東日本大震災で、市町村単位の犠牲者数が最大だった石巻市。震災後ここを訪れたボランティアの数は28万人にのぼった。その中の一定数がこの地に魅せられ、そのまま住み着き、起業している。Iターンだけでなく、Uターン者や地元事業者の第二創業も多い。「石巻ローカルベンチャー白書」(2018年)によれば、震災後に生まれたベンチャーは20社にものぼり、中には年商1億円を超えるプレーヤーも出始めている。
でも、いまの石巻を面白くしているのは、そうした「バリバリの起業家」たちだけではない。ネクタイは締めない、ハチマキも締めない、一見マイペースで自由に生きている若者たちが、この土地の可能性に惹かれ、心の赴くままにビジネスを始めているという。現地の中間支援組織コンソーシアム・ハグクミ*の渡邊享子さんは、「ともすれば『謎』のように見える彼らの存在こそ、石巻が新たな人を次々に呼び寄せられる理由だ」と語る。そこから「なぞベン(なぞのベンチャー)」というコンセプトも生まれたというが、さて、石巻のそんな型破りな起業家とはどんな人たちなのか。
3人に会って話を聞いた。
*コンソーシアム ハグクミ 石巻への移住・起業を促進するため、石巻を拠点とする4社(一般社団法人石巻観光協会、一般社団法人イトナブ、一般社団法人ISHINOMAKI2.0、合同会社巻組)により発足したコンソーシアム。2016年度地方創生推進交付金に採択された「ローカルベンチャー推進事業」の石巻ローカル事務局も務める。
CASE1:アートとサーフィンから「カレーで勝負」へ ~ 園田凌さん
石巻駅を出て、商店街を歩き始める。大震災を生き延びた昭和生まれの建物たちと真新しい商業施設が軒を並べる通りを10分ほど進むと、旧北上川に出る手前に、なにやらお祭りのような装飾がなされ、屋台のような店が並んだ一角がある。「COMMON-SHIP橋通り」という仮設商業施設だ。その中からスパイスのいい匂いが漂ってくる。
匂いのもとはDISCOという名前のカレー屋さん。その主は昨年夏に名古屋からやってきた24歳の園田凌さんだ。日替わりで提供するというカレー、この日は少し辛めのチキンカレーだった。インドの本格レシピをアレンジしたものだそうで、スパイスのコクがありながら脂っこくなくあっさりしている。クミンが効いた付け合わせの野菜、友人に作ってもらったというテラコッタ風の皿。すべて園田さんのオリジナルだ。
名古屋の大学で経営学を学んだが、サラリーマンにはどうしてもなりたくなかった。趣味のサーフィンで身を立てるには「少し遅すぎた」が、それなら絵描きになりたいと考えた。壁画などのペインティングとサーフィンの修行のため、とある人に住み込みの弟子入りをする形で石巻に来たのが約1年前。しかし、その後「いろいろあって」方針を転換、商売をやって独立することにした。料理が好きで、スパイスから作るカレーには自信があった。カレー屋で勝負しようと決めたところへ、その仮設商店街がリニューアルするにあたり、新規テナントを募集するという話が舞い込む。ワカメ漁のアルバイトで開業資金を貯め、2018年4月末、晴れてカレー屋をオープンした。
以上、園田さんの大学を出てからの1年3ヶ月をかなり端折って紹介すると、このようになる。長い髪を後ろで束ね、「No Nuke」のTシャツに友人手作りのペンダントを身に着けた姿は、ひと昔前なら「ヒッピー」と呼ばれたであろう。語り口もあくまでもマイペース。情熱とか気合とかいう言葉はどうも似合わない。
ただし目標はある。仮設商店街の契約は最長であと2年半だが、その前に独立してきちんと店を構えることだ。いまのところ、昼から夜まで営業して1日30食出る日もあれば、一桁のときも。「なんとかなってる」とはいうが、このままでは厳しいということもわかっている。「なので、テコ入れが必要だと思ってます。仮設商店街自体の魅力を上げないといけない。このまち全体もそうだけど、限られた人ががんばっているだけでは、面白いコトは生まれないから」
前出のコンソーシアム・ハグクミは、移住相談窓口「まちのコンシェルジュ」というサービスを2016年12月スタートさせた。I・Uターン者、起業志望者から田舎暮らし満喫派まで、年代も目的もさまざまな移住希望者に対し、住まいや仕事、生活に関するサポートをしている。ここまでの相談件数は100件超、移住者は20名を数える。
そのコンシェルジュの一人で自身もUターン者である矢口龍太さんは、園田さんをこの半年ほど間近で見てきた。
「ある音楽イベントで初めて凌君に出会って以来、コンシェルジュというよりは一人の友人として付き合いながら、いろいろな情報を提供したり人を紹介したりしています。凌君は、どこにもちゃんと顔を出して義理を果たすんですよ。人付き合いを大切にする石巻では、そういうことはとても大事。だから彼はみんなに愛されてます」
そういう意味では園田さん、スーツこそ来ていないがナチュラルな“ビジネスマン”なのかもしれない。実際、大学で学んだ経営学を「おもしろかった」と振り返り、「理論を学ぶと物事を多少は俯瞰的に見る感覚が生まれる。だから店だけでなく他のことにも生きている気がする」と語る。
一方、親御さんの心配を振り切って就職しない道を選んだのは、「親の言うこともわかるから難しかったけど、そこは選ぶしかなかった」という。そこは園田さんにとって、譲れない心の声だったのだろう。ただ、会社勤めを経験しないことで「いわゆる社会常識がない、というレッテルを貼られちゃうのだけは怖かった。だからそれは勉強するしかない」と、ここでも冷静だ。
しかし、もし店がうまくいかなかったらどうするのだろう。
「よほど困れば(前にやったワカメ漁のような)季節労働というセーフティネットはある。でも僕はそれに戻ることはできない。常に新しいコトしていないとダメな気がするから、いまの時期は。だから、思い切って旅に出ると思います。それでも石巻にはなんらかの形で関わっていたいけれど」
この返事を聞いて思う。一見、無計画な自分探しのように見えて、園田さんほど「自分」が分かっている人もいないのではないか。自分は何をしたいのか、心の声がちゃんと聞こえているのだ。
「石巻への移住希望者は、大学生から定年退職組までかなり幅広くなってきています。その中でも凌君は異色ですよ。こういう人がいると、石巻ってなんかおもしろいね、っていうのを嗅ぎつけてくる人がいて、そこからつながっていくんです」(矢口さん)
もう一人の移住コンシェルジュ、雁部隆寿さんも言う。「もしカレー屋が本当にうまくいかなくて、凌君が旅に出るというなら出ればいいんです。旅の先々で石巻の種をまいてくれて、それがいずれここに戻ってくればいい。そうやって出入りするのが港町石巻のDNAですから」
CASE2:「畳縁のセレクトショップ&カフェ」に挑戦する4児の母 ~ 黒澤ひとみさん
黒澤ひとみさんは石巻市雄勝(おがつ)生まれの27歳。小学1年生を筆頭に3人の息子さん、そしてお腹の中には4人目を妊娠中だ。その黒澤さんは、いま自宅兼店舗を市内に建設中で、来年には開業する予定だという。
「畳屋caféうにぼうず」という店名は、もう決まっているそうだ。畳屋は彼女の実家の家業である。畳職人の祖父、内装業の父は、雄勝をベースに全国各地で仕事をしている。また、海の幸に恵まれた土地柄、家族はシーズンになると海へ出てウニ漁もする。「死ぬ前の最後の食事は絶対、白いご飯に塩ウニ!」という黒澤さんだ。店名の由来は明らかだろう。
その店で何を売るのかと聞けば、「畳縁(たたみべり)」だという。きれいな畳縁を使ったバッグやアクセサリーなど、たしかにちょっとしたブームのようだ。が、彼女自身がそうした品物を作るのではなく、生地屋の感覚で縁そのものを売る計画とのこと。またカフェの飲食メニューに関しては、店名の「ウニ」を使った料理や、イグサの主産地・熊本ではすでに商品化されているという「イグサを練り込んだソフトクリーム」などのアイデアはあるが、具体的にはこれから考える段階らしい。
なにしろ、店の完成と4番目の子どもの出産が重なる見込み、と聞くだけで大丈夫なのか?と思ってしまうが、黒澤さんのこの10年間は、ハタから見れば「大丈夫なのか?」の連続だったに違いない。
仙台にある東北工業大学クリエイティブデザイン学科に進学したが、まもなく第一子を妊娠。1年休学して雄勝の実家に戻ったとき、東日本大震災で被災した。復学後は子育てをしながら雄勝から大学へ通ったが、4年生のときに第二子を授かる。大きなお腹で取り組んだ卒業制作では、担当教授の助言で「畳」を使った作品に挑戦した。一方、1つ上の夫は大卒後自衛隊に入り、しばらくは別居が続いた。実家で子育てをしながら、自身の仕事や生き方については一人で悶々と考えたという。
「大学時代から、子供がいるので友人と遊びに行ったりできなかったですしね。そうやって一人で悩んでいる時間が長かった」と振り返る。
そんな黒澤さんは、子供を預けて勤めに出るより家業に携わりたいと考えるようになった。子供を背負って祖父の仕事場を訪ねると、半端物として行き場のない大量の「畳縁」に目が留まった。昔から見慣れてきたものだったが、デザインを学んだ目で改めて見れば、色とりどりの紋様が織り込まれた丈夫な布。並べてみたらその美しさに開眼した。「これで何かやりたい!」 ――畳縁が静かなブームになっていることも知らず、フリマアプリを使って畳縁を売り始める。
しかし、その先はどうしたらいいかわからない。助けを求める思いで「起業」というキーワードで検索したところ、コンソーシアム・ハグクミが運営する起業塾、「石巻松下村塾」の存在を知った。しかし、当時は三男を出産したばかりだった。
石巻松下村塾は、約半年間の事業ブラッシュアッププログラムだ。4回の講座を通して事業計画を練り上げ、最終審査で優秀とされたプランには活動支援金が提供されるというもの。2017年度は黒澤さんを含めた6人が受講し、結果的に4人が起業することになったのだが、プログラムを担当するコンソーシアム・ハグクミの渡邊享子さんは言う。「話を聞きたいと、黒澤さんがオフィスにやってきた日のことをよく覚えています。子連れでも大丈夫か、何もわからないけど大丈夫か、しきりに心配していて。そのときから応援したいと思って背中を押しましたが、まだ自信が持てなかったのでしょう、初回の開校式には来なかったんですよ」
しかしその後、黒澤さんは受講を決心。講座の日に限らず、子供を連れて渡邊さんのオフィスもたびたび訪れ、いろいろな話を聞いてもらいながら、アイデアを形にしていったという。最後の発表会では、三男を背負いながら家族の見守る前でプレゼンをした。そのコンセプトは、「畳の縁(へり)を使い、震災で傷ついた石巻を縁(えん)のまちにしたい」というもの。それが、「みんなが集まる場所」としてのカフェのアイデアにつながった。
「講義の間は渡邊さんたちが子供の面倒を見てくれました。私にとって講義はもちろん勉強になりましたが、それよりも渡邊さんたちとの会話の中で、『それ、いいね』と言ってくれる、その一言一言が自信につながっていったんです」
とはいえ、「畳縁Caféうにぼうず」が晴れてオープンするまでには、まだ紆余曲折がありそうだ。数字とにらめっこの事業計画も「どうも苦手」と笑っている。本当に大丈夫か??しかし一方で、飲食店開業に必要な食品衛生責任者の資格は、松下村塾に入る前にもう取得済みだという。さらに、「復旧作業で大型車が行きかうのを見て、大型免許も取りました。だから店がダメだったら私、トラックの運転手になります(笑)」。
これを聞いて思い浮かんだのは、「したたか」という言葉だ。「したたか」は漢字で「強か」と書く。そう、子を持つ母は強いのである。まさに肝っ玉母ちゃんだ。
「私はずっと親に反抗して、家の壁に穴をあけるような子だったんです。何が正しいことかも分からず、何も考えずにフラフラ生きてきた。それを見たご先祖様が子供を授けて、正しいことがわかるようにしてくれたと思っています。起業しようと考えたのも、子供を守りたいからこそ。だから子供を持って本当によかった。いまはとにかく、いろいろなことが学びたい」
CASE3:シンガポール出身の親日青年が留学生と地方をつなぐ ~ デニス・チアさん
石巻の中心市街地に、IRORI石巻というカフェ兼オープンシェアオフィスがある。コンソーシアム・ハグクミのメンバー、ISHINOMAKI2.0が2016年にリニューアルオープンしたおしゃれな空間だ。訪れた日は盆休みの最中で、外国人も含めた観光客らしき人々で席は埋まっていた。
そこでパソコンを開いていたのは、シンガポール出身のデニス・チアさん。早稲田大学進学のため来日して今年で10年になる。東大大学院では社会関係資本をテーマに研究した。名前を聞かなければ生粋の日本人と間違えるほど流暢な日本語は、中学時代から勉強してきた第三言語だという。もちろん英語と中国語も操るマルチリンガルで、通訳・翻訳の仕事も数多くこなす。差し出された名刺には「株式会社BOUNDLESS代表取締役」とある。本社は神奈川県横浜市だ。
そう聞けば、アジアの優秀な若手ビジネスマンが大きな商談をまとめに東北へやってきた、と思っても不思議はない。
が、ラフなTシャツ姿のデニスさんに起業の動機を聞いたら、少々拍子抜けした。「修士課程の修了後も日本に残りたかったんですが、ビザを取るには博士課程に進むか、就職か結婚か起業しかなくて」、消去法で起業が残ったのだという。外国人が日本で会社を作るには、まず資本金・事務所物件などの要件を満たすのが大変だったが、ビザの期限ぎりぎりに法人登記を済ませて開業した。2017年2月のことだ。
まず会社を作るのが先で「中身は何もなかった」と笑うが、「やりたいこと」ははっきりしている。外国人、それも高度人材を日本の地方活性化に生かすことだ。日本をこよなく愛し、47都道府県すべてを踏破したデニスさんは、「日本の地方の課題は世界中の課題でもある」という。
現在の活動のメインは「地方創生パートナーズ」と銘打った事業で、在日留学生を主な対象として地方での体験型学習プログラムを実施している。これまでの活動地域は北海道下川町、北海道浦幌町、神奈川県南足柄市、そしてここ、宮城県石巻市など。今夏実施のプログラムを含めると、27か国・延べ約50人の留学生がこれらの地域を訪れたことになる。
ポイントは、ただ観光客として観光地を回るのではなく、高齢化・過疎化といった課題を抱える地方でこそ生まれているイノベーションの現場を体験することだ。その経験は、留学生が母国に帰ってからも生かされるであろうし、受入れ地域の側では「留学生という新しい関係人口」をまちづくりに生かすことができる。なにしろ、日本の外国人留学生の数は2017年に26.7万人と、震災の年の16.3万人と比べてもわずか6年で6割以上も増えているのだ。(独立行政法人日本学生支援機構 「平成29年度外国人留学生在籍状況調査結果」)
なかでもデニスさんが力を入れている地域が、石巻だ。デニスさんは早稲田大3年のときに東日本大震災を経験。大学のボランティアセンターを通じて石巻でボランティア活動を行い、それ以来のご縁だという。起業してからは、コンソーシアム・ハグクミが関係人口づくりのため東京で開催している「とりあえずやってみよう大学」にも参加。フィールドワークの石巻訪問では、それまで接点のなかった人々とも出会った。
2017年12月から2018年3月にかけて、デニスさんをはじめモンゴル、イタリア、スペイン、インドなどからの多国籍チームメンバーが石巻を訪問。フィッシャーマン・ジャパンや石巻工房、イトナブといった震災後の先鋭ベンチャーたちからイノベーションについて学び、情報収集・調査を行った。その内容に基づいて作られた学生・社会人向けの「体験型学習プログラム」は、本稿執筆時点では8月下旬に実施予定で参加者を募集している。
さて、この石巻プロジェクトの資金はクラウドファンディングで調達に成功し、また体験型学習プログラムの参加者からも一定の参加費を徴収するものの、事業全体としてはまだ赤字だという。
「だから、外国人向けのこうしたプログラムを推進するのと合わせ、留学生たちと一緒に地域の受入れ側を支援する仕事にも力を入れていきたい。石巻では、たとえば民宿や民泊の英語での情報発信をサポートしたり、いずれは問い合わせや宿泊予約などの対応も請け負えたらいいなと思っています。来年はリボンアートフェスティバル*があり、再来年はオリンピックイヤーです。多くの外国人を呼び込んで、『被災地』ではなく『イノベーションのまち』としての石巻を見てほしい」
*Reborn-Art Festival 石巻市・牡鹿半島を中心に約2か月にわたって開催されるアート×音楽×食の祭典。
たしかに、観光のみならず地方の地場産業を対象とした外国語関連サービスは、事実上ブルーオーシャンのマーケットといえる。やりようによってはかなり「おいしい」ビジネスの可能性もありそうだが、デニスさんにはガツガツした雰囲気はまったく感じられない。もとは国連などの国際機関に就職することを考えていたというデニスさん。ビジネスマンの父親からは、「お前は人が良くて優しすぎるから、ビジネスに向いていない」と言われるのだそうだ。
「でも僕がやっているのはソーシャルビジネスだから」
地方の課題解決に、留学生をはじめとする外国人の高度人材を新たな「戦力」として生かそうという試みは、たしかにソーシャルであり、そしてチャレンジングである。石巻のコンソーシアム・ハグクミは、こうした国境を超えたベンチャーをも丁寧に育くもうとしている。
「なぞ」を含めた存在の多様性がまちを面白くする
今回取材した3人は、敢えてこういう表現を使うなら、“ヒッピーとヤンママと外国人”だ。日本経済のメインストリームからは常に「戦力外視」されてきた種類の人たちである。経営のプロから見れば、たしかに彼らの「ビジネス」には突っ込みどころが満載だろう。彼らは一獲千金をもくろむ起業家ではない。適正な利益を出す必要は認識していても、ガッツリ儲けようという発想はない。だからといって、社会の課題を解決するぞ、地域づくりに貢献するぞ、という妙な気負いもない。その立ち位置を「謎」と表現するなら、たしかに彼らは「なぞのベンチャー」たちである。
彼らの軸はあくまで自分自身が納得することだ。そしてその納得感は、「自分ひとりが楽しい」だけでは決して得られない。そのことを、3人はみな身体で知っているように思う。そんな「なぞベン」たちが増殖すれば、結果としてその地域は楽しく、面白くなるのだ。それなら、彼らの挑戦を応援しない理由がどこにあろう?そのことに気づいたコンソーシアム・ハグクミは、どんな人のどんな挑戦も初めから「無茶」と切り捨てず、まず話を聞く姿勢を貫く。
もともとヨソモノを拒まない文化に、大震災後は“とりあえずやってみよう”という精神がプラスされ、チャレンジしやすい環境が整う石巻。そこに集まる人々の多様性こそ、このまちの魅力と持続性を担保するエネルギーの源泉なのだ。
>コンソーシアム・ハグクミが提供する各種プログラム
>コンソーシアム・ハグクミを構成する4社
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