。奨学金を企画した背景は?
ーーー先日、「博士号の取得者が主要7か国では日本だけ減少傾向が続いている」という内容のニュースがありました。日本では博士号をとるというキャリアがあまりポジティブには思われていないという現状が示されているニュースだと思いますが、日本の大学の研究者と、欧米、最近ではアジアの大学の研究者とでは、環境や意識でどんな違いがありますか?
鮫島:僕自身が研究者ではないのではっきりしたことは言えないのですが、よく大企業の方が言われるのは、博士課程出身者は伝統的な日本の大企業では活躍しづらいのでは、ということです。でも私は受け入れる企業側の問題というのもあるのではないかと思っています。博士課程に行っている人は、自分で課題をみつけてそれを解決するというアプローチも含めて、しっかりと社会でも通用する技術を身につけている。それを日本の大企業が活かしきれてない。
肌感覚では学部生と修士卒の人が新卒で選択できる就職先を100としたら、博士課程の人の選択肢はその1/10以下だと思います。そもそも募集が少ないんですね。
ーどうして募集が少ないのでしょうか?
鮫島:私見ですが、これまでの大企業の就職は、新卒で採用してその企業の色に染めて育てる、といった考え方があったと思います。それに比べると博士課程の方はプラス3年たっているので育てづらいという考えがあるのかもしれません。でもたった3年くらいで採用の枠が狭まるというのはちょっとどうなのかなと。
ただし、今は違った流れも出てきています。博士課程の人材を歓迎するベンチャーも出てきてますし、外資系のコンサルティング会社などは博士課程にも間口を拡げて人材を採用しています。これも受け手側、会社側の問題が大きいのかなという気はしています。昔の経済成長期なら大量採用で新卒を同じような型にはめて育成して、というやりかたでよかったのかもしれませんが、今はそういう時代ではありません。そこは変わっていかなくてはいけないかなと思っています。
ーーー鮫島さんはnoteで、“事業化にはすぐには結びつかないけれども素晴らしい基礎研究が日本にまだまだ存在するものの冷遇されているという事だ。自分自身が大学院生だった10年前から変わっておらず、むしろ悪化している”と書かれていますが、10年前と比べて、学生の意識の面でも変化がありますか?
鮫島:わたしは1983年生まれですが、僕ら世代は学生時代に、ソニーのウォークマンを聞いて、パナソニックのテレビがあって、野茂がアメリカでがんばっていてと。日本の製品や人が世界に出ていて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代をぎりぎり知っています。日本の技術も含めて世界で勝てるという意識があるんですが、いま20歳くらいの学生と話していると、残念ながらそういう意識や期待感は良くも悪くもあまりありませんでした
ーーーそういった現状も踏まえての鮫島さんの考えがあって、この奨学金が企画されたと。
鮫島:ANRIで本格的に技術系のベンチャーに投資するようになって3年くらいになるんですが、研究をベースに実用化できるものであれば投資できます。ただ、実用化がなかなか見えにくいもの、実用化するとしても時間的にはずいぶん先の技術、環境的にまだシーズの段階にある技術、そういったものに対してVCが投資をするのはなかなか難しいという状況はありました。
私は天文学の世界に居ましたが、天文学の研究成果や技術を使って、すぐベンチャーができるかというと、なかなかそうはいかない。プログラミングの素養があればそれを活かして働くといったようなことは可能ですが、天文のベンチャーとなるとなかなか難しかったりします。そういったところをなんとかしたいなという想いは確かにありましたね。
ーーー奨学金の対象者は「基礎研究に取り組む学生」としていますが、基礎研究として想定しているものはどんなものでしょうか?
鮫島:あまり基礎研究、基礎研究と言いすぎてしまうと、「社会的なところから隔絶して研究室でフラスコふってる変な人」というイメージになってしまうかもしれないのでそれは避けたいのですが(笑)。工学的な既にあるものを実用化させるような研究を、1から10にするアプローチとすると、0から1を創造するようなアプローチ、そこが基礎研究なのかなと考えています。
ーーーノーベル賞受賞者である本庶佑さんも、若手研究者への支援を目的とした基金を設立していますが、基礎的な研究への予算が減っていることへの危機感は多くの人が持っていると思います。今後、基礎研究の社会的価値をどう示すかというは一つの課題かもしれませんね。VCの立場として、基礎研究という根っこの部分が弱くなってしまう状況をどう見ていますか?
鮫島:日本の財政は、グロスとしてはこれから伸びていきづらいという状況にあります。どこを改善してどこに予算を振り分けていくかを考えたとき、ゼロからイチの部分、20-30年後を見据えて根っこをつくっていく部分が薄くなってしまう、ということはあるだろうなと思います。
基礎研究の価値をどう示すかについては、VCの宣伝のようになってしまいますが、我々VCが、研究から出てきた技術をもとにベンチャーに投資をして、そのベンチャーが雇用や売上を創出し、日本のGDPにどれだけ貢献できているか、ということをきちんと示すことができたら、そこに対してじゃあ予算をこれだけ出しましょう、と言えるかもしれないですね。そういう意味で、僕らがベンチャー投資としてやっていることをきちんと成功させることは、基礎研究の底上げにも繋がっていることなのかなと思います。
VCとして、「20年後に生えてくるかもしれない、いろいろな木のためのエコシステムをつくっておく」
ーーーゼロからイチを創るという基礎研究への投資は、本来は国や財団など、ビジネスから離れている組織が長期的に投資すべき案件とされてきましたね。直接的なリターンが見えにくいこうした投資、今回の奨学金は投資ではありませんが、こういった支援をすることにANRIさん、鮫島さんが取り組むのはどうしてでしょうか? 基礎研究への奨学金をスタートした理由について改めてお聞かせください。
鮫島:ANRIとしては、SDGs的な視点でもありますが、ベンチャー投資をするにあたって、その技術が世の中をよくするとか、社会課題を解決して価値を生みだして起業家も私たちもハッピーになる、ということを目指しています。そのためのアプローチとしては、ベンチャーに投資をして大きくするというケースもあると思いますし、基礎研究を支援することで、日本の若い研究者が将来、次の本庶佑さんのような存在になって産業的にも学術的にも大きな影響を与えて国の根本的な根っこになっていくようなケースもあると思います。
木に喩えると、木になってもうすぐ実がなる状態になっていたらベンチャーとして投資できます。そうではなく、ベンチャーとしてはまだ出てきてないけれども、将来日本の国力を支えるような存在になるかもしれない研究は、木の根っこの深い部分にあたり、これが基礎研究ということになります。そこを支えていきたいと考えました。
ーーー助成にあたっての判断基準はどういったものですか? また「数学や物理学、生物学、化学などの分野」とありますが、注目している分野などがあれば教えてください。
鮫島:修士・博士課程の学生が対象になっています。学校での成績を評価の対象にいれた理由としては、日本の大学において、その分野で尖っている人を応援して、世界でも活躍して欲しいという考えです。
分野については、たとえば私たちは量子コンピューティングの分野の会社に投資をしているのですが、量子コンピューティングの基礎研究は日本が多く貢献しています。その基礎研究を使ってアメリカ等海外の企業が実用化を進めている、といった状況がある。ほかにも日本に種(シーズ)がある分野というのもしっかりあって、たとえば老化に関する技術などは、課題先進国として日本が世界的に優位に研究・立証できる分野だと思います。あとは産業的に日本はマテリアル系も強いですね。
あるいは、アメリカやカナダですと、核融合の技術はいま大きく注目されている分野です。有名なVCであるYコンビネーターがこの分野に投資していたりもしますし、ビル・ゲイツが10個のブレイクスルーテクノロジーの一つとして注目していたりします。
そういった基礎的なところにきちんと助成をしていければ、育っていく研究もあるんじゃないかなと思っています。
ーーー最後にこれからの投資とそのリターンについてお聞きします。投資した案件が実際に大きく成長して得られる直接的なリターンのほかにも、間接的(育成や人的ネットワーク)、あるいは非財務的なリターン、社会に対してのインパクトなど、様々なリターンがあります。
ESG投資など、金銭的なリターンだけではなく社会的、倫理的なベネフィットにも目を向けた投資が実際に増加していて、SDGsなどの影響もあってそういった分野にお金が集まっているという世界的な流れもあります。
ベンチャーキャピタルについて、鮫島さんはnoteで“起業家のハートに火をつけて事業を加速させる。その先に誰かの課題を解決して、よりよい未来を創る。産業を創る。”と書かれていますが、「よりより未来」という視点が、今回の基礎研究への奨学金にもあると思います。これからの投資とリターンについて、どんなことを考えていらっしゃるかを教えてください。
鮫島:VCという性質上、投資家である銀行さんや大企業さんからお金をお預かりして、ベンチャーに投資をし、きっちりとリターンを返していかなくてはいけません。それができないと次のファンドをつくってまた投資する、ということができないからです。それは大前提としてあります。通常のベンチャー投資のように10年というスパンで取り組むとしたら、いい会社を見つけて投資をして大きくするというアプローチ、木の比喩でいうと、いい実のなる木を見つけていくことで勝っていけます。
一方で、長期的にVCという産業を日本でも根付かせる為には、20年後に生えてくるかもしれない、いろいろな木のためのエコシステムをつくっておくということが重要だと考えます。いまはまだ見えないところにも肥料をやっておかなくてはいけない。もしかしたらブラックホールの研究をしている人がめちゃくちゃ優秀で、その人材が将来AIの研究者として大きく伸びていく、というようなこともあるかもしれません。そういう長期的な視点が大事だと考えています。
奨学金については、今後も継続していきたいと思っていますので、若手研究者の方で気になる方はお気軽にご連絡ください。
ーーーこうした基礎研究への支援が、ANRIさんのこの奨学金をきっかけに広がっていったらいいと思います。ありがとうございました。
:「ANRI基礎科学スカラーシップ」奨学金の詳細:
ANRI、世界最先端の基礎研究に取り組む学生を対象とした給付型奨学金プログラムを実施
鮫島昌弘さんプロフィール
ANRIパートナー 鹿児島県鹿児島市、男子校出身。東京大学大学院理学系研究科天文学専攻修士課程卒。三菱商事、東京大学エッジキャピタル(UTEC)を経てANRIに参画。 Jiksak Bioengineering等のハードテック領域のスタートアップを本郷のインキュベーション施設(#NestHongo)で支援。座右の銘は「皇国の興廃この一戦にあり」。Twitter:@NestHongo
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