下川町には日々、いろいろな人が集まってきます。北海道の道北、空港から車で2時間、電車は走っておらず決して便利とはいえないし、マイナス30度にもなる自然の条件はとても厳しい。それでもこの町を訪れる人は多いのはなぜでしょうか。
新しい何かを感じるからでしょう。この道北の小さな町を訪れることで、求めていたものを感じたり、厳しくも穏やかな環境に心が洗われたり、あるいは素晴らしい出会いや繋がりに恵まれたり、価値ある新しい何かに触れることができる。そう感じた人たちが、この下川町に次々とやって来るのです。
大企業の社員もいれば、遠くの自治体の職員もいるし、大学の教授や学生もいます。旅人も芸術家も、お笑い芸人さえもこの町を訪れます。SDGsとまちづくりを全国に先駆けて推進してきた先進的な行政の取り組みに価値を感じてくる人もいます。個性的で魅力的な下川の人に会うために、やってくる人もいます。美しい川で釣りをしたり歩いたり、森の空気を感じに来る人もいるでしょう。そしてつい移り住んでしまう人もいれば、年に何回か、大事なことを思い出すために来る人もいる。そして、自分の"やりたいこと"が下川でできるのではないか、と思ってこの町を訪れる人がいます。
下川町産業活性化支援機構タウンプロモーション推進部が募集する「シモカワベアーズ」は、“やりたいことがある人”が、下川という舞台を使って、人や自然などいろいろな資源を活用して、新しい仕事をつくることを応援するプロジェクトです。
以前の記事でも紹介したこの下川ベアーズ、第4期の募集がはじまったということで、冬になる前、秋の下川を訪れました。
これからの"新しい仕事"とは?
「今回の募集は、すこし新しい切り口でもいいかな、と思っているんです」
と話してくれたのは、NPO法人森の生活の麻生翼さん(*)。下川の若手キーパーソンのひとりであり、下川の新しさを創っている当事者のひとりです。
(*)以下の記事もご参照ください
"物事を俯瞰して、必要なことをする。意志にとらわれすぎず生きていきたいーVOL10.麻生翼さん | 北海道下川町移住交流サポートWEB タノシモ | 北海道下川町移住情報サイト
【北海道下川町】硬い意志のあるリーダーではなく“中庸”なリーダーとは。NPO法人「森の生活」代表 麻生翼
「“やりたいこと”を応援するというのは変わらないんですが、新しい仕事を創って、事業としてのインパクトを出せる人が来てくれたら、と考えています。
そして、新しい社会経済システムへの移行、という視点を持っている方だと嬉しいですね。大きな世界の流れをみたとき、これまでの延長線上ではもうダメで、新しい社会経済システムに移行していかないと、地域も地球も持たないからです。」(麻生さん)
麻生さんが今年、同じ北海道の厚真町のローカルベンチャー協議会のイベントを訪れた時、そこに参加していたある社長さんの姿が印象的だったといいます。厚真町のローカルベンチャーに応募してきたその経営者は、10社ほど事業を手掛けた経験がある人だった。ビジネス畑でバリバリやっていたそういう経営者が、ローカルに新しいヒントがあると思ってやってくる姿があったという。
「都会のほうが人も多いしビジネスもやりやすいけれど、それとは違う流れがあるんじゃないか。新しいものをつくらないとダメ。そのヒントはローカルにあるんじゃないか。そう感じて彼はローカルに来ていたんですね。たぶん、ロジックではなく感覚で。
こういう人が今はいるんだなと。時代は変わりつつあるなと。その人は実際に、馬糞でマッシュルームをつくる事業を立ち上げるということになり、社内で希望者を募り、それに手を上げた人が厚真に来ているそうです。新しい仕事の立ち上げをしているんです。」(麻生さん)
シモカワベアーズも、その仕組みを利用している総務省の地域おこし協力隊がはじまって10年。最近はこれまでとは地域のニーズも、そして実際に地方に移ってくる人たちの意識も変化してきている。
通勤電車に疲れたとか、田舎への憧れといったフェイズはとうに過ぎて、ローカルという場に積極的な何かを見出そうとしている人たちが増えてきています。厚真町に新しい何かを創るヒントを感じた経営者のように、ローカルで新しい仕事を立ち上げていこうという動きが確実にあります。ではその根っこにあるものは何なのでしょう。そして下川にはそれがどんな形で生まれつつあるのでしょうか。
●下川の“新しい仕事”〜役場の蓑島さんと高原さんから
1901年の入植と開拓から下川町の近代ははじまり、農林鉱業によって発展してきました。1954年の洞爺丸台風によって森が壊滅的なダメージを受けたことや、1967年に財政再建団体に指定されたこと。1980年代の鉱山の休山、1989年の名寄本線の廃止などの様々な逆風を受けながら、1960年代から町の森林を大切に育て、森林資源を最大限・最大効率で活用するまちづくりを進めてきました。自分たちがこれから生き残っていくために必要な社会経済システムに向かって、町の人たちのたくさんの試行錯誤、実験、チャレンジが重ねられてきました。
そのひとつの成果として、2011年には環境未来都市に、2018年にはSDGs未来都市に指定されることになりました。これは下川の人たちが取り組んできた新しい社会経済システムへの模索が、国内でも有数の先進性を持ち、いち早く未来に触れていたことを示しています。
そして、この“新しい社会経済システム”を目指していく動きから、“新しい仕事”が生まれてきています。そのひとつを、町のSDGs関連事業のひとつ『地域経済循環システム構築事業』というプロジェクトから見てみましょう。
●町の外に漏れるお金をへらす
下川には、SDGsを自分たちのものとして咀嚼しなおした下川町独自の7つの目標というものがあります。
住民主体で議論を重ねてつくられた7つの目標は、誰か外の人に言われて取り組むSDGsではなく、自分たちのものになった主体的なSDGsとしてたいへん興味深く、また先進的なものです。
そのうちのGoal3が、“人も資源もお金も循環・持続するまち”という目標です。地域外へのお金の流出をなるべく少なくし、地域内での経済循環をなるべく多くし、外部に依存することなく町を持続していく、という目標です。下川町役場、政策推進課SDGs推進戦略室の蓑島豪さんはこう話します。
「下川域内の産業経済の生産が215億円あるうち、地域外から獲得するお金は74億円、そして地域外に流出するお金は126億円あります。自動車や農機具の燃料となる石油由来のエネルギーなど、下川内では生産できていないものは当然、外から買うことになり、お金は流出しています。ここを変えるのが新しい仕事です。
下川には森や畑があります。森の薪をエネルギーとして使えば、灯油を外から買わないですみます。野菜も地産のもので賄えれば、外にお金は流出しません。
今回、『地域経済循環システム構築事業』では、“お酒”にスポットを当てました。酒類の年間購入額は7700万円で、全ては地域外産のもの。外に流出している酒代を域内で循環できないか、ということで、例えばビールの自給も考えられます。下川町産の小麦「ハルキラリ」を使うこともできますし、何より下川の人は、飲むのが大好きなので(笑)。」
こうしたことに取り組んでくれる人がベアーズで来てくれても嬉しい、と蓑島さんは言います。
●町の商店街を支える新しい地域商社
あるいは、「下川の地域商社」という“新しい仕事”もあります。
「地域商社」とは、一般的には地域に眠っている産品を地域外へ販路開拓する司令塔のことを指します。日本の地方創生の牽引役であるまち・ひと・しごと創生本部でも、地域商社事業の設立と普及は重要な取組分野としてあげられています。しかし、下川町役場森林商工振興課の高原義輝さんが考えている地域商社は、それとはすこし違い、外販も視野に入れつつ、地域内の需要と供給を担う役割に力点が置かれています。
背景には、人口減少とそれに伴う需要の減少、仕入れの難しさ、高齢化による人材不足、そして通販の発展や近郊の大手スーパーの存在という地域の課題があります。それを象徴するように、長年下川の住民を支えていたローカルのスーパーマーケットが最近閉店したのです。近隣の高齢者にとっては不便になり、送り先がなくなることで物流も細くなってしまう。こうした現状を踏まえて、高原さんが構想しているのが「新しい地域商社」という存在です。
「地域の商店の需要を地域商社がとりまとめ、かつ卸を限定して需要を太くして仕入を確保し、なるべく安価に配送します。また宅配や販促の役割も果たし、人材の確保もまとめて担う。そして町外への販売も同時に行っていく、というのが下川版地域商社の構想なんです。将来的には、ドローンで配送したりといったこともできたら面白いですね(笑)」(高原さん)
下川町役場のお二人が話してくれた2つの”新しい仕事”は、どちらも下川の抱えている課題から発想されたものですが、単なる地ビールづくりでも、過疎地域の買い物難民解消でもありません。どちらも7つの目標のうちの“人も資源もお金も循環・持続するまち”としっかり結びついていて、それが“新しい仕事”の強さにもなっているのです。
下川の“新しい仕事”〜村上さんの場合
続いてビジネスの視点から、下川の“新しい仕事”を見てみましょう。。
2016年1月、下川のあべ養鶏場の事業が、札幌を中心に飲食店経営をしている株式会社イーストンに継承されました。50年以上続いてきたあべ養鶏場は、後継者を探しており、イーストンは飲食店という三次産業だけでなく、一次産業、生産の部分にも携わりたい、という考えがありました。銀行の紹介によって両者の思惑がマッチング、M&Aが実現したのです。そして現場を任されたのは、「ここに来るまで下川のことは知らなかった(笑)」という広島生まれの村上さんと能藤さん。
村上さんたちがつくる卵は、夏の30度と冬のマイナス30度という気温差を名前に取り入れ、「下川六〇酵素卵」として販売しています。もちろん下川町内の飲食店で食べることができます。町外へと販路を広げており、下川出身のスキージャンプレジェンド・葛西を輩出したスキージャンプ少年団に差し入れをしたことも。
「下川という日本の最北端でビジネスをやるというのは、デメリットのほうが大きいと考えるのがふつうでしょう。物流コストもかかるし、気象条件も厳しい。それは前提としてあります。でもメリットもあるんです。それは人材です。都会は人材の確保に苦労していますが、下川ではそれは難しくなかったですね。
20代のころから飲食をずっとやっているんですが、これまでは『安く食べられればある程度はなんでもいい』という感じだったんです。でも今は違ってきていて、新鮮な食材、採れたての野菜のほうが美味しいし、いいものだ、いう感覚に変わってきている。別の言葉で言うと、人間らしい生活のほうにシフトしてきているんだと思います。都会にいた時より、下川にいるとその傾向がよく見えますね。
昨年、北海道全土で停電が起こった夜、町は真っ暗になっていました。その状況を、むしろ楽しんでいる人たちがたくさんいたんです。これが都会だったら絶対に楽しむ余裕なんてなかった。
わたしも麻生さんのところに呼んでもらって、そうしたら偶然枝廣さんも居らっしゃって。みんなで食べるものを持ち寄って、これからの下川のことを話したりしていました。」(村上さん)
ふつうにビジネスをするならば条件は厳しい。でも人間らしい生活をする人たちが居て、都会には無い新しさが下川にはある。それが新しい仕事のヒントになるのかもしれません。
*村上さんのインタビューは以下の記事もご参照ください50年以上下川で愛されてきた卵を通じて、新しい幸せを生み出すーVOL15.村上範英/能藤一夫さん | 北海道下川町移住交流サポートWEB タノシモ | 北海道下川町移住情報サイト
●地域における"新しい仕事"の2つのアプローチ
作家、翻訳家として多数の著書を発表している環境ジャーナリストの枝廣淳子さん。下川のSDGs推進アドバイザーにも就任した枝廣さんは、地域で新しい仕事をつくるためには、2つのアプローチがあるとおっしゃいます。
「1つは、『個人がやりたいことを実現する場としての起業』を支援するというアプローチです。もう1つは、地域のほうからスタートして、『地域に必要なことを実現するための起業』です。
下川町では、この2つの重なったところでの起業が可能だと思います。なぜなら、町の産業連関表を作成したり、買い物調査を行うなどして、『地域に必要なこと』をデータに基づいて調査・分析しているからです。また、森の寺子屋など、個人のやりたいことの実現を支援する場もあるからです。そして豊かな森林資源、熱エネルギーなど、資源にも恵まれています。」
個人のやりたいことと、社会の求めていることが重なってできる“新しい仕事”。下川はそれができるのだ、という指摘です。
下川で“新しい仕事”ができるのはなぜか?
ではどうして、下川町ではこうした“新しい仕事”ができるのでしょうか。
●理由その1:課題先進地域であること
下川町はとても恵まれた場所かというと、もちろん違います。人口減少と高齢化は、国内でも先んじて進んでいます。旭川空港からも車で2時間という立地。人口は下げ止まりとはいえまだ上昇してはいません。冬の寒さは厳しく、廃業も増えています。事業継承をしたあべ養鶏場の村上さんはこうおっしゃいます。
「今のビジネスでは“時間”がとても重要なので、都心から遠いというのは、物流にしても情報にしても時間がかかり、お金もかかる。なかなか条件としては厳しいです」(村上さん)
こうした“悪条件”を逆に先進的な条件と考え、町役場の高原さんはこれら課題を、例えばITを使って乗り越えようとしています。
「人口減少と高齢化が進んでいる中で、人手不足という課題があります。農業の現場での人手不足について今進めているのは、IoTとITによる自動化です。たとえば菌床しいたけの生産現場では、温度や湿度の環境管理がネックになっていました。しいたけ工場の工場長をしていた同僚の話す課題を聞いて、道外のIT企業さんに協力してもらい、IoTセンサーによるモニタリングのシステムを導入テストしています。私たちにとっても課題解決の糸口になりますし、企業さんにとっても下川の過酷な環境で実証し、成果を出せれば、他の地域にも展開できる。課題先進地域ならではの取り組みです」(高原さん)
●理由その2:外への寛容さと繋がりの豊かさ
そして、下川には外部の人たちを受け入れる寛容の気質と歴史があることも、新しい仕事が生まれるための大事な条件になっているようです。
「もともと鉱山があったので、人の出入りが多かった、というのはあると思います。外からの人たちに対して寛容さがある。あとはいま60代くらいの人たちがチャレンジをしてきた人たちなんですね。町が逆風に吹かれていた時にがんばった人たち。彼らの働きのおかげで、今の下川町がある。」(高原さん)「町には、『チャレンジ』と『寛容性』というDNAがあり、さまざまな人々のチャレンジを温かく見守り、応援する雰囲気があります。雰囲気だけでなく、町の事業者やかつてさまざまなチャレンジをして町を盛り上げ、切り拓いてきた方々が、親身にアドバイスやサポートを提供してくれる町です。IターンやUターンなどで近年町に入ってきた方々も、さまざまなことに取り組み、みんなで知恵を出し合いながら、笑いの絶えない仲間となっています。」(枝廣さん)
下川と外との繋がりを体現する存在といえば、町役場の蓑島豪さんです。まるで営業マンのように、町外に出ていろいろな人や企業、場所と下川を結びつけるような仕事をしています。お会いした時も、持続可能な発展を目指す自治体会議に出席して、政府のSDGsの会議に出て、札幌のSDGsの研究会で発表してきたという、長い出張の帰りでした。
下川の新しさを外に伝えて、関係をつくり、企業や国、自治体を繋ぐ。吉本興業と下川町の共同プロジェクト「下川町株式会社」も蓑島さんの担当でした。
「外の人たちとたくさん会っていますが、みんな新しいビジネスを探してるんだなということを感じます。都市と下川、お互いに強いところと弱いところがあって、それを補完しあえないか、というニーズがあります。私はその間で、SDGsを”接着剤”のように使おうと、行き来している感じですね。」(蓑島さん)
吉本興業以外でも、下川を訪れるビジネスパーソンはあとをたちません。たとえばSDGsに積極的なグローバル企業であるユニリーバの社員さんも、下川を訪れている。
「下川に何度かいらっしゃって、こっちで仕事をされていました。仕事の合間に、下川でエッセンシャルオイルを作り販売している『ププの森』の販路開拓のアドバイスをしてくれたり、下川の森からとった薪の販売をしている『薪屋とみなが』で薪積みの手伝いをしたりしてくれました。社員を地方に出して、東京では経験できないことを経験させることが会社にとってプラスになる、という考えなんだと思います。」(蓑島さん)
外の人たちが常に新しい風を吹かせて種をもってくる。それがまた芽を出すように、“新しい仕事”に繋がっていくことも、下川ならではの展開と言えそうです。
●理由その3:”3300人”という町のサイズ
北海道全土で大停電があった時、村上さんといっしょにごはんを食べていた麻生さんは、こんなことを思ったそうです。
「3300人くらいならなんとかなりそうだな、って思ったんですよね。もっと都会で、例えば3万人いるところだったら大変だけど、3300人という数字は逆に安心感があった。」
3300人だったら電気がなくてもしばらくは大丈夫。この感覚は、計算でも願望でもなく、麻生さんの実感です。日々、森のエネルギーで暖をとり、狩りと畑で食べものを自分で調達し、3300人のうちの300人くらいと近しい関係を保ち、30人くらいとより密な繋がりをつくっているからこそ、自分はもちろん、他の人たちも大丈夫、と感じられるのでしょう。
「SDGsの視点で考えていくと、“新しい社会経済システム”がつくる未来は、環境に負荷を与えることなく、自然資源を損なうことなく、人が生きていく未来、ということになります。たとえば冬、寒いから暖を取るとき、都会ならばお金を払ってガスや灯油や電気を買う以外の選択肢はないですよね。でも下川だと、自分の山の森から薪を取ってくればいい。ここを握れていることは強い。食べ物にしてもエネルギーにしても、元をたどれば自然のものです。その自然が生活のすぐ近くにあるということの強さを感じます。リスクが高いようでいて、実はリスクが低い。」(麻生さん)
この町のサイズは、行政の人たちと民間との一体感、フラット感にも関係がありそうです。
「役場も『住民主導型のまちづくり』を大事にしており、国や企業との強いコネクションを上手に活用しながら、町の人々の取り組みや思いをサポートすることが自分たちの重要な役目の1つだと認識し、実際にそういった動きをしてくれています。」(枝廣さん)
有限性から再出発する新しい経済システム
「下川の高齢者率と人口減少率は、日本の45年先をいっています。つまり日本の未来の縮図がある。この縮図というのが重要で、3300人くらいだったら変えやすいし、実験もしやすい。なにか希望があるんです。」(麻生さん)
"縮図として見る"という視線は重要です。なぜなら、地球を縮図として見つめ直し、より大きな視点からその有限性を認識した上で、新しい社会経済システムを作ろうとしているのが今だからです。麻生さんは、「3300人というサイズなら、エネルギーも食糧もなんとかなるだろう」という肌感覚を語っていましたが、それを地球規模に拡大して、「80億人というサイズなら、誰一人取り残すことなく、エネルギーも食糧も気候変動もなんとかなるだろう」というゴールを目指すのが、SDGsです。
逆に言うと、これまでの社会経済システムは、縮図として世界を見ない、有限性については考えない、という前提だったということになります。私たちは売上を、商品を、エネルギーを、つまりは欲望を無限に増やしていくことができる、という前提で進んできたのが20世紀までの社会経済システムであり、ビジネスでした。
そこになにかしらの疑問や小さな引っかかりを感じる人たちが、下川で新しい何か、麻生さんが感じている「希望」を見ることができるのかもしれません。「下川は日本の未来の縮図だ」というのはまったく正しいのだと思います。停電で真っ暗になった下川の町に浮かび上がった風景は、日本の未来だったのではないでしょうか。
その未来には、様々な課題とともに、希望がセットされています。他者への寛容性と外との繋がり。風通しがよく適正なサイズのコミュニティ。第一次産業をベースに第二・三次の産業を接続した循環型の新しい経済システムの萌芽。チャレンジしやすい自由な場とそれを応援してくれる仲間。
「都会には無くて下川にあるのは、自然と人との近さ、そして繋がりだと思います。これが新しい経済システムに転換していくための最も重要な鍵になる。それを感じた人たちが、下川に、あるいは全国の地域に来ているのではないでしょうか。ビジネスの現場でガンガンやってきた人たちの中で、そういう感覚を持った人たちといっしょに、新しい仕事を創っていきたいですね」(麻生さん)
下川には希望があります。外からやってくる人たちは、忘れそうになっていたこの希望に触れたくて、下川という場所を訪れることになるのかもしれません。
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